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泣き虫カンタ

作者: 山手順平

 瀬戸物の犬の貯金箱は妹のあゆみちゃんの大切なものでした。でも今はもう、それはバラバラの粉々になって畳の上に散らばっていました。カンタは小さな妹が泣きわめきながらお母さんの所へ走っていってまた戻ってくる間、そのままずっとそこに立っていました。呆然として指を口にくわえて。

 眉をつり上げたお母さんがどかどかとやってきて、べそをかいているあゆみちゃんと一緒に、片面は茶色でもう一面は真っ白な瀬戸物のかけらを一つ一つ広げた新聞紙の上に集め始めました。それでもカンタは手伝いもせず黙ってそれを見つめていました。

「全くお兄ちゃんは、どうしてこう馬鹿なんだろうね」とお母さんが言います。

あゆみちゃんは、

「お兄ちゃんが、お兄ちゃんが」

と繰り返すだけで、あとは喉がつまってなんにも言えません。

そこに騒ぎを聞きつけたお父さんがこれまた顔をしかめてやってきました。

「なんだ、壊してしまったのか」

と不機嫌そうに見やると、カンタは恐ろしくなって一歩ばかり後じさりするのでした。

 あゆみちゃんが全てのかけらをくるんだ新聞紙を大事そうに持ってどこかへと行ってしまい、お母さんがほうきでパッパッと畳をはらったあとに、カンタは「そこに座りなさい」と言われてやっとのろのろと動いて言われたとおりに座ったのでした。

「お父さん、テレビの音うるさい」

お母さんが言うと、お父さんはテレビのスイッチを切りました。

「だから家の中で走り回っちゃいけないと言ったじゃないの。なんべん言ったら分かるの、あんたは。もう十歳でしょ。あゆみにすぐ謝りなさい」

お母さんのお説教が始まりました。カンタはただうつむいて、しびれ始めた足をじっと我慢します。どのくらい時間がたったのか、いつ終わるのか、そればかりを考えながら。 だからお母さんの言葉はさっぱり頭の中に入ってきません。つい、昨日買ったカブトムシの虫かごが気になって、そちらの方を眺めてしまいました。

「反省の色が見えない」

とお母さんのビンタが飛びました。あゆみちゃんのことは叩かないくせに、とカンタは胸の内に思いました。お兄ちゃんとはとても損な役まわりです。

「もういい」とお父さんが言いました。「カンタは十分分かってるさ。こいつは自分が悪いときは泣かないんだ」

お父さんが煙草の火を消してテレビをつけると、野球中継のアナウンサーの声が甲高く響きました。お母さんはしばらく黙り込み、やがて立ち上がって台所へ戻っていきました。

 夕飯の時刻、目を赤くしたあゆみちゃんは茶の間にやってきてテーブルの席に座りました。一言もしゃべらずだんまりと箸を動かします。けれどお父さんとお母さんは笑いながらお話をしていたので、カンタはほっとしました。でもついに、あゆみちゃんにごめんなさいと言うことはありませんでした。


 それから数日たったある日、学校のカンタのクラスで女子生徒の筆箱が盗まれるという事件がありました。筆箱そのものは男子トイレのごみ箱の中から見つかったのですが、犯人が誰かはなかなか分かりませんでした。先生は学級会議を開いてみんなにそのことを話し合わせました。運の悪いことに、筆箱のなくなった日の放課後にカンタが教室に一人でいたところを見たと言い張る生徒が現れたのです。先生がカンタに立つように命じると、おずおずと彼は席で立ち上がり、みんなの視線の的になりました。

「お前が盗んだんだろ?」と生徒の一人が叫びました。

「そうだ、カンタしかいねーじゃん」と他の何人かが騒ぎます。

もちろんカンタは盗んでなどおりません。けれども、

「僕じゃないよ」

と言っても、みんなは信じてくれませんでした。彼はもうどうしたらいいか分からず、何を言うこともできなくなって立ちすくんでしまいました。

 その時、ふとこの間のお父さんの言葉を思い出したのです。

『こいつは自分が悪いときは泣かないんだ』

 カンタは唇を噛んでぽろぽろと泣き出しました。ひとしきり泣いてから

「僕じゃない」

ともう一度訴えたのでした。

 すると先生がみんなに向かってこう言ったのです。

「お前達、カンタがこんなに泣いてまで訴えたことがあったか? なぜ信じてやらないんだ?」

みんなは先生の言葉に黙り込みました。そしてやがて、カンタを責めた者達は彼に謝りました。その後、筆箱を盗んだ犯人は結局見つからず、この事件は忘れ去られてしまいました。


 それからのカンタはすっかり泣き虫になってしまいました。学校で宿題を忘れてきては泣き、街角でおもちゃを買ってもらえなくてはわめき、しまいには夕御飯に出された嫌いなピーマンを食べなさいと言われただけでめそめそとべそをかくのです。

 やがてすっかりお父さんもお母さんも先生も、そして周りの友達もあきれてしまい、カンタが泣き出しても適当になだめて放っておくようになってしまいました。それでもカンタはしゃくりあげに喉を震わせながらぶつぶつと独り言を言い続ける有り様です。しかたなくお母さんがおもちゃを買ってあげるなり、お菓子を出してあげたりすると、彼はけろっと泣き止んで嬉しそうに飛び跳ねるのでした。

 カンタは、最近友達が何故か自分のことを「泣き虫、泣き虫」と馬鹿にするので、それがとても嫌でなりません。泣いたにしても、自分はなんにも悪いことをしたわけでもないので、悪口を言われる度に口をとんがらせていました。でもそのうち慣れてしまって、たいして腹も立たなくなってきたのでした。


 カンタのクラスには橋川くんというちょっと乱暴な男の子がいます。橋川くんは女の子のスカートをまくったり、よく教室でプロレスごっこを始めてたまたま近くにいた人を巻き込んだりしていたので、仲間の男の子以外からはちょっと近付きがたい存在に思われていました。彼はあまり体が大きくなく顔がちょっとチンパンジーに似ていたので「こざる」とあだ名が付けられていましたが、他の人からそう呼ばれるとすぐに喧嘩になってしまうほど短気でした。そんな風ですから彼はよくちょっとしたことで相手を泣かしては先生にきつく叱られることがありました。

 ある日のこと、カンタは休み時間にみんなとドッジボールをしていました。彼は足が速いものですからちょこちょこと動き回り、なかなかボールには当たりません。大声で笑いながら走り回っていると、自分に向かってボールが飛んできたので、素早く身をそらして飛びのきました。その時たまたまそばに橋川くんがいたのです。カンタは彼と思いきりぶつかってしまい、さらに悪いことにボールは橋川くんのお腹にばしっと当たりました。橋川君はなんとかボールを受け止めようとしたのですが、ぽろりと地面に落としてしまったのです。

「橋川、アウトー!!」

と何人かが楽しげに叫びました。

 橋川くんは頭に血が上って激しく怒り、転がったボールを拾うと思いっきりカンタめがけて投げつけました。それがあんまり近かったものですから、激しい勢いでカンタの右目のあたりにぶつかり、カンタはあまりに痛くて目玉が飛び出るかと思いました。そして案の定、彼はわんわんと泣き始めました。みんなは心配して周りを取り囲みましたが、カンタは痛い方の目も、そして痛くもない方の目も一緒に両手に埋めていつまでもいつまでも泣き続けました。やがてしびれを切らしたみんなは再びコートに戻り、再びドッジボールを始めたのでした。

 ゲームに興じるみんなの歓声が時折波のように湧きあがるのを耳にしながら、カンタはしゃがみ込んだままにぐずぐずとまだ地面ばかりを見つめて泣いていました。だって、こうなってしまったのは彼が悪いわけではないのです。だから彼は自分がひどいことをされたと周りに示すのは当たり前でした。何度も何度も目をこすっていたので、ボールの当たった右目に何か大きなゴミでも入ったような気がしてさらにまたこすり、涙がにじみます。だから目の前の砂の地面の他には何も見えませんでした。

「これで目が悪くなったら橋川のせいだ」と彼は小さな声で呟きました。

「俺のせいだって言うのかよ」とカンタのすぐ隣で声がしました。

それがあまりにも近かったので、彼はぎょっとしておそるおそる顔を上げました。彼のすぐ隣には橋川くんが同じように座り込んでいたのです。みんながはしゃいでいるドッジボールのコートに戻りもせずに。カンタはなんだかすごく橋川くんに申し訳なくなりました。彼が怖かったわけではありません。むしろその逆でした。橋川くんがどういう思いで彼の隣りにしゃがんでいたのか、カンタは初めて考えたのでした。彼は橋川くんの顔を見ることが出来なくて、足下を這いまわるありんこの動きを目で追いました。

 橋川くんは怒っていたのか、それからすぐに黙って立ち上がり、みんなの所に戻って元気にボールを受けたり投げたり始めました。カンタはまだしばらく校庭の隅に座ってみんなの走り回る姿を眺めていました。もう泣いてはおりませんでしたが、それとは逆にべそをかいていたついさっきよりももっと泣きたい気持ちなのでした。


 それからのカンタはあんまり泣くことがなくなり、そして泣いたときにもすぐに泣き止んで笑顔を見せるようになりました。お母さんはそんなカンタを見てこう言います。

「あの子、随分お兄ちゃんらしくなってきた」

それを聞いたお父さんはこう言いました。

「そうかな、もともとああいう子なんだよ。この間までは迷ってただけでさ」


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