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第2話 

「――騎士ハラルト・クロースの娘、アーデルハイド! 男爵令嬢シャルロットに対する殺害容疑で汝を拘束する。追って沙汰あるまで自室にて謹慎し、己が罪深さに震えて待つがよい!」

「……」


 まるで舞台劇の一場面のように、大げさな身振りで行なわれる自分に対する糾弾を、アーデルハイドはどこか別世界の出来事のように聞いていた。


(……シャルロット様の殺害……ですか――恐れていた中で、一番最悪な状況になってしまったようですね……)


 アーデルハイドは現状を把握するために、頭の中で思考をフル回転させる。

 ただ命ぜられるままにこの場に連れてこられた彼女は、いまがどういう状況になっているのか、正確なことを知る必要性に迫られていたのだ。


 だがその姿は、男の糾弾を聞き流しているともとられかねないものであった。

 渾身の宣告を無視された格好になった男は、アーデルハイドの不遜な態度に不快げに眉根を寄せた。


「な、何とか言ったらどうなんだ! 沈黙しているということは罪を認めるという解釈でよいのだな!?」


 ――『罪』?

 自分に向けられた非難の言葉がきっかけとなり、アーデルハイドは目の前の現実に意識を呼び戻された。


 ……罪も何も、彼女に与えられた役割は見せしめでしかないだろう。

 どんな態度をとったところで、決められたシナリオは覆らないことぐらい、彼女ですらこの時点ですでに理解できていた。


(私がやったのではないと、素直に言える状況でもないわね、これは……)


 だからといって、素直にいわれなき罪を引き受けるほど、アーデルハイドは軟弱でも従順でもなかった。

 彼女が忠誠を尽くすのは、自分が仕えるパラダイン辺境伯家とその嫡男のクラウスのみであり、王家ですら彼女の中ではそれより下に区分(ランク)されている。


 一方、軽視された側は、それが当然とは考えなかった。彼の父は子爵家の当主であった。


「まさか……この神聖な裁きの場を穢そうとでもいうつもりか!?」


 たかが騎士の娘が、爵位持ちの貴族の子息である彼を無視するなど、常識では考えられない冒涜に、彼の矜持はいたく傷つけられた。

 一触即発の緊張感が、両者の間で高まっていく。


 先に緊張に耐え切れなくなったのは男のほうであった。

 屈辱に震える男の右手が大きく上がり、一拍おいて振り下されようとしたまさにその時。

 止める間もなく振るわれようとする暴力に、その場にいる者たちが身構えた瞬間に、カツン……と硬質な音が講堂中に響いた。


 それは人々が予想した、頬を叩かれる音ではなかった。


 にもかかわらず――ただそれだけのことで、ざわつき始めていた講堂は水を打ったように静まり返った。

 男も手を振り上げた姿勢のままで、青ざめて固まっていた。


 壇上から靴音を鳴らして歩み出たのは、王太子の婚約者であり、この場で最も高位の家格を持つ存在であった。


(ヴェントブルク公爵令嬢オフィーリア様!)


 衆目を集めて講堂の中央で立ち止まった彼女は、被告席に立つアーデルハイドに向けて、きめ細かく透き通るような、美しい指を真っ直ぐに伸ばした。


「あなたが口を閉ざそうとも、神はあなたが罪を犯すところをご覧になってるわ。目撃者もいるのです。いい加減観念なさい」


 その声は決して大きくはなかったが、講堂内の隅々にまで響き渡った。

 それは有無を言わさぬ絶対権力者の鎧でおおわれた、一切の反論を許さない天の声であった。

 発言の主は、啓示を与える天使になりきり、傲然と胸をそらして下々の者どもを睥睨(へいげい)している。


「オフィーリア……」


 公爵令嬢の言葉に、当事者の一人で犠牲者の婚約者であるクラウスが漏らした、小さく戸惑いの混じったつぶやきを、アーデルハイドの耳は逃さなかった。


「――クラウス様」


 それまで、まるで関心を示さなかったアーデルハイドが、その声に初めて反応を示した。

 だが、彼女が発した小さなつぶやきがクラウスの元に届く前に、込められた想いさえも塗りつぶすような、鋭い叱責の声が飛んだ。


「アーデルハイド、こちらを向きなさい! いま話しているのはわたくしです!」


 大切な想いを踏みにじる告発者の理不尽な糾弾すら、いまのアーデルハイドには言い返すことなどできようはずがない。己の無力さを実感し、歯噛みする。


 それでも、どんな追求の激しさにも歪められることのない意志の強さをもって、逃げることなく彼女は顔を上げ続ける。

 彼女の視線の先にいる人物は、パラダイン辺境伯家嫡男クラウス・パラダイン。

 彼こそ被害者であるシャルロットの婚約者であり、そしてアーデルハイドが忠誠を尽くすべき対象者。


 彼女が入手しえた、あらゆる情報を頭の中で組み合わせ、導き出された解答は、信じたくはないが彼こそが真犯人だというものであった。


(――嫉妬は人を狂わせる……)


 おそらくシャルロットに対する嫉妬心を炊きつけられ、自制心を失ったクラウスが、言われるまま凶行に及んでしまったのだろう。

 その兆候はすでに現れていたし、それを諌めようと何度も諫言を繰り返した。

 しかし彼女の懇請も、結局はクラウスの心に届かせるには到らなかったようだ。


(もうすでに退路はすべて閉ざされていて、私が足掻く余地など、どこにも残されてはいないと見るべきでしょうね……)


 彼女を陥れた罠は、人の思惑の糸を紡いで、じつに見事に編み上げられた陰謀の幾何学文様。

 この学園に通っている者たちは、わずかな材料を与えられさえすればここまでのことができる才能を持つ人材の集まりなのだ。


 ここは、未来の宮廷の縮図といっていい、特殊な世界。


(だからあれほど言ったのに……!)


 アーデルハイドの父はパラダイン家に仕える騎士であり、彼女もまた父と同じくパラダイン家に忠誠を誓った一人。


(主君のために命をかける覚悟はできていたけど、まさかこんな形でとはね……)


 自嘲めいた思いが、彼女から反骨の精神を奪っていた。




 ――断罪劇という名の茶番はまだ続いていた。


 というより、彼女が罪を認めない限り、この喜劇の舞台の幕は下りないのだろうと思われる。なぜならここに集まってきた連中は、真実など求めていない。

 彼らは、身分の低い生意気な小娘が虐げられるという演目を観劇に来ている観客に過ぎないのだから。


 今回、こうして身分の高い生徒たちが特別講堂に集められたのは、昨日、学院内の女子寮で起こった事件に関して、発表があるという通達があったからだ。

 その事件とは、寮内の一室で、とある令嬢が賊に襲われたというものであった。


 場所が場所だけに、当日こそさすがに緘口令が敷かれたが、翌日になって、高位の貴族たちにだけは事情説明が行われるということで、こうして集会の場に呼び集められたのだ。


 その襲われたという令嬢こそマルケス男爵令嬢シャルロットだと知った一同は、この舞台が社交界の問題を浄化する儀式の最終場面(クライマックス)であることを悟った。

 彼女はパラダイン辺境伯家の嫡男クラウスの許婚であり、輝かしい美貌を持つと同時に、素行に問題のある人物としてもよく知られていた――




「殺人が行なわれた現場での確かな目撃情報があり、犯人はこの服を着ていたとの幾つもの目撃証言を得ています。これはあなたのもので間違いありませんね?」


 そう言って、オフィーリアは取り巻きに手渡された衣服を広げた。

 それはたしかにアーデルハイドが所有しているものと同じものであった。


 一部破れたところのある衣装を前に、アーデルハイドはひとつ息をつき、相手の目をしっかりと見て返答した。


「はい。私のものです。相違ありません」

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