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恋するクラウン  作者: 川崎 春
3/3

聖勇者誕生

『おめでと~~~~~神様からの祝福タイムだよ!』

どんどん、パフパフ!

『ユーリアはよく頑張った。乙女ガッツ最強!』

 ワーワーワー

『さあ、ここからはバルトー、勇者である君の番だ』

 パフッ!

『このままだと、ユーリアは死ぬ。君が助けるんだ。ガッツはもういらない。君はガッツガツだったよね。ケダモノ!何も知らない女の子にサイテー』

 ブッブーッ!

『おっと、脱線。話を戻そう!必要なのは決断力だ。君は、ユーリアの為に早く決断して欲しい。よろしくね』

 パフ!

『じゃあ、今回はここまで!』

 バルトーは、はっとして目を覚ました。

 腕の中では、ユーリアがすーすーと寝息を立てている。

 周囲は真っ暗だった。しかし、自分の体だけがぼんやりと発光しているのが分かる。

 ……天啓だ。

 普通の人間には天啓なんて降りて来ない。バルトーは、自分が勇者に成った事を実感する。

 どうやって成ったのかは……考えない方がいいかも知れない。しかし、今の状況は、言い逃れを出来る様なものではない。

 服がベッドの下に乱雑に落ちているし、抱きかかえて寝ているのは確かにユーリアで……そこまで考えて、はっとする。

 国王一家に知られたら、絶対死ぬ様な目に遭わされる。殺しはしない王家と言われているが、殺されるかも知れない。

 王家の信頼を思い切り裏切ってしまった。王宮騎士として仕えるのはもう無理だ。

 でも後悔は無い。望んだものは、騎士の身では手に入らなかったから。

 眠っているユーリアを見る。

 男女の行為について、分かっているとは思えなかった。

 今更だが、こう言う事するんですよって教えるべきだっただろうか?それから了承をって……俺が無理。絶対、そこまで我慢できなかった。

 バルトーは軽く頭を振った。

 かなり精神力には自信があったけれど、理性はあっさり崩壊した。

 死んでくれと言われ、自棄になった。薬を飲ませるとか言いながら、やりたい放題やった辺りから、自分でもやばいと思っていたのだ。

 潤んだ目で、許して!とか言われた時は、こっちこそケダモノになっても許してくれ!って本気で思ったし。……耐えたけど。

 せっかく耐えたのに、抱きつかれて好きだとか、一緒に居させてとか、言うから、もうダメだった。

 ユーリアの根性が試された部分は、自分の気持ちを伝えると言う点だったのだ。

 結果、勇者が生まれ、人を守る。

 臆病で、人を知らないユーリアは、正にガッツで乗り切るしかなかったと思う。

 告白なんて、普通に生きていても怖い。正直、死ねと言われた後だったので、バルトーも直接的な言葉は避けていた。物凄く怖かったのだ。ユーリアが言ってくれて本当に良かったと思う。

 もしかしたら、告白後の行為は不要だったのかも知れない。……神にもなじられたし。でも確かめ様がない。もういいや。

 それよりも気になるのが、このままでは、ユーリアが死ぬと言う警告だ。

 勇者になったのに、特に変わった感じはしない。天啓が無ければ気づかなかっただろう。

 地上最強らしいが、力が沸き上がってきてどうしようも無いとか、そういう感覚は一切ない。

 それなのに、ユーリアが死んでしまうと言うのは何故?

 思わずユーリアを抱く腕に力が入る。

「ん……」

 軽く眉根を寄せるユーリア。

 起こしてしまったかと思ったけれど、起きなかった。この温もりを失うなんて、考えたくも無い。

 決断?何を決断すれば良いのか、全く分からない。

 どうして天啓とはこんなにも分かり辛いのだろう?

 もっと分かりやすく教えてくれれば良いのに、大雑把だ。あまりにも不親切。ふざけた音とかいらないからもっと詳しく。と、思っても、相手は神だからどうにもならない。ありがたいのか困るのか微妙だ。

 王家は意思をはき違え、ユーリアもガッツを何処で使うのか分からず苦悩していた。

 後で、そうだったのか~では、遅いのだ。今回の場合は。人の命がかかっている。それも、想いが通じたばかりの、大切な人の命が。

 今までの天啓に比べて、格段に重くて、早急に何とかしなくてはならない。

 ユーリアが死ぬなんて、あってはならない。

「嫌だ。絶対に嫌だ」

 無意識にユーリアを抱きしめて呟いていた。

「……バルトー?」

 ユーリアが目を覚ます。ぼんやりしているのが声から分かる。

「ごめん、起こしたか?」

 もう必要を感じないので、敬語を止める。こんな事までしておいて、言葉だけ敬うのは変な気がしたのだ。

 ユーリアがその変化に少し驚いているのが分かる。しかし咎める様子はない。

「何が、嫌なの?」

 即答出来ない。こんな事、言える訳が無い。

「どうしたの?」

 小首を傾げてこちらを見ているのが分かる。

 どう答えたものか、思案していると……

「ふふ……」

 不意にユーリアが笑った。

「どうかした?」

「バルトーのクラウン、凄く綺麗な金色。そんな綺麗なクラウン、初めて見た」

 え?本当に?

 上半身を起こし、手で頭上を撫でてみる。そして驚く。硬い布の様な感触が手に当たる。

「触れる……」

「え!」

 ユーリアもシーツを片手で胸元にかき寄せながら、上半身を起こし、バルトーの頭の上にもう片方の手を伸ばす。

「触れないよ?」

 ユーリアの言葉を受けて、バルトーがつつくと、クラウンが動いた。

 ユーリアがそれを見て驚く。

「本当だ……凄い。もしかしてこれって……勇者になれたの?」

「あ、ああ……天啓があった」

 ユーリアがぱっと満面の笑みになり、バルトーに抱きつく。

「良かった。本当に良かったよ!私、あなたに死んでもらって、私が生き返らせたら勇者になるって、ずっと思っていたの」

「は?」

 何の話だよ。聞いてないぞ。

「聖者には、死者を生き返らせる力があるらしいの。だから、てっきりそれを使うんだと……間違いで良かった」

 うん。そうだな。本当にそう思うよ。危うく殺される所だった。

 それにしても、聖者って凄くないか?もしかして勇者より凄いのでは?……でもその聖者が死んだら、誰が生き返らせるんだよ。

 バルトーは抱きつくユーリアを抱きしめる。

 この世界に、他の聖者は居ない。

「これで、もう大丈夫だよね」

 全然大丈夫じゃない。

「バルトー?」

 考えたい。とりあえず一人で。

「風呂に入ってくる」

「私も!汗かいた」

「……」

 きっと、王太子と入ったりしていた感覚なのだろう。……だめだ!俺、何も考えられなくなる。すごく嬉しいし、是非そうしたいけど、今それどころじゃないんだよ。

 顔に表情を出さずに聞いてみる。

「立てる?」

 ユーリアはもじもじした後、恥ずかしそうに首を横に振る。ユーリアは今気づいたかも知れないが、バルトーには無理をさせた自覚があった。……ガッツガツでした。すいません。

「寝てて」

「うん……」

 シーツに潜り込んだ頭をそっと撫でると、くすくすと笑う声と呟きが聞こえた。

「夢みたい。こんなに幸せだなんて」

 ユーリアは想いが通じ、バルトーが勇者になって、全て終わったと思っている。

 バルトーはそのままでいいと思った。

「おやすみ」

 バルトーの声に安心したのか、ユーリアはすぐに寝息をたて始めた。それを確認して、バルトーは服を拾い上げると、ユーリアの部屋を出た。

 風呂に入って着替えをした後、自分の部屋で鏡を見る。

「これが、クラウン……」

 ばっちり見える、黄金のクラウン。上面がふよふよと波打っている。

 こんなものが絶えず見えていれば、それは視線が上に行くよな、とユーリアの行動に納得する。

 他人にも見えるのだろうか?ユーリアが見えているのは当たり前なので、そこが気になる。見えているとすれば、ちょっと、いや相当恥かしい。

 手で触れると、ふわんと揺れる。風呂で頭を洗っているときもグラグラしていた気がする。

 これ、取れるんじゃないか?

 恐る恐る両手を添える。でも、無くなったら勇者じゃなくなるのではと言う気持ちから、手が動かない。せっかくユーリアが与えてくれたのに、安易な事はしたくない。

 結局、手はぱたりと落ちた。

 今なら、バルトーも書庫に入れるだろう。しかし、外国語も古代文字も読めない。だから、自力では何も調べられない。

 ……一つだけ、確実に読める本がある。

「創生禄」

 この図書館の最重要禁書であり、半天の国王すら見たら寝込む、恐ろしい歴史書。

 この国の最初、その辺りを読めれば、勇者の事も載っているかも知れない。それに代々亡くなっていた王女達が、皆聖女であったなら、過去を見る価値がある。

 そして、今も自動筆記で歴史が書かれている。自分達がどう書かれているのか知れれば、少しは謎も解けるかも知れない。

 しかし、ユーリアに鍵を借りなければ書庫には入れない。やろうとすれば、止められるだろう。しかも、何故そんな事をするのかと聞かれる。

 書庫の禁書を見る計画は断念する。

 バルトーは再び鏡の中の自分を見る。金色のクラウンが凄く気になる。

 触れると揺れる。まるで子供の歯みたいだ。……気になるし、抜けそうで抜けないグラグラ感が似ている。

 そこまで思ってぎょっとする。

 放って置いても、最終的には取れてしまうとか?……取れたらユーリアはどうなるんだ。

 鏡の中の自分の顔が青ざめている。

 クラウンは遠からず落ちる。それは間違っていない。感覚として感じる。

 落ちるまでに何かをするのか?それとも落ちてから何かするのか?

 必要なのは決断力だと神は言っていた。それも一刻も早くと。

 しかもユーリアの命がかかっているから、国王やユーリアの様に天啓の解釈を間違える様な真似は許されない。

 バルトーは思わず顔をしかめていた。

 どいつもこいつも、大事な事は教えてくれない。そもそも、何で聖者も勇者も長い間居なかったんだよ。居ればこんなに困らなかったのに。

 世界は広すぎる。自分が一人勇者に成ったところで、全部背負うとか無理だ。気分的には世界よりもユーリアの方が大事だし。ユーリアが居ない世界なんて守りたくも無い。

 ロルフの話が本当なら……ユーリアが死ねばバルトーも死ぬから、守る以前の問題なのだが。

 勇者に成ったが、世界救済なんて高尚さは全く身についていない。精神的には騎士だった自分と変わらない。

 もし、勇者が恋人優先で生きていくなら、世界を安定させて平穏に暮らしていく為に、勇者が数千人……いや、もっと必要だ。

 そこではっとする。

 ……居たのかも知れない。聖者も勇者も沢山。ありきたりに各地に居て、恋人を守るついでに人々を半魔から守っていたとしたら。

 ロルフの話では、勇者信仰は宗教ではなく、民間信仰だ。神殿などは無かったのだ。

 勇者一家を取り巻く形で、村なり町が形成されていたのかも知れない。

 聖者は普通に人から生まれ、愛する相手に想いを伝えて相手を勇者にした。その後、愛する人とその人の住む環境を守っていた。何となくしっくり来る。

 どんな凄い力だとしても、愛する人が守れないのでは意味が無い。大切な人を守る為の力だから、道を踏み外したりもしない。

 半天や神の力を借りずに、人が普通の営みの中で悪魔や半魔を退ける力だとすれば、これで良いのだ。

 別の可能性も幾つか考えてみるが、この考えが頭を離れない。間違えていたらどうするんだ!と思うのだが、納得できる推論が出て来ない。

 何でも良いから助言が欲しい。

 バルトーは、縋る気持ちで王太子とロルフ宛に、勇者に成ったがユーリアの命が危ない事など、現状を細かく書いた手紙をしたためる。

 そしてすぐさま走って詰所に行く。急ぎだと告げて手紙を伝令に渡した後、夜勤で詰所に居た新米騎士に問う。

「おい新人。俺の頭の上に何か見えるか?」

「はい?」

 まだ少年の面影の残る若い騎士はきょとんとしている。質問もいきなりだったが、ちょっと眠いのだろう。

「だから、俺の頭の上に何があるか言ってみろ」

「何だよその遊び」

 近くに居た同じく夜勤の先輩騎士が言う。バルトーはそっちを見もしない。アルフレドと言う、新米時代に世話になった先輩で、仲は良い方だ。騎士では比較的理知的な人で、とても面倒見が良い。

 ただ今日は相手をしたくない。人を見たら、からかうのが礼儀だと思っている節がある人なのだ。話し出すと真面目に聞かないので長くなる。

「ちょっと黙っててください。大事な事なんで」

「久しぶりに会ったのに冷たいぞ。俺とも遊んでくれよ」

「嫌です」

「バルトーってば、照れ屋さん」

 その言葉で、目の前に誰が居るのかようやく分かったのだろう。虚ろだった目が大きく見開かれる。元副団長だ。新米でも知っている。

 新米騎士は、青ざめて立ち上がった。

 すると、騎士の頭にふわっとクラウンが現れる。紫色のクラウンが頭の上で波打っている。……うわ!クラウンが見える。

 バルトーは自分の変化に驚愕する。いきなり現れたのは、今までバルトーを意識していなかったからだろう。

「ふ、副団長の頭の上は」

「副団長はもう俺じゃない。カイルさんだ」

 いらない訂正をしてしまった。副団長時代からの癖で、騎士相手だと間違いをすぐ指摘してしまう。

 すると、騎士のクラウンがビクンと跳ねて青紫色になる。

 まだよく分かっていないが、感情に変化があったのは見て分かる。こんなものが見えたら、そりゃ人とは付き合いたくなくなる。……ユーリアの気持ちが少し分かった気がする。

 騎士は慌てて謝罪する。

「すいません。バルトーさん」

「で、俺の頭の上は?」

「天井です!」

 バルトーは人のクラウンが見える様になって、人にはバルトーのクラウンが見えていない。はっきりして良かったと思う。

「正解だ」

「何それ、つまんねぇ。ただの眠気覚ましかよ」

 様子を見ていたアルフレドが文句を言う。

「アルフレドさんには、何が見えるんでしょうね。ああ、書類の山か。この天井の上に一杯あるそうですね。カイルさんばっかりにやらせたら可哀そうです。泣いてましたよ」

「他人事みたいに言いやがって」

「仕方ないでしょ?俺の今の仕事は、王太子命令ですから。申し立ては殿下までお願いします」

 アルフレドは渋い顔をしている。彼の頭の上にもクラウンが見える。何だか茶色だ。よく分からないが渋い表情に合っている。

 書類は王宮騎士団最大の問題となりつつある。バルトーが居ればと皆口々に言う。以前は心配したが、最近は、皆もっとやれよ!としか思わない。

 バルトーは、緊張している新米騎士を励ますふりをして、わざとクラウンに触れようとしてみる。しかし、触る事は出来なかった。

 クラウンを通り抜けた手は、騎士の頭に触れる。

「眠いだろうが、頑張れ」

 クラウンが緑色になった。騎士は頭をなでられて、嬉しそうに返事をした。

「では、俺は失礼します」

 バルトーの様子から何か感じたのだろうか。アルフレドは、もう絡んでこなかった。

 頭のクラウンは緑色になっている。

「また来いよー」

 アルフレドの言葉に手を挙げて応じつつ、バルトーはそのまま人の少ない詰所を後にした。

 図書館に戻ってくると、ユーリアが心配になって、部屋に行く。ノックしたが返事は無い。そっと扉を開き、ベッドに近づく。

 呼吸に合わせて、規則正しくシーツの山が動いている。ユーリアが丸くなって寝ているのが分かる。

 生きている事にほっとして、ベッドの端に腰掛ける。

 手紙の返事が来るまで待つ間、眠る事も考えたが、目が冴えて眠れない。

 バルトーは、他の推測を諦めて、勇者大量説(バルトーが勝手に命名)から有益そうな部分を抽出する。

 聖者の告白は勇者に成るのに必須だ。

 告白と共に、ユーリアはクラウンを金色にする何かをくれたのだ。バルトーは少なくともクラウンを見る能力と自分のクラウンに触れる能力を得た。

 それは命を失う程のもので、こちらもそれ相応の何かを返す必要を感じる。

 何を返すのか?

 愛情に応えるなら、返事もしたし、それ以上の事もした。でも、神になじられただけで、ユーリアの命を救う事にはなっていない。

 この金色のクラウンを取って、ユーリアに返すとか……自然に落ちるまで待つのは得策では無い。

 試す価値はある。それくらいしか無いから。

 しかし、愛情で生まれたものをそのまま返すのは、愛情を突き返す様な気分になる。

 あれ?

 バルトーはシーツの山を見る。じっと見た後、恐る恐るシーツをめくってみる。安らかな顔で眠るユーリアが現れた。

 見間違いじゃない。……ユーリアの頭には、クラウンが無い。あ、意識が無いから今はいいのか。……でも、この部屋を出る前に話していた時も無かった!

 確かめなくては。

「ユーリア」

 声をかけてみる。起きない。

「ユーリア!」

 再度声をかけて体をゆすってみる。しかし、ユーリアは目覚めなかった。

 その後も、ユーリアは目を覚まさなかった。


 応接室のソファーには、王太子と大神官のロルフが座り、対面にバルトーが腰かけている。

 手紙を見て、二人はすっ飛んできた。本当に王太子が、ロルフを抱えて飛んできたのだ。

 来てくれてバルトーは心底ほっとした。

 また、これ以上は言えない、分からないで通されたら、自分が参ってしまう。

「それでお前は、妹を死なせそうになっている訳だな」

 王太子の怒りは、まっすぐバルトーに向いている。王太子のクラウンは真っ赤だ。

 王太子の言い分は間違いないので、ただ謝る。

「落ち着いて下さい。このままじゃバルトーも死ぬ訳だから、命をかけてるのは、殿下の妹だけじゃないですよ」

 ロルフが王太子をなだめる。

「神託で選んだのに、何故こうなる」

 王太子は忌々しいと言わんばかりの表情でロルフを睨んだ。

「僕に言われても困ります。神に言ってください」

「言えたら苦労しない」

 ユーリアは眠っている。体を清めて着替えさせたりしたが、その間も全く目覚めなかった。昏睡状態と言うやつだ。

 バルトーは自分の分かっている範囲の事や、自分の立てた推測について話した。

「お前の仮説は正しい」

 王太子は告げた。

「昔、勇者は一人では無かった。聖女が大勢居たからな。しかし、とある事情で聖女が生まれなくなった。それは王家とも関係があるから知っている」

 ロルフが興味津々な様子で聞く。

「そうだったのですか!それでどうして聖女が生まれなくなったのですか?」

 にじり寄るロルフを抑えて王太子は続ける。

「まぁ、話を聞け。遥かな太古、神の意思で、地上に聖女が降りた。要は天使で性別が女だったのだが、知恵を信奉する天使だった。人間には猿に毛が生えた程度の知能と文明しかなく、神がそれをどうにかしようとしたのだ。聖女には全く殺傷能力が無い。それで、運動能力に優れた人間の男を伴侶とし、自分を守らせる事にした。それが始まりだ」

 とんでもない昔の話。神が人に知恵を与える為に行った事が始まりだったのだ。

「始祖の聖女は子孫を残し、聖女は増えた。ところが聖女が生贄にされ始めた。半魔が、勇者を選ぶ前の聖女を狙って襲い始めた。そうなると勇者は増えない。しかも、悪魔が贄として聖女の魂を魔界に縛るから、聖女の力が神の元に帰り、再び地上に降りると言う循環が悪くなっていった。そうして聖女も勇者も滅びたそうだ」

「それって、あなた達の前任の天使の力が魔界にあると言う事ではないですか!」

 ロルフが興奮気味に言う。それは凄くまずい事だとバルトーも思う。

 ところが王太子は首を横に振った。

「もう、魔界には無い。それを奪還すべく、地上に降りたのが我らの始祖だからだ。始祖は地上を突き破り、一気に魔界まで降りて魂を開放し、集めて元の天使に戻した。結果、酷く病んでおり、始祖の聖女だった天使は神の元で眠る事になった」

「あなた達の始祖は目的を果たした訳でしょ?何で地上に居るんですか?」

 ロルフは遠慮が無い。

 無神経もここまで来ると凄いと尊敬してしまう。

「神に言われて。ただし必要以上に天使の魂を方々に散らさない様に、王族として国の頂点に立ち、王国を作って、そこだけを監視せよと命じられた」

 神は、再び魔界に天使が囚われない様に配慮したのだ。でも、そこまでするなら、何故天使を地上に降ろしているのだろう?

「神は何故地上に降りるか教えてくれましたか?」

 バルトーの問いに、王太子は渋い表情で告げた。

「説明はされた。しかし始祖には理解できなかった」

 ロルフもバルトーも同時に納得する。

 力を信奉するだけあって強かったのだろうが……馬鹿だったのだ。

 王太子もその気配を察して告げる。

「実は王族は、一生に一度、創生禄を読む事が義務付けられている。……あれは王族に存在意義と過去の歴史を焼き付ける装置なのだ。最初のページを開くと、歴史と神の制約が一気に記憶として焼き付けられる」

「暗記装置を持たせてまで、神は馬鹿を地上に置いた訳ですね」

 ロルフの容赦ない言葉に王太子が突っ込む。

「馬鹿じゃない!知識を跳ね返す強靭な脳を持っているから、神の力で焼き付けるだけだ!」

 脳筋だって自分で言ってるし。……まぁ子孫だからな。

 聖者としてではなく、聖女として王族がユーリアを捉える理由は何となく分かった。

 王族の暗記した記憶の中では、聖者は皆、始祖の聖女としか見なされていないのだ。

 王族は脳筋だから、聖女を聖者と変換したりはしないのだ。聖女から散らばった魂の中に男性となったものも多くあり、聖者として生きていたとは考えなかったのだ。

 多分、王太子も創生禄は見ている。さっき語ったのは、焼き付けられた歴史なのだろう。

「その、地上に降りた経緯については、創生禄に載っていないのですか?」

「載っているが、理解できない」

 バルトーは質問の答えに肩を落とす。勇者に成ったから見られると思っていた創生禄。

 実は神の与えた、脳筋半天の暗記装置だったのだ。バルトーが見ても意味が無い。しかも当の半天が、暗記しても内容が理解できないとか、凄い状態になっている。

 ロルフがびっくりした様に言う。

「暗記した内容の意味が分からないなんて、どうなっているんですか?」

「ただ、文字列が焼き付いているだけだ。神の文字だから、俺が今ここでしゃべっても、謎の音が響くだけだぞ。始祖の天使が理解できないのに、人間と混血の半天が分かる訳あるまい」

「殿下は外国語も古代語も読めないですしね。もっと本を読みましょうよ」

 ロルフの言葉に、バルトーはぎょっとする。

「え?ユーリアは殿下と陛下から色々と習ったのでは?」

 本人が、以前そう言っていたが。

「ユーリアを呼び捨てにするな!あいつの読みそうな本を集めて、与えていただけで、俺も父上も何もしていない。本を読んでいる間は、俺達も安心して居られるから、かなりの量、与えたのは確かだ。人形みたいに無表情で外を見て座っているのを見るのは嫌だったからな」

 無表情で外を見て座っている……。何をやりたいのかさえ分からなかったのだろう。ユーリアの過去に心が痛む。

 多分、その大量の本も、どう思っているのかさえ分からず受け取っていたのだ。読む内に苦痛になったのかも知れない。それでユーリアは、二人に勉強させられていると思う様になったのだろう。

 バルトーはふと思う。

 もしかしたら、ユーリアなら創生禄を全て理解できたかも知れない。ユーリアは王族だ。見る権利があったのに、彼女は見るのを禁止されていた。

「何故、ユーリアには見るのを禁止したんですか?」

「呼び捨てにするな!」

「まぁまぁ、それで、何故聖女には見せなかったのですか?」

 ロルフにたしなめられて、王太子はバルトーの質問に答える。

「創生禄の閲覧は心の弱い者には無理だ。ユーリアには見せられない」

 確か、国王は見て寝込んだのだった。ユーリアに見せるのは避けて正解だ。

「ユーリアは、異能を持ちながら心が弱い。だから王女としては生きられない。王族の義務を背負えないのだから、半天ではない」

 バルトーはその言葉にカチンと来た。ユーリアは好きでそう生まれた訳では無い。

「バルトー、始祖の天使がどう言う方だったか分かるでしょう?その血筋だからこう言うもの言いは仕方ないのです。人間と同じ感情を求めないで下さい」

 バルトーの様子を見て、ロルフが言い聞かせる様に言った。

「王家は子孫を残すために伴侶を愛しますが、生まれた我が子に対して愛情が欠落していました。天使は本来、子孫を残しませんから、家族と言うものが分からないのです。ですが、代々の王妃はその事に心を痛め、何とかしようと考え続けてきました。半分は人間ですから、教えれば分かると考えたのです」

 ロルフは、にこっと笑った。

「大神殿はその相談に長年取り組み続け、ようやくユーリア様を……王女を救う事が出来ました」

「それって、ずっと大神官達が、半天の研究をしてきたって事ですか?」

 バルトーが驚くとロルフは頷く。

「研究と言うか、どうすればより人間に近い感情を持てるかと言う……情操教育ですね。王家の女児には、親や兄弟の愛情が必須でした。……脳筋相手にここまで頑張った、歴代の大神官を褒めてください」

 王太子は渋い表情で言う。

「俺は、ユーリアが大好きだぞ。例え弱くても可愛いと思うし」

 ロルフが質問する。

「もし弟王子が居て、弱かったらどうしますか?」

「放って置く」

 即答だった。

「ユーリアは女だから、半天と思わず優しくする様にと、お前も、前の大神官もずっと言っていただろうが。だから俺はユーリアの事は半天だと思っていない。あくまで俺の妹だ」

 バルトーは、半天の複雑な精神構造を垣間見た気がした。

 兄弟としての情は、人間の部分で受け入れているのだろうが、天使の部分では弱い同族を受け入れられないのだ。

 その事を解明して、脳筋に教え込む方法を考案するまで、かなりの時間がかかっただろう。確かに歴代の大神官の偉業だ。

 こんなに凄い事をしているのに、何故神殿が貧乏なのか謎だ。王家はもっと神殿を大事にすべきだ。大神官が居なくなっては困る。

「バルトー」

 脱線していた思考を、ロルフに引き戻される。

「ユーリア様は、本当に半天では無いのかも知れません」

「それは、どういう意味ですか?」

「残念な事に、半天が地上に居続ける理由は分かりません」

 ここに来たのが脳筋天使だったから、大事な部分が不明なままだ。

「でも、ユーリア様が育って聖女になったと言う事は、半天を通して、以前とは違う系統の聖女が地上に与えられたのではないかと」

「違う系統の聖女?」

「僕は思うのです。太古の……天使の力を粉々にして地上にばらまくと言う方法は失敗しました。神が同じ事をするとは思えません」

 悪魔はその細かくばらまかれた力を、一つ一つ回収していったのだ。結果、聖者は滅び、天使は魔界に囚われた。

 今回、神は天使の魂をばらまかない様に様々な制約を付けて注意している。

「ユーリア様は以前の聖女とは大きく違うのだと思います。改良型聖女一号ですね」

 改良型聖女一号って……無神経大神官め、もっと言葉を選べよ。

「それで、ユーリアは死なずに済むのか?」

 王太子が不服そうに言う。話の内容が把握しきれなかったのだろう。

「いえいえ、まだ考える材料の段階です」

「早くしてくれ」

 バルトーはロルフの言っていた事から出た結論を口にする。

「大神官は、太古の聖女と勇者のやり取りが分かっても、同じ方法で俺達が生き残れるとは限らないと、言いたいのですね」

「話が早くて助かります。天啓があったと言う事は、神はあなた達を使って試しているのではないかと思うのです……新しい方法を」

 新しい方法。……過去の方法も分からないのに、新しいも何も無いのだが、過去の文献漁りは不必要だと言う事か。

「かつての勇者は何もしなくて良かった」

 ロルフもバルトーも一斉に王太子を見る。

「それ……どこ情報ですか?」

「どこ情報って……俺情報」

 当たり前の様に言う王太子に、ロルフが怒りを抑えた震える声で告げる。

「とりあえず、詳しくお願いします」

「相手の魂をもらうんだよ」

「何それ。あなた、実は悪魔ですか?」

「失礼な事を言うな!神の元に戻るまで、魂を半天が預かって守るんだよ。太古の聖女は逆だった。勇者が聖女の魂を預かった」

 凄い情報が飛び出て、ロルフもバルトーも絶句する。

「始祖の天使は、伴侶と子供を作る性質を地上に降りる際に神に付け加えられた。その性質と言うのが厄介で、伴侶に凄く執着し依存する。相手の魂が穢れると弱ってしまうし、死ねば死ぬ。半天の結婚は命がけになるから、悪魔よけの為にも、強い方が魂を預かると言う行為が必要なんだよ」

 二個の王冠、とユーリアが言っていた事を思い出す。

 勇者は聖者の魂を預かり、聖者は守られていた。勇者が倒れれば聖者も死ぬ。そして魂は天に昇る。悪魔の付け入る隙は無い。

 以前なら、想いが通じて聖者が選んだ時点で全て終わりだったのだ。

 しかし、ユーリアとバルトーは、もうひと手間、入れなくてはならなくなったのだ。勇者を得る前の聖女をどうやって守るかが改良点になっている筈だ。

「何でもっと早く教えてくれないのですか!」

 ロルフが王太子に向かって叫ぶ。

「王族だけの秘匿事項をあっさり話せと?誰が聞いているか分からないのに」

 確かにそれはそうだ。

「俺は話した事で魂が穢れた気がしている。神が秘匿せよと言っている事だからな。でもユーリアを思えば、話さなくてはならないと思った」

 半天と言うのは、人間の部分と天使の部分が分離しているのだと実感する。

「それで、ユーリアは救えそうか?」

 王太子は、不安そうにバルトーを見る。

 王太子は天使の部分が拒否反応を起こしているのに、それを抑え込んで、人間としてこの話をしてくれたのだ。

「出来る限りやってみます」

「バルトー、過去の世界の失敗が何だったのか思い出してください。それがきっと、大きな道しるべになります」

 ロルフはそう言うと立ち上がった。

 王太子と一緒に、ユーリアの様子を見る為だ。

 二人をユーリアの部屋に案内すると、バルトーは扉を開けた。

「ユーリア……」

 王太子が声をかけるが、ユーリアは反応しない。

 深く眠っている様に見えるが、起きないのをバルトーは知っている。

「神殿で調合した気付けの香です。気休めですが、後で試してみてください」

 ロルフは、それをありがたく受け取りながら、王太子を見た。

 翼のある大きな背中が項垂れている。手を強く握りしめている。

「俺は、こんな結果を望んで、神託を頼んだのではない」

「分かっています」

 ロルフが王太子の肩に手を置く。

 バルトーははっとする。王太子の羽は不揃いになって、かなりボロボロだった。……ユーリアの為に行った神託で、供物として供え続けた結果だ。

「生きてくれ」

 短い言葉に気持ちを乗せて王太子は噛み締める様に言った。

 王太子はバルトーの方を向くと頭を下げた。

「殿下!」

「妹を助けてくれ。ユーリアの魂はここには無い。お前が預かっている訳でもない」

 半天として言ってはならない事を話しているのだろう。王太子は少し震えている。

 しかし聞く必要がある。

「お前の中には、魂があるが一つだ。聖性は高いが、二つは無い」

 魂を預かる状態だと、二つあるべきなのに、無いと言いたいらしい。

「そうですか」

「そろそろ帰りましょう。何かあったら連絡をください」

 ロルフは王太子の顔色を見てそう言うと、王太子を連れて帰って行った。

 眠るユーリアとバルトーが部屋に残された。

 バルトーは、ユーリアの頬を手の甲でそっとなぞる。

 ユーリアは悲願の王女だ。歴代の大神官と王妃は、半天に家族愛を教え込み、多くの王女を失いながらここまで辿り着いた。

 そして、王女は神にとっても、地上にとっても新たな希望だった。

 地上には、新たに聖者が必要で、それは太古の様な、ただ守られているだけの聖者ではいけないのだ。

 自分の出来る事。王太子、ロルフとの会話から、バルトーには何となくやるべき事が見えていた。

 決断すべきは誰でもない自分だ。間違っていたとしても、もう迷う時間は無い。

 バルトーは頭の上に手を挙げると、触れた感触をぐっと掴む。思ったよりもしっかりとくっついているそれを一気に引きはがす。

 手には輝くクラウンが握られていた。体から、力が急に抜けていく。

 手からも力が抜けて、音もなくクラウンは床に落ちた。

 クラウンはただ感情を表すものではなく、人の命、魂の姿でもあるのだ。

 バルトーは足にぐっと力を入れてふらつきを止めると、腰の剣を抜き払い、その剣をクラウンめがけて振り下ろした。

 リィイイイイイイン!

 鈴の鳴る様な音がして、クラウンは粉々に砕け散った。

 舞い上がった金色の細かい破片が、バルトーとユーリアに降り注ぐ。

 その場に座り込んだバルトーはその欠片の一つに手を伸ばす。欠片は指先に触れると消えていく。まるで自分の中に吸い込まれる様に。

 これでいい……。

 王太子は、ユーリアの魂は無いと言っていた。しかし、バルトーは感じていた。ユーリアと共に居る感覚を。

 もしバルトーとユーリアの魂が一つになってしまったのだとしたら……一つの魂を砕いて分けるしかない。

 それに、純粋な聖女の魂が弱いのだとすれば、人間の魂を混ぜて強くしてやればいいのだ。

「俺の魂で良いならくれてやる。だから、目を覚ませ。ユーリア」

 バルトーはそう呟くと、意識を失った。


 ユーリアは、唐突に目を覚ました。

 いきなり意識が戻ったので、自分がどこで何をしていたのか思い出すのに時間がかかった。

 かなり寝過ごした、と辺りを見回す。

 するとベッドを背もたれに、誰かが座っているのが見えた。髪の色からすぐに誰か分かる。

 ユーリアはベッドを飛び降りて、その顔を覗き込む。

「バルトー、ねえ、こんな所で寝ないで」

 バルトーの瞼が少し動く。

「起きて」

 再び声をかけると、うっすらと目を開けた。

「こんな所で寝てたら、風邪ひくよ」

 バルトーは一瞬で目を見開いて、ユーリアをまじまじと見つめる。そして、ユーリアの腕を引くと、自分の胸に抱き込んだ。

「バ、バルトー?」

 バルトーは何も言わない。ただ、ユーリアを抱きしめている。

 よく分からないが、ユーリアはバルトーの背中に腕を回してぽんぽんと叩いた。

 どのくらいそうしていただろうか、ユーリアを離したバルトーは心底嬉しそうに言った。

「また、会えて良かった」

「何言ってるのよ。……って、クラウンが無い!」

 ユーリアはバルトーの頭の上に何も無いのに驚いて立ち上がる。そしてバルトーの頭の上で何度も手を振り回す。

 バルトーは面白そうにユーリアの様子を見ている。

「何で?勇者に成ったのに、何で?」

「今から話します」

 ユーリアとバルトーは、並んでベッドに腰かけた。

 ユーリアは自分が昏睡状態になっていた事、その間にロルフや王太子が来ていた事などを聞き、最後にバルトーが何をしたのかを聞いて目を見張った。

「何て事するのよ!」

 ユーリアは怒って叫んだ。

「私が死んでも、魂が一つなら、バルトーが一人で勇者と聖者を兼ねれば良かったじゃないの」

 バルトーがそのままでも死ななかったのなら、最強の聖者勇者が生まれたかも知れない。それを砕いて自分に分けてしまったとは。

 バルトーはユーリアを不機嫌そうに見て言った。

「死んでも良かったのか?俺はユーリアの居ない世界なんて、興味ない」

 ユーリアは耳まで赤くなった。

「それに、あの金色のクラウンは落ちるのも時間の問題だったと思う。落ちていたら、きっと俺は死んでいた」

「バルトーが死なずに済んだなら、それでいいけど」

 ユーリアは恥ずかしくなって視線を逸らしながら言った。

 バルトーが笑う気配がした。そして、そっとユーリアの頭を撫でる。

「俺にも、ユーリアのクラウンは見えない。でも目を閉じても感じる事が出来る。君の存在を」

 それはユーリアも同じだった。バルトーの存在を強く感じる。それも自分の内側からと言う不思議な感覚なのだ。

 ユーリアは、バルトーの腕に、こてんと頭を預ける。

「何だか不思議ね。魂を分けても、記憶や性格まで滅茶苦茶に混ざってしまう訳では無いのね」

「ああ、俺は俺のままだし、君は君のままだ」

 魂を分けた事で何が起こったのか、今はよく分からない。けれど絆が強くなったのは良く分かる。

「勇者と聖者はどうなってしまっているのかしら?」

「多分、混ざっている状態だろう」

 それは良い事なのか?悪い事なのか?

 ユーリアは考えてみる。勇者の力が半分になってしまったのだとしたら、それは凄く問題がある。しかし、聖者の力も同時に使えるとすれば、それは便利だ。

 バルトーが立ち上がった。

「どうなっているのか、確かめてみないか?」

「どうやって?」

 バルトーは笑ってユーリアの手を取った。

「外に行くんだよ」

「外!」

 自分でも変な声だったと思う。ユーリアの声に、バルトーは更に笑みを深くした。

「まず、王城に行こう。陛下達に会いに行こう。きっと心配しているから」

「ええ!」

「それから、王宮騎士の詰所に行こう。俺の仲間を紹介するよ」

「へ?」

「それから、大神殿にも行こう。大神官は君をとても心配していたから」

 想像もしていなかった言葉の連続にユーリアは慌てたが、バルトーが待ってくれる気配はなかった。

「着替えて。俺も着替えるから」

 ユーリアは不思議に思う。何故バルトーは心配していないのだろうか?

 勇者の力も聖者の力もバラバラになって混ざってしまったのだ。それがどうなっているのか確認して、もし大変な事になっていたらどうするのだろう?

 しかし、家族には会いたいし、特に王太子には無事を伝えたい。

 とりあえず着替える事にした。

 あまりにも質素な服なので、王城に行ける装いに変えなくてはならない。

 久しく着ていなかった重たい正装のドレスを着て、靴も履き替える。アクセサリーも一式身に着ける。

 髪の毛は綺麗に梳かして後に流す。編み込むか迷ったけれど、結局面倒くさくなってやめた。

 化粧を軽くしてから扉を開けると、壁に寄りかかって、王宮騎士の正装をしたバルトーが待っていた。

「綺麗だ」

 手放しの賛辞に顔が赤くなる。

「……そう言えば、初めて見た時、その服を着ていたわね」

 バルトーは渋い顔をする。

「酷い目に遭った。もうあんなのはごめんだ」

 ユーリアはふふっと笑った。

 あんなに怒らせた人と魂を分け合っているなんて、不思議だ。

「さあ、行こう」

 バルトーに手を差し出され、ユーリアはちょっと迷ってから、その手を取った。

「大丈夫。一緒に居るから」

 バルトーの言葉に、ユーリアは不安が薄れていくのを感じる。

 二人は王宮図書館を出て、王城に向かった。

 不安そうに何度も振り返るユーリアを励ましながら、バルトーは道を進む。

 とうとう王城に辿り着き、正面の大扉の護衛騎士に、バルトーが謁見を求める為に声をかける。

 あ、見えない……。

 護衛騎士の頭にクラウンが見えない事が分かり、ユーリアは複雑な気分になる。黒い霧も恐れなくて済むなら、良いのだが……。

 護衛の一人は慌てて中に入って行き、暫く待たされる。バルトーは残った騎士と知り合いなのか談笑している。

 この人は、何か月も自分と一緒に居てくれたけれど、外の世界を知っていて、大勢の人と生きていたのだと改めて思い知る。

「こちらのご婦人が、王司書か」

「そうです」

 話が自分に向いたので、慌てて騎士を見る。

「ユーリア・キュビスです」

 王族には苗字が無いので、とりあえず王妃の旧姓を使う。

 ユーリアが挨拶すると、騎士も挨拶を返してきた。

「クロウ・フォルゼンです。バルトーにはずっと世話になっていました」

 世話になってたんだ。と思っていると、バルトーも謙遜する事なく答える。

「そう思うなら、書類仕事、ちょっとは手伝ってあげてください。カイルさんが可哀そうだから」

「悪いが、俺は計算が嫌いなんだ。三本を超えると槍も数えられない」

「え!そうなんですか?」

 ユーリアが驚くと、バルトーとクロウが顔を見合わせて笑い出した。

 きょとんとしていると、クロウが笑いながら言った。

「純真なご婦人なのだな」

 そこで、ようやくクロウが冗談を言っていたのだと分かり、ユーリアは顔を真っ赤にした。脳筋でも、さすがにそこまで馬鹿では、王宮に仕えられない。

 バルトーがユーリアの頭にぽんと手を置く。

「可愛いでしょ?騙されない様に俺が見張っているんですよ」

 クロウはバルトーとユーリアを見てにんまりとした。

「お前は聖婚かと思ってたのに」

「この方が俺の聖婚相手です」

 ユーリアがぎょっとしてバルトーを見る。バルトーは平然としている。

 クロウは驚いてバルトーとユーリアを交互に見た。

「そりゃまた……良かったな」

「はい」

 確かに、言われてみれば神託で出会ったのだ。聖婚と言っても過言ではない。

 大扉の奥から、騎士が戻って来て、中に招き入れてくれたので、バルトーとユーリアはクロウに別れを告げて中に入った。

「謁見の許可が下りるまでのお部屋にご案内致します」

 白髪の執事がそう言って深々と頭を下げる。ユーリアとバルトーも頭を下げて、案内に従う。

 前を歩く執事に続いて歩いている内に、執事の頭にぼんやりと暗い影が現れた。

 ユーリアは慌ててバルトーの服の裾を引っ張った。バルトーにも見えているのだろう。バルトーはユーリアを安心させるように肩を抱いた。

「こちらでお待ちください」

 そう言われて一つの部屋に入る。

 二人が入ると、扉が閉まった後、カチリと音がして鍵をかけられたのが分かった。

「……あれが黒い霧か。確かに酷い」

 バルトーは納得した様子で言う。

「それどころじゃないわ。鍵かけられちゃったよ」

 ユーリアがおろおろしているのに、バルトーは呑気に言った。

「ユーリア、体調悪くなってない?」

「あ……」

 以前なら、絶対に悪くなっていただろう。あれだけ近かったのだからひとたまりも無かった筈だが、今は気分も悪くない。

「俺じゃなくて、君に向けられた悪意だったけど……平気そうだな」

 それはユーリアも感じていた。明らかにバルトーではなく、自分に向けられたものだった。

「あの人、誰だ?」

 ユーリアは知らないから首を左右に振る。

 王司書のお披露目の時に世話になった人だったろうか?それとも、もっと前?

 パチンと弾けた様に、ユーリアは遠い昔を思い出す。

『王妃の私生児を、この城で王女として世話するとは、忌々しい』

 他の世話係に強い口調で言っていた男。もっと若かったが、あの男ではなかっただろうか?

 黒い霧を初めて見た時だった。あまりの恐怖にその場から逃げた。その後、笑顔で姫様と言いながら寄って来たけれど、黒い霧は衰えるどころか、更に大きくなっていた。

「知ってるかも知れない。……子供の頃、教育係だった人」

 ユーリアは当時の記憶をぽつりぽつりとバルトーに話して聞かせる。

 バルトーは渋い表情になった。

「半天を信奉し過ぎる奴らの悪い癖だな。思い込みが激しいんだよ。妃殿下はユーリアから遠ざけたと言っていたが、きっと王城から解雇はしていなかったのだな」

 ユーリアを認めていないと言うだけで、仕事ぶりに問題があった訳では無いのだ。いきなり解雇にはならないだろう。

 彼はずっと王城に居続け、ユーリアが王司書としてお披露目されるのも見ていたのだろう。顔を覚えていたのなら、ユーリアの待遇に不満を募らせていたに違いない。

「私達をお父様達に会わせないつもりだわ」

 ユーリアは青くなる。

「鍵をかけた程度でどうにかなる訳無いだろうに。こんなもの、蹴破れば済む」

「やめてよ!王城でそんな荒事を起こさないで」

 バルトーは笑う。

「冗談だよ。きっとあっちも言いたい事があるだろうから、ここに来ると思うぞ」

 バルトーはそこで真顔になる。

「そう言う訳で……ユーリア、色々試してみよう」

「試す?」

「黒い霧をどうやって消すかと言う事だ。半魔と対峙する前に、練習だと思えばいい」

 そんなお気楽な気分で対応していいの!、ユーリアは心の中で悲鳴を上げる。

 何せ、幼い頃死にかけた代物だ。ムシュラムの黒い霧程の規模ではないにしても、甘く見て良い物では無い。

「消すってどう言う意味?」

「体調も悪くならないのなら放って置けばいいのかも知れない。けれど、普通のクラウンは見えないのに、あれは見える。何か出来ると言う事だと俺は思う。そうなれば、憎悪を煽って大きくするか、その逆で消すかだ」

 言われてみればそうだ。正面入り口の護衛騎士、クロウのクラウンは全く見えなかった。普通の感情は見えなくなったのだろう。

 それが、あの執事が来た途端、見えたのだ。前を向いていて、こちらを見てもいないのに、溢れ出る悪意。どう見ても、害意だけが見える様になったとしか思えない。

 できるなら、あの黒い霧をどうにかして消したい。

「誤解でそう言う感情を向けられてはたまったものではない」

「色々話して誤解を解く、とか?」

「そんなの通じるとは思えないが。多分、もっと簡単に出来るんじゃないか?」

 バルトーの口調はあくまでも呑気だ。

「簡単って、十数年の恨みだよ?どうするつもりなの?」

「だから色々試す」

 バルトーは頭が良い。きっと、何通りもの霧を消す方法を考え付いているに違いない。

 しかし、自分の内面から感じる、この物騒な気配は何だろう?

「バルトー、怒ってる?」

「怒らない方がおかしいと思うが」

 即答だった。

「どんな事情であれ、あれほどの悪意を幼い君に向けるなんて、許せない。しかも、未だにとか、どれだけ粘着だよ。正直、斬って捨てても構わない。陛下も殿下も許してくれると思う」

「それはダメ」

「君がそう言うだろうから、斬るつもりは無いが、あの感情だけは何とかしたい」

「バルトー」

 バルトーはユーリアの頬を片手で包む。

「見えて初めて分かったよ。あれは……殺意だ」

「さつ、い?」

 その意味は知っている。相手を殺したいと願う感情だ。

 自分は王女として認めたくないと思われていたどころか、居なくなれと思われていたのだ。

 怖い……。

 ユーリアが青い顔で身震いすると、バルトーは物騒な笑顔になった。

「ユーリアを殺したいと言う願いを、俺は絶対に潰す。そんなもの許さない。どうしてくれようか……」

 急速に恐怖が薄れて、相手の方が心配になってしまった。

「酷い事はしないでね」

「酷いのはあっちだ」

 そこでカチンと鍵の開く音がした。二人は顔を引き締めて扉の方を向く。

 するとさっきの執事が、数人の男を引き連れて戻って来た。

「ロッソ卿、あなたはこちらにおいでください。謁見の手続きをしてありますので」

「王司書はどうするんですか?」

「お帰りいただきます」

 バルトーの眉間に皺が寄る。執事の黒い霧が大きくなったのだ。

「その女は、王家に育てられた王妃の私生児です。陛下は騙されておいでです。その女は王女ではありません」

「翼が無いからか?」

 バルトーの言葉から敬語が失われた。ユーリアはそこに彼の怒りを感じて慌てる。

「バルトー、いいのよ」

「良くない!」

 バルトーは礼装用の細い剣を腰から抜いて執事の鼻先に突き付けた。背後の男達が一斉に抜刀し、執事はひっと青くなって一歩退く。

「自分が気に食わない相手は、死ねばいいと思う性根が許せん」

 バルトーは背後の男達が動く前に、執事の頭上に向けて剣を突き出した。

 剣は霧を突き抜けて、真っ黒に染まったクラウンに到達した。すると、クラウンは呆気なく砕けてしまった。

 執事がカクンとその場に倒れる。

 背後に居た男達は、何が起こったのか分からず狼狽えながら前に出てくる。

 そのクラウンは、赤く、黒ずんでいるが、霧に覆われていない。

 バルトーは剣を鞘に納め、襲ってきた相手を一瞬で倒してしまった。

「……これが、ユーリアのやっていた害意の反射か。なるほど便利だな」

 などと呟いて、次々に男達を倒していく。

 バルトーは、色々試すと言っていたが、倒れた男達の頭の上の赤黒いクラウンを手で叩き落としてみたりもしている。落ちたクラウンは砕けてしまった。

「ユーリア、壊せるぞ」

 そうじゃなくて!クラウンが壊れたら、死んでしまうのではないの?

 ユーリアの顔を見てバルトーが笑う。

「不安そうな顔をしているな」

 当たり前だ。

「多分、これは壊せるんだから、壊していいんだ」

「そんな無茶な!」

 クラウンの無くなった者は、執事を含め、皆倒れて動かなくなっている。

「悪意なんて潰してしまえばいいんだよ」

「やり過ぎよ。バルトーは強いから、こんな方法じゃなくてもいいでしょ」

「叩きのめせって事か?そっちのが悪意が大きくなると思うが」

「そうかも知れないけど、死んじゃったらどうするのよ!」

 ユーリアは不安になって、倒れている執事をしゃがんで覗き込んだ。

 すると、執事がいきなり目を開いて、起き上がるとユーリアを見据えた。すると、再び執事の頭上に黒い霧をまとわりつかせたクラウンが現れた。

「きゃあああ!」

 ユーリアは思わずそのクラウンを手で叩いていた。クラウンは砕けて、執事はまた動かなくなった。

「あ……」

 ユーリアは自分のやった事に茫然とする。

「俺の出来る事はユーリアも出来るんだな。と言うか、よく手で触ったな。俺も怖かったのに」

 バルトーが呑気に感心している。

 それで剣使ってたのね!

「ど、どうしよう」

 バルトーは、ユーリアの腕を持って立ち上がらせる。

「大丈夫だ。どっちかと言うと、また復活してくる方が心配だ」

 ユーリアは自分の手を見る。黒い霧に触ってしまったのに、何ともない。

 そうしている内に、執事にと共に来た男達も起き上がり始めたが、頭にはクラウンが無かった。

 ただ、青い顔をしてこちらを見た後、慌てて逃げていく。

 雇われていたか何かで、根本的にこの執事とは害意の質が違うのだろう。

 倒れた執事を見て、バルトーは腕を組む。

 執事がまた起き上がる。

 しかし、クラウンを取り巻く黒い霧が無くなっている。

 ただ、相変わらずクラウンは黒い。

「何をした……」

 執事は青ざめた表情でバルトーとユーリアを見ている。

 二人は顔を見合わせる。

 二回破壊したせいなのか、バルトーとユーリアが二人で破壊したせいなのか、黒い霧は消えたらしい。

 ユーリアは自分が口を開けば、執事の害意を再び大きくする可能性を考慮して口をつぐむ。

「何をしたと聞いている!」

 腰の引けた状態で、執事は再度聞いて来る。

「あなたの方こそ、何をしたか分かっていますか?」

 バルトーの言葉に、執事は顔を青を通り越して白くする。

「公表されていませんが、王司書は王女ですよ?」

 クラウンの色が暗い紫色に変化した。紫は恐怖の色だ。

「あなたはどう思っているか知りませんが、ユーリア様は、陛下と髪も瞳の色も同じでしょうに」

 黒い色よりも青と紫の混じった色が多くなって、クラウンは溶ける様に見えなくなった。

「ちゃんと取り次いでください。私としても、今度何かあったら、陛下に報告せなばなりませんので」

 バルトーの言葉に執事は弾かれた様に走り去って行った。

 今度こそ無事に国王達に会えるだろう。

 バルトーは何かを考え込んでいる。ユーリアにも思う所があるが、何せ出会った人が少な過ぎるので、結論を出すのは早い気がした。

「先は長そうだな」

 バルトーの言葉にユーリアは頷いた。

「あなたと一緒なら、きっと大丈夫」

「きっと?」

 バルトーが片眉を上げた。

 ユーリアの肩を抱き寄せてバルトーは力強く言った。

「絶対にだ」


 この後、二人は国王と王妃、王太子に面会した。ユーリアの無事を安心した三人は、心底嬉しそうだった。

 主にユーリアが話し、バルトーが補足する形で話は進んだ。

 すべてを話すには時間がかかったが、国王達は、他の予定を全て取りやめて、ずっと耳を傾けていた。

 彼らが最も驚いたのは、代々の王女が実は聖女で、半天の愛情を受けられない為に死んでいた可能性についてだった。

「我らは、人としての情よりも天使としての力を優先してきたのだな。結果、神を失望させていたのかも知れない」

 国王はしみじみと呟く。

「私にも、実は妹が居た。姉も居た。二人とも幼い内に死んでしまった。父上は見向きもしなかったが、母上は二人も娘を亡くして悲しんでおられた。母上の悲しみを少しでも理解したいと思ったのは、結果的に良かったかも知れないな」

 半天である親がちゃんと保護しないと、翼の無い王女達は、偏見と言う悪意に晒されて、生きていけなかったのだろう。

 大神官の女性に優しくと言う教育方針も、彼らの人間性に大きく訴えかけた。

 結果、国王も王太子も、ユーリアを守ろうと必死になり、ユーリアは生きている。

 もう王家に王女が生まれても、死なせる事は無い。悲劇の連鎖は終わったのだ。

「これから、どうするつもりだ?」

 王太子はユーリアに目を向ける。バルトーの方をあえて見ない。

 ユーリアは兄が自分の意思で答える事を期待しているのを悟って、少し緊張して言った。

「私、旅に出ます。もっと色々な事を知りたいの」

 ただ、言われるからそうするのでは無く、自分の意思でそう言える。何て素晴らしい事なのだろう。

 ユーリアはまだ緊張していたが、頬を赤くして笑顔で告げた。

「バルトーと一緒だから大丈夫。心配しないで」

 感極まって涙する王妃の肩に、国王がそっと手を載せ、王太子は苦笑した。

「強くなったものだ。俺も神託に頼ったかいがあった」

「お兄様!大好き」

 ユーリアが飛びつき、王太子はそれを驚いて抱きとめる。そして、そっと抱きしめた。

「いつでも帰って来い。父上がくたばっても、俺はここに居るから」

「はい!」

「おい、まだ殺すな!」

 国王の突っ込みを無視して、王太子はバルトーの方を見た。

「お前には世話をかけた。巻き込んだ形になったが、謝るつもりはない。……くれてやる」

「遠慮なく、いただきます」

 二人は、にやぁっと笑った。

 自分は物じゃないのに……とユーリアは少し思ったけれど、口を出さない事にした。

 ぼんやりと二人の頭にクラウンぽいものが見えた気がしたからだ。

 しかし、それもすぐに消えて、バルトーは膝を折った。

「王女殿下を、生涯かけて護衛させていただきます」

「その言葉、絶対に違えるなよ」

 バルトーは深々と頭を下げる。

「もう、ユーリアの魂は普通の人間より少し聖性が高い程度の輝きになっている。もう、半魔に狙われる事はあるまい。幸せになるんだよ」

 国王が笑顔で言うと、ユーリアは国王と王妃にも抱きついた。

「ユーリア……本当はもっと一緒に居てあげたかった」

 王妃が泣きながら言うので、ユーリアも少し泣きそうになってしまった。

「泣かないで。手紙を書くから」

 王妃は泣きながら笑顔で頷く。言葉が出ないのだろう。

 二人は、夕食を一緒に食べて、元々ユーリアが使っていた部屋と、その隣の部屋に泊まる事になった。

 二部屋あるが、片方の部屋が未使用でも大丈夫だと、国王が爽やかな笑顔で言うので、ユーリアは真っ赤になったし、バルトーはお茶を吹いた。

「人間の父親は、普通、娘を他の男に取られるのは嫌なものなのにな」

 部屋に着いて、バルトーは開口一番そう言った。ユーリアはよく分からないが、そう言うものらしい。

「お兄様はちょっと嫌そうにしていたわね」

「やはり、大神官の情操教育は進化しているんだな。王族は、人間に近い感情を持っていく様になるんだろう」

 バルトーの言葉にユーリアは笑顔になる。王女達は愛されて育てられるのだ。皆幸せになれると思うと胸が一杯になった。

 ユーリアは、部屋のランプや燭台に持ってきた蝋燭から火を移す。

 ぼんやりと明るくなった部屋をバルトーが見回す。

 ただベッドと机、椅子があるだけの殺風景な部屋だった。

 ユーリアは、苦笑する。

「何も無いでしょ?私、何にも興味を示さなかったの」

 王妃が縫った人形も、色あせて気づいたら無くなっていた。王太子が剣の稽古をしていても、ただ見ているだけだった。

「私が話したり、動くだけで、何か起こる。そう思っていた時期が長くあったの。だから、ただ本を読んで、教えられる事を身に着けるだけで、後は、ずっとこの椅子に座って外を見ていたわ」

 黒い霧の発生を、ユーリアは自分の行動のせいだと思い込んでいた。

 ただ、息を潜めて静かにしている事でしか、逃れられない災厄と認識していたのだ。

 両親や兄のクラウンが真っ黒になって襲って来る悪夢も何度か見た。

「私だけが違う。……それがとても辛かった」

 バルトーは、ユーリアをそっと抱きしめた。

 まるで、もう大丈夫だと伝えてくれている様で、ユーリアはその胸に頬をすり寄せた。

 言葉は無かった。それだけで二人には十分だったのだ。

 翌日、騎士団の詰所に行き、団長や騎士達を紹介された。

 聖婚と言う話がクロウから行っていたらしく、二人は祝われて、楽しく食事を共にした。アルフレドの大声が響くまで。

「王宮騎士を辞めるだと!」

 皆一様に動きを止めて、バルトーの方を向く。その顔は皆驚きを隠せない。

 ユーリアは、仲間である彼らから、バルトーを奪ってしまうと言う現実を改めて思い知った。

「俺の意思です。外国へ出て旅をしたいと思いまして」

「新婚旅行か?」

 団長と紹介された騎士が、重々しく言う。

「いいえ。こちらには、あまり帰ってこないと思います」

 周囲がざわつく。

「俺はどうすればいいんだよ!ずっと書類に埋もれて、筋力、落ちちゃうよ」

 たれ目で優しそうだが十分マッチョな騎士が泣きそうになりながら言った。

「泣かないで下さいカイルさん。書類はみんなでやってください」

 バルトーが周囲を見回すと、皆一様に視線を逸らす。

「陛下には、来年から王宮騎士は推薦以外に筆記試験も設ける様にお願いしました。書類の処理の出来る新人がこれから入って来るので、大事にしてください」

 おお!と言う声が周囲に響く。

「でも、推薦されている騎士を試験で落とすのは、どうかと思うぞ」

 クロウの言葉にバルトーはにやっと笑う。

「実力主義の国ですから、王宮騎士には知性も兼ね備えてもらわないと困ると言う事です。……皆さん後輩に抜かれない様に頑張ってくださいね」

 その言葉で皆一様にビクっとする。

 頭が良くて、王宮騎士に向いた騎士がどんどん入ってくれば、脳筋騎士は引退を強制される事になる。

 つまり、来年以降来る騎士に対抗するには、現役の騎士は今のままではまずい事になる。

「とんでもない置き土産だな」

 アルフレドの言葉にバルトーはすまして答えた。

「時代は変わっていくものです。ずっと同じって訳にはいかないんですよ」

 バルトーは本当に副団長だったのだと、ユーリアは今更ながら思った。

 バルトーはきっと王宮騎士団の将来を考えて、国王に提案したのだ。王宮騎士の筆記試験について。

 国王はその提案をすぐに議会にかける事を約束してくれた。多分、可決されるだろう。

 騎士団の詰所を後にして、図書館に戻る道すがら、ユーリアはバルトーを見上げた。

「ねえ、本当は騎士団に残りたい?」

「何でそうなるんだよ」

「……だって」

 ユーリアには友達や仲間が居ない。だから、離れてしまう辛さを察する事しか出来ない。

「離れても仲間は仲間だ。それに、汗臭い男共と居るよりも、可愛い彼女と一緒に居る方がいい」

「そうなの?」

「そうだって、俺も最近知った」

 バルトーがそう言って笑う。

 バルトーは最近よく笑う。笑って欲しいと思っていた頃は全然笑った事が無いのに。

「それよりも、どうだった?」

 バルトーのいきなりの問いにユーリアは目を丸くする。聞いているのは、今日の騎士団での食事の事だ。

「ちょっと、人が多くて驚いたけど……怖くなかった」

 ユーリアは正直な感想を口にする。

 楽しいと言うには、まだ時間がかかりそうだが、怖くないから緊張もすぐにしなくなった。初めてにしては上出来だと自分では思っていたのだが。

「それなら、良かった」

 バルトーもそれ以上は何も言わなかった。

 そして数日が過ぎた。

 バルトーとユーリアは、一応役職を持っているから、辞めるにも手続きが必要だ。

 書類を書けば退職金も出るし、他にも貸与されている物を返したりと色々な事をしなくてはならなかった。

 その手続きが行われている間、バルトーはユーリアを連れて城や詰所、王宮内をうろうろし、色々な人に会わせた。その間に、大神官であるロルフに会う手続きをしたりした。

 バルトーは、町にユーリアを連れて行こうとしたが、国王に止められた。ムシュラムがまた現れたらすぐに助けられないからと。

 能力はまだ未知の部分が多いから、心配されても仕方ないとユーリアは思ったのだが、バルトーは少し不満そうだった。

 すぐに会えると思っていた大神官は、実際にはとても多忙な人で、実際にユーリアが会うのは少し先延ばしになってしまった。

 バルトーが無神経と言い、王太子が友達だと言っていた人だ。当然、興味がある。

「色々知っているけれど、一度も会えていない人なんて初めて」

「今まで会った中では、一番不思議な人だよ」

 バルトーはしみじみと言う。

 馬車で街中を移動して、大神殿にやって来ると、入り口で挨拶に出て来た神官に、大神官に会いに来た事を告げ、王太子の紹介状を手渡す。

 二人が招き入れられた大神殿の中には、大勢の人が居た。

 相談をする市民、祈りを捧げる神官、結婚を誓いに来たであろう男女……。

「想像以上に賑やかな所ね」

「俺も知らなかった。……これで何で貧乏なんだか」

 目の前を歩く神官も、やせ気味で、フラフラしている。ユーリアはちゃんと食べているのか心配になってしまった。

「すいません」

 ユーリアは神官に声を掛ける。

「はい?」

「何でそんなに疲れているんですか?」

 直球の質問にバルトーは目をむいたが、ユーリアは気づいていない。

「ごはん、食べてますか?」

 ユーリアの心配に気づいて、神官は納得した様子でうっすら笑った。

「食べています。人並み以上に。けれど、私達の栄養は殆ど神の元に去ってしまうのです」

「え!」

 ユーリアもバルトーも思わず声が出る。

「神託を扱う代償です。人の相談に自分の経験ではなく、神の知恵を借りて対応するのですから、当たり前です」

「それは知りませんでした。……ぶしつけな質問をいたしました」

 ユーリアが謝ると、神官は恐縮する。

「いえいえ、よく聞かれるのですよ。神官の修行をする者は皆、その事を理解した上で神官になりますのでご心配無く」

 何て酷い職業なんだ。どうしてそんな職に就くのかと、ユーリアは内心思う。

 神様の力を借りると言うのは、それ程の事なのだろうが、ガリガリになるまで栄養を搾り取るって……。

 神官は、更に食費がかさむせいで神殿の家計はいつも火の車だと軽い雑談の様な調子で言っていた。

 いくら大勢が寄進しても、それらは全て食べ物になって消えていく。食べて祈っての繰り返しで、彼らはああなってしまったのだ。

「むごい」

 神官に案内された一室に入ってから、神官が去るとバルトーは呟いた。

「うん」

神様のせいで貧乏だとか、栄養失調だとか、本当にいいのだろうか?

「神様って一体……」

 ユーリアがそう言うと、奥の扉からビン底眼鏡にボサボサ頭の男が出て来た。

「あはは、お待たせしました」

 ロルフは血色の悪いひょろひょろの姿をしている。さっき話を聞いていなかったら、驚いていただろう。聞いていると逆に大神官らしく見えるから、認識とは恐ろしいものだと思う。

「お初にお目にかかります。ユーリア様。大神官のロルフ・リュードと申します」

「始めまして大神官、ユーリアでございます」

 ユーリアは、殆ど使った事が無かった王宮式の挨拶をする。

 それを見たロルフが慌てて言う。

「かしこまらなくて結構ですよ」

「そうですか?」

「ええ。僕は普通が好きです」

 とは言え、大神官なので、敬語は使おうと思う。

 バルトーとユーリアが並んで座り、向かい側にロルフが座る。

「神が栄養を持っていくって、どういう事ですか?」

 バルトーが真っ先にロルフに聞いたのはそれだった。ユーリアも正直、気になる。

 手紙を書いて状況は説明してあるので、まずはそっちが聞きたくなったらしい。

 ロルフは特に気にしていない様子でさらっと答える。

「神託を扱う代償ですよ」

「その話は聞きました。あなた達に利益は何かあるのですか?」

 バルトーが続ける。

「半天が神よりも信奉の対象として大きいこの国で、神の信仰を守り、尚且つそんな代償を払うのは、不自然です」

 ロルフは苦笑する。

「そう思って当たり前ですよね。あなた達だからお話しますが……僕達は皆、天啓を受けて神官になっています」

「天啓……」

「人間が天啓を受ければ、当然神が存在し、半天よりも上の存在が居る事を強く認識してしまいます。だから我々神官にとって、半天は信仰の対象にならないのです。神の命令に逆らえる人間ってそうは居ませんよ」

 ロルフが王太子の友人をしていられる理由はその辺りにあったのだ。バルトーにも聞いた半天の情操教育と言うのも、平気でやってのけて当然になる。

 しかし、ユーリアはまだ疑問に思う。だから、それを口にした。

「天啓じゃなくて、夢だって思わないのですか?」

「体が光っていましたし……あんな明るくて酷い夢、何度も見たいとは思いません」

「そうですね」

 天啓を受けた者同士でしか分かり合えない感情を三人は共有する。

 神様の天啓は、どんな過酷な話も、明るくさらっと告げられる。効果音付きだし。

「僕は、餓死しないから大丈夫って言われましたよ……」

 うわぁ、言いそう。

 ユーリアはロルフに同情した。バルトーも渋い顔をしている。

「人間にも天啓って降りるんですね。てっきり人間には降りないものだと思っていました」

 バルトーがぽつりと言う。

「まぁ、神託を扱う者に選ばれた時点で人から外れているんでしょうね。皆、弱っている割には、病気もしないし、結構長生きです。こういう状態に耐えられる者が選ばれているか、選ばれたらこうなってしまうのか、分かりませんが」

 空腹にめげない鋼鉄の精神と飢餓に耐える上部な肉体……確かにちょっと人から外れている気もする。

「悪い事ばかりじゃありません。良い事もあるんです。僕も含めて神官は餓死しないと約束されていますし、いくら食べても太りません。豊かな時はおいしい物を一杯食べられるし、飢饉になったら、食事抜きでも死にません」

 微妙な恩恵。っていうか恩恵?

 ユーリアもバルトーも複雑な表情になる。

「将来、エスライン王国の王族は半天としての能力を神の元へ返すでしょう」

 それはどういう意味だろう。

「地上で半天の能力が必要だから、残されているだけで、目的を果たせば彼らの能力は不必要です」

「そう簡単に消せるものですか?」

 半天の能力の継承は人のそれよりも遥かに強い。必ず翼と鋼の様な肉体を持って生まれる王家の男児を思い出す。国王や王太子が普通の人になるなど、想像できない。

 しかし、ロルフはそれを否定した。

「多分、簡単だと思います。呆気ない程一瞬で事は終わると思います。神は役目を終えるまで、半天の能力を失わない様にしているだけです。一つの役目は聖女の排出。もう一つは、以前地上に降りていた天使絡みです」

「どうしてそこまで分かるのですか?」

 驚いて聞くと、ロルフはちょっと悪い顔で笑った。

「僕達が祈りを他所の人にばかり使っていると思ったら大間違いですよ。僕達にも知りたい事や悩みがあります。人並みに供物を用意すれば、神は答えてくださいますから、自分達にも利用しますよ。ええ」

 この人、半天の秘密を神様に吐かせてるよ!ユーリアは呆れてロルフを見た。

「脳筋が理解できないなら、誰かが理解する必要があるでしょう?いつまでも、あんな怪物を地上にのさばらせてはいけません」

 怪物って……一族出身なのですが。ユーリアは苦笑する。

「半天が居なくなるって言いましたよね?その後は神殿はどうなるのですか?」

「どうもしません。我々は一貫して神の信奉者で、人と神を繫ぐ者です」

 神殿と言うのは、そう言う場所だったのかと改めて認識する。

「世界は広いです。信奉に国境はありません。エスライン神殿は世界征服しますよ」

 野心のある神官とか、どうかと思う。飢えても死なない体、神の声を聞く祈りがあれば、本当に出来てしまいそうで怖い。

「まぁ、そういう訳で神殿の話はこんなもので、あなた達の話をお聞きしてもいいですか?」

 バルトーとユーリアは、二人がどういう状態なのか手紙で話していたが、改めて話した。

 この人の助言が一番的確だと、バルトーは思っている。今はユーリアもそう思う。

「神は聖女の弱点を克服したのでしょう」

「弱点?」

「聖性の高い魂が地上に存在すると、魔界からは、輝いて星の様に見えるそうです。人間の魂と混ぜてしまえば、少し聖性が高い程度、判別できないでしょうね」

「でも、それって今後生まれる王女には適応できないですよね?」

「そうですね。その分、半天の魂に紛れて過ごせるから大丈夫でしょう。あなたの経験を生かして、うまく勇者と出会うまでは安全に居られる筈です」

「それじゃあ、前と変わらないのではありませんか?」

 バルトーが反論する。

「聖女は勇者に出会う前に狙われた訳でしょう?半天が居なくなったら、聖女は居なくなってしまいます」

「そんな事はありませんよ」

 ロルフはにこにこしてバルトーを見た。

「あなた達の子供は、きっと素晴らしい性質を持って生まれてくるでしょう」

 ユーリアは真っ赤になってバルトーを見ると、バルトーも耳まで真っ赤になっていた。

「どうとは言えませんが、聖者と勇者の両方を兼ね備えているとか、聖者だけれど上手に魂を悪魔から隠せるとか、何かある筈です」

 子供とかいきなり言われても、考えられない。

「ユーリア様、天使の魂は人の魂と溶け合いません。あなたの魂は天使のものではなくて、人として聖性を帯びていたのです」

「じゃあ、私は人ですか?」

「ええ、魂の在り方は地上の生物です。半天ではありません。半天の元に生まれたのは、悪魔から隠して育てる為でしょう。王族とは他人です。脳筋じゃなくて良かったですね」

 事実なのだろうが、ちょっと悲しい。

「もう少し、言葉に気を付けてください。大神官」

 バルトーが低い声で告げると、ロルフはあはははと笑って誤魔化した。

「とにかく、これからの王女やユーリア様の子孫は、以前の聖者とは全くの別物です。安心してください」

 格安で神託を承るので、困ったら手紙をくれと言われ、バルトーが即答で拒否していた。

 きっと、神託でもユーリア達の事は教えてくれないだろう。

 何となく、神様にだって分からないのだと思う。

 もしかしたら、未来の王女達の勇者選びでさえ、ユーリア達の生き方次第では変わってしまう事も考えられた。

「どうしてわざわざ聖女や勇者を地上に遣わすのでしょうね」

 ユーリアは疑問を口にした。

「それは、神や天使が、なかなか人の心に寄り添えないからでしょうね」

 ロルフは続ける。

「神殿の伝承にあるのですが、神の世界の時間の流れはとてもゆっくりで、地上世界の出来事は瞬く間に終わってしまうそうです。そんな中、人々は様々な事を思って生きて死んでいきます。ちょっとよそ見している内に悪魔に浸食されていた……なんて事が無い様にしたいのでしょう」

「神の下僕になったつもりは無いですよ。自分達の人生第一ですから」

 バルトーの言葉にロルフは笑う。

「別にいいと思いますよ。きっと、殺意を見ていながら放って置ける様な人物は勇者にも聖者にも成れないでしょうから。あなた達はきっと放っておけずに首を突っ込むでしょうね」

「まるで、私達が、他の人に向けられている殺意まで、全部見えるみたいな言い方ですね」

「そうだと思いますよ。二人は同じ殺意を見た訳でしょう?ユーリア様に殺意を持っている人の殺意がバルトーに見えて、破壊できた訳だから、間違いないと思いますが」

「それは魂を分けているからではありませんか?」

「そんな自分にだけ有利な力、神がお与えになると思いますか?まぁ、街に出たら分かりますよ。僕の言葉より、その目で確かめた方が早そうだし」

「昔の聖者って自分の事だけで十分だったのでは?」

「ユーリア様は、半天じゃなくて人の聖女だと言ったでしょう?昔の半天聖者は、魂の輝きで、嫌でも半魔を集めていたからそれで良かったのです。しかし、あなたはそれが出来ない」

 確かにその通りだ。半魔からは見つけてくれない。そうしたのは神だ。

 このままでは半魔が暗躍する世界は変わらない。聖者と勇者の存在意義が無くなってしまう。

「だったら、半魔だろうが人間だろうが、とりあえず自分から殺意に突っ込んでいくしか無い訳です。まぁ突っ込むでしょうね。心配はしていませんよ」

 バルトーが、なんだよそれ、と呟いて項垂れる。

 確かに放って置けば、誰か殺されるかも知れないのだ。

 ユーリアは、きっと見て見ぬふりなど出来ないし、バルトーもそれは同じだ。

「そう言う訳で、どう思おうが、僕達神官と、あなた達は、地上における神の下僕です。似た者同士と言う事で、今後も仲良くしてくださいね。お手紙、待ってます」

 面会は、とても残念な言葉で締めくくられた。

 王宮に戻り、歩きながら周囲を見渡す。

 もう、ユーリアは王宮内の事は大体把握しているし、騎士達とは挨拶する程度の間柄になった。ささやかな幸せを味わっていた訳だが、ロルフとの対話によって、いきなり色々と突き付けられた。

「良い人だと思うけど……遠慮の無い人だよね。……ちょっと厳しい」

 ユーリアは率直な感想を述べる。

「そうだな……悪意じゃなく善意なのが問題だな。無知の怖さをあの人は良く知っているのだろう。だから、知っている事はどんな残酷な事でも教えようとしてしまうんだろうな」

「無知の怖さ……」

「俺の名前が出た神託についても、分からなくて怖かったみたいだし。神託って言うのは、そう言う気持ちで向き合っていないとやっていられないんだと思う」

 ユーリアは、知るのが怖かった。だから心を閉ざした。

 しかし、人々が知りたい事を何でも神に尋ねる神託を扱う者に、それは許されない。質問の内容を神官が知らないと言うのも、彼らの精神衛生上の問題を配慮しての事なのだろう。

 そして大神官クラスにもなると、秘匿すべき秘密を多く抱えている。それだけで十分に精神を圧迫している。だから、好奇心を優先させて、人の気持ちに鈍感にならなくてはやっていられないのだろう。

 半天よりも存在が近いと言っていた神官達が、そうやって気持ちの落としどころを見つけている以上、自分達もこの力と折り合いを付ける方法を見つけなくてはならない。

 いつか生まれるであろう、子供の為にも。

 それは、バルトーと一緒に見つけていけばいいのだと思うと、安心出来た。


 ユーリアとバルトーが二人そろって王宮を出たのは、ユーリアが意識を取り戻した日から三か月が経過した頃だった。

 無表情だったユーリアの明るい表情を見て、家族が明らかに手放す事に難色を示しだしたのだ。

 バルトーからしてみれば、彼らはずるい。

 何年もの歳月があったのに、彼女の心に誰も寄り添えなかったのに、家族だから一緒に暮らしたいだなんて。

「まぁ、天使と言うのは往々にして強欲ですから、我慢してください。人間の部分ともうまく折り合いが付いていませんしね」

 ロルフはそう言ったが、王妃まで一緒になって引き留めるから、酷いと思うのだ。

 脳筋な国王達以上に王妃は言葉巧みにユーリアを引き留める。その言い分が母親らし過ぎて、こちらとしても黙らざるを得ない。

 ドレスだの、アクセサリーだの、料理だの……いい加減にしてくれと言うのが本音だ。

 さすがに無職のまま、王宮で何か月も客扱いは、辛過ぎる。その事を言えば、きっと王宮騎士に戻されてしまう。だから言えない。

 ユーリアは外に出なくてはならないのだ。このままここで過ごしていたら、ユーリアは絶対にダメになってしまう。

「ユーリア、王宮を出よう」

 バルトーはある夜、はっきりとユーリアに切り出した。

「陛下達はいいだろうけれど、俺の機嫌はかなり悪いよ」

 ユーリアははっとしてバルトーを見る。見たのは目ではなくて頭の上。

 彼女の悪い癖だ。すぐに目が合わない。

 多分、不機嫌とか残念程度の感情は見えない。バルトーのクラウンは見えない筈だ。相手の様子を見るなら、顔を見る方が手っ取り早い事がまだ浸透していないのだ。

「ねえ、ユーリア。もうクラウンを気にするのは止めないか?」

 すぐにどうにかするのは無理だと分かっている。けれど、ここに居ても、きっとこの状態からは抜け出せない。

 ここに留まって癒える傷ならとっくに治っている。もう限界なのだ。

 幼少期の辛い記憶を書き換える程の楽しい経験を積み重ねて、辛さを薄めていくしかない。

「頭の上を見る癖……良くないよね。バルトーに出会ってから気づいた」

 それは心当たりがある。出会った頃は不気味だった彼女の視線が、頭上を彷徨う事が少なくなっていったから。

「でもね、不安になると目が行ってしまうの」

「うん、すぐに治らなくても構わない。ゆっくり治そう。でも、ここじゃ治らない」

 もう待てるだけ待った。だからバルトーは正直に告げる。

 ユーリアは目を潤ませている。辛い決断を迫っている自覚はある。

「俺としても、君がここに居る事で幸せになれるなら、それも良いかと思ったよ。君に死ねと言われた後、勇者に成れたら、君を置いて行く気だったのは、それもあってだから」

 今度こそ、潤んだ瞳がバルトーの目を見た。

「でも、今はそれじゃダメだって分かってる。……ここは、俺と君が生きていく場所じゃない」

 ユーリアの頬を涙が伝い落ちていく。

「ここは君にとって揺り籠の様な場所だ。出るべきだ。家族はそれで良くても、俺と一緒に生きるなら、赤ん坊のままじゃダメなんだよ」

 バルトーはユーリアと対等で居たかったから、あえて厳しい言葉を選んだ。

「私も分かってた。今度は、私が産み育てる番なんだって……」

「授かりものだから、いつとは言えないが、将来はそうなる」

 やる事はやっている。今出来てもおかしくないのだ。バルトーはそれに恐れは抱いていない。むしろ嬉しい。

 ユーリアは涙をぬぐいながら言った。

「うん。母親になれたら、いいなって思う。でもね……男の人は育児をしないってお母様が言うの。だから、今の内に娘らしい事をしておいて、母親になる準備もするべきだって。きっと私は、子育てでボロボロになってしまうからって」

 バルトーは真っ青になって絶句した。

 王妃が必死でユーリアを引き留めた理由の本質を目の当たりにして、息をするのも忘れそうだった。

 そうだ。子供は作ったら育てないといけないんだった……。

「ここに戻って来て産んでもいいけれど、きっと引き留められて王宮から何年も出られなくなる。だから外で産む覚悟をしなさいって」

 王妃様ありがとうございます。俺が馬鹿でした。

 半天だけでなく、人間でもエスライン王国では、男性は育児を女性任せにする傾向がある。

 バルトーの父親は医者だったから、女性の出産の補助も、赤ん坊の世話もしていたが、そんな男性の方が稀だ。

 普通、女性達は近所の人や祖母などの手を借りて育児を行う。母親が仕事を持っている場合、職場で子供達が集められて、仕事の合間に交代で子供を世話する。

 しかし、旅をするであろう二人の子供は、二人で面倒を見なくてはならないのだ。

 きっと半天の嫁として王宮にあがり、子供を可愛がるだけで世話しない夫、妹と言う存在をなかなか理解できない息子、人に預けられない娘を持った王妃は、さぞや苦労したのだろう。

「ごめんなさい。全然考えていませんでした」

 バルトーは素直に謝って、頭を下げる。

「いいの。そういう所は、男の人が考えないから、女が考えるんだって」

「いやいや、俺達の場合は、俺も考えないとダメだ」

 バルトーは慌ててユーリアの手を握る。涙で湿った小さな手がそっと握り返してくる。

「絶対に俺も一緒に育てるから。俺を頼って」

「分かった。だったら、一緒に王宮を出ましょう」

 自分にも学ぶべき未知の分野が発生した。

 バルトーは、絶対に育児をする男になろうと決意した。

 二人は、あえて大神殿に移動して、そこから町に降りた。

 国王や王太子の許可が出るのを待っていたら永遠に王宮を出られない気がしたので、ユーリアを通じて王妃に伝えた所、ロルフを訪ねるのを装って、そのまま出ていく様に指示された。

 王妃としては、早く将来的な不安にバルトーに気づいて欲しかったので、ユーリアに色々言ったらしいが、ユーリアが黙っていたのだ。

 言ったら、子供が出来るのを恐れて、イチャイチャしてくれなくなるかも知れないからと言う、鼻血ものの理由だった。

「手紙、下さいね」

 そう言いながら渡されたのは、旅支度された背負い袋だった。バルトーは礼を言って受け取る。

 ロルフはいつも通りの対応だった。泣きながら見送られるのは正直嫌だったので、良かったと思う。

 王司書と元副団長として大々的に結婚式を、とか色々言われたせいで、まだ結婚もしていない。何度もひっそりしていたいと言うのに、国王や王太子が聞き入れてくれなかったのだ。

 勇者や聖女の秘密は神の命令で秘匿するのに、娘や妹としてのユーリアは祝いたい、と言う心理の生み出す酷い要求だった。

 しかも、彼らは遠慮をしない。脳筋のせいなのか半天のせいなのか不明だが、とにかく押しが強いのだ。半天信仰のせいでゴリ押しが通ってきているせいだ。

 そう言う事情もあって、王国の国境付近の神殿で挙式する事にした。大神殿で式を挙げたら、国王達にすぐにばれてしまう。

 彼らは飛べる。追いつかれて連れ戻されて、絶対に大規模な結婚式を挙げさせられて、生涯王宮で飼い殺しにされる。それだけは避けたい。

 混雑する神殿を抜けて、二人で馬車に乗らずに往来に出る。

 大神殿へ続く参道を逆行して、神殿の敷地を出て、人込みにぶつかる。

 行きかう人、馬車、色々な音。

「これが……外」

 ユーリアがぽつりと言う。

 王都の城下町だから、多分、どこの国よりも人の居る街並みだろう。喧噪に圧倒されてユーリアは茫然としている。

 とりあえず、待つ事にする。

 黒い霧は見渡す限り見えない。皆明るい表情で活気に満ちている。幸先が良い。

 ユーリアがあまりに長く茫然としているので、バルトーは促した。

「行こう」

 ユーリアは我に返って頷いた。

 露店を見たり、食事をしたりしながら、ゆっくりと町を移動する。

 ユーリアは目を丸くして色々訊いて来る。バルトーはそれに笑顔で応じる。

 人が大勢いるのに、彼らに注目しない事が、ユーリアにとっては何よりも新鮮だったらしく、嬉しそうに何度も訊かれた。

「私、目立ってないよね?普通?」

 バルトーは、ただ笑って頷く。可愛いからユーリアを見ている男は何人も居るが、全然気づいていないので、あえて触れない。

「嫌な感情で動いている人、そんなに居ないんだね」

 ユーリアの言葉に、バルトーも同じ感想を抱いた。たまに黒っぽいクラウンは見たけれど、黒い霧は全く見なかった。

 あまり遅くならない内に王都を離れたいので、バルトーは乗合馬車の予約を入れる。これで夜には隣町まで行ける。

 夜に到着なので、隣町の宿屋の食事と宿泊も一緒になっている。今日は何の日でも無いので、空いていて、とてもお得で便利だった。

「凄いのね」

 ユーリアが感心しているので、バルトーは言う。

「こういう旅が出来るのは、エスライン王国内だけだ。外は、舗装も馬車も無い荒地だって多い。……でも、行こう」

「うん」

「外国の言葉は多少話せるけれど、俺は読み書きが出来ない。君に頼る事になる」

「任せて。そういうのは得意」

 バルトーとユーリアは、手を繫いで馬車に向かった。

 そして夜、隣町に到着して馬車を降りた。

 馬車には、バルトーとユーリア、後は老人と孫と言う四人以外乗っていなかった。

 老人達は、この町に家があって、王都に買い物に出ていたと言っていた。

 ユーリアと十歳くらいの子供が、老人のくれた飴を同じタイミングで頬の左右に移動させてもごもごしている様子は、バルトーのツボにはまって、暫く笑いが止まらなかった。

 老人達と別れて歩き出すと、すぐにバルトーは背後振り返った。ユーリアも気づいて振り向く。

 夜よりも暗い闇が、じわじわと大きくなってくる。誰かが巨大な黒い霧と共にこちらにやって来るのだ。

「何故だ」

 黒い霧に覆われた人物は、二人を見て叫ぶ。

「何故、その様に薄汚い魂に成り果てた!答えろ、ユーリア」

「ムシュラム……」

 ムシュラムは、初めて会った時よりも汚い衣服を着ていて、怪我をしていた。

 半魔が怪我をすると言う事は、半天である国王か王太子が、何かをしたのだろう。もしかしたら、国王が町に降りる許可を出さなかったのは、この男に関係していたのかも知れない。

「ヴィーナの美しい容姿と、美しい魂が揃っていてこそ、生贄に相応しいと言うのに」

 ヴィーナとは、王妃の名前だ。

「お母さまは、元のあなたに戻って欲しいと言っていたわ。あなたは優しい人だったって」

 ユーリアはどちらかと言うと同情した様子でムシュラムを見ている。

 半魔の生まれる仕組みについては、ロルフから聞く事になった。

 半魔は、生まれつきのものではなく、強い憎しみに囚われた者に悪魔が力を与える契約をする事で生まれるのだそうだ。

 狙われるのは理性的で、本来憎悪と無縁だった者だと言う。安易に悪感情を抱く様な者は、与えられた力に飲み込まれて人の姿を保てないからだとか。

 ムシュラム・エルハントと言う人物は、外国からの移民で、王妃の家の近くに居を構えていた。

 両親に学は無く、大変貧しい生活をしていた為、両親はやがて病気で亡くなり、ムシュラムは孤児となったが、王妃の家族が引き取って、王妃と共に育てた。

 ムシュラムは外国語も堪能と言う事もあって、王都でも有数の宿屋の受付や案内をしていた。王妃はその宿屋でウェイトレスをしていた。

 幼馴染同時、いつか結婚を約束していたが、そこに若き日の国王が現れた。

 当時、王太子だった国王、ルディスは気まぐれで降りた王都で休憩の為に宿に入り、ムシュラムに最初出会った。

 驚き慌てふためく他の者達と違い、半天に対してムシュラムは平然と対応をしたと言う。

 それが気に入って、ルディスはこの宿に頻繁にやって来るようになった。ルディスにとって、彼は友人だったのだ。ムシュラムも、ルディスを少し変わった友人として受け入れたのだ。

 しかし、そこで悲劇が起こってしまった。

 ムシュラムは、ルディスにヴィーナを紹介してしまったのだ。

 まさか、自分の恋人に王族が一目ぼれするとは思っていなかったのだろう。

 その後は酷かったと言う。ルディスは宿よりも高い給金で、ヴィーナを王宮の侍女に雇ってしまった。

 ヴィーナの両親とムシュラムの住む家に帰って来たのも最初だけで、やがて全く帰って来なくなった。

 ムシュラムは、自分の恋人だと、結婚の予定もあったのだと何度も抗議をしたけれど、半天信仰の強い王宮では、彼の声は届かない。

 そうこうしている内に、一年が経過して、ヴィーナは前の大神官と共に家に突然帰って来た。

 ヴィーナは、ルディスと結婚する。ムシュラムとは結婚出来ないと言う事を告げに。

 大神官は、半天の結婚は一生に一度のもので、ヴィーナを愛してしまったルディスを放置すれば、彼は一生結婚出来ず、そのまま王家が途絶えてしまうと訴えた。

 実際、ルディスの叔父、当時の王の弟は、結婚予定だった相手を病気で亡くした為に生涯独身だった。他の傍系も子孫が生まれず途絶えていた為、王家は断絶の危機だったのだ。

 国の存亡にも関わるとまで言われたら、もう受け入れるしかなかった。

 それでも、ヴィーナの両親が亡くなるまで、ムシュラムは普通だった。彼らの息子として良く働き、彼らの面倒を見ていたらしい。……その後の事は、誰にも分からない。

「俺が優しいのはヴィーナにだけだ!」

 ムシュラムの血を吐く様な叫びに、心が痛む。国王のした事は、権力を傘に来た略奪である。

 しかし、国王はそれを罪だと感じていない。しかもムシュラムをまだ友人だと思っている。

 ユーリアも色々言ったそうだが、全く理解してくれなかったと言う。

 あんまりだと思ったが、半天は人の姿をしていても、化け物なのだとでも思って接しないとダメだとロルフは言った。ムシュラムは、ルディスを人間として扱った。それが間違いだったのだとまで言う。

 歴代の大神官も、恋愛関係の感情改善は全くできていない。だから、友達感覚で婚約者を紹介したのがいけないのだと。

 知らなかったのだから仕方ないと言う考え方をロルフはしないから、バルトーはもう何も言わなかった。

 そんな横暴に彼は一時でも耐えた。王妃の両親の為に。だからこそ、強い憎しみの果て、半天に匹敵する半魔に成ってしまった。

 真黒な霧が周囲を漂っている。

「あんたは悪くない」

 バルトーは剣を抜いて、ムシュラムの方に向ける。

 言葉と裏腹の行動をするバルトーに、ユーリアは目を見張る。

「苦しいよな。今助けてやるよ」

 バルトーはムシュラムに向かって剣を振り下ろした。


 何処に居ても、時は流れていく。全ての人に平等に。

「ロッソさん!」

 宿泊している宿の男がバルトーを見て駆け寄って来る。

 バルトーは、背中に赤ん坊を背負い歩いていた。

 声に気づくと、不機嫌そうに小声で言った。

「今寝た所なんだ。大声はやめてくれ」

 背中の赤ん坊がスースー眠っている。

 男はああ、と言う表情になると、小声で続けた。

「果し合いがあっちで始まって……助けてくれませんか?」

「果し合い?」

 男の話では、ゴロツキ同士の抗争の末、首領が果し合いをする事になったらしい。

「町長がうまく行ったら報酬を払うって言っています。片方の首領、町長の孫なんですよ」

「分かった。行く」

 後ろから、五歳くらいの男の子と手を繫いだユーリアがやって来る。

「どうしたの?」

「果し合いだそうだ。行くぞ」

 ユーリアは特に驚きもしないで手を繫いだ男の子を見た。

「アルカ、お母さんの側を離れないでね」

「うん」

 二人の第一子、息子のアルカは、幼い為か、まだ黒い霧を跳ね返す力が弱い。だから、黒いクラウンが見える場所では、ユーリアかバルトーの側に居なくてはならない。

「ミルルは?預かろうか?」

「いや、大丈夫。さっき寝た所だから、背負っていくよ」

 二人目の子供は女の子で、ミルルと名付けた。生まれて半年が経過し、首もしっかり座ったので、ようやく背負える様になった。

「分かった」

 黒い霧に関して、バルトーの側程安全な場所は無いので、ユーリアは素直に頷く。

 一家は、果し合いのあると言う場所に行くと、すぐに人だかりに出食わす。

「お母さん」

 アルカが指さす方には、黒いクラウンが幾つも見える。

「そうね。でも指を指してはダメよ」

「はぁい」

 呑気な母と子の会話を聞きながら、バルトーは腰の剣をすらりを抜いた。

 そして、ドスの聞いた声で一言告げる。

「道を開けろ」

 物騒な人間の登場で、人垣が一気に割れる。

 その先には、黒い霧を発生させた二つのクラウンが見えた。

 睨み合っている若い男達の方へバルトーは迷わず歩いていく。ユーリアとアルカも続く。

「何だ、てめぇ!」

「邪魔なんだよ!」

 赤ん坊を背負ったマッチョがいきなり出て来たのだから当然だ。

 バルトーは無言で二人を睨むと、いきなり二人に斬りつけた。油断していた二人は、次々に斬られて倒れた。

 人々がざわめく。

 仲間らしき若者達が慌てて飛び出てくる。

「何しやがる!」

 しかし、彼らはすぐに戸惑った表情になっていく。倒れた二人は、何処にも怪我をしていないのだ。

 今度はユーリアがアルカと共に前に出て来て、抱き起されている二人の頭にぽんと触れる。

「はい、仲直りしましょうね」

 にこにこしたユーリアにそう言われると、倒れていた二人は目をぱちっと開けて、お互いを見ている。

 やがて、ロッソ一家の方を不思議そうに見た後、一方が言う。

「よく分かんねぇが、もう止めだ」

「そうだな……」

 結局、果し合いは中止になった。

 首領が毒気を抜かれた様子に、周囲の若者達の黒いクラウンも薄くなっていく。

 見物人達が自然に道を開けるので、バルトー達はその場を後にする。

 異様な光景に、皆唖然としているが、バルトーもユーリアも慣れたもので、平然としている。

 揉め事に首を突っ込むと言う事は、こういう事だと二人は覚えたのだ。

 噂が広まるのはあっと言う間だ。もう町を出なくてはならない。

 アルカはそれを察しているのか、少し悲しそうにしている。バルトーは、確か、誰かの家に遊びに行きたいと言っていたのを思い出す。叶えてやれない事が悔しいが仕方ない。

 アルカに友達を作ってやりたいと思うが、それが出来ないのが夫婦の悩みだ。

 さっきの男が現れる。

「町長の報酬は、いつも通りに頼む」

「はい」

 七年前、ムシュラムを斬った時、バルトーはこの男の息の根を止めてやろうと本気で思っていた。生きていても、このままでは救われないからだ。

 だから、クラウンを狙わず、肩から胴体を斜めに一気に斬った。するとクラウンが弾けて、倒れたムシュラムから黒い霧はみるみる消えた。

「何て事をするのよ!」

 ユーリアが叫んで、ムシュラムに駆け寄ると、その体を抱き起した。

「ムシュラムさん!しっかりして」

 ユーリアが体をゆすると、男は目を開いた。

 バルトーが慌てて近づくと、服すら破れていなかった。二人はただ驚いてムシュラムを見た。

 ムシュラムの目は赤くなかった。青い瞳だった。牙も見えない。

「悪い夢をずっと見ていた様だ……」

 ムシュラムはそう呟いて気絶したので、宿屋に運んでベッドに寝かせた。

 翌日、意識を取り戻したムシュラムは普通の人間になっていた。

 ムシュラムは、自分が悪魔と契約した経緯や、世界中で宿屋や輸入雑貨などを扱うエルハント商会を経営している事を明かした。

 エルハント商会の様な世界を網羅する会社が、半魔の情報収集や資金面での手助けをしているのだと言う。

「逆手にとって、私達が利用しましょうよ」

 ユーリアがそう言いだした。

 世界を旅するなら、ムシュラム級の半魔を倒し、彼らの会社を懐柔して協力を仰ごうと言うのだ。

「それはいい手だと思うが……」

 バルトーは、ムシュラムを見る。ユーリアは憎き国王の娘だ。その言い分を聞いてくれるのか、バルトーには分からなかった。

「罪滅ぼしの為に……協力させてください」

 ムシュラムは、大勢の人を不幸にし、死なせた過去があると告げた。それは、国王のやった事以上に罪深い事だったと悔いた。

「憎しみに負けて、悪魔と契約などした事は、決して許されてはならないのです。生きている限り、償い続けます」

 バルトーは、その言葉に感銘を受けて、ただ頷いた。

「あなたの犠牲のお陰で私は生まれました。だから自分を責めないで下さい。父に代わり心からの謝罪と感謝をさせていただきます」

 ユーリアがそう告げると、ムシュラムは涙を流した。

 こうして、エルハント商会以外にも、幾つもの会社の援助と支援を受けて、バルトーとユーリアは半魔を見つけて倒すと言う目的で各国を移動する事になった。

 なんだかんだで、世界救済になってしまっている自分達の行動に苦笑するしかなかったが、旅をするには金が必要だったのだから仕方がない。

 自分達が半魔を狩る事で受け取る報酬として、宿屋や商店がタダで使えるのはありがたかった。しかも、元半魔達は各国の権力者の目から二人を巧みに守ってくれた。

 半魔の知識が、権力者から勇者と聖女を隠すと言う何とも皮肉な構図が出来上がったのだ。

 バルトーが斬っても、人は死なず、クラウンが砕けるだけ。そして、ユーリアが触れる事で、彼らが憎しみから解放される事は、徐々に分かっていった。

 クラウンだけを狙って潰すのは、あまり効果が無い事なども分かった。ユーリアはもう頭の上を見なくなった。

 色々と試行錯誤の七年だった。

 ユーリアが妊娠し、アルカが産まれた頃は、二人とも、とある村で定住していたが、その時期以外はずっと旅をしている。

 ミルルの時は、ユーリアは平気だと言って旅をしている最中に宿で産んで今に至っている。

 宿で荷造りをしていると、椅子に座っていた息子が呟いた。

「お父さん、僕、まだここに居たい」

 バルトーは手を止めて息子の前にしゃがみこんだ。

「約束したんだ。遊びに行くって」

 バルトーは息子を抱きしめる。

「ごめんな。アルカ。当分はここには来られない」

「当分ってどれくらい?」

 バルトーは答えられない。五つの子供に、数年単位の話だとは言い辛かったのだ。

 敏い息子はそれを感じ取ったのか、寂しそうに言った。

「すごく先なんだね」

「アルカ」

 ミルルを抱いているユーリアが優しく声をかけた。

「とっても辛い気持ちは良く分かるわ」

「お母さん」

「でも、あなたは普通とは違う。強くならないといけないの。だから皆と一緒には居られないのよ」

 アルカが一体どういう能力を持っているのか把握しきれていない。ただ普通でない事は確かだ。

「僕、みんなと同じがいいよ」

「同じじゃだめなの。ミルルもね」

 ユーリアの言葉を引き継いで、バルトーは抱きしめていた息子を離してその顔を見た。

「お父さんにもお母さんにも友達は居る。いつか離れても友達で居られる人が現れる。だから、今は身も心も強くするんだ」

「離れても、友達?」

「そうだ。それにな、いつか、一番大好きな人がお前と一緒に旅をしてくれる日が来る」

「本当?」

 アルカはそれに目を輝かせる。

「本当だ。そのとき、お前がとびきり強くなって、大好きな人を守るんだ。お父さんが鍛えてやる」

「うん!」


 それは、聖勇者の物語。まだ生まれたばかりの系譜の話。

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