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愛憎 その2

「イェルナ」


教会からの文に目を通しているところに声をかけられ、イェルナは顔をあげた。これが他の使用人相手だったならば僅かに眉をしかめるところだが、その声の主が愛する妻のものであることを瞬時に察したイェルナは口元に微笑を浮かべて、顔を上げた。

そこには、不安そうな顔をした妻がいた。

・・・この屋敷にいる以上、不安になることなどないはずなのだが、妻は何かに怯えているように見え、イェルナは僅かに顔を曇らせた。


「イェルナ・・・」


「どうかしたのかい?」


「・・・戦争に行くのでしょう?」


「あぁ・・・」


そこでイェルナは得心がいった。妻は戦場に出る自分のことを慮り、不安になってしまっているのだ、と。

そんな必要はない。常人ならばいざ知らず、イェルナは『英雄』なのである。どれほどの有象無象が群がってこようが一太刀で殺し尽くす自信が彼にはあったし、どのような戦場であれ生還するだろうことは想像に難くない。

だからこそ、不安がる妻を宥める言葉が思いつかなかった。


「大丈夫だよ。私は強いから、どのような戦場であれ必ず生きて帰ってくる。・・・勝利してね」


それは確定した未来であった。

・・・本来であれば。

妻には言っていないが、敵は『英雄』を二人も屠っている。その事実は覆しようがない。ただ、彼らは策に貶められ、討ち取られている。ウォーロックは民を第一に考える優しい男だったし、セアンウリトスはわざと討ち取られたように感じる。その辺りを見抜いていたから、敵はこの順番で攻めてきているのだろう。

それを卑怯だとは言わない。

強者に対して策を弄するのは当然のことである。嵌った方が愚かなのだから、それに対して思うことはない。

無論、自身にも弱みがあることをイェルナは理解している。

それが、愛してやまない妻。もし、彼女を人質に取られたのなら、自分は無条件で降伏するい。結果、殺されたとしても妻の命が保証されるのであれば喜んで首を差し出す。ただ、そうならないための手は出来得る限り打つ。


「イェルナ・・・でも、私不安なの。もう、あなたが帰ってこないような気がして・・・」


「・・・大丈夫。私は・・・ごほ、ごほごほ・・・」


「イェルナ!?」


「・・・大丈夫、薬を持ってきてくれないかな?」


口元に手を当てたまま、やんわりと妻にここから離れるように言う。


「はい、今すぐ・・・!」


「・・・」


妻が離れていったのを確認し、イェルナは口元に当てていた手を離して自分の視界に入れた。手のひらが赤黒い液体で汚れている。


「・・・病気には勝てない、か・・・」


ここ二ヶ月の間で急激に体が弱り始めていた。原因は不明。医者にかかることは出来ないため、薬学を修めている妻の煎じた薬を服用しているのだが、一向に回復の気配は見えなかった。『英雄』であるということの弊害があるとすれば、これだろう。

国の象徴に近い『英雄』であるからこそ、常に強い姿を見せなければならない。そうしなければ、他国に攻め込まれる口実を作ってしまうからだ。病床であろうとも並の軍であれば蹴散らすことは容易い。だが、ほんの少しの隙をつかれるということが絶対にないとは言い切れないのだ。


「本来ならば療養するべきなんだろうが・・・そうも言ってられないしな・・・」


少なくとも今回の奴隷どもの侵攻は終わらせなければなるまい。そのあとで秘密裏に隠居する他ないだろう。

戦いに意味を見出せなくなった今、それこそが最良だとイェルナは断じる事が出来た。

手についた血をそっと拭い去り、妻が来るのを待つことにした。



奴隷軍は、渓谷の中腹辺りに陣を張っているようだった。この周辺の谷川は深く、この辺りに陣を張っておけば大体の敵には対応できる。

だが、イェルナをはじめとする『英雄』を相手にするならばそれは愚策である。

斥候に出した兵の報告を受けて、伏兵や罠がないことも確認されたため、イェルナは兵を進めることにした。夜間での行軍を行えば、明け方には敵陣を奇襲できると踏んだのだ。今までの『英雄』は一人で突出したことによって追い込まれている以上、必要ないものであっても打てる手は打つべきだとイェルナは考えたのだ。

こうした策を考えるのはほとんどやったことがないので、得意とは決して言えないが、間違いではないと思っている。


「・・・おっと。その前に薬を・・・」


妻に渡された薬を流し込む。もし、戦闘中に発作が起きた場合、死を意味するというのはイェルナもわかっていたので、出陣する前のこのタイミングで、妻に言われたとおりに薬を服用したのだ。

これだけで体に生気が漲ってくるような感覚を覚える。必ず、妻の下に帰るのだと気を引き締め直し、イェルナは部隊を進めるために静かな号令をかけた。

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