永遠の愛を君に・・
『 諸共に見しを名残の春ぞとは 今日白川の花の下かげ』
第1章一 「お転婆姫様」
「伊勢姫様。おまちなされ・・・勝手にお屋敷を出てはなりませぬ」
乳母のふくが叫んでたって止まるわけにはいかないわ。
「誰か、姫様をお止めくだされ」
ふくは気が動転してして、口だけパクパクしてるけど、侍女たちも私の足の速さにはついてこれないわ。
私は、城の台所から勝手口を通って外の急な坂道を走り抜けた。
坂道を降りたところで、弟の直胤が私のお気に入りの白馬・天馬号を用意して待っているはず・・
お城の中でじっとしていると気が変になっちゃいそう。いつもはささいなことで喧嘩してしまう弟だけど、こういう時は役に立つ。
「姉上・・約束通り、馬の用意をしました。父上や母上に怒られるので私が手引きしたことは秘密ですよ。姉上が天馬号を走らせるのは、父上と母上の外出中だけと約束してくださいね。」
「わかった。このお礼は必ずするね。少し野山を走って気分転換したらすぐに帰るから。ありがとう、直胤。」
「姉上の乗馬の腕は男の私以上と知ってはいますが、くれぐれもお気をつけて」
時は、1552年(天文21年)。
私の父・千葉采女は、桓武天皇の血を引く千葉一族の出自で、上野国平井金山城主です。
平井金山城は平井詰城として築城されたお城で、自然豊かな山腹にあります。
1552年1月、北条氏康様が平井城を攻め落とした時、父は氏康様よりこの平井金山城を承りました。
北条の血を引く母・兄弟姉妹と共にこの城に移り住んだ時、私は16才。
千葉一族は、千葉常胤など源義朝様からも一目置かれる名将を生んだ家柄ではありましたが、身内の内戦が続き、不安定な状態が続いておりました。戦国の世のこの頃には、常陸国の佐竹氏、小弓公方足利義明や安房国の里見氏の侵攻を受けるようになり、北条氏康と姻戚関係を結ぶことで、後北条氏の支援を得て所領を守っていたのです。
まさかこの後、謙信様が平子孫三郎、本庄繁長らに命じて上野国を攻めさせるとは、この時は思ってもおりませんでした。
私は、真っ白な天馬号に飛び乗り手綱を引いた。
今日は、父上と母上・重臣たちが平井城で行われる歌会に参列している。こんなチャンスは滅多にない。
今を逃したら、もう二度と野山をかけることなど出来ないかも知れない。
「伊勢、お前も十六じゃ、いつ嫁に出しても良い年なのにお前という娘は・・・。馬になど乗らず、大人しくしていなさい」
父は、ため息をつきながら私にいつも小言を言うのだ。
「器量は抜群にいい子だから引く手あまたなのに・・伊勢ときたらお転婆がすぎるから、母は心配で嫁に出すことに賛成できずにいるのですよ」
あーっ、またお説教が始まった・・・
こんな時は何も言わず、おしとやかに受け流すのが最善策だと長年の経験から知っている。
ある日のこと・・
乳母のふくが母とこっそり話しているのを聞いてしまった。
「甲斐国の武田信玄様、陸奥の伊達 晴宗様など名だたる武将達から姫様を所望する書状が届いているのというのですか?」
「そうなのです。姫の美しさが武将達の間で伝説のように伝わっていると言うのです。伊勢は、手のつけられないお転婆なので嫁に出すのをためらっていたのですが、武将達の間では、千葉 采女に天女のような娘がおり、その娘だけは嫁に出さずに手元に置いている」と・・・
「伊勢姫は、確かに心優しく絶世の美女にも負けない程、お美しいですが・・あの男勝りで活発な姫様が、天女ですか」乳母ふく絶句!
「これだけの名だたる武将達から所望されているのです。どなたに姫を託すかによって、我が一族の将来が変わってくるかもしれません。姫を取り合うようなことは望んではいないのですが、これほどまでに噂が広まってしまったとなっては・・・いづれ近い将来・・姫の思いをよそにどなたかに嫁ぐことになるでしょう。不憫とはいえ、これも世の掟。姫には決して悟られてはなりませんよ」
「かしこまりました。今の姫様にこの状況をお伝えしたら、どうなることやら・・・あの姫様のことですから、家を飛び出しかねません。これからは、厳重に見張り役をつけ姫様をお守りします。」
「ふく、よろしく頼みましたよ。」
織田信長に伊達晴宗・・・あの女好きと噂の武田信玄???
考えただけて気が狂いそう。「もう・・死んだ方がまし・・」
天馬を思いっきり走らせ・・現実から逃げ出したかった。
第1章二 「絶体絶命!」
天馬を走らせながら・・・
いっそ・・このままどこかに馬と一緒に消えてしまおうか・・・
野山をかけながら・・夢の中にいるように・・現実を受け止められずにいる私。
どれくらい馬を走らせたかもわからないくらい走った時、ふと遠くに小さな泉がみえてきた。
天馬号にもそろそろ休憩が必要だな。あの泉のそばには綺麗な花たちも咲いているようだし、少し休んでいこう。
馬に水を飲ませ、木陰に休ませると・・あたり一面に咲く野花が目に入る。
「黄色いお花畑。なんて綺麗なんだろう!」
お城の中に植えられている端正な花たちより、野山に咲く雑草・たんぽぽがこんなに綺麗なんて。思わず口に出してしまう。
たんぽぽの綿毛がふわふわと自由に空を飛んで行く。
「お城を出たことのない年若い妹たちに見せてあげたいな。そうだ、冠を作ってお土産にしよう。」
私は夢中でたんぽぽを摘み、花の王冠を作っていた。
王冠を頭につけ、そろそろ引き上げようかと思った矢先・・・
天馬号が急に嘶き出した。
「天馬がこんな鳴き方をするなんて・・」
嫌な予感とともに振り返ると、野盗らしき卑しい男が数人私の周りを取り囲んでいる。
「おい、女。顔を見せろ!」
私は、口を噤んで男を睨みつける。
「お頭、この女、凄い上玉ですぜ。こんな別嬪今まで見たことないですぜ」
「女。悪く思うなよ。連れて帰って、売る前に・・可愛がってやるぜ」
男たちは、じわじわと私に近づいてくる。
絶体絶命だ。
「・・どうしょう。」
木に繋がれた天馬号が、狂ったように嘶き叫んでいる。
蹄を蹴り上げ、繋いでいた綱が解かれるのは、男たちが襲いかかろうとしていたその時だった。
「天馬!」
跳駒となって、男たちを蹴散らし天馬は私に向かって駆けてくる。
「はしれ!!」
天馬に飛び乗り・・走り出す。
男たちも自分たちが乗ってきた馬に飛び乗り、追いかけてくる。
執拗に追いかけてくる男たちを背に走ることしか逃げる術はない。
「天馬・・駆け抜けるのよ」
走っても・・走っても・・どこまでも執拗に追いかけてくる卑しい男たち。
「あの女を絶対に逃すな」
「どうしょう・・天馬の足の速さは知っているけど、これほど執拗に追いかけられるとは・・・」
野原を超えて、さらに走り続けると向こうは森の中。
天馬号もさすがに森の薮を走り抜けることは難しい。
ここからは、馬を降りて、草陰にでも隠れるしかない。
天馬はこのまま逃がそう。幸い、男たちの姿はまだ見えない。
「天馬・・無事に逃げるんだよ」
天馬を逃して、草薮に息を潜めて・・そっと身を隠す。
天馬は、そのまま走り去る。
第2章三 「出会い」
泉で自分が乗って来た馬に水を飲ましていると、真っ白い馬が走り寄ってくる。
「どこからきた?」
真っ白い馬は、前足を折り、乗れと言わんばかりに屈みこむ。
「面白い。乗れというのか? ちょうど退屈をしていたところだからな。」
馬に乗り手綱を取ると、白馬は一目散に駆け出して行く。
「どこへ連れて行く気なのかは知らないが、この馬の潤んだ目から邪悪なものは感じない。白馬よ。我を連れてゆけ」
謙信は、馬に乗りながら次に何が起こるのか、ワクワクした気持ちでいた。
「女がいたぞ」「このやろう・・手間をかけやがって」
私の黄色い花の冠は、そこに私がいることを知らせてしまっていた。
「黄色の花冠が、目立っちゃったんだ」
「さぁ、今度こそ逃しはしないぜ」
腕を掴まれ、激しく抵抗しては見たものの逃げることができない。
「ヒヒィーン!」
天馬の声だ!
「天馬〜私はここだよ」
天馬が走り寄ってくる。
「そこの男たち、女を離せ」
天馬に乗る見知らぬ男が野盗たちに言い放つ。
「何を言いやがる。この女は俺たちの獲物だ」
「獲物だと? お前の目はどうかしている。お前には、この女が狐にでも見えるのか?」
「やかっせぇ〜。殺されたくなかったら口出しするな」
こんな雑魚どもの戯事などどうでも良い・・
「女・・この馬の名は天馬というのか?」
「そうです。天馬は私の馬です」
なるほど、この馬が俺をここに連れて来たのは、この女を助たいと思ってのことか・・・
しばらく戦もなく、刀の鶴姫一文字も舞いたがっている。丁度良いだろう。
「薄汚い野盗ども・・女を諦めこの場から立ち去れ」
「何を言ってやがる。野郎ども・・この男を始末しろ」
「わかりやした。頭、この男を始末したら、あの女・・俺達にも可愛がらせてくだせいよ。こんな上玉、滅多にお目にかかれませんぜ」
「いいだろう・・仕方ない野郎どもだな。」
野盗たちは、一斉に謙信にかかってくる。
「何をたわけたことを言っているのだ。」
鶴姫一文字を抜くと、目にも見えない速さで野盗数人を一打ちで倒してしまった。
「なんて・・早いんだ。強すぎるぜ。お頭・・俺たちの手におえる相手じゃありませんぜ」
「化け物みたいなやつですぜ」
「お前は一体何者なんだ?」
「薄汚いやつらに俺の名を教える必要などない」
鶴姫が天に向けて再度舞おうとした時、野盗達は我先にと逃げ出して行った。
「口ほどにもない奴らだ。」
「花冠の女。怪我はないか?」
花冠の女? あっ・・私のことか
「大丈夫です。怪我はありません。」
恐怖で硬直した体で答えるのが精一杯。
謙信は、そばに寄って来て、私を見つめている。
「足に怪我をしているではないか。血が出ているぞ。」
藪の中を夢中で逃げていた時に、草履のはなおが切れた事を思い出した。
謙信は、私を座らせると持っていた手ぬぐいで傷を優しく手当てしてくれた。
「あの・・・ありがとうございます」
「お前の馬が、俺をここに連れて来た。礼なら馬に言うんだな。怪我をした足では一人で馬に乗れないだろう。」
ふあっと私を持ち上げた謙信は、天馬に私を乗せ自らも馬の背に乗った。
「しっかり、掴まっているのだぞ。」
「白馬よ・・行くぞ・・」
天馬は、謙信の声に反応して、駆け出す。
「きゃっ・・」
「お転婆でも、そのような可愛らしい声をだすのか・・ハハハ」
大声で笑う謙信
「お転婆なんかじゃありません。失礼な」
「女が馬を一人で走らせ・・野盗に襲われていたのにか・・・」
「馬に乗るのは得意なんです。いつもは、馬から降りることなどないのですが・・
野原に出た時にたんはぽぽの花があまりにも綺麗で・・ついお花を摘みたくなったのです。
お城から一度も出たことのない妹達にも見せたくて・・・・。夢中になりすぎて、野盗達に気づかなかったのは不覚でした。」
「ほう・・お転婆が花をね・・・それで花冠をつけているのか」
「あっ」
思わず頭に手をやると体のバランスを崩して馬から落ちそうになる。
「手を離してはダメだ。馬から落ちるぞ」
「馬から落ちるのは困ります。」
私は、馬から振り落とされないように彼の腰にしがみついた。
「ハハハハハ・・それでよい。」
「そなたは平井金山城に住んでいるのか?」
「はい。千葉采女の娘・伊勢と申します」
「花冠の伊勢姫か・・」
「あなたのお名前は?」
「俺は、・・・・・龍だ」
「えっ・・龍?」
「そうだ・・俺のことを龍と呼ぶものがいる。」
謙信は、敵対関係にある北条方の伊勢姫に自分の素性を知らせたくなかった。
「それでは・・龍さまとお呼びしますね。今日は助けていただいて、本当にありがとうございました。」
馬の背にありながら、伊勢姫が謙信の背中にちょこんと頭をつけてきてお辞儀をしているのが謙信にはわかった。
伊勢姫の温もりが謙信にはちゃんと伝わっていた。
「無事で何よりであった」
「はい」
伊勢姫は、背中で返事している。
出会ったばかりの愛らしくてお転婆な伊勢姫。
謙信は、自分でもわからないが、なぜかこの姫の無事を心より喜んでいた。
「・・・龍様は、何故ここにいらっしゃったのですか?」
「俺は、時々一人になりたくなる時がある。そんな時、馬を飛ばしてあちらこちらに出かけるのだ」
「そうなんですね。私も時々馬を走らせたくなるので、なんとなくお気持ちはわかります。」
「お前もそうなのか?」
「はい。実は今日もそんな気持ちになって馬を走らせておりました。」
「そうか・・俺も今日はそんな気持ちだったのだ。馬を飛ばしてこの泉まで来ていた。そんな時、白馬が現れた。白馬の目はとても澄んでおり邪悪さを感じなかった。白馬に促され、背にのってみたら、美しい花冠の姫に出会った。」
えっ・・? 私のことをそんな風に思っていたなんて・・なんて答えれば良いのか言葉が見つからない。
笑いながら馬を走らせる彼の背で・・・・私は必死にしがみつくしかなかった。
金山城下の近くまで来た時、
「伊勢姫は見つかったか?」「いや、まだのようだ」大声でわめきながら騒ぐ者達の姿が見えて来た。
お城のものが私を探して村人にまで聞き回っているのがわかった。
「ここまでくると、もう大丈夫だろう。」
謙信は、さっと馬から飛び降り・・伊勢姫を見上げる。
「花冠の姫。俺はここで消えるとしよう。お転婆もほとほどに気をつけるが良い」
「お転婆じゃありません。でも・・気をつけます。」
「よい心がけだ。いつかまた会おう」
謙信は・・くるっと今来た道に方向転換し、笑いながら駆けて行った。
「姫様〜」
遠くの方から、城のものが私を見つけ駆け寄ってくる。
私は・・城にもどりたっぷりお説教されることとなる。