2.リリアたんの平日
夜遅くまで行っていた母との交渉は、首尾よく終わりました。
母の家に向かったのが、お兄たまとの夕食後なのですから、夜が更けるのも当然ですね☆
日中に行けばわたしを溺愛する母の事、夕食をご一緒しなくてはいけなかったでしょうから、この判断は妥当といえます。
勘違いして欲しくないのですが、わたしは母の事が嫌いなのではありません。
お兄たまの事が誰よりも大好きなのです。
なのでお兄たまとの夕食を最優先しました。
交渉については、もちろん大金ですから多少は渋っていたのですが、使おうとしているのはわたしが仕事で稼いだお金です。
用途さえちゃんと伝えておけば、母も強く拒めません。
お兄たまが無事合格した際はこのお金を使うとして、明日は月曜日です。
…………憂鬱ですね…………。
わたしは学校が好きではありません。
聞くところによると、学校は勉学を勤しむところだそうなのですが、わたしはそう思いません。
空気として存在する場、むしろ忍耐力を高めるところだと思います。
サボりたいのは山々なのですが、それではお兄たまを心配させてしまいます。
わたしは痛む胃を抑えつつ、布団にくるまります。
こういった眠れない日に仕事が出来ると良いのですが、嫌な事が迫っていると想像力が働きません。
絵の方も嫌々描いてる感が滲み出てしまい、読者の方を不快な気分にしてしまうので描けません。
ただしこの状態は、日曜の夜のみです。
曜日を消化していくにつれ、体調は良くなってきます。
週も半ばになると、ほぼ平常時に戻ります。
そうでなければ、仕事に支障が出まくりますからね。
そうして悶々とベットを転がっている内に、朝を迎えてしまいました。
平日の朝、わたしの顔は大体死んでいます。
お兄たまは学校が遠くにあるせいで、朝食を取ることなく、早めに家を出て行ってしまいます。
以前、早起きして朝ご飯を作ろうとしたのですが、お兄たまはわたしの体を気遣って、それをやめるよう言ってきました。
確かにお兄たまに合わせて早起きするとなると、5時には起きなくてはいけません。
そうなると、締め切りの都合上、眠るのが遅くなる日は起きられる自信がありません。
ちなみにお兄たまはわたしが仕事していることを知りません。
なので純粋にわたしの事を大事に思ってくれているのです。
腹違いの義妹のわたしを……。
わたしとお兄たまは父は同じなのですが、母が違います。
昨日会ってきたのはわたしの母で、お兄たまのお母様はもう亡くなっています。
父と母は離婚して…………やめましょう。
ただでさえ気の滅入る月曜日です。
元々無い食欲が、完全に無くなってしまいました。
わたしはダラダラと支度を済ませ、足取り重く学校に向かいます。
学校の始業時間にはまだ早いのですが、わたしの歩みが遅いのと、遅刻が許されない事からマンションは早くに出ます。
もし遅刻をして、母に連絡されてしまうと、こちらのマンションに住むことを許されなくなってしまうので。
学校に着くとまず、図書室へ足を運びます。
ここは常に開放されており、学校生活唯一のオアシスとして機能しています。
始業時間ギリギリまで本を読んで過ごし、自分のクラスへ向かいます。
教室に入るなり、自分の机に向かって突進します。
そうでもしなければ、クラスメイトの視線が痛いのです。
全員がわたしの事を見ている気がします。
笑い声が聞こえたら、わたしが笑われている気すらします。
他の人は仲の良い友達とかに挨拶をするのですが、わたしに挨拶をしてくる人は誰もいません。
わたしもしないのですから、当たり前ですが。
チャイムが鳴り、担任の先生の点呼が終わると、授業が始まります。
勉強は嫌いですが、授業は嫌いではありません。
誰もわたしの事を気にしないのですから……。
問題なのは体育です。
月曜を嫌な理由の一つが、時間割に体育が組み込まれている事です。
さて、体育の時間になりました。
例のごとく、準備運動で二人組になりなさいと指示が出ました。
わたしは脇目も振らず、すぐさま先生に声をかけます。
「さあ先生、いつものように組みましょう!」
前までは見るに見かねた先生が声をかけてくるまで待っていたのですが、最近では率先してこちらから声をかけるようにしています。
「あの、椿姫春さん……。今日は一人欠席してるから、残念だけどあの子と組んであげて……」
寂しそうな顔をした先生が指し示した方を見ると、大人しそうな子が不安げにこちらをチラチラ見ています。
ただそこは性格の悪さには人類最強クラスの自負があるわたし、そんな事情はさておき、先生を説き伏せにかかります。
「先生! わたしは先生と組めないと死んでしまう病気なのです……」
目を潤ませ、手を祈るように合わせながら懇願します。
「か、かわ……、エヘンオホン。じゃ、じゃあしょうが無いわね、先生と組みましょう! え~っとそこの組、あの子と三人組になって!!」
強めの口調でそう指示を出し、怒っているのか顔が赤くなっている先生と組む事に一応成功しました。
しかし代償は大きく、先生にも嫌われてしまったかもしれません。
今日の体育はドッヂボールだったのですが……。
わたしはボールを当てられることなく、当てることもなくただただ突っ立っていただけでした。
わたしとしてはサッサと当てられて、外野でノンビリ負のオーラを放ちたかったのですが、いないよう扱われてしまっては為す術はありません。
無駄な抵抗として相手チームにボールが渡ると、ボールを持っている人の目を熱く見つめていたのですが、彼(女)らは、
「うぅ…………」
と唸るだけで別の人にボールをカチ当てていました。
わたしの相手をしてしまうと、当てた子もわたしと共にハブられてしまうからでしょう。
わたしの包囲網が狭まっている事が日々実感できます。
給食の時間になりました。
この学校では、男女混合5~6人の班ごとに机を合わせて食べることが強要されてます。
何故こんな、ぼっち潰しのシステムにしているのでしょう。
苦痛で仕方ありません。
この学校の給食は、教室での給食委員の配膳方式になっています。
わたしは一番最後に並び、最後に残ったどえらい量の残飯を各お皿に盛り上げられる事になります。
おや、本日はデザートのプリンが一つ、余っているようですね。
そういえば体育の時間に、先生が一人休んでいると言ってました。
そのプリンも当たり前のように、わたしのトレイに乗せられています。
なるべく早く食事の時間を終わらせたい、わたしに対する嫌がらせが極まってますね……。
担任の先生の号令のもと、食事が始まりました。
わたしは大きく息を吐き、集中力を高めると、給食を一気に胃の中へ放り込んでいきます。
ほとんど咀嚼していないので、食べるというより放り込むの表現で正解でしょう。
五分とかからず給食を平らげ、机を元の位置に戻し、給食を運んできたワゴンにトレイとお皿を分けておくと、すぐさま教室を出ました。
わたしが教室の扉を閉めた瞬間、歓声のようなものが湧き上がっていましたが、おそらく邪魔者がいなくなった事によるものでしょう。
まぁ、いつものことです。
わたしは胃に重さを感じつつ、おトイレに向かいました。
わたしが学校でおトイレに行くのは、給食後のこの時間のみです。
この時間ならまず誰もいないので、落ち着いて用が足せるのです。
その後は図書室で時間を潰すというのが、わたしの昼休みの過ごし方です。
図書室では仕事に生かせるよう、本を読んで広く浅く知識を吸収していきます。
そろそろ昼休みも終わりが近づいてきました。
わたしは本を片付け、教室に戻りました。
ようやく放課後になり、わたしは誰よりも早く教室を抜け出し、学校から逃げるように飛び出しました。
部活動をしていないわたしは、そのまま一旦家に帰り、私服に着替えた後、お財布と買い物メモ、スマホを持って再び家を出ます。
買い物メモには今日の夕食の候補を3つ程書いており、それを見ながら買い物をすることにしています。
わたしとお兄たまは二人暮らしなので、新聞をとっておらず、チラシが入らないのでスーパーに着いてから、会計が一番安く収まるものを買うようにしています。
本日は豚肉が安いようなので、トンカツにしましょう。
買い物を終わらせ、夕食の準備に取りかかります。
その直後、お兄たまから『今日先輩におごってもらうから、ご飯いらない』とメールが入りました。
最近お兄たまは、勉強を教わっている先輩と食事を済ます事が多いです。
今日はもしかしたらウチで……と思っていたのですが、残念です。
お兄たまがいないのであれば、それほど気合いを入れて料理する必要はありません。
豚肉は後日に回し、今日は簡素に野菜サラダにしておきましょう。
〆切も近いですし、料理にかかる時間を仕事に回す方が効率的ですね☆
…………と空しく自分に言い聞かせないとやっていられません。
今日もわたしとではなく、先輩との食事ですか……。
妄想は捗るし、おかげで仕事も進むのですが、どこかやるせない気持ちになります……。
給食とは違いゆったりと食事を終わらせ、後片付けののち自室兼仕事場に戻りました。
今はお兄たまがいないので、自室のドアは開けたままにしておきます。
お兄たまの部屋と違い、この部屋は閉め切ると完全に防音できます。
仕事に集中できるよう、そういう条件で家を探したのです。
お兄たまが出掛けている時はインターホンが鳴っても聞こえるよう、ドアは常に開けっ放しにしておきます。
わたしは仕事でプロとしてBLマンガを書いてます。
ペンネームは青天目詩音、自分で決めたのではなく、「先生には社運がかかっているから!」が口癖の担当編集さんに名付けてもらいました。
冗談で言っているのだと思っていた先のセリフはどうやらマジだったらしく、わたしと他の作家さんの売り上げには、倍近い差があるというのを最近知りました。
しかし過信しているわけではないですが、わたしがBLマンガで誰かに負けるとはどうしても思えません。
なぜならわたしには身内にお兄たまという、最強最高のホモがいるのです。
創造性を駆使してホモを捻り出さなくてはならない方々とは、おかれている環境が違います。
これで負けたらわたしはただの恥さらしでしょう。
勉強や運動で負けても、これだけは負けるわけにはいかないのです。
今日もお兄たまの事を思いながら、マンガを書き続けます。
このペースなら〆切も普通にクリアできます。
わたしは一度も〆切を破ったことはありません。
そこらへんも評価されたのか、担当さんに「無理にとは言わないけど、もう一作掲載できる?」と聞かれています。
「次に書くとしたらこういうのかな……」という漠然としたイメージがあるので、やりたいのは山々ですが、いかんせん時間がありません。
ウチは月刊雑誌なので一作なら余裕、ただ二作となると……アシスタントさんを雇えればなんとか……という事になります。
しかしアシスタントさんは当然、わたしより年上になります。
年上の方に人見知りのわたしが、あれこれ指示を出せる気がしません。
お互い気をつかいすぎて神経をすり減らし、空気が重くなるだけでしょう。
ちなみにわたしの年齢は編集さん達以外はほとんど知りません。
他の作家さん達にも秘匿されています。
事務所で担当さんとの打ち合わせも母と同伴、そして知らない人にわたしは『詩音先生の娘』と認識されています。
わたしと近い年齢で、BLに抵抗がなく、そこそこ絵を描ける人がいればいいのですが、そんな都合のいい方がいるとは思えません。
なので良い話なのですが、今は保留させてもらっています。
ほぼ描き上げたところで、玄関の開く音がしました。
きっとお兄たまでしょう。
玄関のカギは閉めていたのですが、当然お兄たまはカギを持っています。
わたしは作業を中断し、お兄たまを出迎えに部屋を出ました。
「お帰りなさい、お兄たま」
「ただいま、リリア」
お兄たまは憔悴しきった顔をしています。
大分根を詰めて勉強してきたのでしょう。
ただわたしは『別のお勉強をしていた』妄想を膨らませ、内心ほくそ笑みます。
「どうしたんだ、リリア。ニヤニヤして」
……どうやら隠し切れてなかったようですね。
「それよりお兄たま、お風呂が沸いてますので入りますか?」
わたしはなんとか話題を逸らします。
「そうだな……。けどリリアは入ったのか? パジャマじゃないけど」
仕事に没頭するあまり、完全に忘れていました。
「わたしはお兄たまの後でいいですよ」
「……もう結構遅い時間だし、ボクの後じゃ睡眠時間なくなっちゃうぞ。先に入ったらどうだ?」
時計を見ると日付が変わろうとしていました。
「いえ、お兄たまは明らかに疲れ切っていますから、先に入って下さい」
お兄たまは困った顔で小さくため息をついた後、わたしの頭を撫でながらこう言いました。
「……しょうがない、今日だけ一緒に入ろうか?」
うっほっほ~~~い!!!!!!
ろくでもない一日の最後にとんだ幸運が舞い込んだぜ、こんちくしょーめ!!
うっぉほん!! あ~、あ~。
……すみません、取り乱しました。
わたしは吠えそうになるのを首の皮一枚でこらえ、気持ちの高ぶりがバレないよう慎重に返答します。
「そうしましょうか、今日だけと言わずこれからもずっと!!」
「前にダメだって言ったろ! 今日だけだ!!」
ちょっぴりノリの悪いお兄たまと一緒に湯船に浸かりながら、わたしはこう願っていました。
――どうか優しいお兄たまが高校に受かりますように――
そんなわたしの願いが通じたのか、お兄たまは無事志望高校に受かることができました。
もちろん裏口入学ではありませんよ、念のため!
わたしには進級しても、代わり映えのしない小学校生活が待っていると思っていたのですが、クラス替えと同時にやってきたある転校生が、わたしの運命を大きく変えたのです。
……と大げさに予告しておきましょう!