覚悟
第1章十六 「罠」
「伊勢・・帰ったぞ。・・・伊勢・・伊勢はどこだ」
春日山城は、謙信の言葉に静まり返った。
「謙信殿・・お話がございます」
柿崎影家が、静かに低い声で謙信に話しかける。
「影家、急ぎの話でなければ後にしてくれ! まずは、伊勢に見せたいものがある」
「・・・殿」
誰もが静まりかえり・・息を飲む。
謙信は伊勢の部屋へ入っていく。
「・・・伊勢・・・・伊勢は・・どこだ。・・・ふく・・・ふくはおらぬのか」
影家が謙信の前に走り寄ってきて、ひざまづく。
「・・・殿。伊勢姫様は・・殿が出陣されている間に、剃髪なされ出家いたしました」
「なんだと・・・影家。もう一度言ってみよ」
「・・・殿。伊勢姫様は、殿のため、この越後の将来の為、身を引いたのでございます」
「・・・影家。そなた・・伊勢に何をした」
「殿。殿は将軍様より任命され越後国主になられ越後統一をなされました。・・・とはいえ、武田や北条などいまだ殿のお命を狙うものが大勢おります。大殿様よりお仕えし、家督争いの時も殿に仕えてまいりました影家。北条と通じていた千葉采女の娘・伊勢殿は降将の娘であり、殿との結婚は傾国の始まりと心得ます。お家存続のため・・・殿をお守りするため、伊勢姫様に謙信殿のお立場をお話し致しました。・・・伊勢姫様は、自ら剃髪され、仏門に入られる道をお選びになったのです。このような勝手な振る舞い・・お怒りになるのはもとより承知。この影家一人の命で、謙信殿や越後の民を守れるなら・・・どうぞこのお命奪ってくだされ」
「・・・影家。・・・お前はなんと言う事をしたのだ」
謙信は、ひざまずく影家の持っている刀を抜き、首元に突きつける。
「・・・・許せん」
「・・・殿。今しばらく・・・お待ちください」
甘粕影持が、慌てて謙信を止める。
「殿、早まってはなりません。影家殿は殿を思ってなされた事。殿のお怒りはわかりますが、この影持が伊勢姫様の元にこれより参り、殿のお気持ちをお伝えいたします。髪を剃髪されたとはいえ、再び髪が伸びた暁には、還俗させましょうぞ。しかし・・・もし、殿がこの場で影家殿をお切りになれば、伊勢姫様は還俗する事をためらうでしょう。・・・・影家殿を切ってはなりません。・・・・何卒・・何卒・・この影持の言葉・・どうかお聞きくだされ」
謙信の怒りは、治まるはずもなく・・・
影家の顔に刀が当てられる。
刀の先端が額から頬へと落ち・・・ぽたぽたと鮮血がしたたり落ちる。
影家はじっと歯を食いしばり耐えている。
「・・・・殿」
謙信は、刀を勢いよく床に突き刺す。
「影持・・・今すぐ、馬を用意せよ。・・伊勢の元に参るぞ」
「・・・殿・・かしこまりました」




