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英雄 その3

翌日の未明になり、ファグナリスが動いた。それは亀の歩みのようなまんじりとした速度であったが、動いたのである。

その軍団の先頭を歩くのはファグナリスで、その歩みはまるで散歩をするような気楽なものだった。

そこにウォーロックは理解不能の戦慄を感じた。四人の英雄と対峙した時でも感じなかった何かを、ファグナリスから感じ取ったのだ。ただ、ウォーロックはそれを気のせいだと判断し、思考から排除した。この世界に英雄は五人しかいないと、信じていたからだ。

ファグナリスは、遠く、城砦から自分を見ているウォーロックの姿を確認して、口を歪めるようにして笑った。それはどこか苦笑に近いものだったが、事情を知らないものが見れば、皮肉気に嘲笑っているように見えただろう。

彼の軍団の歩みを見て、ウォーロックは自分ひとりで打って出る決意を固めた。ファグナリスが率いている規模ならば、残さず屠れる確信を持ったからだ。

兵の配置をそのままに城門を開かせ、ウォーロックは馬に跨ることもせず、その足で地面を蹴り上げた。

迅雷のような勢いで突っ込んでくる単騎の姿に、ファグナリスの背後にいる軍は慄きを隠すことすらせず、一歩退いた。

寄せ集めの軍が武勇の誉れ高く、人間を()()()()まった(・・・)『英雄』と対峙出来るはずもないことは、承知していたし、このような行動を取ることもファグナリスは理解していた。

だから、


「撤退しろ」


軽やかな声で臨時の部隊指揮官に命令を下し、剣を抜きながらウォーロックとの距離を縮めた。

剣を握る腕に自身の力を通していく。骨身を焼くような痛みが一瞬奔り、ファグナリスは僅かに表情に苦悶を覗かせた。

肉の焼ける香ばしい匂いが鼻腔をつく。それは自身を焼く焔の匂い。そして自身に課した罰。ファグナリスは口元に笑みを浮かべる。

『あれ』と繋がっていることを感じたからだ。

その正体を、ファグナリスは想わない。


「うぉおおおおお!」


「・・・・」


雄叫びを上げるウォーロックと正面からぶつかり合う。『英雄』が持つ女神に押し付けられた力がぶつかり合う。

そのたった一合の衝撃波だけで、城砦の壁が悲鳴を上げ、ファグナリスの後ろに控えている軍隊はその場に踏み止まれず、何メートルか後方まで弾き飛ばされた。

驚愕を浮かべるウォーロックのことなど無視して、ファグナリスは小さく呻くように言った。


「さすがに英雄の武器は切れないか」


「何を言っている!?」


ウォーロックは自身の持つ武器、鉄棍を見やった。教会より与えられた鉄棍。彼の全力を込めても壊れないその武具の一撃を受け止められたことの衝撃に思考が乱れている時に耳朶を打ったその言葉に混乱した。

鍔迫り合いになったこともないので、あっさりとファグナリスに弾き飛ばされ、ウォーロックは距離を無理矢理取らされた。

混乱から回復できないまま、ウォーロックは果敢に攻め立てた。常にそうやって戦ってきたが故の行動であり、それこそが彼を冷静に戻す特効薬でもあった。だが、それもファグナリスの緩やかな動きによって掻き乱された。

当たらないのだ。

二合と持つはずのない、それ以上を打つことを許されなかった自分の攻撃がファグナリスに掠りもしない。

一人で戦ってきたときならばいざ知らず、今のウォーロックに戦いの喜びなどない。全ての力は民を守るためのもので、軽々しく振るえるものではなくなっていたからだ。

主の不調を、弓を携えた兵たちは見せ付けられた。『英雄』と一人で戦う男の姿を見せ付けられた。それは、言い知れない不安を掻き立てるには充分だった。ファグナリスはウォーロックの攻撃を余裕を持って回避しながらその様子をじっと眺めていた。

とは、言ったもののファグナリスにもそれほど余裕があるわけではない。いまだ、ウォーロックが冷静さを取り戻していないからこその余裕であることを承知している。こうやって回避してはいるが、反撃に移れないのだ。

剣を合わせることも難しい。先程の鍔迫り合いだけで、刀身に甚大なダメージを被ってしまったのだ。次にまともにぶつかれば刀身は折れるだろうことは簡単に予想がついた。ウォーロックの膂力をなめていたわけではないし、彼の武器の力を軽々しく見ているわけでもない。

だからこそ、この場で一人で戦っているのだ。

ウォーロックがその気になれば、今立っているこの地面ごと兵が待機している丘まで粉砕することだって出来るのだ。それをすれば、ウォーロックの背後にある城砦まで甚大なダメージを被るから、彼は思うさま力を震えない。

そのハンデを持ちながら、尚、脅威であるのが『英雄』という存在である。


「・・・お前は覚えていないのか?」


ふと漏れた言葉に、ウォーロックはわずかに動きを止めた。ファグナリスの言葉に真摯な何かを感じたからだ。


「何の話だ?」


「・・・お前はないのか? 原因不明の憤りや、怒りが。どこに向けていいのか解からない、感情が」


「・・・」


ウォーロックは口を噤んだ。

覚えがあるからだ。

しかし、その感情も、感覚も、今は関係ないものである。ウォーロックは民を守る義務を持ち、目の前にいるのはどう捉えたところで侵略者なのだ。それも、民から何もかも全てを奪いつくす、最悪の侵略者なのである。

会話を持って、同情や憐憫を覚えるわけにはいかなかった。だから、ウォーロックは口を噤む。その感情の正体を知りたいと思わないわけではないのだが。


「だよな。答えてくれるわけがない。解かっていたことなのに・・・酷く残念だよ」


空しいと。

そう小さく呟いて、ファグナリスはウォーロックと体を入れ替えた。自分の背後に彼の城砦を置くように立って、酷く歪な笑みを浮かべた。


「終わりだ。最も優しい『英雄』よ」

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