三日目
例えばこれは、カウンセリングを始めて三日目に、彼女とした会話だ。
「そういえばキミは私がどうやって不老不死をしているか知ってる?」
「いいえ、知りません」
もちろん知っている。
だが僕は初日からそうしているように、彼女と接する時は、可能な限り無知を装うことにしている。
彼女より下の立場になることで、彼女の警戒を解きやすく、対話に慣れていない彼女も話しやすいと考えたからだ。
「私はね、転生するんだよ」
「転生?」
「そう、転生。具体的には、13歳の私と全く同じクローンの器が用意されていて、年に一回記憶を全部移すんだ。そうすることで、私は記憶や人格を保ちつつ、1年前の姿に若返る。そうやって命をつなぐことで不老不死をやっているんだよ」
クローン人間、記憶の転移、人体実験、閉じ込められた少女。
この実験には、道徳的問題点がいくつも存在する。
それに目を瞑ってまで行う価値がこの実験にはあるが、それでも表向きには存在しない実験となっている。
「でもさ、ずっと気になっていることがあるんだ」
「なんですか?」
「確かに私の中には、いままで転生してきた分の記憶があるし、それで培われてきた人格がある。不老のままこの年まで生きてきたとも言えるかもしれない。でも、たとえば『キミの目の前にいる私』は本当に不老不死と言えるのかな?」
「……どういうことですか?」
「そうだなぁ。たとえばキミが『一日後に死ぬ病気』を患ったとしよう。キミの余命は後一日だ。死にたくないよね?」
「そうですね」
この肯定は、実際に死にたい、死にたくないとは関係なしに、会話を潤滑に進めるための肯定だ。
「そこで、前もってクローン体を用意していたキミは転生することを決意した」
自分自身で人体実験が行われるのは嫌だが、前もって用意していて、一日後に死ぬなら決意するかもしれない。
「そしてクローンによる転生は無事成功、キミの命は次につなぐことが出来ました」
「なるほど、それでどうなるんですか?」
「本当にキミは延命できたのかな?」
「……はい?」
「記憶を写した後も『一日後に死ぬ病にかかったキミ』は間違いなく存在して、間違いなく死んでいるよ。死ぬ時苦しい病気なら、間違いなく苦しんでいる。それでも、周りの人や転生後のキミから見たら、キミは延命に成功している。どっちが正しいんだろう?」
なるほど。確かに主観を『病にかかった僕』に置けば、間違いなく死んでいる。
だが、『周り』や『転生後の僕』に主観を置けば、僕は延命している。
それを、クローンの不老不死に置き換えれば……、不老不死という存在が崩れる。
今、目の前に居る少女も、転生後の少女も、その次も、その次も、けして不老不死とは言えないのかもしれない。
「難しい問題ですね。すぐに答えは出そうにないです」
「そうだね。私もかれこれ10年以上悩んでるよ」
少女は「ははは」と照れくさそうに笑った。