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恋するクラウン  作者: 川崎 春
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勇者になりましょう

『やあ!楽しい神様の天啓タイムだよ』

 どんどんどん、パフパフ!

『今日は聖者についてのお話!いやー前の聖者が居なくなってから、神様にとっても長かった。文献も殆どなくなっちゃったよね。だからちょっと解説!』

 パフッ!

『聖者は生贄になるのが仕事じゃない。本当のお仕事は、地上の人間を守る事!』

 ワーワーワー!

『その為に必要な事はガッツだ。私なんて~なんて、卑屈にならずにガッツで乗り切れ』

 どん、どどん!

『じゃあ、今回はここまで!』

 勢い良く起き上がったユーリアは、ばっちりと目覚めた。

 明るい光が窓から差し込み、鳥が鳴いている。日が高い。ふと見ると、自分の体がぼんやりと光っていた。

 今のふざけた夢は、間違いなく天啓だ。神様のお言葉。

 眠る前の悲惨な状態も、神様から見たらこの程度のものかと思うと、がっくりしてしまう。

 それにしても、守れってどうやって?人間の悪い感情で逆に死にそうなのですが。根性でどうにかなるの?

 天啓は難しい。全然分からない。

 そこで、ふと思い出す。

「あ!バルトー」

 部屋の外で待っていると言っていた。眠る前は夕方だったから、長時間放置してしまった事になる。

 ユーリアは寝台から飛び降りて、大急ぎで着替えると飛び出した。

 すると、目の前にバルトーが立っていた。部屋の前でずっと待っていてくれたのだろう。

「ごめんなさい。長く眠ってしまったわ」

「いえ、顔色が良くなられましたね。安心しました」

「あなたは眠ったの?」

「少し。騎士はこれくらいでは倒れません。ご心配なさらず」

 そう言いながらバルトーは笑った。笑ったのだ。

 バルトーが、笑った……。

「王司書?」

「あ、何でもないわ。食事はしたの?」

「いいえ。食事をなさるかと思って、待っていました」

「え?」

 バルトーは、言い辛そうに言った。

「王城から殿下が来られて、妃殿下がここにはもう来ない事になったと王司書に伝える様にと」

「お母さまが、来ない?」

「王司書の部屋から王城に通じる扉を、使用禁止にしたそうです」

 質問攻めにされるのを見越しての処置だろう。それにしても、どうやって暮らすのか?

 ユーリアに服や食事を届けていたのは王妃なのだ。

 ユーリアの頭の中の疑問に答える様に、バルトーは言った。

「未使用の部屋に洗濯の道具があるそうです。洗濯は風呂場で。食事は、私が詰所から運びます。お湯は……いつも沸かしてらっしゃるから、お分かりですね」

 お茶用のお湯は、いつもユーリアが簡易の台所で勝手に沸かしている。

「そういえば、バルトーは洗濯をどうしているの?」

「私は、詰所で洗濯係に渡しています」

 さすがに自分の分も……とは言えない。ユーリアは諦めてため息を吐いた。

「分かったわ。自分の分は自分でやるわ」

 王妃に仕込まれているから、ユーリアは一通りの事は出来るのだ。

「では、食事の準備をします」

「……お願いするわ」

 食事も本当は自分で作った方がいいのかもしれない。しかし、ここは図書館で、本来暮らす様には出来ていない。調理場も簡易のもので、調理器具も食器も揃っていないから、バルトーに頼むのが無難なのだろう。

 詰所で毎回食事を頼むとき、何と言っているのか気になるけれど。

 バルトーを待っている間、嫌でも昨日の事を考えてしまう。

 ムシュラムの黒い霧は、幼い頃の記憶にあるものの比ではなかった。

 黒い霧は嵐の様に吹き荒れて、ユーリア達を取り囲んでいた。ムシュラム本人が見えなくなりそうな程の濃い霧に、見ているだけで気分が悪くなった。

 ユーリアには、それに対抗する手段が無かった。魔法も見えたけれど、見えるだけだった。霧は吸い込めば倒れると、本能が警告していたけれど、どうにも出来なかった。

 しかし、バルトーの側だけは霧が入って来なかった。

 どういう仕組みなのか分からないが、そのおかげでユーリアは助かったのだ。

 狙われた理由が、聖女だからだなんて。誰も昨日まで教えてくれなかったじゃない。何でもっと早く教えてくれなかったのよ。

 家族にひとしきり腹を立てた後、ため息を吐く。

 でも一人で聞いていたら、こんなに良い状態ではいられなかった。バルトーには感謝しかない。

 王妃は、ゆっくり説明するつもりだったと言っていた。

 そう考えて、再び腹が立ってきた。

 自分の家族が、こんなに人でなしだとは思ってもみなかった。権力を振りかざし、バルトーの人権も命もとても軽く扱って……。

 ユーリアを第一に考えての事なのだろうけれど、酷すぎる。

 バルトーは副団長だ。そんな人を失うなんて、国家的損失になる。

 文句を言いたくても、それももう出来ない。

 秘密主義な上に、権力を持った家族など、持つものではないとしみじみ思う。

 扉の開く音がして、応接室にバルトーが入ってきた。手には食事の入ったバスケットを持っている。

 並べられた食事は思ったより多かった。騎士の食事だからだろうか。

「こんなに食べられないよ」

「今日からは、ご一緒します」

「別にいいよ。あなたの後任の副団長はどうするの?困っているよ」

「いい加減、自分で何とかしてくれないと、本人が成長しません。だから、もう相談には乗りません」

「いきなり相談拒否って、厳しいのではない?」

「王司書だって、されているじゃないですか。だから、いいのです」

 王宮の出入り口を閉鎖され、王妃が来なくなった事を指しているのだろう。

「私は部下を使っている訳じゃないよ。だからいいの」

「お一人には、させられません」

「大丈夫」

「王司書が大丈夫でも、私が大丈夫ではないのです」

 頬が赤くなっているのが分かる。心臓の音がやけに大きく聞こえる。この人、何を言っているの?

「私が嫌いですか?」

「そんな事無い」

 即答したユーリアに、バルトーは安堵する。

「じゃあ、側に居てもいいですよね?」

 ユーリアは視線を逸らした。

「そんな聞き方は、ずるい」

「私に遠慮なんかするからです」

 遠慮する。全力で遠慮する。家族を代表して心から謝罪したい。父と兄が酷くてごめんなさい。それをぶちまけた母を許してください。そして、気づかない内に聖女になっていた私に付き合わせて、本当に申し訳ありません。

 心の中が謝罪文で一杯になる。

「冷める前に食べましょう」

 バルトーを困らせたかった訳ではないので、一緒に食事をする事にした。

 騎士の食事は、質素だけれど、どれもおいしかった。

 ユーリアは、ちらちらとバルトーを観察する。バルトーと食事をするのは初めてだった。

 桁違いの量を胃に収めていくけれど、とても綺麗に食べていく。

 城に出仕するには、礼儀作法も大切なのだと、以前バルトーが言っていた。

 バルトーには、一般の騎士には不必要であろうテーブルマナーなども叩き込まれているのだろう。

 疑問が口を突いて出る。

「ねえ、どうして王宮騎士になったの?」

「……つまらない話ですよ」

 構わないと告げると、バルトーは渋々話し始めた。

「私の家系は代々医者を輩出しています。父も医者です」

「え?」

「医者にならなかったのは、兄に勝てないと分かっていたからです。幼い頃から兄はとても優秀な人で、私は勝てない勝負をさっさと放棄しました」

 バルトーが、脳筋の騎士でない理由がようやく分かった。子供の頃、ばっちり勉強をしていたのだ。

「父は、辺境で医師をしていたので、騎士の砦によく出入りしていました。私はそれに付いて行って、練習風景をよく眺めていたのです。それで、騎士になろうと決めました。家から……兄から逃げだしたのは、ずっと心残りでした。だから、その分精進しました。その結果が王宮騎士だっただけです。……俺の事よりもあなたの事です。王司書」

「私の事?」

 俺とか言ってる、と、どうでも良い事を考えながらユーリアは聞き返す。

「あなたが聖女で、半魔に狙われている事についてです」

 単刀直入過ぎる。かわせないと諦めて、ユーリアは白状した。

「寝ている時に天啓を受けたわ」

「天啓……神は何と?」

「聖女の仕事は、悪魔の生贄じゃなくて、人を守る事だそうよ。卑屈にならずに、根性で乗り切れって」

 バルトーは、はっとして表情を強張らせた。そして、何か考え込む。

「バルトー?」

「人を守るのが仕事だとすれば……何から守るのでしょう?」

「魔獣とか?」

 魔界の獣なのだが、何故か地上に居る魔獣。人が大勢駆り出されて、一匹を狩る。人にとっての脅威だ。聖女は魅了できるという。

「確かに、最近よく出没しているみたいですしね。けど、多分違います」

「どうして?」

「魔獣は、人数さえ居れば狩れます。そういう意味では大型の獣と変りません」

「じゃあ、何?」

 バルトーは真っ直ぐにユーリアを見つめた。

「……半魔です」

「な、何言ってるの?昨日見たでしょ?私、何も出来なかった」

「きっと、出来る事があるのです」

 確信があるのか、バルトーの声には力があった。

「神もおっしゃったのでしょう?逃げずに戦う様にと。そうする事で分かるのだと思います」

 バルトーが天啓をそう解釈するとは。

 確かに、言われてみればそうかも知れない。でも、そうなると嫌な予感しかしない。

「ねえ、半魔と私に殴り合いさせようとか、酷い事考えていないでしょうね?」

「もちろん。黒い霧に触れたら、あなたは危ないのでしょう?」

「だから半魔と戦うなんて、無理なのよ」

「無理でも、やるしかないんです」

 バルトーは聞き入れてくれなかった。

「半魔は、非常に執念深いと聞いています。倒さない限り追って来るでしょう。戦って勝たなければ、生き残れません」

「お父様なら、助けてくれるわ」

「陛下を頼ってはいけません。天啓に背くのですか?」

 ユーリアは唇を噛む。

 無力だと諦めて、国王に守られると言う事は……正に天啓が警告していた、私なんて~と、卑屈になっている事を意味する。

「あなた一人で立ち向かえとは言っていません。俺も一緒です。……俺がここに居るのは、あなただけでも、俺だけでも、戦えないからだと思うのです」

 一緒に、戦う。そんな事できるのだろうか?それはとても心強いが、戦い方が全く分からない。

「早速、お願いしたい事があります。ここで本を探して、調べて欲しいのです」

「それは、構わないけれど……」

「あの半魔は言いました。加護の無い剣では自分は切れないと。逆に言えば、加護があれば、俺でも斬れると言う事になります」

 ユーリアは唖然としてバルトーを見た。

 クラウンを見るまでもない。バルトーは本気だ。本気で半魔を斬るつもりで居る。

「無理よ!死んじゃう」

「いいえ、そんな事にはなりません。加護とは何なのか、調べて欲しいのです。妃殿下のお話が本当なら、さすがの俺でも大扉の向こうへ行く気にはなりません。あなたに助けてもらいたいのです」

 面と向かって相手を倒すことだけが戦いではない。戦う方法を模索する事も戦いなのだとバルトーは言っているのだ。

「バルトーは凄いね。逃げたくならないの?」

「もちろん、戦略的撤退はありです。でも、基本的には逃げません。逃げる事は、心を殺しますから」

 逃げても心は救われない。確かにそうだと思う。やれる事をやって戦う方が、怖いけれど、悔いを残さないだろう。

 頭では分かっている。でも怖いから逃げたくなる。本当にムシュラムの霧は怖かったのだ。

「怖いときはどうしたらいい?」

 思いが、か細い声になって口から零れた。

 バルトーは、はっとしてユーリアを見た。

「凄く怖いの。バルトーの言う事は分かる。だけど、怖くて仕方ないの。足がすくんで、悪い事ばかり考えて、全然進めなくて」

 声が震えて、視界が歪んだ。

 バルトーは立ち上がると、ユーリアの隣に移動した。

「俺の考えばかり押し付けてすいませんでした」

「謝らないで。バルトーは正しい」

「それでも、優しくはありませんでした」

 ユーリアの頬を伝う涙を、バルトーは指で拭う。

「あなたは騎士ではないのだから、それでいいのです。怖かったら俺を頼ってください。側にいますから、ちょっとずつでいいので、前に進みましょう」

 バルトーは穏やかに涙を拭い続けた。手の感触が心地よくて、恐怖が薄らぐ。

「こうやって、たまに泣くかも」

「泣きたくなったら泣いてください。ただし、一人で泣くのは止めてください」

「どうして?」

「俺が嫌なんです。泣きたい時は俺を呼んでください。いつでも構いませんから」

「分かった。そうする。……もうちょっと泣いてもいい?」

「ええ」

 ユーリアは、それから暫く、バルトーの横で泣き続けた。

 背中をなでて、涙を拭ってくれるバルトーの存在に感謝しながら。


 ユーリアは、その日から王宮図書館の大扉の中に籠るようになった。

 バルトーが狂うのではないかと、心配で扉を開けるのをためらったユーリアに、バルトーは今まで大丈夫だったのだから大丈夫だと言った。

 当然、大扉の内側には入れなかった。

 実際、本人の希望があって入ったところで、騎士のバルトーには読めない書物ばかりだと言うのもある。

 そうこうする内に数日が経過し、ユーリアは、ある書物の解読に没頭していた。

「やっぱりこれだわ!」

 ユーリアは、その書物を持つと、大扉から飛び出した。

「王司書。今、休憩にしようと……」

「そんなの後でいいから、来て!」

 応接室で広げた本はひどくボロボロで丁寧に扱わないと崩れてしまいそうだった。

「これにあったのよ!加護の方法が」

「何語ですか?俺には読めません」

「これはね、エスライン王国が始まる前にここにあった幾つかの国の興亡の歴史書なのよ」

 ユーリアは嬉しそうにそう言うと、たどたどしく解読した内容を聞かせた。

「銀の剣……三月の間、聖なる水に浸し、三人の……神官によって毎夜、祈りを捧げしとき……加護されし剣生まれる」

 頬を紅潮させ、どうだ!と言わんばかりのユーリアに、バルトーは眉根を寄せた。

「どこから突っ込みましょう?」

 ユーリアにも分かっている。突っ込み処だらけである事は。でも、対策は一応考えた……つもりだ。

「まず作るのに、いつの暦か知りませんが、三か月はかかるのですよね?」

「それでも作らないよりましよね?」

「いいえ!銀の剣なんて、弱くてダメです。一撃で曲がってしまうでしょう」

「普通の剣で作ったら?」

「鉄の剣を、水に三か月もつけておいたら確実に錆びます」

「だったら、銀の剣にしなさいよ。一撃で倒せばいいじゃない」

「半魔が一人じゃなかったらどうするのですか?」

 ユーリアはがっくりと項垂れた。数日書庫に籠った結果、嵐の様なダメ出しにあったのだ。当然と言えば当然である。

「あ、え、その……決して無駄ではないです。かつて加護は確かにあったと分かったのですから」

「なぐさめは要らないわ」

「王司書……」

「もう一度、探してくるわ」

 立ち上がったユーリアを慌ててバルトーが引き留めた。

「待ってください。せめて休憩してください。根を詰めても結果は付いてきません」

「……分かったわ」

 ユーリアはがっかりしていた。どちらかと言えば、バルトーにこき下ろされる様な事しか見つけられなかった自分の、馬鹿さ加減に対してである。

 確かにそうなのだ。鉄は錆びる。銀は柔らかい。……全部言われた通りだった。

 バルトーは申し訳なさそうに言った。

「すいません。何の役にも立たないのに、容赦の無いもの言いをしてしまいました。……脳筋の騎士達には、はっきりと簡潔にものを言わないと通じないと言う特徴がありまして……」

 バルトーのもの言いは、物わかりの悪い、部下や同僚、先輩に対応している内に身に付いたものらしい。

「こんな言い方を女性であるあなたにしてはいけないと思うのですが……すいません」

 この人は女性に興味が無いのだろう。

「女にもてないわよ」

 ちょっと自覚があったのだろう。むっとした口調でバルトーは言った。

「構いません」

「男性が好きなの?」

 不思議そうにユーリアがバルトーを見たので、バルトーは慌てて否定した。

「そうではありません!」

「本当?」

「本当です。信じてください。……元々聖婚を望んでいただけの事です」

「聖婚って何?」

「この国での結婚の一種です。ご存知ありませんか?」

 知らないと答えると、バルトーは説明を始めた。

「聖婚とは、神の定めた生涯の相手を、直感的に理解し、結婚相手にする事です」

「へ?それって一目ぼれ……」

「聖婚です」

「で、でも一目ぼ……」

「聖婚です」

 ユーリアの冷めた表情に気づき、バルトーは慌てて補足した。

「一目ぼれなんて、思い込みの産物と一緒にしてはいけません。男性だけでなく、相手の女性も一目で神の定めた運命の相手だと直感するのです。だから聖婚です」

「納得はしていないけれど……聖婚は分かったわ。でも、それと恋人を作る、作らないは、関係ないと思うの」

「大ありです」

 バルトーは、少し頬を赤くして視線を逸らしながら告げた。

「聖婚に至るまで、男女の肉体的な関係を持ってはいけないのです。……清い体でなくてはならないのです」

 ユーリアも思わず赤くなった。しかし、同時におかしいと思う。

「じゃあ、恋愛結婚はだめなの?」

「だめではありません。市井の大勢の人間がそうやって結婚しています。俺の両親もそうでした」

 やっぱり。と、思う。王妃も国王も恋愛結婚だったと聞いている。兄である王太子も、恋愛中だと言っていた。……聖婚なんてストイックな話は聞いた事が無かった。

「騎士に限って言えば、恋愛結婚より聖婚の方が推奨されます」

「どうして?」

「聖婚者の場合、互いに浮気は絶対にありません」

「絶対って……」

「絶対です。長い歴史の中、繰り返されてきた事実です」

 そんなに長い歴史があるの?ユーリアは驚愕する。

「しかも、病気や怪我で命を落とす事があまり無いのも特徴です。神によって祝福されているからでしょう」

 騎士にとっては、命を守り、最愛の人を得る夢の様な機会が聖婚なのだ。と、理解すると同時に、ユーリアはじわじわと気分が暗くなっていくのを感じた。

 あれ?何でこんな気分に……。ユーリアは、何故か浮かない気分に首をひねる。

「王司書?」

「バルトーは、聖婚したいの?」

「以前はそうするものだと思っていました。……二十歳で六歳の聖婚相手と出会ったという人もいるので、手放しに素晴らしいとは言いかねますが」

「うわぁ……」

 何年待って結婚するのやら。幼女に懸想している青年騎士とか、変態じゃないか。

「本人は、至って幸せそうですよ。正直、ああはなりたくないですが……」

 バルトーもそれは変態だと思っている。でも、聖婚を全否定する気は無いらしい。

 とりあえず、気分が滅入って来たので、ユーリアは立ち上がった。

「休憩はおしまい。さて、頑張ってきましょう」

「無理はなさらないで下さい」

「わかってるよ」

 ひらひらと手を振って、バルトーを見ずに扉をくぐると、すぐさま扉を閉める。

 そして呟く。

「何よ、聖婚って。あり得ない」

 女性への話し方なんて、毛先程も考えない騎士にとっては、最高のシステムかも知れない。

 見ただけで分かるって、何?それ。

 お陰でバルトーの聖婚相手が、ユーリアでない事は一目瞭然で……。

 そこまで考えて、ユーリアは自分の気持ちにようやく気付いた。

 バルトーの事が好きなのだ。

 好きだけど……何か、もうダメだ。ユーリアはガックリと項垂れた。

 バルトーの話を聞いた限り、自分は絶対に相手にされない。だって、彼は騎士で、相手が居なければ、清い体を維持して聖婚するつもりなのだ。

 絶対に浮気しない、神様認定の嫁が未来に待っているのだ。そんなものに勝てる訳が無い。

 清い体じゃなくせばいい。でも、どうやって?穢れた体って、不潔なのしか想像できない。あ、それは汚い体か。

 神がお勧めしない、いかがわしい事をするのだ。裸でとか。

 裸……。自分の体を見下ろす。要はバルトーが、自分と裸でいかがわしい事をしたいと思うかどうかと言う事だ。

 聖婚をぶち壊せる程の豊満な肉体で無い事は承知している。

 歴代の王妃の肖像画を見れば一目瞭然だ。王太子は巨乳が最高なのだと言っていた。若き日の祖母を褒めたたえ、王妃を激怒させていた。国王は見て見ぬふりをした。

 結果、数日後に王太子はやつれ果て、泣いて許しを乞うていた。……半天の家族なのに最強は人間の王妃である。

 そんな現王妃から受け継いだのは、華奢で小柄と言われる、薄くて貧相な体だ。

 それでも王妃は自分よりも、ちゃんと出るところは出て、引っ込む所は引っ込んでいる。メリハリがあるのだ。

 ユーリアは自分の体を見て改めて思う。凄く平らだと。ぺったんこだ。

 素っ裸で飛びついた所で、バルトーには、何を遊んでいるのですか、風邪ひきますよ。程度に扱われそうだ。……そんな事になったら、魂が死ぬ。絶対に無理。

「何でこんな事に……どうして私ばっかり」

 何時から?ムシュラムが現れた日から?バルトーが現れた日から?四年前?生まれた時から?半天なのに不幸体質っておかしくない?

 とにかくバルトーの事は諦めなくてはならない。初恋は自覚した途端に終わってしまった。

 切なくて、ため息が漏れる。

 好きになって当たり前だと思う。他人と面識が無かったユーリアの所にいきなり現れた、顔も好みな男だった訳で。

 しかも、誠実で生真面目、ユーリアの為に死にそうなのに、それを平然と受け入れて、優しくしてくれるのだから。

 頭を振る。今は命の危機に直面しているのだから、そっちの事を優先すべきだと自分に言い聞かせる。

 でも、気持ちは上手く整理できなくて。

 ユーリアはしばらく立ち尽くしていたが、のろのろと動き出すと、一冊の本を探し出し、机の上で広げた。

 それはユーリアが愛読していた恋愛小説の原本だった。いつの時代に書かれたか分からない。エスライン王国以前の時代の言語なので、それ以前のものなのは確かだ。

 調べものをする気が起きず、何となく探し出してしまった。

『騎士は姫を救い出し、魔物を退治した。二人は、平和に尽力した』

 翻訳版には、勇猛なる騎士とか、愛する姫とか、邪悪なる魔物とか、ごてごてと形容詞が付いているがこれには付いていない。平和に尽力したじゃなくて、末永く幸せに暮らしましたになっていたし。

「現実は、こんなものよね……」

 ユーリアはやさぐれた気持ちで、ページをパラパラとめくる。

 そして、眉根を寄せる。

「何?これ」

 ユーリアは、挿絵に違和感を覚える。

『勇者の戴冠』と、古い言語で書かれた下に、二人の人間が描かれている。

 立っている人が、跪く人の頭に、王冠を載せようとしている。

 しかし跪いている人の頭には、既に王冠が存在しているのだ。

 王冠の上に王冠を被せようとしているなんて、書き間違いだろうか?

 挿絵をじっと見た後、ユーリアは先を読んでみた。

『勇者の王冠は、真心の王冠の上にこそ輝く』

 勇者の王冠、真心の王冠。王冠二つは、書き間違いではないらしい。

『勇者、人々に安寧をもたらす』

 勇者と言う言葉は、耳慣れないが知っている。ユーリアの中では、武勲を立てた騎士の事だと言う認識だ。

『聖者のみが勇者を生み出す』

 王冠を被せようとしている方が聖者と言う事らしい。半天……王族の事だろうか?

 王族が自分達を信奉している騎士を生み出し、武勲を立てたら勇者って事だろうか?

 推測に無理は無いが、何となく引っかかる。

「あ、そうか」

 ユーリアの口から呟きが漏れる。

 騎士に王冠など与えたりしない。与えるのは勲章だ。

 そもそも王冠二個とか無理だから。

「あ……」

 王冠、クラウン……。

 ユーリアは小さく息をのんだ。

 天啓で、神様は聖者と言わなかったか?聖女ではなく。

 聖者とは聖女の事で、王冠がクラウンの事だとしたら!

 ユーリアは推測を進めて行く。

 聖女は、勇者を生み出し、勇者によって人々を守る事が出来るのだ。

 勇者は、きっと半魔を倒せる力があるに違いない。人々に安寧をもたらすのだからそれくらい無くては困る。

 ユーリアは、大きく深呼吸を繰り返し、はやる気持ちを抑えて続きを読んだ。

『聖者、真心無き者に、勇者の王冠を授けしとき、死に至る』

「へ?」

 どうやら、人選を間違えるとユーリアは死ぬらしい。

 勇者の戴冠の話はそこで終わっており、最後まで読んだけれど、聖者と勇者に関係ある話はそれっきり出てこなかった。

 ぱたんと本を閉じて、椅子の背もたれに体を預け、目を閉じる。

 調べていた加護とは違う話になってしまったけれど、思いがけずそれらしき話にたどり着いてしまった。

 ユーリアの中では筋は通っている。しかし、まだ分からない事が多すぎる。

 バルトーに話すべきか考えて、とりあえずは伏せる事にした。

 もう厳しい事を言われたくない。また泣いてしまいそうだし。

 とりあえず加護ではなく、王冠や聖者、勇者について調べていく事にする。

 手広く調べる分、時間がかかりそうだが、迷いは無かった。

 ……勇者の王冠を与えるべき相手は分かっている。

 推測通りなら、バルトーは、勇者候補として聖女であるユーリアの所にやって来たのだ。

 王太子は、何らかの方法で探し出したのだ。勇者の素養を持つバルトーを。そして、勇者として完成させる為、ユーリアの前に連れて来たのだ。

 本来、ユーリアが行わねばならないであろう勇者の選定作業を、王太子が代理で済ませたのだ。

 一体どうやって……。天啓があったのだろうか?でも、ユーリアにではなく、王太子に対して、勇者を示唆する天啓があるとは思えない。

 どうやったのかは分からないが、あまりに酷いと思った家族の仕打ちも、こうして考えると納得できてしまう。

 若干二十歳で王宮騎士団の副騎士団長で、王宮図書館に居ながら狂う事も無く、ムシュラムに対しても、決して退かない強靭な精神を持ち、悪感情に染まらない感情で人に接し、ユーリアの様な異能を受け入れる柔軟さも、物事を多角的に見る鋭い頭脳も持ち合わせている。

 バルトー凄すぎ。そりゃ神様に目を付けられて、人間の枠から外されちゃうって。

 冷静にバルトーを解析してユーリアは納得した。今まで、バルトーを自分の運命に巻き込んだ罪悪感があったが、これでは自分が聖女じゃなくても巻き込まれていたに違いない。

 とにかくバルトーを勇者にできれば、ユーリアもバルトーも死なずに済む。

 問題は、どうやって勇者にするか……である。

 クラウンが関係している事は分かる。しかし、そこから先が分からないのだ。

 膨大な数の古書に目をやる。きっとこの中に答えはある。絶対に探し出す。

 恋を諦める気は満々だが、彼の命を諦める気は無い。

 だって……好きだから。

 幸せになる未来があるのなら、その日まで命を繫いであげたいと思ったのだ。

 正直に言えば、バルトーの命が助かったら、その時点で現状態は終わりにしたい。……上手く言えないけれど、バルトーとの関係とか色々。

 ずるずる一緒に居て、結婚式に出席とか、新婚家庭に招かれるとか、そう言うのは絶対に避けたい。

 そんな事になったら、きっと泣いてしまうだろう。けれど、涙を拭ってくれる筈の指すらも嫁のモノ。耐えられない。

 バルトーが笑って暮らせるなら、ユーリアは黙って見送れる筈だ。バルトーをかっさらう嫁の存在は嫌だけど、仕方ないのだ。

 だって自分では幸せに出来ないのだから。

 ユーリアが聖女である限り、半魔に狙われ続け、平穏な日常とは無縁な人生になってしまうだろう。勇者にしたら、自分は普通の人になれるのだろうか?そうしたら、バルトーの嫁になれるだろうか……甘い考えは止めよう。都合よく考えていると痛い目に遭う。

 バルトーに勇者以外の重たいものを背負わせる訳にはいかない。腹は立つが、嫁の出番だ。

 とりあえず、バルトーを勇者にする。その後の事は考えない。ユーリアはそう決めた。

 今は側に居られるのだ。二人きりで食事をしたり、お茶したりできるのだ。素敵過ぎる。十分幸せだと思う。

 好きな人と共に過ごし、命を救った思い出があれば、この先何かあっても生きていける気がする。

「よし、頑張ろう」

 ユーリアは気合を入れて立ち上がると、本探しを始めた。

 その表情は以前よりも少し大人びていた。


 バルトーは、ユーリアがここ数日急激に変化している事に驚いていた。

 朝昼晩、お茶の時間には、きっちり書庫から出てくる。嬉しそうに他愛の無い話をして、また書庫へ戻っていく。

 明らかに書庫で暮らしている。

 何時に寝て、起きているのかも分からない。一般常識として深夜に女性の個室を調べる事は出来ない。頭のおかしくなる書庫に突入もしたくない。

 だから、食事の時に言うのだ。

「昨日何時に寝ましたか?」

 愛らしく首を傾げる動作が、女性らしい。とバルトーは思う。

 ユーリアは唐突に大人びてしまったのだ。

「書庫で寝たから分からないわ」

「だから何度言わせるのですか。書庫で寝起きしてはいけません。体に障ります」

「心配してくれるのね。凄く嬉しい」

 笑顔が眩しい。何だか笑い方も変わった。前の笑い方は心が明るくなった。今の笑い方は、胸が切なくなる。

「お風呂には入っているから、臭くはないわよ」

「そ、そんな事は聞いていません」

「赤くなった。本当よ。嗅いでみる?」

「結構です!」

 ユーリアは、また笑う。

 もう自分に泣きついたり弱音を吐いたりしてくれないのかも知れない。何だか精神的に距離を置かれているのが分かる。妙に明るいのだ。

 なついていた小鳥が急に手に乗らなくなった様な寂寥感を覚える。

 何がきっかけでこうなったのか、全然分からない。

 何があったのですか?

 聞きたくても聞けない。きっとはぐらかされる。

 時が来れば教えてくれると信じてはいるが、それでいいのだろうか?

 バルトーは、書庫に戻っていくユーリアの背中を見送りながら、不安になる。

 そのまま消えてしまいそうで、抱きしめたい衝動にかられる。

 バルトーはユーリアに対する気持ちが、とっくに職務の域を越えているのを自覚している。……そういえばこの前、聖婚の話をユーリアにしたが、本心を言えば、ユーリア以外考えられない状態だ。

 ユーリアが普通の女性と変わりない、か弱い存在だと認識しだした頃から、徐々に気持ちは変わっていた。それは、彼女が王女で聖女だと分かっても変わらなかった。

 それどころか、大きくなる気持ちを持て余し気味になってきている。こんな気持ちを抱えて、他の女とどうこうなんて無理だ。

 一度に複数の女性を愛す者も居るらしいが、バルトーはそんな器用な事の出来る性格ではない。恋愛自体、初めてだ。戸惑っているし、ユーリアの気持ちを知るのも怖い。

 でもバルトーは諦めない。

 いつか、ユーリアに気持ちを伝えて、どうあっても受け入れてくれないとなれば、諦める事も考えなければならないだろう。けれど、そうでない限りは出来うる限り、食い下がって頑張ろうと思っている。

 エスライン王国は実力主義の国。諦めが悪いくらいでないと、やっていられないのだ。

 クラウンの見えているユーリアに、今の自分がどう見えているのかが、バルトーにとって気になる所である。いかがわしい色のクラウンで恐れられたら困る。

 後は、有能な護衛として側に居続ける為に、脳筋と違う所を見せなくては。バルトーは日夜考えていた。

 ユーリアが書庫に戻ってしまうと、バルトーは騎士の詰所に行く。

 食後の食器や洗濯などを渡しに行くついでに、自分の手紙を預けて、返事の手紙を受け取る。

 毎日の手紙処理が、最近の日課だ。

 特に命令された訳では無いが、毎日王太子宛にユーリアの様子を書いて報告している。

 離れているとは言え、家族の事だ。国王も王妃も知りたい筈だ。

 一回だけ、感謝の手紙を受け取った。

 脳筋の騎士達からの相談も手紙で受け取る。

 何が分からないのか分からない部下達が、まずそこを知る為にも、手紙と言う手段は有効な様で、たどたどしく書かれた汚い字に苦戦しつつ、疑問点にバルトーは返事を書いている。

 そして、今日は神殿からの手紙があった。

 応接室で封を切って中身を読む。

 武器に対する加護について、現在神殿で行っているのか、問い合わせたのだ。

 答えは、予想とは少し違ったものだった。

 剣と言う大きな武器に対する加護は、残念ながら廃れて無くなってしまったらしい。やはり、剣に加護を付与する為の手間と、銀と言う素材の耐久力に問題があったのだろう。

 しかし、投げナイフや矢じりの様な小型のものに関しては、今も沢山加護を付けて、魔獣を狩る傭兵団や自警団に売っていると言う。

 神殿が加護を利用して商売をしているとは夢にも思わなかった。

 矢じり百当たりの価格まで書かれている。騎士団でも使わないか、まとめ買いなら割安でお届け!とかセールストーク付きだ。……残念だが、騎士は飛び道具は向いてないからあまり使わない。神殿も苦労しているなぁ。

 バルトーは苦笑する。

 事情は分かる。王宮に露骨な信仰対象が居るので、神殿は信仰の対象としては今一弱い立場なのだ。

 神様に祈る場所と言うよりも、結婚の承認と、よろず相談所的な色合いが強い。

 魔獣対策も、よろず相談の一種だ。

 魔獣は普通の武器でも狩れる。しかし、騎士程の強さが無ければ被害が大きい。非力な人達や効率を考える傭兵なら、加護の武器に飛びつくのも頷ける。

 騎士は国の武官だから依頼料はかからないが、役所を通して来てもらう事になるので、少し時間がかかる。

 その点、自警団や傭兵団などは、それを生業としているので、金さえ出せばすぐに駆けつけてくれて便利なのだ。

 魔獣が出たのに、役所に行くのは間が抜けている。エスライン王国は豊だから、こうして暮らしは成り立っているのだ。最近、魔獣が多くなっている話もあるし。

 加護の力で半魔を倒せるか、と言う問いに関しては、大神官自らが、時間を取って話をしたいとの旨が書かれていた。

 文章に残してはいけない内容なのだろうか?

 それにしても、大神官と話すと言う事は、ここを出て大神殿に行く必要がある。

大神殿は、そんなに遠い場所では無いが、ユーリアを一人書庫に残して、長時間ここを離れるのは避けたい。

 どうしたものかと思っていると、エントランスの方から声が聞こえた。

「こんにちはー」

 応接室を出て向かってみると、一人の男性が立っていた。年齢不詳。若いのか年寄なのかバルトーには判別できなかった。

 まず目に入ったのは、ものすごく分厚いビン底の様な眼鏡。ボサボサの黒髪。気弱そうな眉毛。

 にこにこして、バルトーを見ている。

「あなたがバルトー・ロッソさんですね」

 敵意は全く感じない。後、ヒョロヒョロなのでもう少し食べた方がいいと思う。……多分、騎士の基準でなくても細い。

 栄養、足りてますか?

 言いそうになった言葉を慌てて飲み込んで、尋ねる。

「お初にお目にかかります。大神官のロルフ・リュードと申します」

「へ?大神官?」

 エスライン王国では、半天の次に聖性の高い存在である。人間では一番神に近い。

 そんな人が供も連れずに一人で歩いて来るなんて、本来あり得ない事である。

「本物ですよ。本物!本当です」

 大神官、ロルフは服をつまんで見せた。

 よくよく見れば、高級そうな服を着ている。大神官専用のものだろうか……一般の神官服と、色やデザインが違っている為、すぐには気づかなかったが、確かに神官服である。

 黙っているバルトーに、ロルフはあはは、と笑った。

「まぁ、驚きますよね。僕も久々に一杯歩きました。……思い出したら一気に疲れてきました。座っていいですか?」

 バルトーは、急に青い顔になったロルフを応接室に連れて行った。

 ソファーに座ると、ロルフはそのまま横に倒れてしまった。

「いや^自分の体力の無さにびっくりですよ。あ、お水もらえますか?」

 倒れながら呑気な事を言っているロルフに、バルトーはすぐに水を汲んできて渡した。

 大神官なのに、お茶じゃなくて水飲むのかよ。

 むっくり起き上がったロルフは、礼を言って、一気に水を飲み干した。

「やっぱり体力無いのはダメですね」

 動いていないと言うよりも、明らかに食事が足りていない気がする。神殿大丈夫か?

 バルトーはユーリアの休憩時に出す予定だったお茶菓子を出す。

「食べていいんですか?」

 バルトーが頷いた途端、ロルフは、それを凄い勢いで食べた。茶の準備が終わる前に、菓子は綺麗に消えていた。バルトーの分もあったので、量は多かった筈だ。このひょろひょろの体のどこに収まったのやら。茶も三杯、立て続けに飲む。

 大神官でこの有様って、一般神官とか餓死するのでは?

 後、大神官が、行き倒れとか止めて欲しい。

「……帰りは詰所に居る騎士に、馬車で大神殿まで送らせます」

「助かります」

 悪びれる様子も無く、ロルフはぺこりと頭を下げた。

 平然としている以上、大神官本人で間違いないのであろう。

 最近、色々な事が起こりすぎて、異常事態に動揺しなくなってきた気がする。

「それで、どうやって大神殿を抜け出して来たのですか?」

 明らかに正規の手続きを経てここに来ていない。この大神官。

「ほら僕って、気配薄いでしょ?だから、ふら~っと出てきても誰も気づかなかったりする訳ですよ。後は王宮まで辻馬車に乗せてもらって……王宮へは、さすがに勝手に入ると叱られちゃうので、通行許可証を持ってきて見せました」

 神官も、神官騎士も何をしているのか。それで本当にいいのか、大神官。

 通行許可証って……あんた、自分に自分で発行してるじゃないか。誰だ、こんな許可証で王宮内に入れた奴は。

 バルトーの様子を眺めつつ、ロルフは言った。

「聖女様の側をあなたが離れるのも良くないので、今回は見逃してください」

 現状は手紙に書いていない。そもそも、騎士の詰所から手紙を出したのに、わざわざここに来ている。すっかり状況が分かっているらしい。

 ロルフは笑顔で言った。

「正式に許可取って訪問したら、ついてきた神官に、聞かれたくない話をきかれる可能性もありますしね」

 王宮に聖女が居るとか、王宮に半魔が出たとか……確かに信心深い神官が聞いたら大変な事になりそうである。

「で、ロッソさん」

「バルトーでいいです。大神官」

「では、バルトー。聖女は何処ですか?」

「書庫で調べものをしています。さっき入ったばかりなので、当分出てこないと思います」

「そうですか。ならこのままでお話させていただきます」

 ロルフは、酷い方法で大神殿を出て来てここにいる。仮にも大神官である。居なくなれば、そう時を置かずに大騒ぎになるだろう。話をさっさと済ませて帰ってもらった方が良い。

「お話と言うのは、半魔についてでしたね。加護で倒せるか、と」

「はい」

「残念ですが、倒せません」

 やはりそうなのだ。バルトーは予想していたにも関わらず、落胆している自分に気づいた。

 このままでは、ユーリアを守れない。

「加護で傷は付けられますが、致命傷を負わせるのは無理でしょうね。撃退なら可能かと思われます」

「それではだめです。徹底的に潰しておきたいのです」

「その場しのぎにはなっても、それ以上は望めません。第一、あなた一人で戦うのにも、向いているとは思えません」

 それはバルトーにも分かる。

 弓や投げナイフは、相手の不意を突くか、大勢で仕掛けるのに使う武器なのだ。隙が大きいのに威力が弱く、接近されたら使えない。いちいち敵との間合いを考え、狙いを定めなくてはならない。だから、ユーリアを守りながら使用するには難しい武器なのだ。

「加護で半魔に対抗するのは、良策ではありませんね」

 バルトーの出した結論に、ロルフはため息を吐いた。

「すいません。お力になれる事が殆ど無くて。……実は何とかお力になれないかと、古い文献を調べてみたのですが、半魔は加護では倒せない事が分かるばかりでして」

「わざわざ謝りに、来られたのですか?」

 ロルフは苦笑した。

「……僕は、あなたに会いたくて、ここに来たのです」

「私に、ですか?」

「そうです。あなたに」

 ユーリアが居ない事を気にした様子も無いので、本当に自分に会いに来たのだと思う。

「……四年前から半年前までの間、殿下から大神官である僕に依頼がありました。神にお伺いを立てて欲しいと」

「半天である殿下が、神殿を頼って神にお伺いを立てるのですか?」

「大神殿では、修行を積んだ神官の祈りによって、質問の答えを神から得られます。それは決まって毎月最初の日で、天啓と違って、求めている質問の答えが得られます。ただし、毎月供物を供え続け、神が納得されるまで、答えは得られません。一月で答えを得られる方も居れば、何年も答えを待ち続けている方も居ます」

「供物は、何でもいいのですか?」

「もちろんです。その人にとって、重要であればある程、良いとされていますが、特に指定はありません。供物を供えるのは、半天である殿下でも同じです。殿下は、自身の羽を数枚、毎月捧げておられました。……王族の羽には神経と血管が通っていて、引き抜くと出血する上に激しい痛みを伴います。大量に抜くと、寿命を縮める恐れもあります」

 四年前から毎月続けていたのだとすれば、王太子はかなり大きな代償を払い続けていた事になる。

 次期国王である王太子の命は、国にとっても重要である。それを削ってまで求める答えとなれば、時期から見ても明らかで……。

「殿下の求めた答えは、あなたでした」

 バルトーは自分の選ばれた経緯を初めて知った。王太子の脅しの裏には、こういう事情があったのだ。

 同時に理解する。ユーリアの護衛は、必要ないから居なかったのではなく、見つからなかったのだ。

 クラウンの見えるユーリアの護衛をどうやって選べば良いのか、陛下達は困ったに違いない。

 だから天啓を待たず、神殿からお伺いを立てたのだろう。

 だったらもっと早くユーリアに会わせてくれれば良かったのに。自分は既に三年前王宮に居たのだ。王太子の寿命を縮め、ユーリアに急激な変化を与えるのは如何なものかと思ったりもしたが……神の考える事など分からないので、それ以上考えない事にする。

「僕は、あなたの名前が水盤に浮かび上がった時、殿下の長年の悲願が叶ったのだと、すぐに報告しました。しかし、報告した後で考えました。……天使の末裔の翼を代償に探したものが、人だった事が恐ろしくなったのです」

「え?神への質問の内容を、神官は知らないのですか?」

 バルトーが呆れると、ロルフは苦笑した。

「ええ。僕達は祈りによって神と依頼者をつなぐだけの存在ですから……殿下に事情を聞いて、余計に恐ろしくなりました。殿下に言う前に、あなたに会って話すべきだったと、ずっと後悔していました」

 黙っていれば分からないのに、わざわざ言いに来たのだ。大神官、不器用過ぎる。

 思わず苦笑が漏れた。

「代償を払ったのは殿下です。それなのに、先に他人に漏らしたらいけません。あなたは正しい事をしたのです」

「そうかも知れません……ですが、加護も頼りに出来ない今、あなたはどうなさるおつもりですか?」

 バルトーとユーリアの置かれている状況を知っているから出てくる問い。

 確かに手詰まりだ。しかし、諦める気は毛頭無かった。

「王司書が、今も書庫で戦っています」

 一瞬、バルトーの脳裏にユーリアの笑顔が浮かぶ。

「王司書を守りたいのです。一介の騎士の身で何を言っているのだと……笑いますか?」

 ロルフは首を横に振った。

「あなたなら、きっと素晴らしい勇者になれるでしょう」

「勇者だなんて、大げさです」

 聖女を守り切れば、そのくらい言われてもおかしくないが。

 ロルフが一瞬、片眉をきゅっとあげた。そして、慌てた様子で言う。

「……バルトー、あなたは殿下に何と言われてここに来たのですか?」

「王司書の護衛です」

「護衛?」

 何故そこで疑問形。仕方ないので再度言う。

「護衛です」

「え?……えぇ!いやいやいや」

 ロルフが変な動きをしている。狼狽えているのだ。

「大神官?」

「あなた、大事な話を聞かされていませんよ!」

 その言葉に、王妃と話した時の事を思い出す。あれ以来、徹底的に情報が漏れるのを止められてしまって、今に至っている。

「別に、構いません。今更です」

 バルトーはロルフを見据えた。

 ユーリアを守る。何を聞こうとも、それは変わらない。もう決めてしまっているのだ。

 ロルフは暫く黙っていた。迷っていたのだろう。そして、話し始めた。

「はるか昔、民間信仰の一つとして、勇者信仰と言うものがありました。それは我が国が興る以前より続いていましたが、今ではすっかり廃れ、伝承からも消え去ろうとしていました。だから、勇者が何であるかも、実在したのかすら、分からなくなっていました」

 勇者信仰……。初めて聞く。そもそも勇者なんて言葉、滅多に使わない。武勲を挙げて歴史に残るような猛者を指すのだと思っていた程度だ。

「殿下が長年探していたのは、勇者の可能性がある人間でした。殿下は言いました。勇者は、人の身から成り上がるものだと。成り上がれば、地上最強の、力の代行者だと。……僕は問いました。勇者がもし地上の敵になったら、地上はどうなるのかと。答えは簡単でした。勇者は聖女と命を共有する事で勇者に成り上がる為、聖女が死ぬと共に死ぬ。神の愛し子である聖女が居る限り、勇者は道を違えないと」

 ロルフは、バルトーをじっと見た。

「聖女は生涯狙われ続け、勇者はその敵を討ち続けるそうです。一時、聖女を守って免除される護衛とは違うのです。力を得る代償に、生涯を聖女に捧げる事になります。僕は思うのです。半天の支配するこの国に、勇者が必要なのかと。聖女は今も半天に手厚く保護されています。もしあなたがこの役目を離れても、慈悲深い半天は聖女を保護し続けるでしょう。あなたが勇者になる必要があるのですか?」

 エスライン王国の大神官として、この人はとても出来た人なのだろう。

 勇者と聖女と言う歴史に埋もれた存在が出現し、歴史に大きな変化をもたらそうとしている事に強い危機感を持っているのだ。

「もし、勇者が半天と同等か、上の存在だとしたら、この国に居られなくなるとお考えですか?」

「周囲が黙っていないでしょうね。僕もあなたと直に話していなければ、ずっと恐れていたと思います。聖女の命が尽きるまであなたはあなたの意思で動けます。陛下を討つ事だって可能だそうです」

「そんな事しませんよ!」

「そんな事とあなたの言う様な事も考えるのが人間です。あなたにも心当たりがあるでしょう?」

 ふと、ユーリアが、幼少時に人の悪意で倒れたと言う話を思い出す。聖なる結界の内部でさえ、人間の感情や思考は、悪意を生み出せるのだ。

「実は神殿で、僕と殿下の話を聞いてしまった者が居たらしく、噂が広まりつつあるのです」

「どの様な噂ですか?」

「神は半天の代わりに、勇者を王にするおつもりだと」

 それでは半天を信奉している者と勇者を信奉する者で争いになってしまう。

「大神殿では、壁画の一部が光ったり、聖水の銀盤に吉兆の文様が現れたり、王族の誕生でも起こらなかった奇跡が立て続けに起こっていて、噂を止める事が出来ない状態なのです」

 大神官、機密情報、ダダ漏れかよ!あんた、不器用なだけじゃなくて、無防備過ぎ。それと神様、勝手に意味深な事しないでください。やめてください。

 とか心の中で叫んだが、今更言っても仕方ない。ここでひっそりと過ごす時間はそう長くなさそうだ。

 ユーリアをここに閉じ込めたままにしないと王妃は言った。諦めていないと。

 王女になれず、家族とはもう暮らせないユーリア。ひとりぼっちで世間知らずの聖女。……そういう事か。

 バルトーは、王家が、ユーリアの家族として、バルトーに何を求めていたのか理解した。

「ここに居続ける気はありません」

 きっぱりと言うバルトーにロルフは驚く。

「もし、私が勇者とやらに成り上がれたなら、王司書を連れて王宮を出ます。国も離れます」

「騎士として、国に仕え続けたいとは思わないのですか?」

 騎士としての暮らしは充実していた。しかし、今託されようとしている事から逃げたいとも思わない。

「殿下は、何も言わずに人間が狂う図書館に私を放り込んだ人です。今更、忠誠とか言われても以前の様にはいきません」

 おどけて言ってから続ける。

「それに、地上で最強になってしまうのであれば、守るのは聖女と世界ですよね?この国だけじゃない」

「……そうですね」

「この国は半天が居ます。勇者の出番は無いでしょう。しかし、世界には勇者が必要だから、聖女が生まれたのだと、私は思います」

 どうやって成り上がるかは分からない。しかし、もう勇者に成り上がるしか道がない。

 そのあたりの詳しい事情を、この人は知っているのだろうか?だったら聞きたい。

「僕は、大神官失格ですね。神の言葉に恐れをなして疑っていました。あなたの言う通りです。勇者は地上に必要なのでしょう。あなたに会えて本当に良かった」

 ロルフの表情は晴れやかだ。

「ところで、どうやって勇者に成り上がるのか、ご存知ですか?」

「知らないのですか?」

 知らないから聞いているのだが。

「……あなたは?」

「僕?僕が知る訳ないじゃないですか。文献に残したいので教えて欲しいのですが、知らないなら仕方ないですね。勇者になれたら教えてください。絶対ですよ。神殿を支える資金源になりますから。勇者の秘術とか、凄い高値で取引されそうじゃないですか」

 肩の荷が下りたと言わんばかりに、呑気に笑うロルフ。この人、悪い人ではないけれど、腹が立つのは何故だろう。

 無防備、加えて人の気持ちに鈍い。こうなったのは、神殿の環境のせいだろう。

 貧乏な神殿で、金目のものが無いから賊に襲われない。それで無防備。苦悩する相談相手や、これから結婚するラブラブカップルが金にしか見えていないから無神経なのだ。

 信仰心も道徳もあるのに、貧乏が全てを台無しにしている。

 分かったところで全然嬉しくないが、とりあえず納得はできた。

「では、僕はそろそろ帰ります」

 バルトーは、にこにこしているロルフを連れて詰所に行くと、大神官だから丁重にお送りする様にとだけ伝えて、置き去りにした。

 おう、初めて見た!とか、筋肉たりないですよ、とか、お肉たべますか?など、集まった騎士達にもみくちゃにされていたが、放置した。

 ひ~とか、ぎゃ~とか言う声は、完全に無視する。肉の海に溺れてしまえ、と思う。

 あんたも肝心な事知らないじゃないか!勇者、勇者ってあおっておいて、何だよ、そのオチ!

 バルトーは、図書館に戻りながら心の中で文句を言う。

 確かに、知りたい情報は持ってきてくれた。しかし、本当に大事な部分がぼやけて見えない。

 地上最強の力の代行者だそうだが、今一ピンと来ない。魔法が使える様になるとか?半天みたいに空を飛べるとか?

 国王を殺せる、とか言っていたけれど、そんなに強いのか?そんな強さじゃどこの国にも長居できないだろう。素性がばれたら終わりだ。何処の国も勇者の力を欲しがり、利用しようとするだろう。きっと定住は無理だ。

 それに、命を共有するとか言っていた。ユーリアが死ねば、死ぬ。自分が死ねば、ユーリアも死ぬ。

 こんなにも問題のある未来だと言うのに、深刻になれないのはどうしてだろう?不安よりも、喜びが勝っている。

 勇者になれば最強なのだ。絶対にユーリアを守れる。ずっと旅でもいいと思う。だって、ユーリアはもう自分から離れられないのだ。何処に行っても一緒に居られる。

 口に手を当てて立ち止まる。きっと耳まで真っ赤だ。鼻血が出そうだ。

 凄く頑張れる気がした。こんなやましい気持ちで大丈夫か心配だが。

 とりあえず、クラウンは見られても仕方ないが、こんな顔は見られないようにしなくては、と思うバルトーだった。


 調べものに一区切りつけて、食事に出て来たユーリアは、思わず目元を手で庇った。

「王司書?どうしました?」

「……ちょっと書庫が暗かったから、ここに出たら眩しくて」

 嘘だ。本当に眩しいのは、バルトーのクラウンだ。七色に輝いて一瞬目が眩む。

「大丈夫ですか?」

「大丈夫」

 バルトーが心配そうな顔をしているので、慌てて答えた。

「今日は早く寝てください。頑張りすぎです」

「うん」

 あえて見ないようにしてきたバルトーのクラウンが、ちょっとの隙に大変な事になっている。

 まさか無視できない状態になるなんて思ってもみなかった。

 もしかして、真心の王冠と言うものだろうか?それっぽい感じではある。……何故、急に?

 応接室に入ると、食事の準備が済んでいた。

 座ると、ユーリアは言った。

「私が書庫に籠っている間に、何かあった?」

 バルトーは頷いた。

「実は、ここに大神官がいらっしゃいました」

「大神官が?……お兄様の親友だって話は聞いているけれど、どんな人だったの?」

「殿下のご友人でしたか。そうですね。善人ではありますが、一言で言えば無神経でした」

 大神官なのにそれじゃ困るよね。何か、失礼な事でも言われたのだろうか?

 気になるが、まず聞くべきは別にある。

「わざわざここに来たって事は、何か話をしに来たって事だよね」

「はい。加護について問い合わせていて、それについて、話を聞きました」

「どうだった?」

「俺が使うには不向きな武器な上に、半魔を倒すほどの威力はありませんでした」

「そう……」

 予想はしていたが、やはり加護はあてに出来ない。

「他にも、話をしたの?」

 バルトーは答えなかった。

「何か、言われた?」

 重ねて聞くと、ゆっくりと話し出した。……私に聞かせるべき内容と、そうでない内容を選んでいるのだろう。口調がゆっくりだ。

「俺が、大神殿の神託によって、ここに来た事を言われました」

「大神殿の神託って、供物を捧げて神様にお伺いを立てるやつよね?」

 本で読んだ。神様の声を聞く一般的な方法だと。

「……ご存知でしたか」

 バルトーは、渋い表情をしている。まさか知っていると思わなかったと言わんばかりの様子だ。半天には天啓があるから、不必要な知識だと思ったのだろう。

 誰かが供物を捧げて、バルトーを選んだのだ。勇者となるべき人間を。

「お兄様ね?」

 バルトーは黙る。これは肯定と同じだ。

 と言う事は、バルトーは自分が何故選ばれたのか知っていると言う事?

 これは聞かなくてはならない。大切な事だ。

「お兄様が何をお尋ねになられたのか、聞いた?」

 バルトーは、困った様子で言った。

「神官は、神と質問者をつなぐだけで、質問の内容は知らないそうです」

 確か本にもそう書かれていた。それなら、バルトーは自分が勇者になる事を知らないのだ。大神官は神官だから。ちょっと残念に思う。

 死なない為に、私があなたを人の枠から外れた存在にしますよ。なんて話は自分からしたくない。

 ユーリアは、バルトーの顔が少し強張っている事を見逃した。

「他には、何か聞いた?」

「殿下が神託で得た答えが人だったので、どんな人間なのか見に来たみたいです」

 見に来たって、珍獣じゃないんだから。

「確かにちょっと無神経そうな人ね」

「……食べましょう。冷めてしまいます」

 話を切り上げる様にバルトーに促され、ユーリアはそれに従った。

 何となく会話が無かった。

 加護の効果が今日明らかになった事で、ユーリアは心苦しい気分を味わっていた。

 バルトーはとっくに気づいている筈だ。ユーリアが書庫で、加護以外の何かについて、調べている事を。

 あえて何も聞いてこないのは、待ってくれているのだ。

 勇者の事を隠しておくのも、そろそろ限界な気がする。言わなくても事は進んでいる。

 バルトーのこの変化は、もう時が満ちている事を知らせている気がする。

 文献には聖者の特徴が色々示されていた。

 人の心を見抜くとか、隠されたものを見るなど、それらしい事が書かれていた。悪意を跳ね返す。力を跳ね返す、と言う事も書かれていた。ユーリアと同じだ。

 そしてもう一つ。人に命を渡せると言う事も書かれていた。複数の文献に。

 命を渡すって何?考えて出た結論は、死んだ人間を蘇られる事が出来ると言う事だった。

 それで、バルトーを勇者にする方法が何となく分かってしまった。

 多分、バルトーは一度死ななくてはならない。そして、ユーリアが蘇らせる事で勇者になるのだ。

 勇者の王冠とは命の事で、一度失った王冠を補う為に新しい王冠を渡すのだ。

 これが、あの軽い感じの天啓の、ユーリアなりの解釈だ。他に考えられないのだ。

 こんな事、事前に練習も何もできない。きっと最初で最後、一度きりだ。卑屈にならずに、ガッツで頑張るしかない。

 しかし、もし生き返らなかったら、ただの見殺しだ。

 大好きな人を殺すとか、あり得ないし。そもそも、どう説明すればいいのか……。

 半魔を倒せる勇者と言う存在になって欲しいので、まず死んでね。安心して。初めてだけど、頑張って生き返らせるから。

 思わず頭を抱えたユーリアを、バルトーがじっと見る。

「あ、何でもないのよ。本当」

「王司書……」

「な、何?」

「もしここを出られたら、何処に行きたいですか?」

 思ってもいなかった質問に、ユーリアはきょとんとする。

「行ってみたい場所は、ありませんか?」

 考えないようにしていた先の事が一気に頭の中を巡り始める。

 きっとそのときは一人だ。何処に行こうか?王宮の外へ出て、生きていけるかな……。

 何とかなると思うしかない。

「俺が連れて行きます」

 胸が痛い。聖女と行く、聖婚の嫁探しの旅だけは避けたい。絶対一緒になんて行かない。でも、そうも言えない。

 バルトーは、今の話の答えを待っている。

 どうせ、もしもの話だ。言うだけならタダだ。気づいたら言っていた。

「海。海を見たいかな。船にも乗ってみたい」

「船は、あまりお勧めしません」

「バルトーは乗った事があるの?」

「何度か。……長旅になると、食事も景色も単調なので飽きます」

「楽しみの出鼻をくじくわね」

「経験論です。俺も最初はすごく楽しみにしていましたが、そうだったって話です」

 従騎士時代、騎士達に付いて、色々な場所を旅したと言うバルトーは、外国の事も話してくれた。それから、旅の話を沢山した。

 行きたい場所も食べたい物も、やりたい事も言ってみた。バルトーは嬉しそうに聞いてくれた。

 バルトーと街を歩いたり、景色を見たり、ついつい楽しい事を想像してしまうじゃない。

 こんなに楽しくて、幸せな話、するんじゃなかった。……切なさだけが残った。

 食後、バルトーの勧めで、寝室に行ったけれど眠れないので、風呂に湯を張ってゆっくりと入った。

 それから洗濯も一緒に片づけて、空き部屋に干した。

 少しすっきりしたけれど、やっぱり眠れない。

 書庫に行こうかと思ったけれど、バルトーに言われて鍵をかけてしまった。今日はもう休ませたいと言う彼の強い意志の現われだ。

 開けようとすれば、音で気づかれてしまうだろう。

 バルトーの優しさが……辛い。

 部屋で椅子に座っていたけれど、飽きて来たので、中庭に出た。

 寝間着では少し肌寒いが、心地よかった。

 ムシュラムに襲われて以来、ここには来ていなかった。確か、朝はバルトーがここで鍛錬をしていた筈だ。

 何故か、もうそんなに怖くは無かった。知らないままと言うのが、一番怖い事なのだ。色々知った今、怖さは無くならないが薄れた。

 バルトーの言葉は正しい。怖くても逃げたらいけないのだ。

 夜空は晴れ渡って、綺麗な星空だった。

 幼い頃、本で色々な星や星座を覚えた。

 もっと遠い地方に行くと違う星座も見えるらしいが、それを見に行くのもいいかも知れない。

 ふと思う。星はいつもある。一緒に居てくれる。だったら、星を調べる学者になって、各地を巡るのはどうだろう。

 名案かも知れない。昼間寝て、夜旅をするから人に出会わない。山賊や盗賊は怖くないし。そうしている内に、バルトーを忘れられるかも知れない。

 忘れる……。

 激しい感情が、沸き起こった。

 忘れるなんて絶対に出来ない。こんなに好きで苦しいのに、忘れられる訳が無い。私にとっては、家族以外で受け入れてくれた初めての人だったのだから。

 星空が、ぐにゃぐにゃと揺れる。

 目を擦った。喉がなりそうになるのを、必死でこらえる。

 バルトーに気づかれたら厄介だ。涙の理由は答えられない。早く部屋へ戻ろう。

 振り向いて、息が止まりそうになった。

 中庭の入り口に、静かにバルトーが立っていたのだ。……ずっとそこに居たらしい。

 ここに出て来た時に、既に気づかれていたのだ。

 あんなに目立つクラウンがあるのに、どうして気づかないのよ、私。

 何も言えなかった。言ったら鼻声になってしまう。でも全てが手遅れだ。バルトーは目が良いのだ。

 バルトーが、無言で歩いて来る。叱られる。

 そう思った瞬間、視界が真っ暗になった。

 暖かい暗闇に、声が落ちて来た。

「一人で泣かない約束です」

 抱きしめられている。頭が混乱する。遠慮がちだった腕に更に力がこもった。

「俺では……ダメですか?」

 何も言えない。でも思う。

 ダメ。バルトーはダメ。だって嫁が待っている人だから。

「俺に出来る事を言ってください。言ってくれないと、分かりません」

 できる事?もう優しくしないで。これ以上、好きになりたくない。辛いだけ。だから離れたい。

 でも、それは出来ないと言うに違いない。護衛だからとか言って。酷い。酷過ぎる。

 ユーリアの目から一気に涙が溢れた。そして強い怒りが湧いてくる。今まで、我慢してきた何かが決壊して一気に溢れ出る。

 彼は勇者になって、聖婚して別の女と幸せになるのだ。本当はお姫様のユーリアをぽいっと捨ててしまうのだ。

 物語なら、絶対にハッピーエンドなのに。現実は違うから。

 もうバルトーが勇者になってしまえばいいのだ。カックリ逝ったら、すぐに生き返らせてやる。そうすれば、勇者の出来上がりだ!こんな息苦しい日々は終わる。

 ユーリアは怒り任せに、両腕でバルトーの胸を押した。そして彼を睨みつけて叫んでいた。

「だったら死んで!」

 夜目にも、バルトーのぽかんとした顔がはっきり見えた。

 自分の言っている事がおかしいとは、ユーリアは微塵も思っていない。冷静じゃない上に、ユーリアの中では筋が通っているから。

「死んで。すぐに死んでよ!」

 ユーリアは茫然としているバルトーを置き去りにして、泣きながら走った。

「それ以外は、していらない!」

 捨て台詞まで吐いた。

 そして、部屋に入ると泣きながら眠った。

 そのせいか、バルトーが嫁(顔は分からない)と、食事をしている所に、身動き出来ない状態で同席し、無理やり見せられ続けると言う悪夢を見た。

『はい、あ~ん』

『おいしいです。あなたの料理は最高ですね』

『まぁ、うふふ。もっと召し上がって』

 ごめんなさい、バルトー。もう許して。本当にごめんなさい。嫁、そんなにひっつかないで、もうやめて!やめて!

「いやぁぁぁぁ!」

 叫び声が、掠れて枯れていた。

 夢見が最悪だったせいか、寝起きも最悪だった。久々の感覚に思い当たる所がある。……熱が出ている。

 長風呂の後、外に長く居過ぎた。疲れもたまっていた。当然と言えば、当然の結果である。

 半天は丈夫だが、病気をしない訳でもない。やはり純粋な天使とは違うのだ。

 泣き過ぎで目が痛い、体がだるい、汗で気持ち悪い、喉が渇く。それにしても、ここまでの状態は久々だ。

 王妃が来ていたなら、すぐに助けてくれただろう。でも、ここにはもう来ない。

「お母様」

 呟いたが、来てくれる訳が無い。来てくれるとすれば……一人だけだ。

 そこで朦朧としていたが、昨日の夜を一気に思い出した。バルトーに死ねと言った!

 自分史上、最悪な暴言だった。

 今思えばあの時既に、調子が悪かったのだろう。とんでもない事を口走ってしまった。

 ふらふらするが、起き上がる。汗臭い寝間着のまま出られず、どうにか着替える。

 扉を開けて、廊下をよたよたと歩き、バルトーの部屋の前まで来る。

 ノックするが返事が無い。

 バルトーが、腹の辺りから血を流してうつ伏せに倒れている姿を想像してしまう。

 自害していたらどうしよう……。

 扉を開けてみる。そっと覗くと、中は静まり返って、人の気配は無かった。居ないらしい。

 扉を閉め、思い当たる場所を、熱のある体を引きずって探し回る。

 何処にも居ない。

 ここにはずっと一人で居た。慣れた場所だった。それなのに、何処にもバルトーが居ない。それがじわじわと心に重くのしかかって来る。

「バルトー……」

 掠れた声で呼んでみたけれど、返事は無い。

 あんなひどい事を言ったから、出て行ってしまったのだ。

 ユーリアは、その場に崩れる様に座り込んだ。

 自業自得だ。あんな事を言ってしまったのだから。……そうか、バルトーが勇者にならなくても、ここを一人で出て行けば、幸せになれるんだ。

 ちょっとだけ休憩して、部屋に戻ろう。もう、動きたくない。

 目を閉じてどれくらいしただろうか。遠くから足音がする。どんどん近づいて来る。

「王司書!」

「……何で居るの?」

 一瞬、バルトーは傷ついた表情になった。

 それでも、ユーリアの額に手を当てて状況を理解すると、すぐに抱き上げた。

「ごめんね……運ばせて」

「謝る所、そこですか?」

 不機嫌な声に、ユーリアは朦朧となったまま考える。そう言えば、さっきもちょっと酷かったかな。何で居るのって……。

「ごめん」

 一杯言い訳したいが、喉がカラカラで声が掠れてしまう。だから、とりあえず謝る。

「……」

 バルトーは怒っていると無視するんだった。初めて出会った頃を思い出す。

 あの頃は、こんな風になるとは思っていなかった。ただ、格好良かったから笑顔が見たくて、話し相手が欲しいだけだった。

 すごく怖かった時も、家族と会えなくなってしまった時も、一緒に居てくれた。泣き言も許してくれた。気づいたら、好きになっていた。

 バルトーは、ユーリアの部屋まで来ると、扉を開けた。両手がふさがっているので、黙ったまま足で蹴とばした。凄い音がして、思わず首をすくめる。……かなり怒っているらしい。当たり前か。

 ベッドに寝かされてぼーっとしていると、バルトーが水と薬を持って戻って来た。

「人の薬は、飲めるのですか?」

 怒っていても必要な事は喋るのだ。

「飲める」

 と言うか、半天の薬は特別ではないよ。人間と同じだよ。と、喉が辛いので心の中で告げる。

 サイドテーブルに薬と水を置いて、バルトーは近くの椅子を引き寄せて側に座る。

 そして足元に水桶を置いて、額に濡れた布を置いてくれた。

 しかし、マッチョな騎士が腕を組んで、無言で目の前に座っているので、看病と言うよりも監視されている気分になる。

 額に乗せた布を水で絞って交換する時以外、微動だにしない。怖すぎる。

「もう、いいよ」

 ここに居なくてもいい。意味は通じた筈だ。

「……」

 あ、また無視した。

 薬が飲みたい。けれど、起き上がるのも手を挙げるのも億劫だ。

 バルトーは相変わらずだ。……正直、薬を飲ませて欲しいとは、頼みたくない。

 幼少時、王太子に頼んだ際、勢い良く傾けられたコップの水が鼻に入った経験が、今もトラウマになっている。何よりも、相手は怒っている。乱暴に飲まされる可能性が高い。鼻ツーンは避けたいが、どうしたものか。

 けれど、このまま寝ていても、辛くて深く眠れそうにない。喉もカラカラだ。

 どれくらい考えていただろうか。結局、無言で居続けるバルトーの存在に根負けして、ユーリアは言った。

「薬、飲ませて……」

 バルトーはこっちを見たが、暫く黙っていた。……まさか腹いせに、薬を与えずに、熱で弱っているのを見ていてやろうって、悪趣味な事を思っているのでは。

 様子を見ていると、バルトーは薬とコップを持って、おもむろに自分の口に含む。

 ひどっ!その嫌がらせ、私の想像超えたよ!病人の薬を奪うとかあり得ないし。

 と、次の瞬間、バルトーが近づいてきて、乾いて半開きだったユーリアの口に、薬を流し込んできた。口移しで飲まされたのだ。

 一瞬何が起こったのか分からず、ユーリアは目を見開いた。

 何?え?薬ってこうやって飲むの?

 驚きながらも、喉の渇きに負けて飲み込んでしまった。

 すると再びバルトーは薬と水を含み、こぼさない様に、口に流し込んでくる。

 ユーリアは、動かない体と、心の衝撃のあまり、抵抗できずにただ飲み込む事を繰り返した。

 全部飲ませ終わったバルトーは、コップと、空になった薬包をサイドテーブルに置いて再び座った。

 ユーリアは暫く呆けていたが、慌ててバルトーに言った。

「ちがう、それ」

「薬を飲ませました」

「だから」

「薬を飲ませました」

 言葉を被せてくる悪い癖もあったな。と思いながら、水で少し復活した喉でユーリアは頑張る。

「聖婚、しないの?」

 今やったの、いかがわしい事だよね。神様が禁止している様な。知らないけど、多分当たっている筈。それ、聖婚が出来なくなるのでは。

「誰が、聖婚するんですか?」

 口で言わず、目線を投げる。あなたです、と。

 バルトーは理解してくれたが、その直後、何が気に食わなかったのか、凄く不穏な笑顔で立ち上がると、サイドテーブルからコップを取った。

「喉、乾いていますよね?」

 首を微かに横に振る。本当は乾いているが、それはダメ。とにかくダメ。鼻ツーンよりダメ。

 それなのに、バルトーはユーリアの意思表示を無視して水を飲ませた。コップが空になるまで。

 何?この拷問。

 喉は確かに潤った。楽になった。結果が大事だと一般には言われているけど、過程も、とっても大事だと思う。

 魂が抜けた様になったユーリアの額の布を交換しながら、バルトーは言った。

「俺の気持ちを無視するからです」

 バルトーの気持ち?

「聖婚はいいの?」

「もう一杯、水が必要ですか?」

「いらない!」

 バルトーは聖婚する気が無いらしい。それは分かった。でも、何で?

 呆れた顔でバルトーはユーリアを見ている。

「ここまでして、まだ分からないんですか?」

 聖婚しないって事は……。勇者になる人だし。

「女性と浮名を流したい、とか?」

 バルトーのこめかみに、ぴきっと、血管が浮き出た。

「意味、分かって言っていますか?」

 物語で読んだだけで、意味はちゃんと分かっていません。ごめんなさい。

「もう言いません」

 バルトーはため息を吐いた。

「少し、眠って下さい」

「あのね、死んでなんて嘘。嘘じゃないけど」

「……話は、元気になってからにしてくれませんかね?」

「はい」

 これ以上墓穴を掘る前に、口を閉じた方が良さそうだ。

 あんなに酷い事を言ったのに、どうしてこの人は側に居てくれるのだろう?クラウンも相変わらず綺麗な七色をしている。もう、輝いて眩しい訳じゃないけれど。

 ユーリアがじっと見ていると、バルトーは濡れた布をずらして、目の上に置いた。さっさと眠れ、と言う事らしい。

 暗くなって、ユーリアの意識も落ちて行った。


 ユーリアの熱は、その後半日程で下がった。

 バルトーが食事にスープを持ってきたので、ユーリアは内心ビクビクしていたが、普通に食べさせてくれたので、ほっとした。

 でも、食べさせられた。

 本当は自分で食べたかったけれど、こぼすと面倒だからと、バルトーが譲ってくれなかったのだ。

 口移し事件は、熱で朦朧としていたのと驚き過ぎで、未整理のまま頭の中で置き去りになっている。というか処理能力を超えた。

 動けなかったから仕方ないよね。とか、助けてくれたから、もういいや。とか色々言い訳を付けて、そのまま封印しつつある。

 ユーリア的には、食べさせてもらう方が、心臓に悪かった。

 ただ座って、無防備に口を開けて食べるだけと言うのが、酷く恥かしい。

 バルトーが、飲み込むまでじっと様子を見て、また次を出してくる。その繰り返し。

 気遣ってくれる眼差しに、とても優しい手つきに、ドキドキしてしまった。

 バルトーは挙動不審なユーリアを最初心配していたが、具合はすこぶる良かったので、空腹任せにスープを完食したら、ほっとして出て行った。

 バルトーが食べさせてくれた事で、仮想嫁の悪夢は忘れられそうな気がした。初めてバルトーが食事を食べさせた女は、少なくともお前じゃない!残念だったわね。

 あ……。それどころじゃなかった。

 そう思うと、記憶が押し寄せて来た。吐いた暴言の数々がユーリアの心にザクザクと突き刺さって来る。

 具合が悪いとあんな風になるなんて、自分でも知らなかった。……まずい。早く言い訳をしなくては。でも、あんまりにも酷過ぎて、何をどう言えばいいのか分からない。

 どうしたらいいかとユーリアが焦っていると、バルトーが戻って来た。

 湯気のあがる手桶に真新しい布がかかっている。

 何?それ。……聞く前に、宣言された。

「体を拭きます」

 また、ユーリアの処理能力を超える事が起きようとしている。

「自分でやる」

「ダメです」

「だから」

「ダメです」

「最後まで言わせてよ!」

「俺は、怒っています。とてもね」

 それを言われると、言い返せない。

「あなたの要望を聞いたら、俺は死ななくてはならないのでしょ?それ以外はしていらないとまで言われました」

「それは……」

 言った。確かに言った。

「だったら、あなたの要望は全部無視しないと俺は生きていられない。そう言う事なので、あなたの意見は却下します」

 そう来たか!うわ、どうしたらいいの?このままでは体を拭かれてしまう。

 ばんざ~いとか、子供みたいに服を脱がされて、ぺったんこの体を見られてしまう。それは嫌だ。絶対に嫌だ。でも、追い込まれて、どうにもならない。

 こうなったら、全力で許しを乞うしかない。それで許してくれるか分からないけれど、それしかない。

 ユーリアはバルトーを見上げた。

「お願い」

 ユーリアの口から震える声が出ていた。緊張で見開いた目も潤んでくる。

「もう、許して!」

 暫くの沈黙の後、バルトーの顔がみるみる赤くなっていく。慌てて口に手を当てると、バルトーは横を向いた。

「バルトー?」

 様子を見ていると、まだ赤い顔をしたまま、バルトーは言った。

「許します!」

 やけくそ気味な声にユーリアはほっとする。バルトーはやっぱり優しいと思う。

「後で呼んでください。話があります」

 それだけ言うと、手桶を置いて部屋を出て行った。

 ユーリアは、服を脱いで体を拭いた。気分も良いし、さっぱりとした気分になる。

 新しい服を着ると、外で待っているバルトーを呼んだ。

 バルトーはまだ少し赤い顔のまま、不機嫌そうに入って来た。

 ユーリアは応接室へ行こうと言ったけれど、バルトーは、ユーリアにベッドに座るように促した。

 また具合が悪くなったら、すぐに横になれる場所が良いと言うのだ。……やっぱり優しいと思う。

 とりあえず、ユーリアは言うべき事を言う。

「昨日から、色々とごめんなさい」

「……俺もやり過ぎました。もういいです」

「ありがとう。もう許してくれないかもって思って、凄く不安だったの。良かった」

 喧嘩しても、この人とならやり直せるのだと思うと、嬉しくて安心してしまう。

「ほっとしている場合じゃないでしょ?」

「え?」

「俺としては、聞きたい事が山ほどあるのですが、聞いてもいいですか?」

 バルトーとの関係が修復されたらそこで終わりじゃなかった。自分も彼も普通ではないのだ。

 ユーリアも一気に現実を思い出す。

「まず、書庫で何を調べていたのか、聞いていいですか?」

 いきなり、核心に触れてくる。

「俺も、知っている事があります。……もう情報は共有すべきだと思います」

 大神官が来て、バルトーのクラウンが変わった。お互い、持っている情報は出さなくてはならないのだろう。

 ユーリアは、書庫で見た本の挿絵の事、勇者と二つの王冠の事、聖者が勇者を生み出す事を話した。

 バルトーは、大神官から、自分が勇者として選ばれた事、勇者信仰の事を話した。

「私の調べものは大当たりだったって事だよね?」

「そうなりますね。大神官から裏付けが取れた事になります」

 一番重要な部分は言えていない。二人とも、それは分かっていた。話の内容から、勇者に成る具体的な方法が欠けているのだから当然だ。……多分、バルトーは知らない。知っていたら、こんなに平然とはして居られない筈だ。

 沈黙が続く中、正直に話す。

「私、大事な事を言えていないの。実は……教えていいか、分からないの」

 生き返らす方法が分かっていないのに、死んでくださいとは言い辛い。

 ユーリアは聞いてみた。

「バルトーは勇者に成るの、怖くないの?」

 バルトーは苦い笑みを浮かべた。

「怖くないと思っていました。むしろ、喜んでいました」

 過去形?ユーリアは、酷く眩しかったバルトーのクラウンを思い出した。今は光っていない。

「けれど、今は怖いです」

 何故、今になって怖くなったのだろう。

 バルトーは口ごもる。そして続けた。

「……勇者に成ったら、俺は、あなたを守って旅をすれば良いと思っていました。外を知らないあなたに、色々見せてあげたかったのです。色々な人と話をして欲しかった。陛下達もそれを望んでおられる筈です」

 旅。もしもの話は、ここにつながっていたのだ。……本当にずっと一緒に居てくれるつもりだったのだ。胸が一杯になる。

 バルトーの表情がすっと冷たくなる。

「一人で、好き勝手に何処へでも行けると思っていましたか?」

 図星で反論出来ない。

「残念ですが、あなたは俺が勇者に成っても、聖女のままです。普通の人にはなれません」

「そうなの?」

「大神官の話ではそうです。と言うか、あなた元々半天でしょうに。……翼が無いから、普通の人間に紛れて暮らそうなんて、妃殿下の話していた計画そのものに無理があると思っていたのです」

「どうして?」

 国王達も元はそのつもりだった筈だ。でも、この展開で、バルトーに勝てた試しが無い。

 凄い突っ込みが来る予感がする。

「黒い霧に襲われたらどうするつもりだったのですか?何処にでも悪意は存在します。外の世界では、それが普通です」

「良い人の中で暮らせば、大丈夫……多分」

「じゃあ、それはそれで良いとしましょう。あなたに子供が出来たらどうするのですか?」

「そ、そんな先の事……」

「先とは限りません。市井の娘なら、十六で結婚する者も居ます。あなた何歳ですか?」

「十八」

「結婚していてもおかしくありませんね」

「しなければいいんだよ」

 バルトーは半眼になった。

「結婚しなくても子供は出来ます。まさか夫と同衾するだけで、鳥が運んでくるとか、思ってないでしょうね?」

「そ、それは無い」

 さすがにそこまで幼くはない。詳しい事を分かっていると言い難いけれど。

「ああ……あなたは俺以外、男と言えば陛下か殿下でしたね」

「何か、問題がある?」

「男の中には、子供が欲しくなくても、子を作る行為だけはしたがる奴が居るんですよ」

「わ、私、暴力には屈しないよ?」

「甘いです。巧みな話術で女性をその気にさせて、捨てる奴も居ますから。あなたが、俺に言いましたよね。女性と浮名を流すって。……そういう奴の事です」

「そ、そうだったの?」

「そういう男は、子供が出来ても責任を取らないんですよ」

 バルトーが怖い。そんな男だと思っていません。ひー、許して。

「クラウン、見えるから私は大丈夫、多分」

「感情の全部が見える訳では無いんですよね?後で捨てようとしているのまで見えるとは思いませんが」

 やっぱり痛いところを突いて来る。対抗できない。

「男の子だったら、翼のある子が生まれてくるのではありませんか?」

 それ、凄くまずい。

「相手が良い男でも、子供を見たら、怖くなって逃げるかも知れませんね。本当の事を、話せますか?」

 この男、言うとなったら徹底的だ。容赦無さ過ぎる。

 国王達はもっと呑気な事を考えていた筈だ。

 まさか、天啓でユーリアと会えなくなるとは思っていなかったから、市井で暮らさせても、放置する気など無かったのだろう。

 バルトーと離れたいから一人で旅をしようなんて、自分の考えの無謀さに呆れてしまう。

 外へ出たら、人と関わらずに生きるのは不可能だ。そのとき、本当に人と関係を結べるかすら分からないのに。

「半天の王女と言うだけなら、陛下達の裁量でどうにでもなったでしょう。俺と出会う事も無かったと思います。……けれど、あなたは多分、生まれながらの聖女です。遅かれ早かれ、半魔に狙われていたと思います。だから身を守る為に勇者が必要だったのです」

 何も言い返せなかった。文献を調べれば調べる程に、自分でもそう思っていたから。

 聖者には感情が見える事が幾つもの文献には書かれていた。ユーリアは昔からクラウンが見える。つまり生まれながらの聖女なのだ。

 しかし、聖女として調べると文献は激減し、手がかりは非常に少なくなる。

 聖者と言う単語で調べなくてはならないのだ。ユーリアだって偶然に知らなければ、思いもしなかった事だ。

 生まれる方法は不明だが、勇者を選定する者は男性も居るのだ。聖女はあくまでも聖者の女性だけを指す言葉で、太古の時代には一般的では無かったのだ。だから、国王達はここまで突き止められなかったのだ。

 だから国王達は誤解した。……四年前に天啓をきっかけに集めた少ない情報から、自分達の聖性がユーリアを聖女にしてしまったのだと。

 説明された時はそうなのだと納得したけれど、今はバルトーの指摘が正しいと思う。

 それにしても、バルトーがその結論を出した事に驚いた。

「あなたは、どうしてそう思うの?」

「これは、あくまでも推測ですが、陛下達の天啓の解釈は間違っています」

 そこまではユーリアと同じ考えだ。そう考えた、根拠と経緯が知りたい。

「神は、聖女としてのあなたの使命に、家族は妨げになると考えられたのではないでしょうか」

「妨げ……」

「あなたは本来、自分で勇者を選ばなくてはならなかったのではありませんか?」

 そうだ。本当ならバルトーを選ぶのは、王太子ではなくユーリアの役目だった。

「本来、勇者候補と聖女が面識を持つ様な場所なり、機会なりがあったのではないかと思うのです。そして、聖女が勇者を選び、勇者にしていた」

 勇者信仰。その話をロルフから聞いて、バルトーはそう考えたそうだ。

 確かに、信仰される程に勇者の知名度が高かったのであれば、その選定も極秘ではなく人前に行われていただろう。

 勇者の戴冠……。あの絵を見る限り、他の人の見ている前で勇者は選ばれていたのが想像できる。

 歴史が途絶え、勇者選定の内容は失われてしまったから知り様も無いが。

「実は、俺が初めて王城にあがったのは、四年前なのです」

「四年前って……いつ?」

「あなたが王司書になる前です。俺は騎士の叙勲を受ける為、国王陛下に謁見しに来たのです」

「そんなに近い場所に居たのね」

「神は、勇者に成れる俺が近くに居るのに、何も起こらない事に危機感を覚えたのではないでしょうか」

 バルトーの推測は、多分正しい。

 そこまで近くに居たのに、ユーリアはバルトーに気づきもしなかった。その後も、バルトーは三年、王宮騎士として王宮に居たが何も無かった。面識が全くなかったのだから、どうしようもない。

 勇者を選ぶには、実際に会って見なければならないのだ。……クラウンを。

 バルトーのクラウンは最初から凄く変わっていた。黒く濁る事の無いクラウン。あれだったのだ。そして、今見える七色のクラウンを見て間違いないと思う。

 ユーリアはもっと早く、大勢の人に会わなくてはならなかったのだ。

 クラウンの表す色や特性を多く知っていけば、勇者の特異性は分かる様になっていただろう。変わったクラウンだと思うだけで終わったとしたら、すかさず天啓があった筈だ。

 見定めるだけなら、長時間の面会は必要ない。ただちょっと会えば良かったのだ。その程度なら、黒い霧の問題も発生しない。

 しかし、王家はユーリアを秘匿した。それを神に注意されたのだ。

「過保護で、聖女である私に何もさせようとしない家族から、私を離したって事?」

「失礼ですが、そうです」

 実際、家族と離れた後も何も起きなかった。神様もさすがに心配しただろう。

 王太子がわざわざ安全な人間、勇者だけを選定して連れて来る所までやってしまった。

 ……正確には、やらせてしまったのだ。

 単なる過保護では無かったとユーリア自身が分かっている。

 天啓から四年。ムシュラムの襲撃があるまで事態が動かなかった事に、ユーリアは今更ながら、重い責任を感じていた。

「私が与えられた事を受け入れて、何も望まなかったから、こじれてしまった。一人になっても、誰かと居たいと思わなかったの」

「黒い霧が、怖かったのでしょう?」

 ユーリアは頷く。人が怖かった。昔向けられた悪意が、彼女の心に暗い影を落としていたのだ。

 侵入者を倒していくにつれて、自分は既に十分強くて、人は怖くないと分かって来たけれど、関わりたいとは思わなかった。

 エントランスの扉はいつも鍵がかかっていなかった。ユーリアさえ願えば、何時でも外へは行けたのだ。ずっと図書館に居る様に命令された訳では無かった。しかし、行かなかっただけだ。

 バルトーにも最初は全く期待していなかった。ただ、王太子が連れて来たと言う一点のみで受け入れたに過ぎなかった。

 ユーリアは、無意識に拒絶したのだ。人と言う存在そのものを。家族が過去に、幾度となく目を向けさせようとしても、目を逸らしていたのだ。

 聖婚の事を知らないのも、将来結婚する事を全く考えていなかったからだ。

 多分、知識として手を伸ばせば知る事の出来る範囲にあっても、手を伸ばさなかったのだ。

 一緒に居れば、口にせずとも分かる。それを感じ取っていた家族は、ユーリアの気持ちを尊重した。

 家族のせいにして怒ったりする資格なんて無かったのだ。優しい家族に、自分が甘えていただけだった。辛い事の多くは、黙って家族が引き受けてくれていたのだ。

「俺が勇者に成ったら、もう怖がらなくていいんです。あなたは家族の元に戻れます」

「戻る……」

「そもそも天啓の解釈で誤解しているだけなのですから、俺が勇者に成れば、あなたは陛下達と暮らして良いのです。陛下達は半天です。あなたを守ってくださるでしょう」

「でも、バルトーは?」

 バルトーは目を伏せた。

「俺は国を出ます。半天と勇者がおなじ国に居る事は、良い事では無いみたいです」

「そんな……でも」

 一緒に旅をしてくれるつもりじゃなかったのか?どうして一人で行ってしまうの?

 勇者は聖女を守るのに必要だって言ったのに。置いていくの?

「俺の頭の中は、正直に言えば今、滅茶苦茶なんです」

 バルトーは苦笑した。

「あなたには俺しか居なくて、俺が何とかするんだって思っていました。でも、そうじゃないし、あなたにも意思があるって気づいて……俺の気持ちを主張してみたり、やっぱり離れるべきだと思ったり」

 バルトーとユーリアの視線が合う。バルトーのこんなに辛そうな顔は見た事が無い。

「半魔と戦うのは、怖くない。死んでもいい。あなたを守れるなら。でも、あなたに嫌われるのは……怖い」

 ユーリアは、息が詰まって、胸が苦しくなった。バルトーを追い詰めてしまった。

「ごめんね……ごめんね」

 ただ、うわ言の様に呟く。

 泣いている自分を、一人にしたくなくて抱きしめてくれた腕を思い出す。……何で、あんな事を言ったのか。本当に馬鹿だ。

 自分の事ばかり考えていた。この人は、こんなにも自分を想ってくれているのに。気づこうともしなかった。

 どこまでも臆病で、甘ったれな自分が嫌になる。

「泣かないで」

 バルトーがユーリアの頬にそっと手を当てる。気づかない内に泣いていたらしい。

「俺は……また、言い過ぎましたね。頭を冷やしてきます」

 言い過ぎたのはこっちだよ。バルトーじゃない。

 バルトーが立ち上がろうとする。

 このまま行かせてはいけない。行かせたら、彼は勇者に成った後、一人で何処かに行ってしまう。

 ユーリアは、バルトーに抱きついた。必死にしがみつく。

「お、王司書!」

 バルトーの声が慌てている。ユーリアは腕に力を入れる。

「行かないで!」

 ユーリアは必死で言う。

「バルトーが、好きなの!」

 バルトーの動きがぴたりと止まる。

「好きだから、気持ちを隠したの。私はあなたの聖婚相手じゃない。聖婚するつもりだって言っていたから、そうするのだと思ってた」

「聖婚するつもりだった。……過去形で言った筈です」

 バルトーが掠れた声で突っ込んでくる。

「細かい事、聞いてなかった」

「酷いですね」

「ごめんね。でも、あの話まで、私は自分の気持ちに気づいてなかったの。だから、余裕なんて無かったの」

 バルトーの腕が恐る恐るあがって、ユーリアの背に回る。

「気持ちを押し殺して一緒に居るのは、辛くて、苦しくて、将来の話をしたら、色々我慢出来なくなって、泣いて……本当に逃げるつもりだった」

「もう、逃げないんですか?」

「逃げない!」

 ユーリアは我知らず叫んでいた。

「こんな、何も知らない、馬鹿で臆病で、ぺったんこな私でも良いって言ってくれるなら、ずっと一緒に居させて……置いて行かないで」

 ユーリアはきつく目を閉じたままじっとバルトーにしがみつく。

 頭の上から声が落ちてくる。

「あなたは人を知らない。もしかしたら、俺よりも好きな人に出会うかも知れない。そうなっても、俺はあなたを手放しません」

「構わない」

「聖婚相手が、あなたにだって居るかも知れない」

「いらない」

「本当に?」

「本当!」

 べりっと、バルトーがユーリアを引き離した。そして、驚いているユーリアの顔を上向かせる。

「じゃあ、お互いに聖婚相手が現れない様にしてもいいですか?」

 バルトーの目がいつもと違う。必死で、何だか怖い。

「い……いいけど」

 ユーリアは胸騒ぎがしたけれど、流れ的にここで引き下がる事も出来ず、そう答えた。

 でも、確かそれって……。

「ユーリア」

 初めて名前を呼ばれ、ユーリアは弾かれた様にバルトーを見た。思考が止まる。

「俺も好きです。愛してる」

 頭の中まで、真っ赤になった。

 その後、色々と理解を超えた事が一気に起きた。

 抵抗はしたけれど、バルトーには害意が一切無いらしく、ユーリアの能力は全く役立たずだった。そして、名前を何度も呼ばれて、自分も呼んで、何が何だか分からなくなって……。

 凄かった。そりゃこんな事した後では、神様に別の相手を下さいとはとても言えない。聖婚、無理。

 それにしても温かいな。人ってこんなに温かいんだ。

 ユーリアはそんな事を考えながら、眠りの中に落ちていった。

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