その壱
そんなに長くはないお話です(数話予定)。
ある日、壱太が浜辺を歩いていたら、目の前に人らしいものが倒れていた。
らしい、というのは言いえている。
見たことのないほど大きな体、見たことのない髪の色、見たことのない肌の色で、見たことのないへんてこな着物をきていたからだ。
物怖じしない壱太は、それでも恐る恐る近づいて、近くに落ちていた小枝を拾ってつんつんとその人をつついてみた。
だいたい浜辺で倒れているなんて土左衛門くらいものだ。
けれど変わった着物からのぞく青いくらいの真っ白な肌は、水を吸ってぶにぶにとしているわけでもなく張りがあったから土座衛門ではないらしい。かといって生きているわけでもなさそうだ。
風太はひとり納得をして、ぽいと小枝をほおりなげた。
しばらくの間、風変わりな人を観察するようにじっと見ていた壱太だったが、やがて飽きて踵を返し、予定していた通り水雲を取ろうと海に入ろうとした。
「×××……××……」
じゃり、と砂のこすれる音が聞こえたのと同時に声が聞こえたので驚いて振り返ると、死体だと思っていた人は生きていたようで、体を起こそうと必死になっていた。
「あんた、生きてたんか」
「××…××!!」
「はあ?何ゆうてるか、ようわからん」
恐れを知らないといわれる壱太だけあって、その風変わりな男の前にやってきて、目線を合わせるようにしゃがみこんだ。
するとさすがの壱太も驚きすぎて、勢い、しりもちをついた。
その男の目の色がまるで空のように青かったからだ。
そういえば髪の色も変な色だ。
砂にまみれてべっとりとした髪は、まるで麦が腐ったようにおどろおどろしくなっている。
世にも不思議な色合いだった。
それによくよく見てみれば、目は窪んでいるわ、鼻は大きく指でつまんでもお釣りがくるほどだ。
よほどこのあたりでは見たことも聞いたこともない顔立ちだった。
「×××。×××?」
「せやから、なにゆうてるかわからんってゆうてんねん」
男は壱太に話しかけてくるがまったく聞いたことのない方言で、壱太はわけがわからない。
だいたい村から出たことのない壱太が知っている言葉なんて、限られているに決まっている。
旅の芸人が話す、どこか東を思わせるいきった話し方しか、あとは知らない。
始終唾を飛ばすような、舌をしょっちゅう動かしているのが見えるような話し方をする言葉なんてしりようがあるわけもない。
さてどうしたものかと思案していると、男が足元に何かを書き始めた。
「なんやそれ」
「……ナ……ン?」
男は何かを話そうとして壱太を見て、さらにもう一度砂の上にへんてこな絵を描いた。
「せやから、なんやてゆうてんねん」
「ナ……ンヤ」
「そうそう、なんやって」
何度も何度も「ナンヤ」と口元で繰り返して、ふと動きを止めると今度は指で自分を差し「カミーユ」と言い、壱太にその言葉を覚えさせようとするかのように何度も繰り返した。
そして次に壱太を差し、「ナンヤ」と慎重に何度も尋ねる。
なるほど。
男は名前を聞いているのだなと得心がいった壱太は、男が尋ねるまま「壱太」と自分を指さして教えた。
男はひどく喜んで急に立ち上がったかと思うと、壱太の前に踊りださんばかりに手を差し出して何かを求めてくる。
「なんや。手ぇがどないしたん」
「イッタ、イッタ!××× ××!!」
「いやせやから、わからんけど。手ぇがどないしたんやっちゅうねんな」
いくら物怖じしない壱太でも、自分よりも随分と大きな男が小躍りして喜ぶさまを間近で見せられたあげく、空色の瞳が何かを期待したようにきらきらと輝いているのを見ると、自分が何か失敗をして男を失望させるんじゃないかと少し引き気味になって手を体の後ろに隠した。
ところが男はいつの間にか壱太の手を握り締めて、ぶんぶんと降ってくるではないか。
あまりに力強く降り続けるものだから、壱太は体ががくがくと震えてくるのがわかるほどだった。
そろそろ限界と思っていると、今度は体をぐっと寄せられて、ばんばんと背中を叩いてくる。
体の大きさがあまりに違う二人だったから、男が力を込めていないつもりでも、壱太にはそれはそれはまるで悪いことをして折檻されているような気になった。
一通り叩き終わったのか、背中の痛みがなくなってほっとしたのもつかの間、今度はぎゅっと抱きしめられて息ができなくせき込む羽目に陥った。
するとやっと自分が壱太に何をしているのかわかったのか、男はなにやら慌てたふうで、壱太にぺこぺこと頭を下げた。
その姿があまりに滑稽だったから、壱太は怒る気力を持っていかれてぷぷぷと笑う。
壱太が笑うと男も安心したんだろう、ほっと肩を落とすと今度は自分の滑稽さにくくくとのどの奥で詰まるように笑い始めた。
浜辺にはしばらく、笑い転げる大きな男の影と小さな男の子の影があった。
これが、のちに赤鬼神さまと呼ばれた男とその友人だった男の初めての出会いだった。