第26話
雨露を湛えた紅葉が、日常の眺めの中に鮮やかな暖色を添えている。
王立学園での卒業を半年後に控えたこの時期は、とかく授業への意欲が失われがちになるのが常である。
学院のほうも心得たもので、最終学年においては、夏の終わりまでにはすべてのカリキュラムを修了し、残りの授業は復習に当てるもよし、更なる知識を求めるもよし、実習に当てるもよしと各自の判断に任せるようにしている。
王立学院の特殊事情として、実家の事情でやむなくカリキュラムを未修のままにしている者も少なくなく、その補習に当てるための期間という意味合いも持たせていた。
この時期だけは教師たちにも、指導者というより、生徒たちの自主学習を見守る監督官としての役割を課され、彼らの行動に割り切った態度で接する者が多くを占めていた。
そもそも、入学時においての選別が著しい王立学院で、この時期になっても進路が決まっていない最上級生などは、それだけで三流の烙印を押されてしまうほどの屈辱モノなのである。
いまさら焦って指導したところで、どうにもならないというのが、長年の伝統から導き出された経験則であった。
この時期の最上級生たちは、目的を同じくする者同士で小さなグループを作り、まとまって行動しだす者が増えてくる。
中でも一番多いのが、学院での学習成果を確かなものにするために、復習に余念がない者たちであった。
彼らは、王国最高の技能を身につけるという目的で学院の門を叩いた者たちであり、すでにすべてのカリキュラムを履修し終えた今でも、一分一秒たりとも無駄にはできないと考えているのだ。
このような者たちは、貴族である前に一人の学究の徒であった。無為のときを過ごすことを良しとせず、学生の本分を全うすることを選んだ者たち。
学院の学費は決して安くはないのだ。彼らにしてみれば、支払った対価を無駄なく利用しようという心理が働くのも、当然のことといえよう。
――もちろんその中でも程度の差は存在する。シャルロットなどはやる気のない部類に入るのだろう。だが、それでも授業を無断欠席するような非常識なことはしなかった。
逆にアーデルハイドのように学院のレベルでは物足りない者などは、指導者側にまわってほかの生徒に鍛錬をつけているようなケースもあったが、それはあくまで特殊な例である。
こうした選別が、卒業後のつながりに直結することを、何十年もあとになってから痛感すると、学院の卒業生たちは一様に語る。王国の上流階級とは、案外、狭い世界なのだ。
ただ、この説にはトリックもあって、証言した者たちが、すべて貴族社会で生き残った者たちだということを忘れてはならない。没落した人間と共に沈んだ者の意見は、当然ながら反映されていないのだから。
もっとも、それは学生たちもそこはかとなく感じてはいるらしく、オフィーリアが言うところの学生生活最後の〝友人の選別〞が、学院のいたるところで行なわれていた。
そして、晩秋に執り行なわれる予定の学院祭は、学生気分が味わえる最後の機会であり、エアポケットにはまったように気が緩む生徒が生まれるのも、学院際の準備が始まりだすちょうどこの時期であった。
ちなみに公爵令嬢のオフィーリアは、しばらく前からほとんど授業に出てくることはなくなっている。
次期王妃としての教育を優先させるという王家の方針に従って、必要に応じて稀に登校してくる以外は、王宮で過ごす時間を増やしていると生徒たちには説明されていた。
王太子ローデリヒも同様である。
近々、病気がちな王から、王位の継承が行なわれるとのうわさが以前から根強くあり、中でも、ローデリヒの卒業と共に、王冠を現在の国王から譲り受け、自らの頭上に戴くのではないかとの説が最有力であった。
病床の国王ではなく、王妃ベアトリクスが実質の王権を行使している現状を鑑みれば、かなり信憑性の高いうわさであろうと思われた。
いずれにせよ、約二月後には、学院最大の行事である学院祭が開催され、それが済めば、残るは卒業の準備だけになる。それまでの間は、生徒間の交流が学院のいたるところで積極的に行なわれ、普段とは違う活気を学院内にもたらすのであろう――
* * *
その日、シャルロットが教室で大人しく自習をしている姿を見かけたナターリエは、友人との会話が一段落したところで、彼女らに断りをいれ、席を立った。
彼女は件の美貌の令嬢と接点を持つ機会をずっと窺っていたのだが、そう待つ必要もなく機会は訪れた。目的は、もちろん先日アーデルハイドに受けたアドバイスを実行するためである。
なぜそんな考えに到ったかといえば、オフィーリアもローデリヒ本人も学院にいないため、ローデリヒに繋がるあてがシャルロットだけしか思いつかなかったためである。
もし、当のアーデルハイドがこの場にいたら、全力で止めたことだろう。
ナターリエは自身の行動が周囲に与える影響力について、まったく無自覚であった。
「ごきげんよう。ずいぶん熱心でいらっしゃるのね」
級友たちから怪訝な目で見守られる中、ナターリエはノートと格闘するシャルロットに近づき、横から声を掛けた。
顔を上げたシャルロットは、わずらわしげな表情がかすかに口元を揺らしたあと、すぐに無表情にかわった。
「ええ、私は皆さんほど優秀ではありませんから、こうして復習しておく必要がありまして」
対応は好意的ならざる、おざなりなものであった。
聞き様によってはいやみにも取れる返答に、この辺りがオフィーリアがシャルロットを毛嫌いする理由なのだろうかとナターリエは首をひねった。
(裏表がない性格なんでしょうね。自分の感情に、あまりに素直すぎるように思えるわ)
貴族社会では、正直は美徳とは考えられておらず、宮廷の歴史を少し振り返るだけでも、率直な言動が自らの立場を危うくした例など枚挙に暇がない。
そういう視点から見れば、シャルロットの言動は、あまり好ましいものとは言えないに違いなかった。
もっとも、ナターリエ自身も、自分の行動がもたらす影響力について無頓着すぎなところがあり、過去にもそれで何度か誤解を生んできた過去がある。
本人は一介の学生のつもりなのであろうが、それは自覚が足りないだけであり、彼女の発言の背後には、常にシェーンバッハ侯爵家の影が付きまとっていた。
今度のことも、ナターリエにはシャルロットを咎めようとする意志はなかった。だが、彼女の友人たちはそうはとらえなかった。
――一方、その頃騎士科では――
「アデルさん! ちょっといいかな?」
「私になにか用ですか?」
「ああ、じつは君が休んでいる間に、学院祭に関する取り決めがあってね……」
「どうせ例年通り、模擬戦でしょう? 代表のことですよね? それでしたらかまいません、今年も出場しますよ」
「よし、いいんだな?」
「ええ。詳細が決まったら教えてください」
「いや、詳細を決めるのは君だ!」
「……えっ?」
「アデルさんの分担は、学院祭の実行委員に決まった。よろしくたのむよ!」
「はぁっ!?」
解説によると、彼女の欠席中に多数決による投票が行なわれ、厳正な開票作業の結果、見事アーデルハイドと書かれた紙が最多得票を獲得したそうだ。
「じゃ、たのんだよっ!」
さわやかな笑顔を残して去っていく、騎士科のクラス委員の男。
アーデルハイドのまったく予期していなかったところに、意外な落とし穴が隠されていたようであった。
「ふ、ふざけんなあぁぁぁ……!」
その日、紅葉を揺るがせるほどの乙女の絶叫が訓練場に響き渡ったという――




