手紙
第1章二十 「伊勢の想い」
謙信は、毎日酒に溺れていた。
「おい・・酒を持って参れ。酒が足りんぞ」
「・・殿。このように毎日飲まれると・・お体に障ります」
「・・うるさい。酒だ・・早う持って参れ」
伊勢を亡くした後の謙信は、酒で辛さを紛らわそうと、毎日深酒をしている。
国衆がいざこざを起こし、それをおさめるために出陣した時でも、馬上で酒を飲む程、酒に溺れている。
戦の後、いつもならそこに住む民をいたわり、配下である家臣たちによる略奪・虐殺を決して許しはしない謙信であったが、酒の勢いと我が身の不幸で今では見て見ぬ振りをする始末。
謙信自身の命も惜しくはないのだろう。戦では、先陣を切って戦っている。
そんな・・荒れくれた日々が続く中・・・
ある日、林泉寺の天室光育が謙信を訪ねてくる。
「謙信殿・・おひさしぶりですな」
謙信は朝から酒を飲んでおり、すでに酔っていた。
和尚を見て、思い出したかのように一通の手紙を取り出す。
「おう・・和尚、息災にしておったか。そうだ・・・・伊勢から手紙を預かっておった。伊勢は、国許に帰ると決めた時、二通の手紙を書いたのだ」
「ほほぅ。一通は謙信殿に・・そしてもう一通はわしにですか・・」
「そうだ。これが和尚宛のものだ」
和尚は手紙を受け取り・・
「この場で伊勢殿の手紙を読んでもよろしいですかな」
「かまわん。なんと書いてあるのか教えてくれ」
手紙を読みあげる。
「和尚様、このような文を差し上げることになるとは、思ってもおりませんでした。わたくしは、これより国許に帰ります。わたくしが帰ることは謙信様もご存知ではありません。この世では、夫婦になることは許されませんでしたが、仏門に入ったわたくしが唯一出来ることは、謙信様のご無事と今後の幸せをお祈りすることだけでございます。謙信様のおそばにいらっしゃる和尚様。どうぞ・・わたくしの切ないこの胸の内を謙信様にお伝えください。そして・・謙信様をお守りください。いつかまた和尚様とはお会いする機会もありましょう。・・その時は、時の経過とともに、わたくしの悲しい曇った心も晴れていると信じております。それには・・謙信様がご無事でいてくださる事こそが、わたくしの願いなのです。どうぞ・・どうぞ・・・・謙信様にご自愛くださいとお伝えください」
謙信は・・黙って聞いている。
「謙信殿・・・伊勢殿は、謙信殿のことをこのように、今でも心配なされておりますぞ・・」
「わかっておる」
「・・・して、殿に残された手紙にはなんと書いてあったのですか」
「伊勢の手紙には・・剃髪して仏門に入ったのは自分の意思だと書いてあった。誰も責めてはならぬと・・。この世では夫婦になれないが、来世では必ず結ばれると信じている・・だからこの苦しさにも耐えられると・・」
「・・謙信殿。ご自愛くだされ。これが・・伊勢殿の切なる願いですぞ」
和尚は、謙信に一体の観音菩薩を差し出す。
「謙信殿・・この観音菩薩を伊勢姫様と思いなされ」
「・・和尚。祈れと云うのか」
「そうです。祈りは苦しみから助け、時空をも乗り越えられるのです」
春日山城に、毘沙門天が作られたのはこの時である。
伊勢の化身であるこの観音菩薩を祀った謙信。一人静かに毘沙門天にこもることが多くなった。




