第41話
王妃ベアトリクスから王太子ローデリヒへの王権の移譲をめぐる駆け引きで、もっとも重要な役回りを担ったのが、このアーデルハイドという女騎士であった。
王妃派が主流を占める宮廷でこれだけ強固な組織力を保持し、スムーズな連携を行なえたのは、彼女がローデリヒ派の各派閥の繋ぎ役となって、さまざまな貴族の間を奔走して回ったからだ。
もっとも、ただの連絡員として駆け回っていては、すぐに王妃陣営に察知され、ローデリヒ派はまとまる前に潰されていただろう。
ゆえに、まずはそうなるのが不自然でないような事前状況を作り出すことから、ローデリヒ派閥の活動は開始された。
(この二人の恐ろしさはその徹底ぶり。二人とも完璧に自分の役割を演じきった)
『王立学院の騎士科所属の生徒を護衛に雇う』ということ自体は、別段珍しいことではない。過去の学院でも実例はいくらでもある。
ただしその場合は、将来の所属を前提とした囲い込みの意味も含まれてのことであり、たいていはひとつの貴族家から依頼を受ければ、それ以外は断るものなのである。
アーデルハイドのようにすでに所属が決まっている者は、普通は他家の依頼など受けないし、そもそもわざわざ選んでその生徒を指名するなんてことは、冷静に考えればまずありえない。
(だからといって、わざわざ主人を凋落させようと思いますかね、ふつう……)
つまり、アーデルハイドが他家の護衛依頼を受けるための前提条件として、『パラダイン家の所属から解除される可能性』をにおわせておく必要があるのだが、彼らは件の婚約破棄騒動という汚点を最大限に利用した。
一見、誰に対しても卑屈に振る舞い、『バッタ君』などという恥辱的な渾名も、クラウスは黙って受け入れたのだ。
(たぶん、僕にはできなかったでしょうね)
そしてそれはクラウスだけの話ではない。アーデルハイドのキャラ作りもまた、徹底されていた。
なによりも有利なのは『首席の座にある優秀な生徒がフリーの立場になるなら、アプローチをかけておくのも損はないだろう』、そう思わせるだけの特殊事情を、彼女はあらかじめ持っているという点だ。
儀仗兵のようなお飾りではない、実戦に耐えうる女騎士という希少価値。
どこに連れ出しても恥ずかしくないだけのきちんとした礼法を身につけ、さらに王立学院で首席の座にあるという付加価値を持つ、強さと品格と名望を兼ね備えた女騎士。
貴族たちが、夫人や娘の護衛役に、と望むのはむしろ当然の成り行きである。
(彼女自身の見た目も、騎士科の制服とあいまって並の貴公子より貴公子然としていましたし……一部でカルト的な人気も出ていたようですしね)
そこへ、タイミングよく仕えていた主君の凋落があり、その立場が揺らいだとしたら……?
そんな思惑に拍車をかけたのが、シェーンバッハ侯爵令嬢ナターリエとの交流であった。
彼女は、アーデルハイドを自分の護衛として連れ出すのに〝友人〞という魔法の言葉を利用した。
『――そんな手があったのか……』
二人の関係を知った、周りの彼女を狙っていた者たちがそう考え、実践しだす。
こうしてアーデルハイドは、他家の貴族と触れ合うのが不自然ではない状況を作り出した。
そうやって彼女は宮廷に生息する貴族たちの懐へ入り込み、彼女に傾倒した女性たちへ、王太子ローデリヒへの支持に染まるよう、身内の内部から汚染してゆく。
そして、内側の汚染の進捗具合を見計らって、オットーの父である財務卿ヴァイス伯イグナーツが外から揺さぶりをかけるのだ……
いや、実際は不自然極まりなかったのだろうが、違和感を感じさせないだけの振る舞いこそが、一連の計画の真骨頂なのであろう。
また、最初に彼女と交流を持ったのが、シェーンバッハ侯爵令嬢ナターリエだというのも大きかった。
アーデルハイドとナターリエの交友関係が、公正明大で知られるシェーンバッハ侯爵家が認めた交流であればこそ、他家の追随を呼び込んだともいえよう。
何より、その状況に説得力を持たせるためだけに、自ら汚名を被ることをいとわず、屈辱に愚痴ひとつ漏らすことなく、悪意に満ちたものも含めた、すべての風評を甘受したクラウスの存在があってこそ、それが可能となった。
彼はその過程で『バッタ君』などという、不名誉な渾名までつけられたというのに。
すべては計算された行動であった。汚濁にまみれながらも陰で支え続ける献身と、それに応える胆力と実力、なにより、ゆるぎない信頼関係こそが、それを可能にしたのだ。
だからこそ、その脅威を知るローデリヒ派の貴族たちは、主従二人の仲を割ろうと画策してくるだろう。
おろかなことだ、とオットーは心の底から思う。
この二人の絆にちょっかいをかけるなど、自ら熱湯に手を突っ込むようなものだ。オフィーリアの末路を思えば、その行き着く先は推して知るべしである。
(僕なら誰に頼まれてもごめんですね)
少なくともオットーは金輪際パラダイン家に手を出そうとは思わない。むしろ、できれば一生係わりたくないとすら思う。
そんなオットーの思惑をよそに、彼の脅威の対象である二人は、第三者の目がある状況にもかかわらず、呑気に自らの境遇を話のネタにして子犬のように無邪気にじゃれあっていた。
……オットーの耳に入ってきたのは、じつに他愛のない馬鹿げた会話であった。
「……これでようやく『バッタ君』の汚名も返上できるな」
「私としては、謙虚さを忘れて欲しくないところなのですけどねぇ」
「じゃあ、お前も〝バッタ君〞と呼んでみるか?」
「……まさか、気に入ってたんですか? その呼び名?」
「まさか! ただ、たまにはなにか、いつもと違った刺激がほしいと思ってさ」
「私はもうこりごりですよ。クラウス様はクラウス様のままでいいんです!」
「そっか。お前がそう言うんなら、そうなんだろうな」
「はい。いつも通りのクラウス様のままでいいんです!」
オットーを脱力感が襲う。この会話だけ聞いていれば、歳相応の普通の男女のじゃれあいである。
(よく考えてみたら、この二人がプライベートで一緒にいるところに僕が同席したのは、これが初めてだったかも……)
深刻に考えていた自分が、なぜか急にばかばかしい存在に思えてきた。
(はいはい……もう好きなだけやっててください)
「なんだ? オットー? 俺たちがどうかしたか?」
「いえ? 別に……」
「あっそう?」
「……」
――報告をすべて終え、パラダイン家を辞そうとするオットーに、クラウスは一言、声をかけた。
「まあ、これからパラダイン領に戻るといっても、一生そこに引きこもるつもりはない。遅くとも来年春のローデリヒ国王陛下とシャルロット王妃殿下の婚礼の儀には出席することになるだろうから、その時はまた王都を訪れることになる。まあ、その前にナターリエさんの送別会が先かな? いずれにしろ、またすぐ会うことになる。過剰な別れの挨拶はいらんだろう」
差し出されたオットーの手を見て、そんなことを言ってきたクラウスは、結局、軽く握っただけで大した感慨もなく、すぐに手を離した。
「……そうですね」
オットーは何事か口を開きかけたが、言葉には出さなかった。
言葉のないまま、続いてアーデルハイドとも同じように軽く握手を交わす。
別れ際に、一言だけ残していったのは、当たり障りのない再会の約束であった。
「では、またいずれ会いましょう」
「ああ、そうしよう。その時まで達者でな」
「ええ、あなたたちも」
それだけ言うと、オットーはもはや振り返らず、門の外へと歩いてゆく。
これから彼は王立学院という温室から、魑魅魍魎がはびこる宮廷という名の戦場へと、生息する場所を移すことになる。
彼は、彼が呼び込んだ新しい時代に対しての責任を果たすために、自らの意思でその中心へと向かって力強く歩いてゆくのであった。




