報復
アリシャは、部屋を一瞥して、踵を返した。ここにいる理由がなくなったからだ。何かを隠す理由もないし、ファグナリスと出くわすということも考えていなかった。そもそも、ここにファグナリスがいるかもしれないというのも、ただの方便でしかない。
ファグナリスが、この城の中にいるのなら、どこで何をしているかなど、アリシャには手に取るように解かっている。
・・・更に言うなら、大概のことならアリシャに解からないことはない。さすがに他人の考えていることなど解からないが、それ以外ならなんとなく理解できる。しかし、それも表面上のことだということは、重々理解していた。人の心を理解していたなら、兄の妻と娘を殺すなんてことはしないだろう。
それが、兄の心にどれだけの傷をつけるのか、アリシャには解からない。兄がどれほど怒り狂うのか、アリシャは理解できない。
ただ、アリシャは兄に戻ってきて欲しかっただけだ。彼を縛るものを解いてやれば。あるいは、壊してしまえば戻ってくる、と・・・思わされていた。
例えば、ファグナリスの最初の妻と、そのお腹の子供を毒殺したのは、アリシャである。その時の彼女は、余計なものが兄の傍にいることが赦せなかった。殺してしまえば、自分だけの兄に戻ってくれると思ったので、学んだ知識を使って、ゆっくりと確実に病死に見えるように毒を盛って殺した。結果、兄は目の前から消えてしまったわけだが、今回はそうも行くまい、と考えていた。
殺されたのは、王である兄の伴侶と娘である。伴侶が大事にされているのかは知らないが、子供は可愛く思っているだろう。ならば、ここで下手人が見付かるまで残るはずだ。上手くいけば、この国を責め滅ぼすかもしれない。
それだけの事態だという自覚はある。
矛先が自分に向かうかもしれないという可能性も、もちろん、承知していた。
「・・・ああ、なるほど。ようやく、合点がいきました。だから、彼は、あんな瞳をしていたんですね」
「・・・量、間違ったかな?」
「ある程度の毒なら、平気ですよ、私は」
さすがに今はまずいと思いましたが、と呟きながらローザンヌは立ち上がり、痙攣を起こしている娘に目をやった。
ミーアを抱えて逃げ出すのは別になんてことはないが、それをアリシャが見逃してくれるとは思えない。彼女はきっと、虫を潰すように無防備な自分たちを殺すだろう。それが、ローザンヌには理解でき、だからこそ、彼女は剣をとった。
一瞬でケリをつけ、ファグナリスの元にミーアを運ぶ。
そのためには、手加減をするわけにはいかない。元より・・・自分ではなく、娘と彼を傷つけるだけの存在をローザンヌは許容出来ない。
大剣・獅子王にありったけの魔力を籠める。刀身が太陽のような輝きを放ち、それに僅かに驚いた様子のアリシャに向けて振り下ろした。
光線が瞬く間もなく奔り、そこにあったありとあらゆるものを爆発四散させた。『英雄』の作り上げた強固な結界すら破壊するだけの威力を込めたものを、生身の人間に放ったのだから、普通ならそれで終わっているはず。
「・・・化け物め」
「どっちが?・・・人間にこんなことは出来ないと思うけど?」
くすくすと笑いながら、黒髪の少女が煙を掻き分けて近付いてくる。・・・いや、ローザンヌが立っている場所ぐらいしか床は残っていないから、その少女は宙に浮かんでいるのだろう。
「・・・アリシャ?」
「? そうだけど?」
薄桃色の髪が黒髪に変わっているというだけでも驚きなのだが、それ以上に、彼女の内から溢れ出る魔力の量にローザンヌは慄いた。怯えたといってもいいだろう。
「・・・さすがは、あの女の端末と言うべきでしょうか・・・」
「うん、そうだね。今、解かったことだけど。・・・でも、それはあなただって変わらないじゃない」
「一緒にしないでくださいっ!」
叫び、一気に間合いを詰め大剣を振り下ろす。だが、それは不可視の壁に阻まれ、止まった。
「その金の瞳は、女神の証でしょ?・・・今閲覧して解かったことだけどね」
苦笑を浮かべて、アリシャは軽い様子で腕を一振りした。魔力を帯びた風がローザンヌの体を襲い、あっさりと彼女をはじき返した。空中で姿勢を整え、なんとか足場を見つけて着地をする。
「・・・『私』としてはここで私に簡単に死なれたくないんだって。まぁ、私もまだ死にたくないし、抗わせてもらうけど・・・いいよね?」
「ちっ・・・余計なことを・・・」
胸の内がざわざわと蠢くような感覚に襲われ、ローザンヌは歯噛みをした。内側から湧き上がってくるのが、自分のものなのか、それとも封じられている『ローザンヌ』のものなのか解からなくなって、それでも心を落ち着けるために、深く息を吐き出した。
どちらにせよ、なんにせよ、目の前の女を倒すか殺して、自分たちの安全を確保しなくてはならない。なら、使えるものは使わなくてはいけない。抗うためには、どんな手段だって取るべきなのだから。




