足跡 その3
「アベル」
珍しく自室から出てきた姉は、どこか楽しげな様子だった。声もどこか上擦っているように感じるのは、おそらく勘違いではないだろう。その様子にアベルは苦笑を浮かべて、途中で止めた筆をさらさらと動かし、完成させた書類をサイン済みと書かれたボックスに投げ入れた。
「何、姉さん」
「兄様が帰ってくるって本当?」
「あー・・・帰ってくるって言うか、視察に来るみたいな感じらしいけど。一応、兄ちゃんは向こうで偉い人になってるみたいでさ」
実はファグナリスには伝えられていないことがある。イグナスはあえて言わなかったし、ベルゼアム女王は言う機会を逸し、ローザンヌは知っていてたがわざわざ言うことではないとし、そもそもミリアが言っていたのだからいいだろうと放置していた。
・・・ファグナリスは国土を持たない、軍事力だけしかない国とも言えない何かの、王として知られていた。西半分を僅か一年足らずで手中に収めた覇王。伝説にも似た戦争は、尾鰭をたっぷりとまとって西側諸国以東の国に知れ渡っていた。無論、アベルもそれを知っている。受けた報告から、その話の約六割が脚色されていることも知っている。
知らないのは当人だけとは滑稽な話だが、知らぬが仏、ということもある。
知っていたら、ファグナリスは誰にも何も言わず、ローザンヌとミーアだけを連れて姿を消していたはずである。
わざわざ軍使という役割も受け持つことはなかっただろう。さらに、間抜けなことにファグナリスはミエルハンス皇国に出された書状・・・正確に言うならば、覇王ファグナリスからミエルハンス王に送りつけられた親書がどんな内容かも確認していない。イグナスに丸投げしていた。
イグナスはそれをいいことに、ファグナリスが王としてミエルハンス皇国に視察に行きたいと願っている旨を自分勝手に都合の良いように書き連ね、さらにそこに恫喝を加えたものをマリウスとともに作成していた。
マリウスはにやにやと愉しそうに書いていたそうである。・・・さておき。とにもかくにも、今まで音信不通であった兄からの手紙は、アベルに届いたのである。本人は一切ノータッチの代物だったが。
「・・・兄ちゃんが、実際、どんな風に帰ってくるかは、俺には解からないよ? 王として来るのか、はたまた俺たちの兄として来るのか・・・」
親書の様子からして、おそらく家族として接してくれることはないだろうとアベルは思っていた。親書の内容はかなり威圧的だったし、親愛の表現なんてのは一切含まれていなかった。感情とは別離したものを、アベルは感じていた。・・・当然である。何度も言うが、ファグナリスは一切親書に関わっていない。
「それでも、兄様に会えるのね・・・楽しみ」
「・・・そうだね。まぁ、家族としての再会は会談を終えてから、だよ。向こうにも立場があるし、やることやらなきゃ、向こうだって気楽にあってはくれないよ」
「そうね。じゃあ、アベル。ちゃんと兄様の言うことを聞くのよ? そうすれば、会談なんてすぐに終わるんだから。早く家族水入らずで過ごそう? ね」
「・・・あはは。善処するよ」
相手の言うこと全てを聞くことは出来ないのが解かっているから、アベルは曖昧に笑うしかなかった。王として、譲れないものは確かに存在する。それを姉に理解してもらおうとは思わない。所詮、姉は庶子に過ぎず、一応の身分は与えられているものの王としての教育を施されてはいない。
家族よりも国。そこに住まうもののことを最優先に考えるのが王である。そのために切り捨てるべきは切り捨て、利用できるものは利用する。それが、王となったアベルが理解したことである。
「・・・なんだそのガキ」
ケービットは小部隊を引き連れて賓客扱いであるファグナリスを迎えに出たのだが、ファグナリスはまったく権威をまとっていなかった。
そもそも護衛の一人もつけていなかった。精々が馬車の御者ぐらいで、それも初老の男だった。見た限りでは戦闘経験などないような。さらに、である。そこにローザンヌがいるのは別に良いとしても、その腕に抱かれている子供はいったい何なのだろうか。
何の冗談なのか。
「久しぶり、ケービット。約束を守ってくれているようで助かる」
「いや、それはいいんだが・・・とりあえず、そのガキはなんだ。何処の・・・いや、誰のガキだ。や、見た目でローザンヌの子供ってのは解かるんだが・・・」
「・・・誰って・・・俺の娘だけど?」
「・・・そんな情報はないぞ。どういうことだ!」
「は? 何でたかが軍使の情報なんてのが必要なんだ?」
「・・・、・・・何? いや、確かに・・・お忍びという形をとっているのなら、この護衛のなさも納得できる。敵地に乗り込むという気負いではないということだから・・・」
「ケービット何をぶつぶつ言ってるんだ?・・・それよりも大げさじゃないか? そんな部隊を連れて」
「・・・いや・・・、ああ、えっと・・・とりあえず、来てくれたことに感謝する。アベル王も待ちわびている。早速、王宮に向かうか?」
「いや・・・それよりもまず行きたいところがある。大勢で行きたくない、人員を連れて行くなら、最低限にしてくれ」
「解かった。まぁ、会談は夜からだしな。・・・で、どこに行きたいんだ?」
「・・・彼女たちの墓だよ。ミリアが言っていた。墓を立ててやったと。そこに、遺骸はないのは解かっているが、一目見たいんだ」
「・・・ああ、解かった。ちょうど、王都への道の最中だしな。寄り道にはちょうどいいだろうさ」




