十五日目
これは、カウンセリングを始めて十五日目の話だ。
「あと十五日かぁ」
それは、彼女の誕生日までのカウントダウンだった。
誕生日に近づくに連れて、話題に出ることが増えてきた。
それだけ、彼女にとっては楽しみなことなのだろう。
たとえ、存在しないものだとしても。
以前にも確認した通り、彼女には日付という概念を教えられていない。
それどころか、彼女は『週間』も『月間』も『年号』も知らない。
彼女が知っているのは1年が365日であることと、自分が生まれてから40数年が経っているということだけだ。
ちなみに『閏年』の存在も知らない。よって本来は閏年である年も、365日で計算しているので、実際には4年に1日ずつ誕生日がズレていっている。
このように、相対的にしか日付がわからないようにしていることにはちゃんと理由があり、それは年号を飛ばせるようにするためだ。
つまり、研究所によって都合の悪いことが起こった場合、一年前のバックアップからやり直すためだ。
彼女はカウントダウンとカウントアップしか出来ないので、たとえ日付が365日飛んだとしても気づくことが出来ないんだ。
実際に、過去に2度、彼女の年は飛んでいる。
「ねえ、今までの私は、自由行動でどんなことをしたと思う?」
知らないことすら知らないことを、知ることは難しい。
なぜなら疑問に持つことが出来ないからだ。
疑問に持つことが出来なければ、問題の設定を誤り、正しい解答にたどり着くことは出来ない。
そう、そんなものは存在しない、という解答に。
「キミはどんなことがしたいですか?」
「うーん、そうだなぁ。まずは外の世界を見て回りたい」
「それから?」
「思いっきり走ったりとか、大きなものを見たりとか、広い場所がないと出来ないこともしたいなぁ」
「他にはありますか?」
「うー……ん。あ、あとは、いろんな人と話をしたい!」
もうネタ切れなようだ。
彼女は賢い。考える力を持っている。
だが一般的な知識に乏しい。
知識が乏しいと想像力も乏しくなり、それゆえ発想も貧困化する。
「でも、それは去年までの私の話」
「どういうことですか?」
「今年は、キミがいるからね」
「……そうですね」
「キミの好きなところに連れて行ってもらって、キミと一緒に走って、キミと一緒に話をするんだ。……いいよね?」
「ええ、もちろんです」
ありもしない時間のことで、できもしない約束をする。
彼女を見ていると、知らないということがいかに致命的か実感する。
僕自身にもどれだけ知らないことすら知らないことがあるのか、想像するだけでも、恐ろしい。