1.お兄たまの進学先
「リリア、ちょっといい?」
夕食後、デイヴィットお兄たまがわたしに、声を掛けてきました。
「どうしました、お兄たま?」
「それが、これだけあるとどの高校がいいのか、分からなくなっちゃって……」
お兄たまが見せてきたのは、高校の案内です。
お兄たまは小学校、中学校と野球をしてきました。
そしてこの夏、ピッチャーとして全国制覇を成し遂げたのです。
【中学ナンバーワン投手】の称号を得たお兄たまのもとに、数多くのスカウトの方達がやってきました。
ここ最近、お兄たまがずっと悩んでいるのは高校の進学先です。
今までは一人でうんうん唸っていたのですが、今日やっとわたしに相談してくれました。
「そうですね……、では各高校の野球部の正捕手の方に、お兄たまのボールを受けてもらってはどうですか? 初見で捕れる方がいれば、それは……」
「そうか、それは運命の人って事か!!」
「……ムフ……、ええそうですね……」
「リリア、今笑った?」
「いいえ、気のせいですよ。お兄たま」
怪訝そうな顔で首を傾げるお兄たまを尻目に、わたしは自分を戒めました。
しかし、今日は収穫がありましたね。
ムフフっ、仕事が捗りそうです☆
何日後かの夜の事です。
わたしが夕ご飯の準備をしていると、お兄たまがやつれた顔をして帰ってきました。
「お帰りなさい、お兄たま。……大分お疲れのようですね」
「ただいま、リリア……。あの……ゴメン……」
お兄たまは何を謝っているのでしょう?
「誰もボクのボール、捕れなかった……」
お兄たまのボールは世間では【魔球】と呼ばれています。
【ナックルフォーク】というのが通称で、わたしの読んだ記事では、フォークボールのスピードで、ナックルボールの変化をする球だそうです。
わたしも野球は漠然としか知らないので、フォークやらナックルやらと説明されても何とも言えないのですが、この球を捕れるキャッチャーは高校でも、ごく限られているようなのです。
「……このままだと、普通に受験しないとダメかも……」
お兄たまは学校の成績が芳しくありません。
かろうじて赤点を回避出来ている状態です。
今までずっと野球づけだったのですから、それもしょうがないでしょう。
かくいうわたしも成績は良くないのですが……。
それはともかく、ここは妹としてお兄たまを元気付けなければ!
「諦めるのはまだ早いですよ、お兄たま。お兄たまの魔球を捕れる人は、すなわちお兄たま自身を受け止めてくれる方だと推測できます。もう少し待ってみましょう。まだスカウトに来ていない学校に、運命の方がいるかも知れませんから」
中学でバッテリーを組んでいた方と同じ高校に行けたら良かったのですが、その方はスカウトに来ていた高校を全部蹴って、一般入試で偏差値の高い高校に行くそうです。
お兄たまの成績では、その高校を受験することすら叶いません。
人生上手くいかないものです。
「分かった、リリア。今月末まで待ってみるよ」
「ええ、お兄たまはずっと走り続けていましたから、こんな時ぐらい立ち止まってもバチは当たりませんよ……」
わたしはお兄たまに微笑みかけ、夕ご飯の準備を再開しました。
そうですね、今日はお兄たまと一緒に寝ることにしましょう。
お風呂はわたしが十歳になった事もあり、二人で入る事を禁じられてしまいましたから。
食事の最中、折を見てお願いするとしましょう。
期限の月末が迫ったあくる日、わたしのお部屋のドアをノックする音が聞こえてきました。
「リリア、今大丈夫?」
当然、声を掛けてきたのはお兄たまでした。
わたしとお兄たまはこのマンションで二人暮らしです。
2LDKなのでそれぞれに自室があります。
ただ、わたしの部屋にお兄たまを入れたことは一度もありません。
先日、一緒に寝た時もお兄たまのお部屋でした。
わたしはお兄たまにわたしの仕事を知られたくないのです。
「分かりました、リビングで待っていて下さい。すぐに行きます」
わたしは仕事を中断し、リビングに向かいました。
お部屋を出て、念のためドアを施錠しておきます。
「お待たせしました、お兄たま」
「リリア……前も言ったけど、鍵なんて閉めなくても覗いたりしないよ」
もちろん、お兄たまを信じていない訳ではありません。
しかし、お兄たまにだけはバレてはマズいのです。
なのでわたしは、底意地の悪い条件を吹っかけます。
「……では以前のように、お兄たまと一緒にご入浴させていただけるのでしたら、カギを閉めるのをやめます」
「うっ、それはちょっと……」
お兄たまは困って、バツが悪そうに頭を掻いてます。
さて、雰囲気がおかしくなる前に本題に入りましょう。
わたしは椅子に腰掛け、話を切り替えます。
「それより、どうされたのですか? お兄たま」
「ああ、そうそう……。スカウト、来たんだ……」
「良かったではないですか。結果の方はどうでした?」
これでキャッチャーの方がお兄たまの球を捕れたら、その高校で決まりでしょう。
「いや、まだ捕ってもらってないんだ。その前に、リリアに相談しておこうと思って」
わたしは小首を傾げ、お兄たまに話の続きを促します。
「その高校、今は野球部が無くて同好会なんだ。それで人数を集めて来年、部に昇格したいみたいなんだよ」
なるほど、話が見えましたね……。
「つまり、その高校の方がお兄たまの球を捕れたとしても、特待生制度が無いため普通に受験しなくてはいけない、と?」
「そうなんだ……。ホント、リリアは話が早くて助かるよ」
ただ、それだけならわたしに相談せずとも、断れば済む話です。
まだ何かありますね……。
「それなら、お断りすればいいのではないですか?」
「……スカウトに来た人、凄い必死なんだよ……」
「というと?」
「その人は同好会のマネージャーなんだけど、地面に頭をこすりつけるぐらいの土下座で頼み込んできたんだ……」
ふむ……、少し必死過ぎではないでしょうか?
学校側の陰謀めいた意図を感じなくもないですね……。
お兄たまはいわばスーパースターです。
当然、進路に対する注目度は高い。
その名声を利用して、学校の株を上げようというのではないでしょうか。
「その方の性別は?」
「女だけど」
「飛び切り美人の?」
「えっ? う~ん、よく顔を覚えてないけど、まぁどっちかというとそうだった……かなぁ」
美人の女性ですか、男性なら妄想が捗るのですが……。
綺麗どころをよこすとは、学校側の手先である可能性があります。
不信感が拭えない以上、お断りすべきですね。
今後もこういった事が起こらないとも限りません。
念のため、学校名を控えておきましょう。
「高校は何という名なのですか?」
「え~っと、確か県立士利瑚田真高校だ……」
「今すぐその高校を受験する準備を始めましょう! 今すぐにです!!」
わたしは食い気味に返答しました。
これこそ運命でしょう。
世の中にこんな素敵な高校名があったとは。
わたしも高校はそこに進学したいものです。
「あの~、リリアさん?」
お兄たまが何故、わたしをさん付けで呼んだのかはともかく、わたしは一気に捲し立てます。
「大丈夫です、お兄たま! 受験料から学費、家庭教師代、もしものための裏口入学の段取りまで、全てわたしにお任せ下さい! 命にかけてもやり遂げて見せましょう!!」
「命までかけなくていいって!! もしものための裏口入学って何!? 取りあえず、明日その高校に行ってくるからそれからにしてくれ!」
翌日、お兄たまは満面の笑みで帰ってきました。
野球同好会の方は、お兄たまの球をいとも簡単にキャッチして見せたそうです。
受験の方も、そのキャッチャーの方が勉強を見てくれるそうで、家庭教師代は必要なくなりました。
受験料と学費、切り札の裏口入学金を確保しておくため、わたしは明日母に会いに行くとしましょう。