黒焔 その4
この大陸の誰もが知っている神話がある。
それは、八人の女神と、主神である世界そのものを司る女神によるこの世界の創世の神話だ。全てが女神であるのに八柱と一柱に分けられているのには理由がある。最初の段階で、女神たちは相争っていた。八柱と一柱による戦いだった。それに一柱の女神が勝利した。とはいっても、大規模な破壊や混乱がそこで起こったわけではない。
それが起こったのは、彼女たちの体系が決まったあとのことだ。
八つ首の竜と、それを支配する覇を吐く竜と魔物たちが女神たちと戦いを繰り広げる。これによって一時的に世界は破壊され、しかし竜を打倒した女神が世界を再生させる。神話のメインの部分であるここは、ありとあらゆるレリーフに描かれている。
・・・蛇足であるが、魔物は今でも存在している。遥か遠い東の果ての島国で、静かに息衝いている。時折、海を渡り現われ、時たま繁殖し、本当に稀に村や町を襲う。食うためではなく、そこに明らかな憎しみを持って、人間を狩る。しかし、現れる数は少数でしかなく、訓練された軍隊であればそれを駆逐するのに時間はかからない。だから、大陸にはほとんど生息していない・・・と、いうことになっている。
男・・・父親の記憶が途切れたあとも、延々と記憶は続いた。幾度も幾度も繰り返される闘争の記憶。みな、奪われたことの怒りに駆られていた。運命の不条理に狂っていた。泣き叫ぶように、捜し求めていた。敵を。仇敵を。憎く、愛しい、敵を。自分を戦いに追いやる『あれ』を。運命を支配する彼女を。
ああ、美しい俺の『女神』よ。お前が奪ったものを取り戻すまで、俺は戦いを止めることが出来ないのだ。返してくれ、返してくれ。お前が奪ったものを全て返してくれ。代わりにお前の望みを満たしてやる。だから、返してくれ。
「・・・なんだこれは、やめてくれっ!」
ファグナリスは記憶の渦に弄ばれているような錯覚を抱いた。連綿と見せ付けられる闘争の物語。無限に続く怒りと憎しみの連鎖。それを一身に受けているような感覚。吐き気がした。終わらない拷問を受けているような気分だった。
何故自分は、こんな責め苦を受けているのだろう。そう思いさえした。
解かるのだ。他人であるはずの彼らの想いが。自分のことのように理解出来るのだ。無理矢理、そう思い込まされているわけではないことも理解出来る。
呪いのような祝福だった。
絶対逃がさない。
・・・『彼女』の声が聞こえた。
見たこともない高い建物が、一面に立ち並んでいる。
しかし、その全ては原型を保っていなかった。もし、保っていたならば、今見ているものよりも巨大であったはずだろう。綺麗に均されていただであろう道に、見たこともない馬のない馬車が乱雑に止まり、そこかしかに人間が転がっている。絶望に染まった顔の群れ。戦場よりも強烈な血と臓物の匂い。溢れかえる死体は、万を超えているのは間違い。
彼らの手に武器はない。おそらく、民間人。
中空に少女がいる。
少し癖のある黒髪の少女。抜けるような白い肌の、美しい少女。口元には綻ぶような笑みが浮かび、金色の瞳は細められている。まるで美しい絵画でも眺めているかのような風情が少女にはあった。
彼女の周囲には、透明な棺に納まっている少女が七つ、衛星のように周回していた。そして、鉛色の棺がひとつ、微動だにせず彼女の背後に張り付いている。
『俺』は、その姿を見上げている。
東の果てから、西の果てまで追いかけて、『俺』は今ここにいる。彼女は待っていた。『俺』が到着するのを。ただ待っていた。
「遅かったね。やっぱり、海を越えるのは難しかった?」
「・・・ああ。ずいぶん苦労したよ」
「お疲れ様。飛べれば楽だったのにね。新しい力、あげようか?」
「いらねぇよ。高いところは嫌いなんだ」
「ふふ。そうだったね」
笑みを投げかけ、視線を『俺』の後ろにやる。そこには、金髪金瞳の少女がいる。彼女の背後にある鉛色の棺の主人たる少女。これから、『俺』と金髪金瞳の少女は最期の戦いに討って出る。金髪金瞳の少女は復讐のため。『俺』はその願いを叶えるために。
「・・・本当、厄介ね。一時は、手と手をとって、憎い憎いあいつを殺すために一緒に戦った仲なのに。どうしてそんなに私を恨むのかなぁ?」
「貴女にとって、あれはただの利害の一致でしょうに。貴女が。私の仲間たちを殺したことを、私は忘れません。後ろの彼女たちのこともあります」
彼女たちの確執は極まっていた。親世代から続く憎しみを押し留める手段などありはしないのだ。それに、黒髪の彼女は、金髪の彼女を欲している。それが鍵だからだ。世界を完全に改変するための。
「・・・うぅん。理解し合えないのは悲しいよ。でも、しょうがない。私、やっぱりあなたが大嫌いだから、理解したくないなぁ」
無邪気な笑みを浮かべて、彼女は言う。
「でも、最期だし。少しは愉しまないと、ね」
『俺』を見て、彼女は笑う。こんな場所に似合わない、ぞっとするほど暖かい親愛の篭った笑み。『俺』はそれに苦笑を返す。
それが、開戦の合図となった。
結末は神話の通りだった。しかし、そこでファグナリスが見たものはまさしく神話に相応しい戦いだった。七日七晩続いた力無い人にとっては恐ろしいほどの破壊が振り撒かれたその戦いは、蓋を開けてみれば黒髪の少女=最高神たる女神の圧倒的な勝利に終わった。結局、彼女は傷ひとつつくことは無かったのだから。世界の大半を荒野に変えて得られたものは、混沌と戦乱が続く、終わらない争いの世界だった。
彼女の望んだ最高の遊び場。
これが、今の世界。ファグナリスが生きる、どうしようもない世界だった。
『別に浮気はかまわないの『私の英雄』・・・でもね、本気になるのは許さない。そうなったら、私がそれを尽く奪う。今日みたいに、ね。愛してる。愛してる。永遠にあなただけを愛してる。だから、絶対に逃がさない。私はあなたのもので、あなたは私のものなんだから。何度でも世界を壊して遊びましょう。何度でも直してあげるから。永遠に、ここで遊びましょう・・・』
啄ばむようにキスをして、彼女は笑う。新しく与えられた力は、この世界に永遠に縛り付けられるもので、己の子供たちのために必ず継承しなければならない、魂を縛る祝福だった。




