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神崎さんと別れ、社会科教員室に戻ると、室内には氷室先生の姿があった。
「お疲れ様」
「お疲れ様です」
短く挨拶を交わして、僕は自分のデスクについた。
先程終えてきた授業の内容を見直しながら日誌を書く。
しばらくして。
「──小金餅先生」
と、不意に呼びかけられて、僕は日誌から顔をあげた。見ると、氷室先生が立てられたファイルの向こうから、こちらを見ていた。
「昨日の……。……雲野の理由を聞いて、どう思ったか聞いてもいいかな」
そう問われて、僕はキョトンとしてしまった。
まさかそんな質問をされるとは思ってもいなかったからだ。
「えぇと……特に思うところはなかったですよ。彼女が懸念していたようなことも思いませんでしたし」
彼女──雲野は笑われると思っていたようだが、実際、笑うような理由じゃなかった。むしろ、年相応というか、年頃の女の子が抱えるような理由だった。
「…………そうか」
氷室先生は小さく呟いて、視線をデスクに落とした。
「? どうしたんですか?」
その少しだけ影を負ったような表情に、僕は怪訝に思った。
「いや……」
何かを言いあぐねている様子の氷室先生。
僕は黙って待つことにした。
…………。
そういえば日南先生はどうしたんだろう。
「……実は……」
少し重そうに口を開いた氷室先生はゆっくりと話し始めた。
「俺はあのとき……理由を聞いたとき……」
なんだ、そんなことで──と。
思ってしまったんだ。
氷室先生はそう吐露した。
「…………」
僕が何も言わずにいると。
「俺は……駄目な男だ。好いた女に、気持ちで寄り添えない──」
と、己を責め始めた。
「止めてください。氷室先生」
僕は彼を見据えて言った。
それ以上、影を負う必要はない。
「……氷室先生。貴方の反応は多分、それで普通だと思います。貴方はカウンセラーでも心理士でもないんですから。ただ、彼女──雲野との距離が近いだけで」
それは『普通』だ。
自殺を考えたことのない人の反応。
自殺と縁もゆかりもない人の反応。
「彼女があの『理由』で『自殺』を考えたことは貴方にとって意外だった。ただ、それだけだと思います」
誰が何を理由に自殺するのかなんて、普通は分からない。他人にとっては「そんなこと」でも、本人にとってはそれが「理由」になる。
『理由』が『自殺』する価値になる。
思い詰めれば──思い積めれば積めるほど、その『理由』は『自殺』する価値に匹敵してしまう。
──これは僕が過去に体験……体感したことだけれど。
……本当に、あのとき神崎さんに会ってなかったら僕はどうなってただろう?
「……そう、かな」
「それでいいと、僕は思います」
普通でいいと、僕は思う。
お互いに何を考えているか分からないのなら訊けばいい。訊いて聞いて話し合えばいい。
今回のことで、氷室先生と雲野はそれを学んで手に入れたんだから、それが普通になるだろう。
言わなくても伝わる思いもあるなら。
その逆で。
言わないと伝わらない思いもあると思う。
天の邪鬼みたいな考えかもしれないけれど。
確実に伝えたい思いがあるなら、言って伝えないと駄目だと思う。
「お二人のこと、応援してます」
僕がそう言うと、氷室先生はその顔から影を消してはにかむように笑った。
「……ありがとう」
普通の恋じゃあないけれど。
思い合う姿は普通だと思う。
そんな風に氷室先生との会話が終わりかけたとき。
がらっ
勢いよく引き戸が開けられて、日南先生が入ってきた。何故か息を切らしている。
「ど、どうしたんですか、日南先生」
「や……っ、な……っ、なんっ……、なんかっ……、なんか神崎さんに絡まれて……っ」
切らしている息の合間合間に答えた日南先生は、よたよたしながらも己のデスクにたどり着き、力なく椅子に体を預けた。
…………一体、どんな絡まれ方をしたんだろう……?
疑問に思いながら、日南先生にお茶を入れて渡す。ありがとう、と言ってお茶を受け取った日南先生は、一息ついて、(口には出していない)僕の疑問に答えるように吐露した。
「なんっかよく分かんないけど、出会い頭にいきなり『ストレッチしようぜ!』なんて言われて付き合わされたのよ……っ」
理不尽っていうかワケわかんない人だわ──そう言って飲み干したコップをデスクに置く日南先生。
……………………。
まさか……ね。
一瞬、頭を過った考えに、あり得そうだな、と思ったのを否定した。
だって、だとしたら怖いもの。
……恐いもの。
「それは……災難でしたね……」
僕はそんな当たり障りのない対応をして、お茶の飲み干されたコップを片付けた。
コップを洗いながらふとした疑問が頭にちらついた。
そういえば。
神崎さんは。
──いつからああなのだろう?
(to be continued…?)
最後までお目通し頂きましてありがとうございます。
よい読書時間をご提供出来たのでしたら嬉しいです。
追記:現在、続編を書いています。遅筆で申し訳ありませんが、年内には投稿出来るよう努力致します……【2019.7.25】