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生きる

作者: 紙一重
掲載日:2015/01/16



「生きる」 


雨が降って、それまで無かった場所に水溜りが出来る。

そこにいつの間にか、小さな生物が泳いでいる。

それは他の場所からそこに移動して来たものでなく、

数カ月、もしくは数年間、その場所の地中で機会をじっと待ち、

そして雨を感知して、羽化をした微生物だ。

そういう生存本能と能力が備わっているとしても、実際大したものだ。

もしかして、「こんな苦労して嫌になるぜ」などと言っているかもしれないが、

でもそんな声は自分には届かないから、そこは知らない。


泣きたくなる。

無理難題を突き付けられ、かなり追いつめられ、切羽詰まっても、

それでも自力で解決しないといけない時、結果オーバーフローして、泣きたくなる。

だが涙は流せない。

脳のある部分が、自分で自分の力不足を呪い、他者の上げ足取りを罵倒し、

やがてそこが麻痺をしても、でもそれを解決するまで断続的に工夫や知恵を絞って、

文句を言われながらも、どうにかしてなんとかする。

脳内では何度も泣いたが、それを目から体液として出す訳にはいかない。

ネガティブな気持ちに犯されながらも、どうにかポーカーフェイスは崩さない。

やがて、それなりの成果を出し、祝杯をあげ、その時に達成感を勝利の美酒で祝い、

そこで笑顔で目じりからこぼれる水分だったら、それはそれでいい。


慣れる。

年を重ね、経験をして、自分なりに最良の方法だと思う事を、ごく自然とするようになる。

失敗を重ね、痛い目にあって、学習してそうなる。

そういう節目には、手痛い出費を支払うはめになるが、それは授業料だ。

だからと言って、それは己自身が経験上身につけたものであり、

当然のことながら他人とまるで同じ訳は無い。

正反対の考え方の持ち主と対峙すれば、当然軋轢を生むし、それは仕方がない話しだ。

そこは妥協するか、一方的に引き下がるか、相手が一方的に引き下がるかだ。

敢えてひん死の傷を負う事はしない。自己欺瞞と解っていてもそうする。

若い頃は、青臭い正義感が唯一正しいと信じ、そしてその腐った価値観を相手に押しつけ、

「俺が正しくて、お前は間違っている」と、あまりにバカだった。

その信じた正義が、どっかのアホの受け売りなのに、だがそれにあっさり染まる俺だった。

そう言う繰り返しをして、やっと愚かさに気が付き、

多方面からの言い分を聞ける耳を持てるようになり、ちょっと大人になった。


人生を半分以上生き、それでも未だに「それってどうなんだ?」って思う。

だが痛覚とは大したもので、あれだけの痛手を負っても、やがてそれに慣れるものだ。

比喩では無く、骨折したりしても、鎮静剤投与以外でも、自らその痛さに慣れる。

大きな恥をかかされても、烈火のごとく怒らないでも、今はうすら笑いでやり過ごせる。

これは経験したが上での慣れだ。体でその対処療法を身に付けた訳だ。


確かにダメージは軽減する、これはこれで悪い事ではないはずだ。

だが、それで良いのか?とやはり思う。



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