第4話
――学院に通う生徒の周知の事実として、マルケス男爵家令嬢シャルロットは、パラダイン辺境伯家の次期当主であるクラウスと許婚の関係にあった。
周辺国にも響き渡るといわれる、比類なき美貌を持つ男爵令嬢シャルロット。
入学式の日に彼女に一目ぼれした辺境伯家嫡男のクラウスが、幾度となく熱烈なラブコールを美しすぎる令嬢に送り、周囲の反対を押し切った末にようやく婚約にまでこぎつけた。
だが、婚約が結ばれた当初から二人の関係の危うさを指摘する声も多かった。
ひとつはクラウスがそれまで騎士道一本で育てられてきており、男女関係の機微に疎い可能性を危惧されたこと。
幼い頃から美貌で知られる男爵令嬢はその点、男くさい世界で生きてきたクラウスとは対照的に、その道において百戦錬磨といっても過言ではない。捧げられた愛の言葉は、数え切れないほどであろう。
また、家格の点でも、軍に多大な影響を持つパラダイン辺境伯家に嫁ぐには、シャルロットの男爵家では釣り合いが取れないという指摘もあった。
辺境伯家の軍事力を取り込みたいと考える家は多い。
クラウスが個人の思惑で選んだ婚約者を妬む声が混じっていたとしても、その指摘はあながち的外れというわけでもなかった。
にも係わらず、シャルロットはそんな周囲の懸念を意に介さず、他の男性の意味ありげな視線にも婚約前と変わらず拒むそぶりすら見せようとしない。
そのような自由気ままな振る舞いが、格式を重視する社交界での評判を芳しくないものにしていたことも、良くない風評が蔓延する一助となっていた。
――この集まりは、その問題を葬り去るための〝生け贄の羊〞を選び出す儀式。
そして儀式の中心に連れてこられたアーデルハイドという少女こそ、公爵令嬢オフィーリアによって選ばれた貢物である。
それがこの講堂内にいる全員の共通した認識であった。
「――でもなぜアデルさんがこんな大それたことを?」
〝アデルさん〞という呼び方は、親しい友人がアーデルハイドを呼ぶときの愛称である。
アーデルハイドの数少ない友人には下級貴族以下の者しかいないはずなので、当然のように、この講堂には一人も呼ばれてはいない。
要するに、この令嬢もアーデルハイドと交友関係を持っていないということだ。
にもかかわらず、わざわざ愛称を使って疑問を差し挟んできたのは、彼女が単なる観客ではなく、隠れて潜んでいた〝仕込み役者〞なのだと、自ら公表しているようなものであった。
もっとも、ここにいる誰もそれに気付いている様子はない。
清楚な外見を持つこの令嬢のことをアーデルハイドはよく知っていた。
伯爵令嬢マグダレーナ。
アーデルハイドの調査が正しければ、彼女こそがオフィーリアの真の側近といえる人物のはずであった。
ただ、マグダレーナに疑問を振られた、側にいた友人らしき令嬢は、なぜかすっと顔色を変えて口ごもってしまった。
こちらは、侯爵令嬢ナターリエ。
彼女もまた、〝仕込み役者〞の一人だろうが、さきほどから明らかにこの茶番劇への参加を躊躇しているようなそぶりを見せていた。
結局、ためらうナターリエの意を汲んで、マグダレーナが自分自身で皆に聞こえるように説明を始めた。
「私、アデルさんがクラウス様につきまとっているところを見たって話、聞いたことがあるわ。ほら、狙われたシャルロット様はクラウス様の婚約者だから」
もちろんナターリエもそんなことは最初から承知しているはずだ。なぜならアーデルハイドはナターリエ本人から直接『自重するように』とのお言葉を頂戴したことがあるのだから。
要するにこれは、事情がわかっていない人たちに解説するための、問答という形式をとった小芝居であり、彼女たちの会話は、この断罪劇に不審の目を向けさせないための、目くらましを目的とした小細工といえよう。
『辺境伯家の嫡男であるクラウスを慕う、アーデルハイドという身の程知らずの、婚約者シャルロットに対する怨念』
という、捏造された動機。
これは、うわさ話という麻薬を芳香剤にまぜて講堂内に充満させ、群集心理を誘導するための舞台装置の一つなのだ。
でなければ、わざわざ周囲に聞こえるような音量で話し続けるはずがない。
ただし、最初からそうする予定だったのか、それとも状況に応じてアドリブでやっているのかはアーデルハイドにもわからない。
最初から仕組まれていたなら、ナターリエがためらう理由に説明がつかないからだ。それはともかく、彼女に与えられた配役は――
〝愛憎をこじらせた末に、男の婚約者に嫉妬して凶行に及んだ愚かな女〞
実際の犯人とは別の生け贄の羊が、彼女たちが主催する舞台には必要であった。
そこで白羽の矢が立ったのが、クラウスと接点があり、なおかつ身分の低いアーデルハイド――それがオフィーリアたちが組み立てた、もともとの筋書きだろうというのがアーデルハイドの見立てであった。
それはアーデルハイドにもわかっていたはずのことだった。
しかし、ことここに至って、『権力闘争で勝ち残るためにはここまでする必要があるのだ!』との気概が足りていなかったからこそ、こうして無様をさらすはめになった。自らの力不足を自嘲し、彼女は無実の罪を被る決意を固めていた。
(願わくば――)
アーデルハイドは人生最後の忠義を示すべく、主君に精一杯の笑顔を見せた。
(私があなたの下を去っても、この忠義があなたの糧となり、宮廷に張り巡らせた蜘蛛の巣の上を、足を踏み外すことなく渡り歩けるようになれますように――)
舞台からの退場を命じられ、まさに連行されようとしていたアーデルハイドは、胸を張り、騎士の娘の名に恥じない堂々たる態度を崩すことなく、最後の勤めを果たそうとしていた。
この舞台は、それがたとえ冤罪であろうとも、オフィーリアに代表される王家がアーデルハイドを犯人に仕立て上げると宣言しているようなものなのだ。
騎士ハラルト・クロースの娘、アーデルハイドの命運はここで尽きるかに思われた。
――その時!
「待つのだ! 止まれ!」
いま、まさに連行されようとするアーデルハイド背中越しに、突然、強い制止の声がかけられた。