報復 その3
ローザンヌの体は宙を待っていた。
しかし、それに害意はなく、ローザンヌの体はただ空に跳ね飛ばされただけだ。体勢を整え、着地するところまで難なくこなし、彼女は空を見上げる。
・・・違う。
空に佇むアリシャの容姿に変化はない。
だが、ローザンヌには解かった。解かってしまった。アリシャという魂が踏み躙られているということが。そこにいるのは、アリシャではない。
彼女は、あんな人を見下したような笑い方をしない。
「駄目だよ? 全然駄目。せっかく、妹が兄のために用意した舞台なんだから、邪魔はよろしくないよ?」
「邪魔・・・?」
「邪魔でしょう? だって、こうやって兄妹の再会を邪魔してるんだから。『私』は兄様に会いたいの。兄様と私のための舞台。私と、兄様だけの舞台。二人きりの役者で踊る、最期の舞台。・・・ああ、兄様。兄様、兄様、兄様、兄様、兄様っ! この狂おしいほどの想いを受け止めてください。私はあなたを愛しているんです。そう、手に入らないのなら、その全てを壊して、何もかも消して、兄様の心を繋ぎ止める舫を外して、鎹のごとく寄り添う全てを壊して。私だけを見て、私だけを想って、そして、殺して、殺されて・・・兄様を殺したら、私も死にましょうっ! 未来永劫、離れないように、絶望と、憎悪と、憤怒で、魂を結びつけて、どこまでも、どこまでも堕ちましょう・・・だから、邪魔をしないで? あなたは、退場して。今すぐ、ここから」
「・・・狂ってる」
「・・・あは。あはははははっ! 滑稽ね。あなたが言うの? それを? 私は狂ってる。そうね。そうだよ。だって、私は。兄様の願いを叶え続けるためにいるんだもの。でも・・・あなただって、同じ。自分と子供という楔で兄様をがんがら締めにして、この世界に縛ってる。『渡さない。絶対に渡さない。彼は私のものだから』・・・契約も、約束も、彼の夢も、望みも知らないあなたが、あなただけのために彼を縛っている。生まれた子供を利用して、自分の体を使って。・・・それは、健全? 狂っているないって、証明できる?」
「・・・」
否定できない。ローザンヌは否定の言葉を持たない。それは確かにその通りで、自分の使えるものを使って、彼がどこにも行かないように縛り付けている。それは確かで、どうしようもない事実だ。彼女も、そのことを責めてはいない。
けれど、怒っている。彼の自分のものなのに、勝手に横取りをしたと、彼女は怒っている。それを理不尽だと詰るつもりはなかった。確かに、そういう側面もあるのだ。・・・彼が『全竜』だった時は。だが、今は違う。
罵る言葉は持たないし、吐くつもりもない。だが、今は違う。そのことをローザンヌは知っている。
「黙れとは言いません。けれど・・・昔の、あの人と今のあの人は違いますよ・・・渡しません、絶対に。あなたと関わることで、彼は傷つく。その事実を否定させはしません。あなたを殺すということは、戦うという事実は、彼の心を傷つける。深く、それこそ癒えないほど、深く・・・だから、その体は、今、私が、壊します」
「・・・あくまで邪魔立て・・・まぁ、いいかな。どうせ、勝てやしない」
また、ローザンヌを見下すように嘲笑い、アリシャは腕を前に突き出した。
「さぁ、どこからでもどうぞ。『あの時』のように、遊んであげる。兄様が来るまでの暇つぶしぐらいにはなってね?」
「・・・」
踏み込み、斬りかかる。
張られた障壁ごと叩き切るために、淀みなく魔力を刀身に循環させながら、周囲を飛び回り、かく乱しながら、何度も、何度も刃を叩き付ける。
背後からの攻撃を見ることも、正面からの斬撃に怯むこともなく、ローザンヌのやりたいようにやらせ、その攻撃があまりにも無意味で、弱いことを知らしめるように、アリシャは嘲笑を浮かべる。反撃をしようと思えば幾らでも出来た。先ほどまでと違って、ローザンヌの動きは手に取るように解かる。頭の中に新しい経験をインストールされ、それが正常に働いている証拠だ。
まどろむ女神の、数え切れない戦闘の記憶が、アリシャの頭の中にある。自分自身でも解からない何かに操られているような感覚はない。ただ、自分と女神との境界が曖昧になっている。
「・・・???」
間近にある、ローザンヌのどこか哀れむような瞳が理解出来ない。彼女はいったい何を哀れんでいるのか、理解出来ない。
だが、理解できなくても、どうでもよかった。
アリシャにとって重要なのは、目の前の蚊トンボではなく、ただ兄だけなのだから。
理解できないのなら、壊してしまえばいい。所詮、目の前の女も兄を縛る楔のひとつでしかなく、ならば壊す。それだけなのだから。
次の接近で壊す。
アリシャは嘲笑を浮かべたまま、無造作に腕を前に突き出す。その挙動が、ローザンヌにはまったく見えず、ただ蓄積された戦闘経験が彼女の体を僅かに捻らせた。片手打ちになった攻撃が振り切られる前に、逆方向に弾き飛ばされた。
赤い、真紅の血が噴出して、ローザンヌは自分の腕がもぎ取られたことを、理解し、地面に向かって落下した。




