一日目
夏場だというのに、寒さすら感じるほど味気のない廊下。
僕は教授について歩いていた。
「説明した通り、キミには今日から、ある実験体の専属カウンセラーになってもらう」
「はい」
僕と教授が向かっているのは、その実験体が生活している実験室だ。
僕は大学時代に教授にスカウトされ、大学を卒業するとともに、こうしてその実験体のカウンセラーを務めることとなった。
「実験体と接するうえでの注意事項はもう頭に入っているね?」
「はい、問題ありません」
辞書ほどもある分厚い冊子。その内容は長い時間をかけて、すべて頭の中に入れた。
これから会う実験体はそれほど特殊で、扱いに注意しないといけないものだからだ。
「注意事項に書いてある通り、実験体が育ってきた環境は特殊だ。キミが大学4年間で学んだことは全く役に立たないかもしれない。手探りになるだろうが、頑張ってくれたまえ」
「はい、ご期待に応えられるよう、尽力いたします」
「それでいい」
教授に案内されてついたのは、重たい鉄の扉の前。
教授が電子ロックと通常の鍵を開けると、ゆっくり扉が開いた。
扉を開いた先には、白い部屋が広がっていた。
壁は白い、天井も白い、床も、家具も、何もかもが白い。
色があるとするならば、本棚の中にある本の色と、窓から見える、中庭にある景色くらいだろうか。
そして一つの目線を感じる。
少女だ。一人の少女がこちらを見ている。
見た目の年齢は13〜14歳程度。長い黒髪。華奢な体躯。優しい瞳。
そう、彼女が。彼女こそが……『不老不死の実験体』。
彼女はこの見た目で20を超える転生を繰り返し、40近い年月を生きている。
まだ、通常の人間で到達可能な年齢だが、実験が成功し続ければ、この少女はこの容姿のまま百年も二百年も生き続ける。
僕の仕事は、そんな少女の話し相手だ。
「はじめまして、キミが私の話し相手になってくれる人なんだね?」
最初に口を開いたのは少女だった。
口調やその雰囲気は、見た目の年齢に比べると大人びていて、ゆったりとしている。
「はじめまして。その通りです、僕が今日から君の話し相手です。どうぞよろしくお願いします」
「うん、よろしく」
見た目のせいか、生きてきた環境のせいか。
大人びた雰囲気とは裏腹に、表情や動作の端々からは、純粋さが伝わってくる。
教授の『キミが大学4年間で学んだことは全く役に立たないかもしれない』という言葉が頭に浮かんだ。
全くその通りで、僕はこれほどまでに特殊な雰囲気を出す人にいまだかつて出会ったことがない。
「ふふふ、うれしいな。今までどれだけ言葉を学んでも、話せるのは教授やお医者さんと事務的なことだけだったから」
「そうですか」
そう返したが、もちろん資料で知っている。
彼女の行動範囲は、この白い部屋と中庭だけだ。
そこから先は、彼女が『重要機密』であるがゆえ、出ることを許されていない。
もちろん、接触できる人もかなり制限されており、現在は教授と僕と、定期検診で彼女を調べる一部の医師だけだ。
「ずっとお願いして、やっと許してもらえたんだ」
「そうですか」
それも知っている。
彼女は生まれもっての実験体。
不老不死の実験が始まったのは彼女が14歳の誕生日を迎えた時からだが、それよりもずっと前から、彼女はこの白い部屋で一人っきりだ。
「寂しかったでしょう?」
「そうだね。でもそれは今日まで」
常人なら発狂しかねない孤独。だが僕の目には比較的安定した精神状態に見えた。
それも、彼女に施された『教育』の賜物か。
「いままではね。自分を傷つけることや、ここから逃げ出そうとすること以外は誰も私に興味を示してくれなかった。でもこれからは、キミが私の考えを聞いてくれるし、私の行動に反応してくれる」
「そうですね。僕はそのためにここにきました」
「うん、だから、私が普段から考えていること聞いてくれる?」
彼女は一般的な教育は受けているが、それでもかなりの情報を制限されている。
数学や理科はともかく、国語や社会は彼女の『教育』用に作られた特別製のものだ。
その内容は、一般的な道徳や価値観を彼女に植え付けつつも、彼女自身が自分の置かれている状況に違和感を抱かないようにするもの。
つまりは、人権を無視されても不満を抱かないための教育。
そんな彼女が、何を考え、何を思っているのか。
それは、心理学を学んできた僕にとっては、好奇心が尽きない内容だ。
だが。
彼女は僕が思っているよりずっと、考える力を持っていた。