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小田からの贈り物

砂時計

作者: 小田虹里

 ひとの人生なんて、砂時計みたいなもの。


 サラサラと落ちて流れていく。


 決められた、グラスの中でしか生きられない。


 そんな、儚いもの。




 生まれた瞬間から、生きられる器が決まっている。


 砂時計をひっくり返された瞬間に、この世に生を受けるの。


 そして砂粒がすべて落ちたそのとき、人生を終える。




 その人生が綺麗かどうかは、砂の色で決まってくるわ。


 ドス黒く生きたのならば、きっとあなたの砂は真っ黒なのね。


 「楽しかった」「嬉しかった」「幸せだった」


 そんな時間を多く過ごしたあなたの砂は、きっと美しい色。




 でもね。




 どんな色をした砂であれ、それがあなたの人生の色。


 どの色に染めていくのかは、あなた次第。


 器は決まっている。


 砂の量も決められている。


 だからひとに出来ることは、砂の色付けだけ。




 本当にまだ「生きたい」と願っても、砂は止められない。


 時間は遡れない。



 

 やり残したことが多くあればあるほど、後悔の色も深く。


 だからひとは、砂の中でもがいて足掻く。


 それを「努力」と見るか、「見苦しい」と見るかは、ひとの価値観。




 自分がどうありたいのかを、意識して生きればそれでいいの。


 だって、これはあなたの砂時計なのだから。




 サラサラと、流れ落ちる。


 


 誰にも見えない、誰も知らない。


 自分だけの砂時計。



 こんばんは、はじめまして。小田虹里と申します。


 昨年末辺りに、私は、最愛である「母」を亡くしました。


 私は、母のことが大好きでした。入院してから亡くなるその日まで。雪で車が使えないとき以外は、毎日お見舞いに行きました。けれども、部長先生の読みよりはるかに寿命は短く、息を引き取りました。

 幸いなことといえば、私や弟、そして父だけではなく、順番を考えれば親不孝にあたりますが、母の母……つまりは、私の祖母や、母のお兄さん、義理のお姉さんも居る中で、静かに看取られて旅立ったことではないでしょうか。


 亡くなってから小一時間。


 悲しみに暮れている時間など、ありませんでした。


 すぐに翌日にはお通夜の手続きした会場へと母の亡骸を移すことになり、お通夜とお葬式の手配が済めば、今度は母の知り合い、ご友人など、関わりあった方に連絡を入れるという、大変慌ただしい日となりました。


 クリスマスイブの日が、お葬式となり、青空の中。母は灰となりこの世から姿を消しました。


 それでも、母は生前「ママのお骨、残るかなぁ」と心配していたので、病気をしていた部位はやはり黄ばんだお骨でしたが、それ以外は実に健康体。しっかりとしたお骨が残り、それを見て、「ママ、ちゃんと残っていたよ。大丈夫だよ」と、どこかでホッとした私がおりました。


 どうしてこの「砂時計」を書こうかと思ったのかというと、お気に入り登録してくださっている方とのやりとりの中で、母のことを強く思い出しまして。それで、簡単にではありますが、「命」がどれだけ殺風景にもなり、どれだけ色濃いものにもなるのかということを、綴ってみたくなったからであります。


 実は昨晩、夢に母が出てきまして。涙を流しながら「もっと、生きたかった」と言っていたのです。それを見て、「あぁ、ママはもっと生きたかったんだね」と、純粋に思ったのです。

 その話を父にすると、「それはそうでしょう」と、俯いていました。


 小田は、メンタルを病んでいることもあり、出来れば早いところこの「生」への終着を断ち切りたいとしか思ってはいませんでした。そのため、父の「そりゃそうでしょう」という言葉は、実は意外な言葉でもありました。


 病んでいない、正常なひとからしたら、「もっと生きたい」が、当たり前の世界なのだと、知りました。


 小田は、まだまだ「母」の背中を見つめつつ、病気の父の背中を見守りつつ、ただ、砂を垂れ流しにはしないようにと、踏ん張らねばと、今回、この作品を書くにあたって、思い直しました。


 器が決まっているからって、なんだ。


 ひっくり返せば、砂は止まる。


 横に置けば……なんていうご意見も、色々あるかとは思います。


 ただ、純粋に。サラサラと流れていく砂時計を歯医者で眺めたときに、いつも切なくなるのは、こういう背景があるからこそであるかもしれない、なんていうことも、思いました。


 「死」や「生」の世界は、精神論、宗教論に発展します。


 一概に「これが正しい」とは言えません。


 でも、だからこそ踏み込んでいきたいのです。




 ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。また、別作品でもお会いできますことを、願っております。この作品はサラっとしていますが、他のシリーズものは、熱くなっております。


 もうすぐに、母の一周忌がやって参ります。遺影の写真は、いつも笑っているものですから、母にはやはり、笑顔が一番似合うと思うのです。


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― 新着の感想 ―
[一言] その人生が綺麗かどうかは、砂の色で決まってくるわ。  ドス黒く生きたのならば、きっとあなたの砂は真っ黒なのね。  「楽しかった」「嬉しかった」「幸せだった」  そんな時間を多く過ごした…
[一言] レビュータイトル 『人を敬愛するということ』 ------------------------------------------------- 御師匠様へ えっと、私が感銘を受けた部…
[一言] まあ、あせらず気張らずすごしましょう^^
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