第13話
「ひとつ、聞かせてもらっていいか?」
さりげなく放たれた質問に、思わず警戒心を高めてアーデルハイドは身構えた。
予期せぬものだったのだろう、表情が若干いやそうなものになっている。
それを見たクラウスは、心持ち頬を緩ませた。
(アーデルハイドのこんな顔、久々に見るな……)
昔から、人に頼まれればいやと言えないのがアーデルハイドという少女だった。
対人能力が高く、面倒見がいいこともあって、いろいろな人たちによく無理難題を押し付けられていたものだ。
クラウスはアーデルハイドの仕事に手を貸す機会も多かった。
彼が協力を申し出ると、アーデルハイドは今のような、苦いものでも口に含んだような表情を見せることが多かった。他人の手を煩わせることを屈辱とでも思っているらしい。
昔と変わらない一面を思いがけず発見したせいで、ふと子供時代の懐かしくも微笑ましい記憶層に触れてしまい、笑みがこみ上げてしまったようである。
(……久しぶりだな、この感じ)
「…………」
ふと視線に気付くと、アーデルハイドがこちらをじっと見つめていた。
「……ぅんっ」
一つ咳払いをして、クラウスは郷愁を心の隅に追いやった。
過去を懐かしく振り返るのは、老人になってからでいい。
「えっと、オフィーリア様とシャルロットが対立しているのはわかった。その原因がローデリヒ殿下をめぐってということもな。だけどそれならひとつ疑問がある。シャルロットがローデリヒ殿下と近づくきっかけってなんだったんだ?」
シャルロットがクラウスに物足りなさを感じたのなら、それは自分の責任であろう。
それでも、自分の知らないところで、自分の婚約者が他人と恋仲になっている状況は、なかなか割り切れるようなものではない。
この失敗は今後の人生において、だれかと変わらぬ良好な人間関係を維持していく上では、今回のトラブルもいい教訓なのだろうが、そのまま飲み込むにはいささか苦すぎる薬だった。
実家からは〝挫折は成長の特効薬〞などという前向きな言葉も贈られたが、この薬はあまりにも骨身にしみすぎて、二度と味わいたいとは思わなかった。
「こう言ってはなんだが贈り物なら俺もけっこう贈ったつもりだし、お前の言い方では、あいつから王太子の身分に目が眩んだってことでもないようだし……」
「……彼女の美貌に目が眩んだのはクラウス様のほうでしょ!?」
被せ気味に突っ込まれた鋭い指摘に、クラウスは怯みそうになるが、グッとこらえて質問を続ける。
「い、いやまぁ、それを言われると辛いところなんだが……いや、だからそれよりっ! あいつはいったい王太子の何にそんなに惹かれたっていうんだよ?」
返ってきた答えは、ずいぶんと投げやりなものだった。
「さあ? 彼女を讃える歌でも熱唱したか、詩集でも贈ったか、肖像画でも描いたかされたんじゃないですか?」
「な、なんだ、それは? そんなこと王太子のやることなのか?」
「そうね。私も将来一国を担おうという地位にある者のすることかは疑問に思わなくもないわ。でもあの子はそういうの喜びそうですよね」
「そ、そうなのか?」
「ええ。だからさっきから言ってるでしょう? 私たちとは趣味が合わないって。でも、ローデリヒ殿下は違います。自分の趣味を喜んでもらえて、さぞ嬉しかったことでしょうね。立場さえ違っていればお似合いのカップルだったでしょうに。運命って残酷だと思うわ」
投げやりというよりも、毒を含んでいるように感じて、クラウスは意外な思いを禁じえなかった。
突き放すような言動が、普段の、どんな状況におかれても冷静沈着な女騎士らしくない態度のように感じられのだ。
「どういうことなんだ?」
「ローデリヒ殿下にとって本当に興味があるのは芸術の分野。でも、芸術なんて身分の低い者の娯楽と思われています。鑑賞するだけならともかく、為政者の素養としては評価されることはありません。
つまり、詩も絵も歌も、どんなに技倆が高くとも、それらの素養は王太子という地位にある者には求められていないということなんですよ。いままで認められたことなんておそらく一度もなかったでしょうね」
「そりゃ、王太子だからな。権力闘争は避けられないし政治力のほうを求められるのは当然じゃないか?」
「だから不幸なんですよ。クラウス様だって、生まれてからこのかた騎士たることを望まれてきたでしょう?」
「そうだが?」
「はい嘘ですね! いやなことから目をそらしてはいけません! 騎士たることと同時に、次期領主として――為政者として政治と行政と社交も求められていたはずです!」
「うっ、し、しかし……」
「まあ、そういうことです。クラウス様は、『騎士道など価値がない!』と突きつけられ、『これからは社交のみに注力せよ!』と命じられたらどうしますか?」
「そ、それは……」
返答に窮するクラウスの顔に、触れそうになるほど自分の顔を近づけ、たたみ掛けるように継がれた言葉には、常にない熱量が込められているようであった。
「つまり、ローデリヒ殿下は幼い頃から、ずっとそんな状況に置かれていたというわけです。そこに自分の本当の価値を認めてくれる女性が現れればどうです? しかもそれが絶世の美女であったなら? これでも運命って残酷だとは思いませんか? これだけ惹かれあう二人なのに、決して結ばれることはない。なぜならローデリヒ殿下が王太子であり、王家によって決められた婚約者がいるからです」
「ハイディ?」
「にもかかわらず、彼女に身を引くという考えはまるでない。地位も未来も運命にさえ逆らって、あの子は目先の愛にすべてを求めてしまう。その先にあるのが破滅でしかなくとも!」
アーデルハイドは心の奥底では、あの二人に結ばれて欲しいと願っていた。
しかし、それが決して適わないことも知っていた。
胸が締め付けられるような、心の奥底にある、闇を覗かせる部類の感情の昂ぶりを見せるアーデルハイドに、クラウスは愕然とさせられた。
(まるで、つかみどころがない。こんな一面も持っていたのか)
こんな彼女を見るのはクラウスも長い付き合いで初めての経験であり、戸惑いが彼の行動を束縛する。
だが、秘めた感情があふれたのは一瞬だけで、すぐにいつものアーデルハイドに戻った。
「……いえ、失礼しました。純真無垢なのが尊ばれるのは幼子のうちだけですね。くだらないことを言ってしまいました。お忘れください」
アーデルハイドの自嘲の呟きは、クラウスの胸中に空白を感じさせた。
クラウスの母である辺境伯夫人にかけられた、『さすがは未来の辺境伯夫人ね!』などの社交辞令に無邪気に喜んでいた子供時代は、いまの彼女にとっては、黒歴史とでもなってしまったのだろうか。
「無知の蛮勇は勇気と同列に語るべきではありません。運命にあがらう者すべてが勇者でないのと同じです。勝算もなく戦いを挑むものは、単なる愚者です。彼女たちがどうなのか、注視しておく必要がありそうですね……」
「なあ、ちょっといいか……さっきから聞いてると、シャルロットが尻軽にすぎるように聞こえるんだが? それに軽薄だなんだのと、ひどい言い草じゃないか! あれでも俺の許婚だったんだぞ!?」
「では、愛のためだけに生きる女とでも言い換えましょうか!?」
珍しく感情的になっているアーデルハイドからは、こぼれた想いの残滓が見え隠れしていた。
「いいですか? あの子は自分に向けられる人の好意にすごく敏感なんです! そこには地位も年齢も貧富も美醜も関係ありません。シャルロット様は向けられた好意にはいつも極上の笑顔で返すんですよ? どんな相手に対しても! 心当たりあるでしょう?」
クラウスはあごに手を当て、過去の自分を思い返す。
「……あるな。そうか、俺もそれで……」
あまりにあっさり陥落させられたクラウスに、アーデルハイドは呆れ顔でため息をついた。
「……チョロすぎはクラウス様も同じですね」
「悪いかよ! 学院に入学するまで、女の子にあんな笑顔向けられたことなかったんだぞ?」
「あー、周りがみんな怖い人ばっかりでしたからね。特に伯爵様の奥様とか。素直で優しい女性に免疫がないから、裏表のない笑顔一発で致命傷をもらっちゃったんですね」
「いま、誰がを意図的に除外しただろ?」
「誰のことです?」
「お前のことだよ! 簀巻きにされて一晩吊るされたこと、忘れてないんだからな!」
「あれはクラウス様がへんな悪戯を仕掛けてくるからでしょうが! それに、あのあと『よくやったわ』って奥様は褒めてくれたわ!」
「ふたりしてグルかよ。まったく……母上ときたら!」
そう言うとクラウスは天を仰いだ。
懐かしい記憶だ。こんなことになるまで、その価値に気付けなかった。
本当に大切な宝物。
クラウスは、それを台無しにしかけた己のおろかさを今になって思い知らされ、背筋を冷たいものに貫かれる。
――あの時、アーデルハイドが連れ出されそうになった時、もし制止の声をかけていなければ自分はどうなってしまっていただろう、という憂惧が今になって彼に痛みを感じさせていた。
「ああ、そうだよ。多分お前の言う通りだ。おだてられて気持ちが盛り上がって、一人でその気になってた」
過ちは、クラウスのもっとも大切な宝を彼から奪い去ろうとした。失う寸前になってから伸ばした手に、かろうじて届かせることができたおかげで、取り返しのつかない事態だけは避けられた。
そのことで失ったものも多少はあろうが、比較にできない宝が手元に戻ってきた。
過ちを認めたクラウスに、生まれたての子犬を抱き上げるかのような優しさを感じる声色で、アーデルハイドはフォローを始めた。
つかみどころなくころころと変わるアーデルハイドの立ち位置に、振り回されぎみなのを自覚しつつも、なぜかクラウスは不快に感じなかった。
「まぁ、クラウス様が求愛したときの、シャルロットを想う気持ちは本物だった、それを疑う気はありません。今ならわかりますが、あの子が婚約を承諾したってことは、他の誰よりも強い好意をあなたから感じていたんでしょう。でも、問題はそれが長続きしなかったこと。結局、恋なんてはやり病のようなもの。熱が醒めれば現実が待っている。いつまでも夢の世界の住人ではいられないということでしょう」
今度はどうだろうか? 変わってない、自分を変えられないというのがアーデルハイドの見立てのようだが、クラウスはそこまでの目利きではない。
「俺もな、もともと住む世界が違うってのはなんとなくわかってはいたよ。でもな、あのときは気持ちが抑えられなくてどうしようもなかったんだ」
「まあ、変にストーカー化するよりはましな結末だったかもしれないですね。クラウス様に限ってみれば、の話ですけどね」
「いや、いくらなんでもそこまで理性を失ってはいないぞ!?」
「……女装して女子寮に忍び込んでおいてそれを言いますか?」
「……それは本当に申し訳なかった」
クラウスは神妙な顔で頭を下げた。




