王の剣
平穏はあっさりと崩れ落ちる。協定とは破られるためにあるようなものだが、それが僅か数日で破られたのは、過去例のないことだろう。少なくとも、半年は保つと予想していた上層部は、それだけで浮き足立った。
そして。
また召集令状が届く。
ファグナリスはまた、あの遊撃部隊に所属することになったが、しかし、そこはもう名無しの部隊ではなくなっていた。
『王の剣』
それが、部隊名である。やることは変わらない。決死隊であることに違いは無く、ただ褒章金額だけは爆発的に跳ね上がった。今回の任務に入る際、ファグナリスはその褒章の半分を受け取った。成功すれば、更に半分と別に用意された金を手に入れることが出来る。
それだけ、今回の任務は困難だった。
敵領土に侵入し、駐屯地襲撃部隊を見つけ出し可能ならば撃滅しろと言われた。聞くだけで足が震え、死がひたひたと近づいてくるのを、間近に感じる。理不尽でいて、無謀。更に無茶。死ぬためだけに、戦場に投げ入れられることが解かっていても、ファグナリスには戦わなければならない理由がある。
孤立無援、支援も無く、ひたすら進軍し、敵を見つけ出し、喉を切り裂けと言われている。必要ならばどんな行動も許可されているが、一度敵に見つかってしまえば、待つのは死だけだ。
追い立てられ、嬲られ、殺される。生還するよりも、そうなる確率の方が圧倒的に高い。
「…怖い」
死が、ひたひたと這い寄ってくる。
「…大丈夫ですか?」
「ローザンヌ…大丈夫、ちょっと怖くなっただけだから」
金髪金瞳の修道服を身に纏った少女は、僅かに繭をひそめ、そっとファグナリスの頭を撫でた。宥めるように何度も何度も優しく。彼女には、負い目がある。自分よりも年下の少年に、部隊全ての命の重荷を背負わせている、負い目が。
「…大丈夫です。誰も、あなたを恨んだりしません。部隊を率いれるのは、あなただけで、ここに参加しているのは、みな、納得出来るだけのお金をいただいてます」
そうなのである。
ここにいるのは、金のために命を差し出した者と、軍規に違反した懲罰兵だ。懲罰兵にさえ、金は支払われている。しかも、ここで生き残れば罷免された上に、以前の部隊に戻れるという特典付きで、士気は思ったよりも高い。
「そうだね。君がそんなに気負うことはないよ」
全体的に色素の薄い、女性のような容貌のマリウスが微笑を浮かべて、ファグナリスの横に腰を下ろす。食べるかい?と、聞きながら、懐から砂糖菓子を取り出して、ファグナリスの前にかざしてみせる。
ファグナリスは、小さくありがとうと言って砂糖菓子を受け取って口に含んだ。初めて食べる菓子は、身体に染み込むように美味かった。
「美味しいかい?」
「美味い。初めて、食べた」
「そっか。じゃあ、また今度、持ってきてあげるよ」
「また、今度…」
「そう。また今度。大丈夫。僕たちは、生き残れる」
教会の命で、戦場に立つことになった二人は、それでも生きることを諦めていなかった。そして、その鍵がファグナリスにあることも理解している。彼の戦況把握能力は飛び抜けている。少なくともこの部隊の中ではトップクラスにある。それは、数週間に亘る訓練が実証している。
訓練の最終工程で、他部隊と模擬戦闘を行ったのだが、ファグナリスはそれを苦も無く打ち破っている。
「生き残る。…生き残らなきゃ、いけないんだ…」
弟妹のために、出来る限りのことをしなければならない。あの子達が、幸せに生きられるように。そのためには、戦わなければならない。命を担保にすることでしか、俺にはやってやれることがない。
「気負ってるか、ファグ坊」
「ケービット!」
「マリ坊と、お嬢か。どうした…って、決まってるか。がちがちに固まってるそいつのお守りだな」
ケービットはからからと笑いながら、ファグナリスの正面に腰を下ろした。赤茶けた髪の、快活な青年。槍を得てとし、王都の武術大会でかなりの成績を打ち出したこともある、『王の剣』における最強の兵士だ。
「見張りはどうしたんですか?」
「休憩の時間だよ。さすがに俺でも疲れる時は疲れるの。人間だぜぇ? これでもな」
「あ、それもそうですね。体力馬鹿だとずっと思ってましたから」
「…それ、嬢ちゃんが言うかね。そんな馬鹿でっかい剣振り回す癖に」
「こ、これは、神の加護でかなり軽いんです! 私だけの限定加護ですけど」
指摘された大剣を掻き抱いて、唸るようにローザンヌは言った。
「へいへい。解かりましたよ」
それに苦笑で持って答え、ケービットを肩を竦めて見せた。その様子に、ファグナリスは自然と笑みを浮かべていた。自分でも気付かない内に笑っていたことに、少しだけ驚きを覚える。
「…だいぶ、緊張が解れたみたいだな。よかったよかった。で、落ち着いたところで聞くぜ? お前、敵がいつここに来ると思ってる?」
「…○○だ」
冷徹に、ファグナリスは答えた。
敵領土に侵入して、三日ほどファグナリスは自らの足で情報を集めた。黒髪黒瞳は、この国ではまったく違和感無く溶け込むことが出来る。それに、ここの言葉をファグナリスは操ることが出来た。娼館に時折、この国の商人が来ることがあったからだ。ただの商隊の人間だったり、人買いだったりとしたことがあったが、彼らと会話をする機会が、ファグナリスにはたっぷりとあった。日常会話なら、滑らかに行うことが出来る。
そこで得た情報は、大分して二つ。一ヶ月前、敵に打撃を与えた部隊はこの前線を周回しているということ。そして、その部隊は王直属部隊であるということ。どんな部隊なのかは、生憎、市民は誰一人として知らなかった。
だから、ファグナリスは情報収集をそこで切り上げた。
周回しているということは、探し出して奇襲することは難しい。少なくとも『王の剣』にそれが出来る人材はほとんどいない。たとえ、その少数で奇襲部隊を結成しても、返り討ちに合う可能性の方が高い。
ならば、向こうから出てきてもらえばいい。
陣地を決め、複数の部隊に分け、ファグナリスは行動を開始した。
陣地を構築する部隊には、敵を迎え撃つための罠と魔術防御と魔術攻撃のための土嚢の構築。
偵察隊と襲撃部隊を連携させ、商人のキャラバンを襲い、食料だけ奪い取って逃がす。あるいは、近くにある町に駐屯している部隊を闇討ちさせた。
これは、騎士の戦いではない。泥臭くとも生き残るために、姑息な手段を用いることにファグナリスは躊躇しなかったし、部隊の兵士たちも異論を唱えることは無かった。
全ては生きて帰るため、なのだから。
それを二週間続けた。物資は奪ったものがあるから、あと一月は保てるだろう。
しかし、そろそろ敵にこの場所を探り出されるはずだという確信があった。敵は馬鹿じゃない。様々なところで撹乱するように夜襲を仕掛け、キャラバンを襲撃したが、それらを総合してここを導き出すのには充分な時間と回数をこなしたのだから。
ファグナリスの予測は的を得ていた。
アールキエは、この場所を見付け出していた。しかも、ファグナリスの予想よりも一週間も早く。
しかし、彼女は即座に攻撃を開始しなかった。そのころには陣地が完成していることが解かっていたし、仕掛けるにしても、ファグナリスたちの警戒が尋常じゃなく高かった。しかし、それはある程度の時間を経ることによって、弛み始めていた。
それを、彼女は待っていた。
「…さ、始めましょうか」
「はっ」
アールキエが腰の剣を抜き、高々と掲げた。
それを合図に、静かに、しかし素早く部隊は『王の剣』を急襲した。声無き悲鳴があがる。それに、アールキエは顔を曇らせた。
「アールキエ様、罠です」
「砦だけじゃなかったということね。やられたわ。撤収する。部隊、を…」
違和感。
彼女は本能のまま、茂みから飛び出して地面を転がり、即座に立ち上がって臨戦態勢を取った。見れば、アールキエがいた位置を槍が貫いていた。その穂先はアールキエではなく、彼女の副官を容赦なく貫き、抉りながら引き抜かれた穂先が臓腑を引きずり出していた。僅か一秒にも満たない時間のことである。
「…砦まで、囮…」
気付いた時には既に遅い。樹上で、ファグナリスがその様子を確認していた。
「…助かった」
「見事にかかってくれたね」
マリウスの感嘆するような声に、しかしファグナリスは答えない。
ここまでは見事に嵌ってくれた。それは、アールキエの思考を読み切ったからではない。もし、明日襲撃されていたら、こんな対処は出来なかった。緊張は完全に切れていただろうから、あとは簡易砦に籠もり、消耗戦をすることになっていただろう。おそらく任務は達成できるが、生存者は一人か二人という戦果に終わっていたはずだ。しかも、成功するのはは敵か自分たちかというと、それすら解からない。
そしてまだ、脅威は去っていないのだ。
死が、這い寄ってくる。ひたひたと。静かに。確実に。
「…見付けた。司令官!」
アールキエの視線が、その美しい瞳がファグナリスの姿を捉えていた。
「マリウス!」
「っ!」
ファグナリスの恐怖の叫びに、マリウスは咄嗟に防御魔法を展開した。直後、巨大な氷柱がマリウスの結界に激突し、轟音を立てた。そして、その一撃だけで彼の結界は霧散した。それを見届けることなどせず、ファグナリスはマリウスを抱えて樹上から飛び降りていた。
追撃が、樹上を飛んでいく。
「…まさか、無詠唱の一撃で破壊されるなんて…化け物かい、彼女は」
「考察はあとだ!」
剣を抜いて、ファグナリスは茂みから飛び出すのと茂みを割るようにアールキエの剣が突き出されたタイミングはほぼ同時。当然、彼らは至近で交錯した。
視線が絡み合う。
喜悦と恐怖が交じり合う。
そして、その奥にある、同じ物を二人は見た。
「ファグナリぃいいいいいスっ!!」
その声に反応し、彼はその身を地面に投げ出した。ケービットの槍がアールキエに突き込まれる。しかし、それはアールキエを貫けなかった。
「ご無事で?」
「ええ。問題ないわ」
血に染まった鎧の所々から褐色の肌を除かせた青年が、それを湾曲した山刀で受け止めていた。戦況が五分になった瞬間だった。
樹上から、本命が飛び降りてきたのは。
「…覚悟っ!」
大剣が金色の煌きを放ちながら、打ち下ろされた。爆破の力の込められたその一撃。振り下ろされれば、致死は確実のそれが放たれる。
「はっ…覚悟が足りないわ、貴女」
それを嘲笑し、アールキエはローザンヌを弾き返した。
「は、んっ!」
「くそっ!」
ローザンヌの一撃を弾いた一瞬の硬直を狙った一刀をアールキエは受けた。鍔迫り合いに持ち込み、追撃を避ける。逃げの一手だが、真正面から行って勝てる相手とは思えなかったのだ。
「く、くふふ。あは、あはははははははははははははははっ!!」
「何がおかしいっ!」
「何がって、この状況が。愉しくて、面白くて、たまらないじゃない。だって、ほら。あべこべの君」
「…あべこべ?」
「本来なら、私たちの立ち位置は逆よ? 肌も、髪も、持っているべきものは、反対なの」
「…」
解かる。本来、黒髪黒瞳はアールキエが所属する世界の特徴。逆にプラチナブロンドに同系色の瞳はファグナリスが存在している世界の特徴である。それだけを指すならば、その通りだ。確かにファグナリスも向こうで自分が浮いているという感覚を得ることがある。
「そんな君と私が、お互い戦う。滑稽ね。まるで、お互いの世界を欲しているかのよう。向こうの世界が恋しいの。だから、向こうにいるお前は、死ね。そう、語り合っているようじゃない?」
「…っはは。確かに、それは滑稽だ。なら、尚更だ。向こうはお前になんかに渡さない」
「そう。じゃあ、愉しみましょう。ダンスの時間ね」
鍔迫り合いが解かれる。
何がダンスだ! と、ファグナリスは叫び出したかったが、そんな余裕は無い。
アールキエはファグナリスにぴったりと張り付くように浅く浅く、彼の身体を切り刻んでいく。対して、彼の出来ることと言えば必死になって逃げ回り、瑣末な反撃を加えるぐらいだ。完全に遊ばれているのが、解かる。
ぴったりと張り付かれているおかげで、ローザンヌが割って入れず、マリウスも魔術を発動出来ない。ケービットは交戦中でこちらに構っている暇がない。
ジリ貧だ。
あの状況でまさかここまで追い込まれるとは思わなかった。
甘かった。
もっと狡猾に、徹底的にやるべきだったのだ。しかし、後悔はいつも遅いものである。だから、彼が選択できるのは、今回も自分の命を差し出すことだった。
「マリウスっ! やれっ!」
「…っ! く、うわああああああああああああああああああああっ!」
「まさか…っ!」
魔方陣が彼と彼女を取り囲むように展開される。聞き取れないほど早い詠唱をマリウスは紡いだ。その詠唱の長さは十五秒。詩にして五万節。地域を限定した、極大の破壊魔術。それを、ファグナリスごと展開したのだ。
「死ぬ気?」
「一緒に死のうか」
直後、ファグナリスの感じる世界は爆破圧壊した。




