ご馳走と犬
○ご馳走と犬
「酷い目にあった、本当に殺されるかと思った…あんなに凶暴な村人は見たことがない、あぁ怖かった。マジでヤバかった」
災難続きのオオカミはグッタリしながら呻きました。
「ぼ、僕も殺されるところだった…もう村には帰れそうもないよ…」
少年も呻きました。
思えば冒頭から二人は災難続きであり、今もまさにノープランで川を流れている最中です。なんかもっとこう、ほんわかしたりとか、美味しいご馳走を腹一杯食べるとか、モンスターと戦って村を守ったりだとか、その後勇者として世界を救うとかそういった展開は無いのだろうか。などと都合のいい物語のベクトルを欲しました。ですが、そんな二人の希望的観測は儚くも空腹により雲散霧消したのでした。筆者としましても、ほんわかさせてあげたい所ではありますが、人の不幸とは蜜の味であり、さらには物語には災難が付きものでありますのでここは一つめげずに頑張って欲しい所です。頑張れ!
少年もオオカミもげんなりしながら藻屑のように河を流れて行きます。
「腹減った」
「ああ、お腹減った」
お腹が減りすぎたオオカミはなんだか少年から美味しそうな匂いがするような気がしました。
よだれをじゅるりと啜ります。
少年もオオカミから美味しそうな匂いがするような気がしました。
唾をごくんと飲み込みます。
しんと静まり返る夜の河を沈黙が満たしていきました。
喰うか喰われるか…お互いに殺気を悟られぬ様に黙々と泳いで行きます。
犬掻きと平泳ぎの立てるちゃぷちゃぷという音だけが不気味に響きました。
「ボッチャーン!」
すると急に二人の上から何かが飛び込んで来ました。
「うおっ、な、なんだ!」
「む、村人?」
二人は驚いて音のした方を向くとそこにはギャートルズに出てくる様な肉がこんがりホカホカと、ちゃぷちゃぷしていました。
「うおぉおぉぉん」
「に、にくにくにくにく!」
お腹と背中がくっつく程に腹ペコだった彼らはピラニアのごとく猛烈に肉に齧りつきます。
「んもっ、んもふみっ、んもふみむんむ」(うま、うま過ぎ、うま過ぎるぞ)
「ふまふっ、はむふむっむ、はむふむふむんむ!」(うまい、うまいです、うま過ぎますね)
「バッチャーン!」
そこへ、続け様にまた何かが飛び込んで来ました。
二人はさっきの肉を一瞬でたいらげ、音のした方へと猛烈に泳いで行きます。
「にく!にくにくにく」
オオカミと少年はユニゾンでハモりました。
「いやー!」
そして奇妙な事に後から飛び込んで来た肉は何故か悲鳴を上げてばちゃばちゃと水を掻いて逃げて行きます。
「来ないで!食わないで!」
しかし、その声はオオカミと少年には届きませんでした。何故ならばオオカミと少年は競い合うようにしてそれぞれがバシャバシャと大きな音を立てて我先にと後から落ちて来た肉目掛けて必死に泳いでいたのですから。
「いやー!食わないでー」
後から落ちて来た肉は悲痛な叫びを上げて必死に泳いで逃げようとしました。しかし、憐れな肉の必死な泳ぎも敵わず、少年の手にむんずと捕まってしまいました。
少年は平泳ぎで県大会三位の実力者でした。
「やった!捕まえた!いただきます!」
少年の嬉しそうな声の後に悲劇は起こりました。
「ぎょえぇぇ!!痛ってぇぇぇ」
叫び声を上げたのは少年でした。
何の疑いもなく、必死に泳いで逃げる肉を捕まえオオカミよりも先にお腹にしまってしまおうと食い意地を張ったその時、今まさに追い付き自分も食べようと大きく口を開けたオオカミの目の前で。
事もあろうに、少年が肉に齧られたのです。
「うわあぁ!痛ってぇぇえ!」
驚いた少年の叫び声に驚いたオオカミも叫び声を上げたのは言うまでもありません。そして今目の前で肉に食われそうになっている少年を見てさらにオオカミは驚いたのでした。
「ぎょえぇぇ…え?」
暗闇の中さした一条の月明かりによって、照らし出されたそれは毛がもじゃもじゃと生えた肉では無い何かでした。
そして、その何かは必死に逃げようとする少年の腕に噛み付いたまま、水面に浮かんでは消えて、遂には岸までたどり着きました。そして少年の腕には大きな蓑虫がぶら下がっていたのでした。
それは、稀に見るご馳走でした。だって自分と同じくらいの大きさの肉だったのですから。
酔っ払いが呑んだくれて寝た隙に肉をくすねた私は、それはもう上機嫌でした。今ならば猫にだって優しくできる気がしましたし、猿にだって『お手』くらいしてやっても良いとさえ思えたくらいです。
今となれば、その日は何だかつきにつきまくっていた様に思います。それもそのはずでした。まさか、こんな事になるなんて思いもしなかったのですから。
ドッグレースでは、気紛れに買った券が大穴であったし、何気なく掘った穴からは小判は出るし、ガリガリ君は3回も連続で当たるし、もういっそ増えたお金でFXでもしようかなと思ったくらいです。
しかし、気分が良くなって月夜の散歩へと洒落込み、橋の上から月に向かって遠吠えなんてしたのが、間違いでした。
落とした肉は運悪く川へと落ちて行き、はっとしてそれを追い掛けた自分まで川に落ちたのですから。ですが、それくらいならまだいいとしましょうか、なんせ、その後に私の肉は謎の生き物が瞬く間に平らげ、更には私に向かって泳いで来て私を食べようとしたのですから。
ええ。それはもう必死になって逃げましたよ。捕まった時はさすがにもうダメかと思いましたが、それであるのならばと、私は逆に奴等を食ってやろうと思いっきり噛んでやった訳です。しかし、それが私の命を繋ぎとめたのでした。なんせ私はほとんど泳げないのですから。
少年は尚も「ぐえー」とか叫んだり「うひゃー」とか喚いたりしながら腕をブンブン降って大きな蓑虫を腕から離そうと躍起になっていたので、何だか分からないのですが可哀想になったオオカミは手伝ってやる事にしました。
「おい、少年!それもう一回水に浸けてみたらどうだ?」
そう、オオカミは昔、オオカミのお爺さんから『もしもスッポンに噛まれてしまった時のHow to』とスッポンは凄く美味いと言うことを教わったことを今思い出したのでした。が、しかし、スッポンがどんなものだったのかまでは思い出せませんでした。きっとまだ井戸に落ちた時のショックが残っているのでしょう。
「もしも、それがスッポンだったら、たぶんそれで取れるはずなんだが」
「マジですか!分かりました、ちょっとやってみます」
そして少年もまたスッポンと言う言葉に、たしかスッポンは高級で、もの凄く美味しいらしいと言うことを思い出し、さっきまでの恐怖もすぐに忘れてスッポンを腕から取った後どうやって捕まえて食べようかと夢を膨らませました。
そして、二人はじゅるりと涎を啜りました。
憐れなスッポンは水に浸かりながらも、溺れることの無いように必死に少年の腕に食らいつきましたが、生憎水中では呼吸が出来ないので、薄れゆく意識の中変な夢へと落ちて行くのでした。
その変な夢とは、サラリーマンをしているというヘンテコなヤギが、日々お風呂を広げようと努力をするも報われず、仕事では同期に抜かれ、さらには迷子になり、挙句には食われそうになると言う何ともかわいそうで面白い夢でした。
柴犬のお巡りさんと、チワワ部長がスッポン的にはドストライクでした。
憐れなスッポンはお気に入り登録をして、コメントを書き込みました。
「広いお風呂に憧れて、広いお風呂に憧れて…」
と、憐れなスッポンはうわ言を繰り返し、ぶくぶくと沈んでゆく最中に目を覚ましました。
「お、やった!とれたー」
スッポンが腕から離れるのを、今か今かとじっと待っていた少年がスッポンを捕まえて水から引き揚げました。色んな意味で間一髪でした。
「ぐっは!変な夢見た!おえっ」
呻きながら、ぴゅーと口から噴水のように水を吐き出すスッポンを見た二人は驚きました。
「こ、こいつ、喋るぞ!」
「スッポンって喋るんですか?こいつ本当にスッポンなんですか?」
それを聞いて憐れなスッポンが叫びました。
「私はスッポンじゃない!犬!犬だよ」
「な、なんだと…」
そうです。肉だとか蓑虫だとかスッポンだとか勘違いしていた二人ですが、今やっと食べようとしていたものの正体に気が付きました。そうです、初めから犬だったのです。
余りの悲しさに力が抜けた少年の手から、ポスンと地面に着地した犬は、地面の素晴らしさに体をプルプルとさせました。
「あー、助かった!いやー本当ヤバかった」
そして、事態の収束とともにスッポンが食べられない事に気付いた少年はショックの余りに泣き出し、オオカミも少年に貰い泣きしました。