陥落 その2
アベルは、父・カスペルに言われ、テニキアス王国連合との国境近くに出向いていた。テニキアス王国連合とは敵対しているはずなのだが、ここしばらく小競り合いすらなく、どこか牧歌的な雰囲気に満ちていた。
カスペルが言うには、ここを治めている領主の城に要人がおり、ミエルハンス皇国の王都までお連れするのが、今回アベルに与えられた仕事だった。
本来ならアベルではなく、ファグナリスが向かうべき仕事だったのだが、ファグナリスは別件で動けず、先方がエリアル家の護衛を望んだため、ファグナリスと同じく動けないカスペルの代わりにアベルが向かうことになったのだった。
ただ、ファグナリスは不安があるらしくエリアル家の私兵に混ぜるようにケービットと数名の『王の剣』の兵士が一緒に行動を共にしていた。
「兄ちゃんは心配性だな。戦闘なんて起こるわけないじゃん」
「はっはっはっ! まぁ、そう言いなさんな。ファグ坊は、お前さんが大事なんだよ。国境に近いってだけでかなり危険だっつーのもあるがな」
ケービットの言葉にアベルは首を傾げた。
「どういうことだ?」
「いるんだよ。越境して攻撃してくる部隊がな。しかも秘密里に動ける奴等がよ」
忌々しげに眉を寄せ、吐き捨てるようにケービットは言った。
「今回の件はよ、そういうのが出てくる可能性があんだよ。だから、そういうのと戦ってきてる俺らがいるわけだ。俺らが前線で戦ってる間にお前さんが逃げるって寸法だ。・・・聞いてるよな?」
「緊急事態マニュアルなら目を通してるよ。ローザンヌがくれた奴」
とは言ってもざっとしかアベルは目を通していなかった。そこまで必要だとは思えなかったからだ。一応、戦闘ではぐれた場合の集結地点などは頭に入れてあるが、それだけだった。
「・・・ちゃんと読んどけよ。お前さんが戦争する時にも役立つ逸品なんだからよ。別にファグ坊はお前さんが信用出来ないってわけじゃないんだぜ? 信用してるから、そういうの渡してんだからよ」
「そうなのか?」
「それ、機密事項とか普通に載ってんだぜ? 幾ら弟だからって信用してなきゃ見せねぇよ」
「・・・うん、解った。読んどく」
「おう。そうしときな」
ぐりぐりと乱暴にアベルの頭を撫でて、ケービットはからからと笑った。
領主の城に通されたアベルは、まず領主の執務室に案内された。ケービットも同道した。他の兵は用意されていた宿舎に向かい、『王の剣』は町に散った。
「アベル・エリアル様。ご足労ありがとうございます。私はエイナル・オズバーンと申します。カスペル様には随分とお世話になっております」
「会えて光栄です、オズバーン卿。若輩である私にかぶんな歓待。恐縮です」
にこやかに言葉を交わし、握手をする。オズバーンは、腹に脂肪を蓄えた巨漢で、その手も油にまみれたようにてらてらと輝いていた。
「では、さっそくですが、ご紹介させていただこうと思うのですが・・・申し訳ないのですが、少し時間がかかりそうなのです。しばしお待ちいただけますか?」
「えぇ、構いませんよ」
従者に指示を送り、オズバーンは世間話を始めた。それに笑顔で付き合いながら、内心アベルは辟易していた。
客ではないのだから、待たせられても文句は言えないのだが、こちらが来ることは伝わっていたはずだ。ある程度の準備ぐらいはしていて欲しかったというのがアベルの本音だった。
従者がオズバーンに小さく耳打ちをし、それに彼は小さく頷きを返した。
「お待たせしました。ご紹介します。こちら、ニウリエラ姫にあらせられます。テニキアス王国連合から亡命を望まれ、我が領内に来られたのです」
執務室に現れた少女は、どこかで見たことのある面影があった。それに思い至る前に、ニウリエラはアベルに握手を求めた。
「ニウリエラです。アベル様、どうぞよろしくお願いいたします」
「あ、あぁ。はい。・・・騎士として我が身命を賭してお守りいたします、姫」
「はい。期待しています」
微笑むニウリエラに、アベルは気恥ずかしさを感じて僅かに顔を伏せた。そして、与えられた仕事以上に彼女を強く守りたいと思った。
「出発は明朝となるのでしょう? 今日は我が館でゆるりとお休みになるのがよろしいかと。晩餐の用意もあります。楽しんでいただければ幸いです」
オズバーンの言葉に感謝を伝え、アベルはケービットを連れて退室した。
テニキアス王国連合側、ミエルハンス皇国国境付近に、ゼアムは部隊を待機させることにした。手近に隠れられる森がここにしかなかっからだ。伝えられた命令は、夜にニウリエラがいる館を襲撃するだったから、その通りに行動するつもりだった。
行商に扮した斥候も侵入済みで、決行と同時に合流する予定だ。
ただ、アールキエの指示に絶大な信頼を置いているゼアムだったが、ひとつだけ気掛かりがあった。
それは、自らの傍らに立つ黒い男だ。いまだに名を名乗らないこの男だけはいまいち信用出来ず、こうして手元に置いておくしかなかった。
それが余計な足枷にならないか、ゼアムは不安だったが、妙な動きをしたら殺して良いとも言われている分だけは警戒を軽くしていた。
「おい、お前」
「・・・」
「一応言っとく。変な考えを起こすなよ? なんかやったら、殺す。いいな?」
「・・・あぁ」
小さく頷く黒い男から目を離し、ゼアムはバックから取り出した干し肉をかじった。
戦闘開始まで、あと九時間。




