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愛憎

英雄の一人であるイェルナは、現在の戦況とは別に幸福の只中にあった。出陣することを決めたその日も、彼の心は晴れやかだった。同胞である二人の死も、さほど堪えることもなかった。戦争において、死ぬことは当然である。如何に『英雄』と呼ばれるような強者であろうとも、唐突な死からは免れないのだから。

だからこそ、イェルナは幸せを噛み締めていられる。

イェルナは、唐突に産まれた天才ではない。その点では、他の『英雄』とは一線を画する存在である。

彼の産まれた家は、遥か昔から、ただただ己の強さに磨きをかけてきた一族だった。強い血を取り入れ、それがなければ一族の中で子を為した。体系として剣の術理を伝え、相伝するたびに磨きをかけていった。それらはすべてイェルナという存在を生み出すためのものだったと、今では言われている。

そうして、イェルナは産まれ、作り上げられた。生後まもなくから剣を握り、武を練成し、十になる前に戦場で剣を振るい、人間を切り刻んだ。

十二で当主の座を先代である父から奪い取った。

イェルナの父はまだ幼い息子に殺されたことを狂喜しながら死んだ。武人として、これほど誇らしいことはないと血を吐きながら言い放ち、呵呵大笑して逝った。

狂ってはいない。少なくともイェルナはそう思っている。当主になったあとも、挑んでくる親類縁者を殺し、イェルナの地位を欲した武芸者を屠り続けた。その合間に戦場に身を投じ、さらに業に磨きをかけた。気付けば、頂の上にいた。彼と並ぶ力を持っているのは『英雄』ぐらいのもので、その中でも間違いなく彼の力は頂上にあった。

辛うじて、彼に匹敵するのは『英雄』アメティスタと『求道の怪物』ぐらいだったし、それとは別に一人だけ武芸のみならば自分に匹敵する可能性を持つ存在を、戦場でみかけたことがあるぐらいである。生きて、相応しい武器を持ったならば、あの時見かけた青年は『英雄』に匹敵するだろう。あの彼と再び出会えたならば、それはきっと楽しい殺し合いが出来るはず。

・・・昔ならば、そう思っていただろう。

イェルナは倦んでいた。

自らが最強に等しいのだと知った時、イェルナは意欲を失った。戦うことが存在意義なのに、彼の名前はその戦場を奪ってしまう。

地獄だった。

『英雄』と呼ばれ、その力を存分に振るえなくなったことは、彼を死に追いやるようなものだった。

子を為し、次に繋げようとは思わなかったし、思えなかった。必要があるとすら感じなかった。何故なら、一族は自分で完成してしまっているのだから。

その次があろうはずがないのだ。

故にイェルナは倦んでいた。

この世界のどこにも自分の居場所はもうないのだと、そう思った。

酒に溺れ、女に狂った。そこに自分の生きる意味を見出せるとは、当然思っていなかった。泥酔し、女を買い、快楽に溺れている時に襲撃を受けた時ですら、イェルナは無傷で生き残ってしまった。剣を取ってしまえば、虚ろな意識ですら覚醒し、体に刻み込まれた業が敵を斬り捨てる。

常在戦場。それをイェルナは体現していた。他の『英雄』の誰もそこに至ることが出来なかった中で、だ。

そんな時・・・時期としては一年ほど前に、いつものように歓楽街を一夜の恋人を探し歩いている時に、彼女と出会った。その時の瞬間を、彼は驚くほど鮮明に覚えている。思えば、それが初恋であった。

街娼であった女性。

赤茶色の髪の、異国の女性だった。

寝物語に話を聞けば、以前は異国の貴族の館で下働きをしていたそうなのだが、主人である人の妻子が何者かに殺され、それ以来、その主人は人間不信に陥ってしまい、気付けば暇を出されていたのだという。職を無くし、様々な国を流れて、辿り着いたのがイェルナの住まう国だった。結局、まともな職などなかったせいで、娼婦に身を窶した・・・それが彼女の来歴だった。

その話を聞いた後も、度々、彼女を買い、戦場を駆け抜ける時とはまた違う勇気を振り絞り、彼女を屋敷に招いた。

侍女の数は足りていたが、彼女を迎え入れられない理由にはならない。それに、彼女がイェルナの屋敷に来たおかげで、イェルナの夜遊びが鳴りを潜めたのだから、使用人たちとしては喜びはすれ、邪険にする理由とはならなかった。

使用人たちは、彼女の仕事ぶりを褒めていたし、使用人たちと彼女の関係は良好そのものでイェルナが気を払う必要すらなかった。

・・・しかし、それも当然である。

彼女は、イェルナの事実上の愛人なのである。主人の逆鱗に触れたいと思うものなぞいるわけがない。暇を出されるならともかく、殺されてはたまらないだろう。・・・ただ、ひとつ幸運があるとすれば、その死の瞬間を認識する暇すらないことぐらいだ。

が、やはりそれも昔このこと。

今の彼女の地位は、イェルナの妻。

つい一ヶ月前、イェルナは彼女にプロポーズをし、それを彼女は受け入れた。下女と貴族の結婚など――といえる輩は存在しない。それを口にした瞬間、イェルナはその力を持ってその一言の愚かさを知ることになるのだから。

だから、イェルナは幸せだった。

ずっとその幸せが続くのだと、思うぐらいだったのだから。

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