二十五日目
「いつから同一人物じゃなくなるんだろう?」
これは、カウンセリングを始めて二十五日目の話だ。
「どういう意味ですか?」
そして、いつものように聞き返す。
「たとえば、生まれたての赤ちゃん。その赤ちゃんのクローンを2つ作って転生させたとしよう。転生前と転生後が同一人物なら、この二人の赤ちゃんも同一人物だ。
でも、そのまま別の環境で二人を育てたらどうなるのかな? 人格や記憶、見た目にだって影響が出るよね。そうなった場合、二人は同一人物のままいられるのかな?」
「それは……」
これは、今までの彼女が持ち出した疑問とは、少々性質が違う。
この実験が抱えている矛盾点を的確に突いたものだ。
この不老不死の実験は、転生前の人間と転生後の人間が同一人物であることを大前提として行われている。それを根幹から覆しかねない質問だ。
だが、そのような矛盾点に誰も気づかないわけがない。
「……結論としては、転生する前も、転生し複製した直後も、また成長してからも同一人物です」
「んー? そうかな?」
彼女は少々納得できないといった表情だ。
「いうなれば可能性です。今回は転生前の赤ちゃんをA、転生し複製した赤ちゃんをそれぞれBCと、三人の赤ちゃんが出てきましたが。この三者は最後まで同一人物です。同じ、Aの赤ちゃんが転生する可能性。またBとCはそれぞれ別の環境で育ったAの可能性の一つでしかありません」
それが、僕たちの結論だ。
「なるほどねぇ」
「君はどう思いますか?」
「私は、そうだなぁ。転生し複製した時点でABCは別人かなぁ。成長するにつれて持っている記憶はどんどん違ってくるし、そのせいで同じ人として扱えなくなってくるじゃん。逆に私みたいにAをBに転生させて、Aを居なくするなら、AとBが同一人物ってのはまだ納得ができる。同じ人として扱えるから」
彼女の中ではあくまで、『扱い』や『観測者の視点』重要なようだ。
もっとも、その考え方自体は間違っていない。
僕が述べた結論は、僕たちの都合のいいように解釈したものにすぎないのだから。
だからと言って、僕が述べた結論が間違いというわけでもない。
よって、こういった反論をすることもできる。
「なるほど、ですが観測者に真偽の重点をおくならば次のような問題がでてきます」
「どんな問題?」
「たとえば、僕と君のクローンを作って、僕の記憶を君の体に、君の記憶を僕の体に転生させたとします。そして、僕は君のふりを、君は僕のふりを可能な限り心がけます。振る舞いには限度がありますが、周囲に怪しまれない程度にうまく立ち振る舞えた場合、僕は君になれますか?」
観測者に重点を置くならば、僕は彼女になれたことになる、だがそんなはずはない。
この場合、観測を主観が大きく邪魔をする。
「うっ……うーん、私になれたとは言いずらいね。じゃあ、やっぱり主観が大事で、当人が転生できたと思っているか思っていないかが重要なのかな?」
「と、なると、先ほどのBとCはそれぞれ転生できたと思っていると思いますし、同一人物ということになります」
「た、確かに。そんなものかぁ」
「そんなものです」
もっとも、この場合、AとBC、そして観測者のD。あらゆる場合で、この4者の答えをそろえることは難しいだろう。
なので、僕たちは自分に都合のいいよう結果を捻じ曲げる。
彼女を言い固めたように、自分たちに言い聞かせる。