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「──さ、話せよ」
神崎さんはそんな風に切り出した。
自殺者──未遂であれども当事者──に対する切り口としては随分と手荒い。神崎さんは促してるつもりかもしれないが、これではほぼ命令だ。
この人、本当に『ゲートキーパー』なのだろうか。
「……なんで……」
しかし、雲野は雲野で、神崎さんの命令口調に従うわけでも脅えるわけでもなく、顔こそ伏せたままであるが、やや抵抗するようにそう反応した。
「なんでってオメー、話をしなきゃ始まらねーだろ」
語調を変えず、そう言い放つ神崎さん。
「……っ、ち、違う、そうじゃなくて……。は、話はするけどその前に……なんでこの状態じゃなきゃいけないのか訊きたいんだけど……っ!」
言葉尻の語気と共に勢いよく顔を上げて神崎さんを見る雲野真白。薄暗い中で見えたその顔は、神崎さんを睨んでいる──というか、困っている表情だった。
あぁ、うん、まぁ、そうなるよな……。
夜だから顔色までは分からないけれど、きっと、真っ赤になってるはずだ。
僕は雲野真白の置かれた状況──いや、この場合は本人が言うように状態といった方が正しいか──を見てそう同情せざるを得なかった。
雲野真白は今。
拘束されているのだ──氷室先生の腕によって。
ビジュアル的には氷室先生が雲野真白を後ろから抱き込む形だ。
白昼であれば場所が場所だけに大騒ぎである。
「え? なに? 気に食わないの?」
意外な反応だ、と言わんばかりの神崎さん。
と、言うのも氷室先生に雲野を保護(拘束)するよう指示したのが神崎さんなのだ。
「き、気に食わないとかそういうんじゃなくて……」
言い淀みながら雲野はチラリと僕を見た。
ん? なんだ?
「らぶちゃんは大丈夫だから気にすんな」
その挙動から何かを察したのか神崎さんが言う。
「でも……」
「そんなに気になるならアタシが確かめてやるよ。──なぁ、らぶちゃん」
呼び掛けられて、僕は神崎さんの方を向く。
「何ですか?」
「この二人、どう思う?」
「はい?」
「いいから答えろよ」
「はぁ……」
一体何なのだろう。
まぁ、答えろと言われたからには答えなくては。
「……普通にお似合いだと思いますけど」
僕は思ったことをそのまま言って答えた。
屋上での氷室先生と雲野真白のやりとりから察するに、二人は想い合ってる仲なのだろうことは分かった。それからするに神崎さんは──事情を知っているらしい神崎さんは──僕に、この恋人同士二人をどう思うか……僕の視点からどう言う風に見えるか……を訊いたんだと思う。
しかし今のこの質問が何の確認になると言うのだろう。
僕が答えた答え以外に思い付く答えが無いんだけれど。
「ほらな」
僕の疑問を余所に、神崎さんは雲野に向かってニヤリとする。雲野は雲野で、再び顔を伏せてしまった。
本当に何なのだろう。
そんな訝る僕に気付いたのか、神崎さんは「らぶちゃんちょっと耳貸して」と言って手招した。僕が耳を寄せると、そっと「世間体」と短い言葉で教えてくれた。
……あぁ、なるほど。そういうことか。
僕はその言葉で雲野の態度に合点がいく。
二人は確かに恋人同士だが、立場はそれぞれ生徒と教師(教諭)だ。雲野は生徒と教師の色恋は世間で憚られるものと思っているらしい。彼女はそれを気にしていて、どうやら自分たちの関係性に対して僕が常識を以て怒るのではないかと危惧したようだ。
まぁ、確かに世間ではそうかも知れない。
が、しかし、僕はそうとは思わない。誰が誰を好きになろうとヒトの勝手なのだし自由なはずだ。立場や年齢を理由に想い合うことを諦めなくてはいけないのは理不尽である。
「……らぶちゃん先生って変わってるね」
雲野が俯いたままで言う。
「……俺もそう思う」
それまで口を開かなかった氷室先生が同意する。
そういえば、神崎さんに屋上へ連れ込まれる前に氷室先生とはそんな話をしていたのだっけ。
いやしかしだからと言って変わった人扱いは容認できないが。
「…………うん、もう、このままでいいかな」
少しだけ、顔を上げて雲野は言った。その表情がまんざらでもなさそうに見えたのは気のせいだろうか。
それから雲野はゆっくりと話し始めた。
「──不安、だったの」
視線はテーブルに落としたままで、思いを吐露するように雲野は言葉を溢す。
「最近……た…………、……氷室先生との間に距離を感じてて……それで……なんでなのかなって……どうしたらいいのかなって……色々考えてるうちに分からなくなって……」
と、雲野は淡々とほろほろと言葉を落とすように話す。
「え、なに、原因は氷室先生なの?」
僕は氷室先生を見る。僕と目が合った氷室先生は、少したじろいだようで、僕に返す言葉を迷っているようだった。氷室先生が答えるのを待っていると、
「らぶちゃん、話の腰折るなよ」
と神崎さんから注意された。
「あ、ごめん」
僕が謝ると、雲野は首を左右に小さく振った。
「それで? 何をどう考えたから自殺しようってなったんだ?」
神崎さんが話の軌道を修正して促す。
が、言い澱んでいるのか雲野は話を続けない。
しばらくして、雲野は口を開いた。
「わ……」
わ?
「笑わないで……ね?」
躊躇いがちに雲野は言う。
うん?
笑う?
自殺する……自殺しようとする理由に、笑うものなんてあるのか?
「うん、まぁ、笑わないよ」
疑問を持ちつつも僕がそう答えると、
「…………まぁ、って何。まぁ、って」
と、直前の気弱そうな様子から一変、雲野が僕を睨んできた。
おぉう。
なんて凄味だ。
恐ぇよ。
「ご、ごめん、絶対に笑わないから」
僕が言い直すと、
「……もう、ホントに笑わないでよね」
むすり、としたまま雲野が追ってそう言うので僕は何度も頷いて了承した。
「……氷室先生に嫌われたんだって思ったの。そしたら……凄く悲しくなって……先生に嫌われた自分が凄く嫌で……嫌われたままでいるのが辛くて……でも何で嫌われたのか分かんないし……」
言いながら、雲野の顔が伏せがちになっていく。
「それで、自殺しようと思ったわけだ」
神崎さんが雲野の言葉を継ぐように言った。
「あれ? でもなんで自殺する直前、氷室先生を呼んだんだ?」
これから死ぬってときに、好きな人を呼び出した理由は?
「……最後に……死ぬ前に……氷室先生の顔を見たかったの」
顔を上げることなく言った雲野。
多分、恥ずかしさから顔を上げられないのだろう。
僕は何も言えなかった。
「──だってさ、氷室センセ」
そう、空気を変えたのは神崎さんだ。
「この子に話すこと、あるよな?」
神崎さんが雲野越しに氷室先生を見る。
「……あぁ」
短く頷いて、氷室先生が口を開こうとしたところで。
「あ、待って」
と、雲野が上体をひねって氷室先生を見、言葉を遮る。
「ちゃんと向き合ってからがいい」
そう言って雲野は氷室先生の腕の中から出て、その隣に座り直した。テーブルにではなく言葉通り氷室先生の方を向いて正座した。
「雲っちの方が男前だな」
くく、と神崎さんが笑う。
その台詞に、氷室先生が苦虫を噛み潰したような顔になったが、何も言うことなく雲野に向き直った。
そうしてお互いに向き合ってから。
「……俺がお前から距離を取ったのは……」
氷室先生は雲野を真っ直ぐに見て言う。
「お前の受験勉強を邪魔したくなかったからだ」
その意外な理由に、その場があっけに取られる。
「大学を受験すると聞いてから……お前の為に出来ることを色々考えていた。それで、考えてるうちに──何もしないことがお前の為になるんじゃないかと思った」
何もしない?
それが、雲野を思ってのこと?
「え──でも、それって逆なんじゃ……」
教諭なのだし、普通、そこは勉強を教えようとするとこなんじゃないの?
「らぶちゃん。そこ、教諭の立場で考えてみ? そしたらどうなる?」
神崎さんが僕にそう促してきた。
教諭の……立場で……?
…………。
先生が生徒に勉強を教える──いや、この場合は厳密にいうと──氷室先生が雲野にだけ勉強を教える、か……すると、どうなるか。
「……なるほど」
確かにそりゃ問題になるな。
周りから見ればそれは──えこひいき、だ。
特定の生徒だけ特別扱いしていることになる。
そしてそれは──妬みから来るイジメに繋がりかねない。
……あぁ、でも。
「特別講座とか設けたらよかったんじゃ……」
受験対策講座として、数人の生徒を募集してその中に雲野を含めてあげれば。
それなら……問題なくない?
「……今の子ってさぁ、結構目敏いんだよなあ」
呟くようにそう言う神崎さんを見ると、僕の視線に気付いて神崎さんは僕を見た。
目が合う。けれど、神崎さんの言いたいことが分からない。
「どういうことですか?」
分からないので素直に訊いてみる。
神崎さんは指を二本立てて僕に向けた。
「二人の関係」
ピースサインをハサミのように動かしてみせる神崎さん。
二人の関係?
「恋人同士ってさ、そういう雰囲気あるじゃん? 二人でいたら醸し出ちゃう、それっぽい雰囲気がさ」
「あー……」
そういうこと。
僕は思い至って納得した。
例え、特別講座という教える口実を作ったところで──二人が、氷室先生と雲野がそれらしい雰囲気を滲ませたらそういうことに敏感な生徒が気付いて──即アウトになるわけか。
二人の関係が周囲にバレて大騒ぎになりかねない。
「そういったことも含めて全部考えてみたわけだが……その結果が『何もしない』になった。でもまさかそれがお前を追い詰めるとは思っても見なかった」
氷室先生は悔やんでいる様子で「すまなかった」と雲野に頭を下げた。
………………………。
距離を取っていたのに追い詰めてしまった。
人の行動って、伝わって欲しい人に限って伝わらなくて、それどころか反って逆効果になるときあるよな。
裏目に出る。
氷室先生が雲野を思って取った行動がそうなってしまったわけだ。
人のこう言うところって分かんないよな。好き合ってるのに相手のことを思ってしたことなのに上手くいかない。
ん。
なんか時計の鎖と美しい髪を思い出した。
何だっけあれ。
そんな話があったような……。
絵本かなんかだったような……。
がっ。
「いっ……!」
理不尽に足を蹴られた。
神崎さんに。
「どうした」
「なに……?」
氷室先生と雲野が僕を見る。
僕は作った笑顔で「何でもない」と答えた。
………………。
僕の思考が道を逸れようとしたのが分かったんだろうな……昔もそうだったし。
本当に変わってないな、神崎さん。
僕の意識を現実に引き戻すその手荒さも。
「とりあえずは──雲っち」
呼ばれて、雲野は神崎さんを見る。
「自殺する理由は無くなったか?」
神崎さんの確認に、雲野はこくんと頷いた。
「氷室センセー、分かってるよな?」
神崎さんの言葉に、氷室先生は頷いた。
「よし、じゃ、解散」
ぱんっ、と。
柏手を打って、神崎さんはこの場をお開きにした──