息吹
第二章三十 「 生かされて」
「この人は誰なの?」
浅黒色の肌をした男の舟が、岸辺に到着すると赤や黄色などの原色に染められた鳥の羽を頭につけた子供達が物珍しそうに近寄ってくる。
助けられた男は、意識なく横たわっている。
「漁猟の時に流されてきた」
酋長ににそう告げると、祈祷師にこの男をどう扱うべきかを問いかける。
祈祷師は、この男を聖なる儀式に連れていくように指示する。
その指示により、酋長は部族のものを見据え宣言する。
「この男を殺してはならぬ」
ネイティブ・アメリカンの聖なる儀式スウェット・ロッジ。
ドーム状の質素な建物の中で、熱く燃えた石に水を掛け、蒸気を満たして祈りを捧げる。
「大いなる、グレートスピリット(霊)よ、私はあなたの声を聞きたい。あなたの息吹は、万物に生命を授けています。あなたが生んだたくさんの子供の一人として、わたしはあなたに心を向けているのです。私はこんなに弱く・・・・こんなにも小さい・・・・あなたの叡智と力が必要です。どうか私の言葉をお聞き届けください」
スウェット・ロッジは母親の胎内を意味し、智慧と力は父親を意味している。
助けられた男は、静かに・・まるで眠っているかのように横たわっている。
祈祷師は、さらに声を張り上げて祈りを捧げる。
「大いなる、グレートスピリット(霊)よ・・・・」
しばらくすると、横たわった男が「フゥー」っと大きな息とともにたくさんの水を吐きだした。
「男が、助かったぞ」
目を覚ますと、ベッドの横で、エミリーが心配そうな顔で見ている。
「ここは・・」
「船から落ちて、インディアンに助けられたの。父が彼らと親交があって、引き渡してくれたのよ」
エミリーがうれしそうに謙信に話し出す。
「インディアンの聖なる儀式で息を吹き返したってきいたよ。けんしんはラッキーだよ。彼らに助けられて、帰ってきたんだもの。体が回復したら日本へ帰国する手はずを父がつけてくれるわ。まずは、ゆっくり休んで」
「そうか・・俺は生かされたのか・・・」
謙信は、眠っている間に夢を見ていた。
夢の中の謙信は、二度目の上洛で、京都にいた。
絶は、喜び勇んで謙信を近衛の屋敷へと迎え入れる。
刻は、1559年4月・・・
謙信が最初に上洛(1553年)し、絶との約束をしてから、実に6年もの月日が経っていた。
絶は、6年間、謙信の言葉を信じて待っていたのだ。
「謙信様・・この日を待っておりました」
頬を染めて微笑む絶を前に、謙信は深く頭を下げる。
「絶、許してくれ。俺はお前と夫婦にはなれない」
みるみると青ざめた表情になっていく絶。
「私は、謙信様をお慕いして、こんなにもながい月日を待っていたのです。そして、今日・・・あなたが来るこの瞬間を夢見て、どれほど毎日あなたを思い・・恋い焦がれていたか・・・それなのに、あまりにもむごい仕打ちです」
「絶、すまない・・・俺には心に決めた女がいる。伊勢はすでにこの世にはいないが、俺は今でも愛しているのだ」
「謙信様・・・私ではダメなのですか?」
「すまぬ」
走り去る絶の後ろ姿に、胸が痛む。だが、己の気持ちを騙し続けることは出来ない。
刻は、1566年3月20日・・・
謙信は、臼井城を攻めていた。
上杉軍は15000もの大軍で臼井城へと襲い掛かっている。
迎え撃つ原胤貞軍は2000。
「臼井城など、すぐに落城だ!」
「おぅー!!」
謙信の声で沸き立つ上杉軍。罵声が轟き、こだまする。
たった2000で迎え撃つ臼井城内では、原貞胤はじめ、家臣達、誰もが死を覚悟していた。
上杉軍の猛攻は何日か続き、ついに臼井城も落城寸前となる。
いつものように先陣を切って戦っている謙信。
そんな謙信の目に一人の若武者の姿が目に入る。
伊勢と瓜二つ(うりふたつ)の顔をした若者は、傷を負いながらも必死で戦っている。
謙信は、すぐに若者のそばにより、名を尋ねる
「そなたの名はなんと申す」
「千葉 采女 嫡男、直胤」
「何と申した。お前は伊勢の弟なのか」
「謙信、姉上はお前に殺された。お前は・・・姉上の仇だ」
刀を握る手は、小刻みに震えている。
「直胤・・よく聞け。俺は、伊勢を殺してはいない。殺すどころか・・・今でも伊勢のことを忘れられずにいる。俺は、この先、生涯誰とも夫婦になることはないだろう」
「お前の言葉など信用できない」
直胤は、腕を切られたのか、刀に血が滴り落ちている。
「よいか・・直胤。よく聞け。・・・父上、千葉采女と城主・原貞胤に伝えるのだ。・・・これより我ら上杉軍は、ここを撤退する・・・」
「な・・なんだと・・ここをこのまま、立ち去るというのか?」
「そうだ、直胤。伊勢がこよなく愛した弟と我が義父・采女殿の命を奪うわけにはいかない。これは、伊勢への償いであり、今なお・・・伊勢を思う俺の心が嘘ではないという事をお前達に証明したい!」
「お前は今でも姉上を愛しているというのか・・・姉上は、それほどまでに慕われていたと・・」
「直胤。俺と伊勢の魂は死んでも離れたりはしない。俺の妻は生涯、伊勢だけだ。・・・父上殿にもこの謙信の思いをしかと伝えるのだ。よいな」
「・・・・・うぅっ・・・か・か・かしこまりました・・・・・兄上殿・・」




