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三題小説

三題小説第十四弾『リプレイ』『病気』『拘束』

作者: 山本航

 まず最初に己の体が動かない事に気付いた。次いで後頭部の痛みに気付く。ズキズキという痛みの波が寄せては返す。埃っぽさに喘ぎ、恐る恐る目を開く。

 壁にもたれかかっているように見えたけど、床に横たわっているのだと気づいた。意識や記憶が混濁していて、混乱に至るほどの情報が浮かんでこない。


 なぜ私はここでこうしているんだろう。


 一つ一つを思い返す。私は医者でここは病院のはず。世界の脅威となっている強烈な感染症相手に今朝まで四苦八苦していて……それで……。


 自分が感染症予防防護服を着ていない事に一瞬愕然とするが、今着せられているものについての衝撃が全てを吹き飛ばす。拘束衣を着せられている。自分の体を抱きかかえるような格好で身動きが取れない。

 誰がこんな事をしたの。なぜこんな目に遭わされているの。


 リノリウムの床の上で足や肩を芋虫のようにもぞもぞと動かして上半身を起こす。

 よくよく周りを見渡すとここは感染症病棟ではない。この状況では、だからといって安心できるものではないけれど。私は中央一般病棟の廊下の中ほどにいた。どうやら4階のようだ。電灯が途切れ途切れに点いている。自家発電に切り替わっているのだろうか。そこここの片隅に蹲る影が妙に恐ろしい。


 最後の記憶を思い起こす。そう。感染症の患者の一人が脱走しようとしたのだった。だが一類感染症の患者を自由に出歩かせるわけにはいかない。その男は脱走を阻まれると暴れ出し、このような拘束衣を着させて拘束する事になったのだ。あの男は私に噛みつこうとした。体のどこにもそういう痛みはないので結局噛みつかれはしなかったようだけど。


 私はいつ気を失ったの? 思い出せない。いずれにせよ私だけでなく病院にとっても、あるいはこの国にとってさえ最悪の事態が起こったようだ。


 私は苦労しいしい立ち上がり、窓から外を覗く。

 外はもう真っ暗で街の明かりが輝いている。病院の周りには何台もの警察車両と警察官が集まっていた。遠巻きにマスコミと思しき集団もいる。ものものしい状況ではあるけれど誰一人病院を出入りしている様子はない。なんといってもここは第一種感染症指定医療機関でまさに今危険な感染症と奮闘していた場所だ。おいそれとは手を出せないだろうけれど、手をこまねかれても困る。あるいは防護服を確保出来ていないのかもしれない。いや、防護服を着ているものは何人かいた。だとすれば感染症とはまた別の問題が存在していると考えるべきだ。


 脱走しようとした男がこの事に関係しているのだろう、と自然に類推した。


 私はどうするべきなのか。ここで大人しく事態の推移を見守る? もう感染しているかもしれないのに悠長な事は言っていられない。それにもしかしたら私こそが人質で、だから警察は入ってこれないのかもしれない。


 窓を開けて助けを呼ぼうにも窓ははめ殺しで開かない。どの道拘束衣を着ていては埒が明かないが。

 とにもかくにもこの拘束衣を脱ぐくらいの事はしたい。当然今は刃物など持っていないが手術準備室に行けばメスがある。いや、ナースステーションに行けばハサミくらいあるだろう。

 私は恐る恐るナースステーションの方へ歩き出す。




 いくつかの病室を覗いたが医者も患者も誰もいない。逃げだせたという事なら良いのだけれど、私は何から逃げるべきなのかよく分からない。


 角を一つ曲がるとすぐにナースステーションがあった。もちろん誰もいない。きちんと明りも点いていてハサミもすぐに見つかった。机と首で固定して何とか拘束衣を切ろうともがく。人生で一度もした事の無いような動きで筋肉が悲鳴を上げる。


 ふとスリッパで擦る様な足音が聞こえ、私はぴたりと動きを止め息をひそめる。音から察するに私が来た方向とは反対の廊下から歩いてくるようだ。

 慎重に首だけで覗き見る。


 誰かがやって来た。丁度消えた電灯の下なので、どういう人物なのかまるで分からない。少なくとも警察ではなさそうだ。

 さらに数歩進み電灯の明かりが近づき、角の向こうに消える直前に姿が見えた。その人物もまた拘束衣を着ている。


 私は驚いてハサミを取りこぼす。慌てて空中で掴もうとするが、私は拘束衣を着ているのだった。ハサミはあえなく落下し床に落ちて音を響かせる。心臓がきりきりと引き締まるような思いだ。冷や汗が全身から噴き出し、毛が逆立った。

 と、同時に廊下の向こうから怒声が飛んできた。ハサミが床を打つ音も聞こえはしなかっただろう。

 続いて誰かが走る様な音が下の階へと去って行った。階段を下りたのだろう。そこの階段を下りた先は正面玄関に続いている。


 ハサミを床から拾い上げるのは苦労と共に屈辱的な思いだったが、何とか拘束衣を切り裂く事に成功した。ようやく上半身が自由になる。


 さっきの拘束衣の人物はあの男だろうか。分からないが危険人物だとしか思えない。


 一応ハサミを持っていく。こんな物でも何も持っていないよりは慰めになる。

 とりあえず正面玄関から最も遠い出入り口に向かう方がよさそうだ。




 上下前後を警戒しながら階段を下りる。少し焦げくさいし、下の階から微かに煙が漂ってきている。もしや火事でもあるのだろうか。さっき窓から覗いた時は消防車には気付かなかった。


 3階に降り立つと廊下から煙が流れてきている。廊下を覗き込むと遠目に何か黒い物体が白い煙を上げていた。どうやらさっきまで燃えていたようだ。それが人の形をしているような気がして思わず目をそむけた。髪の焦げるような臭いもある。


 いよいよ普通ではない異常事態だ。何が起こっているのかなど考えるだけ無駄なのだろう。おそらく論理的に説明できる種類の物事ではないはずだ。


 何が起こっているのか知る方法がある事に気付く。ナースステーションには防犯カメラのモニターが設置されているのだ。さすがに戻る気にはなれないし、この階に踏み入る気にもなれないので2階のナースステーションへ行く事にする。


 2階も4階同様の状況のようだ。人はいないし、電灯はまばらに点いている。拘束衣の男も居ないようだ。やはり1階まで降りたのだろう。煙は下には降りて来ない。用心深く角から覗き見、進んでいき、ナースステーションに辿り着いた。やはり4階と同じように何の気配もないナースステーションが突然人だけ消えたかのようにそこにある。


 何度も何度も周囲を見渡し、モニター室に忍び込んだ。いくつものモニターが並んでいてリアルタイムに映し出している。その隣にはスリープ状態のPCも設置されている。


 防犯カメラとはいえ要所要所にしか設置されていないので死角は多い。モニターのいくつかには倒れている人の姿がある。さっきの廊下に一人、正面玄関にも一人、そして私が今から行こうとしていた裏の玄関前にも一人。正確にはその直前の防火シャッターの前に倒れていた。あの防火シャッターは手動のはずだ。閉じ込められるという事はないはずなのに、どういう事だろうか。

 まさかいくら危険な感染症を封じ込めないといけないとはいえ、この中から出ようとする人を追い返すという事はないはずだ。


 他のモニターに映る出入り口近くの防火シャッターも全て降りているようだ。唯一正面玄関は1階から2階へと吹き抜けになっており防火シャッターの出る幕はない。正面玄関自体も封鎖されている様子はない。ここから出るしかないようだが、どうにも誘導されているように思える。


 私がいた廊下にもカメラは設置されていた。PCを起動し、私がなぜあそこに居たのかを探る。時間ごとに区切られたサムネイルを並べ、私の映った直前の時間を開く。


 誰も居ない廊下に私は抱きかかえられてやってきた。既に拘束衣を着ている私を抱きかかえる誰かが誰なのかはわかりようがない。防護服を着ていて顔も何も分かりはしない。その人物はやってきた方向とは逆の方向へと去って行った。


 これは一体どういう事だろう。最ももっともらしい推測をするにこの防護服の人物がこの状況の犯人で、人質を気絶させてしまったので仕方なくここまで運んで来たというところだろうか。


 思い返せば、あの感染症患者でもある暴れた男が拘束衣を着せられている場面は記憶にない。その前に私は気絶させられたのだろう。だとすればあの防護服の人物があの男なのだろうか。だとすれば拘束衣の人物は何者なの。


 動画を早送りする。私が目覚めた後に見た拘束衣の人物もその辺りで映るはずだからだ。


 動画の中の私が目覚め、その場を立ち去ったところで通常再生する。しばらくして拘束衣がやって来て、反対から現れた防護服とはち合わせた。この時の怒声はどちらが発したのだろうか。拘束衣が画面から消え、追うように防護服も消えた。


 少なくともこの二人は協力関係にあるわけではない。もしかしたら拘束衣の人物はこの状況に巻き込まれただけなのかもしれない。


 次にあの黒こげになっていた人物の映るカメラを時間ごとに並べる。燃えてのたうち回っているのであろうサムネイルの直前で開くがなぜ火がついたのかは分からなかった。画面外の廊下の奥から火達磨になって飛び込んできた。そうしてその場であの状態になったようだ。


 映像を見て分かった事はどうやら防護服の人物が拘束衣の人物に危害を加えるようだという事だ。私もあの場で気絶したままでいればどうなっていたか分からない。


 そのまま私がそこへ来たであろう時間まで早送りする。一瞬何かが映った気がした。巻き戻すとそれは防護服の人物だった。廊下の奥から、私がいた階段の方へ。


 咄嗟に振り向く。モニター室には私以外に誰も居ない。しかしモニター室の外は? ナースステーションは? 想像すればするほど、誰かの気配がある様な気がしてくる。

 3階で防護服の人物に見られたのだろうか。動画に表示された時間を見ても、私がそこに居た時間は分からない。すれ違いだったかもしれないが分からない。


 私はハサミを構えて、恐る恐るドアを開く。ハサミをかざすが、そこには誰も居ない。少しずつ忍び足でナースステーションを調べる。死角なんて何もない。誰も居ないようだ。


 とにかく正面玄関まであと少しだ。建物の反対側へと伸びる長い廊下の先の大階段を降りれば受付前ロビーで正面玄関だ。


 走り出したい衝動を抑えて、ゆっくりと前後を警戒しながら歩いて行く。いくつも並ぶ扉が突然開いたりしないか、廊下の向こうから誰かが現れて走ってこないか。あらゆる妄想の恐怖が浮かんでは消えて行く。いつでも躊躇なくハサミを振るえる覚悟で進んでいく。


 階段の近くまで来ると受付ロビーに誰かがいると想定して忍び寄り、手すりから顔を出して見渡す。そこには何人かの人物が倒れていた。見える限りでは全員拘束衣を着ていない。ただの見舞客のように見える。拘束衣は関係なかったのだろうか。それとも私のように拘束衣を脱ぐ事に成功したもののここで襲われたという事だろうか。


 ふと自分でも気付かないほどの小さな気配にでも気付いたのか、私は振り返った。


 今やって来た廊下の奥に人影が見える。それと同時に獣のような絶叫が廊下を押し寄せてきた。

 足がすくむ思いを抑え、私はほとんど反射的に近くにある防火シャッターの開閉装置のフタを開き、レバーを思いっきり引いた。カラカラと防火シャッターが降りてくる。


 廊下の向こうの誰かもこちらへと走ってくる。上半身をくねくねとしならせながら、言葉にならない雄たけびを撒き散らす。


 その野蛮な声に対する恐ろしさでか、あるいはどう見ても間に合いそうにない事実に安心してか私はその場を動けないでいた。

 ものの数秒でシャッターが床へと下り切る。数秒遅れてシャッターに何かが思い切りぶつかった。そして静まり返る。

 私は何とか気合いを入れて歩き出し、正面階段へ向かった。もう一本の廊下から回り込まれる前にこの建物から出て行かなければならない。


 さっきは気付かなかった。正面階段の中ほどに誰かが倒れている。誰かは分からないが、それは防護服を着ていた。それで合点がいく。シャッターの向こうのあれの走り方は上半身を拘束された者の走り方だった。


 ではこの凶行は全てあの拘束衣が引き起こしたものだという事? どうやればそんな事が可能だというの?


 シャッターから聞きたくない音が聞こえる。カラカラという開く音だ。どうすれば拘束されながらあのシャッターを開けるというの?


 私は振り返りもせず、正面玄関を走り下りる。何人かの体を飛び越えて、正面玄関の扉を、押し開けない。鍵がかかっている。床近くに鍵穴がある。どうすれば上半身を拘束されながら鍵をかけられるというの?


 誰かが階段を走り下りてくる。


 なぜ両腕が自由な私が開けないの? なぜ? なぜ? なぜ?

最後まで読んで下さってありがとうございます。

ご意見、ご感想、ご質問、お待ちしております。


とにかくホラーを描きたかったのですが何故かミステリというか謎が入ってくるわ特に謎は解決されないわという事態に


プロットを読み返すにこの女医さんは真面目な性格で男性が苦手だそうです。なんのこっちゃ

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