8
あれからマミヤくんと顔を合わせるたびに、なんだか申し訳ない気持ちになる。冷静に考えれば僕が怒ることでもないし、ただのプレゼントだ、気にすることもない。万事OKだ。
セッションがポシャったことで、誰も僕を責めない。傷にふれないように、その話を避ける。僕は「ごめんね」をどこへ渡せばいいんだろう。
彼女の不可解な行動は、それからも絶えることはなかった。ケンがそれに気づかないことを祈るしかない。
「お疲れ様~」
グラスが触れ合う音があちこちで響き渡る。今日は、僕達のセッションバンドがお披露目されるはずだったイベントの日だ。結局、マミヤくんのバンド、ケン、僕達の3バンドでやった。途中、ケンとマミヤくんがぶっつけ本番の弾き語りを披露して、なんとかイベントらしくなった。僕はふたりがハモるのをステージのそでで観ていた。
3バンド合同だから、打ち上げはかなりの人数だった。座敷をすべて借り切って、なんせ五十人もいるもんだから、ビールが次々と運ばれてくる。
「いやー、郁弥くんお疲れ。ありがとね、今日は」
さっきからいろんなテーブルであいさつをしていたマミヤくんが、僕の隣に座る。
「すごいよ、今日二百八十人も入ってさ、入りきらなかった人もいるんだって。すごいよね」
「そうなんだ、大盛況じゃん」
「うん、ホントありがとね。感謝してるよー」
ボツになったセッションについては、やっぱりなにも言わない。こんなことにこだわっているのは僕だけなのか。今日は彼女も来てるけど、いつもどおりちゃんとケンの隣にいるし、別に変わったことはない。僕が気に病むことはなにもない。
「そういえば今日小夜ちゃんどうしたの?」
マミヤくんは苦笑して、
「うん、ちょっと忙しいみたい」
と、珍しくあいまいな返事をする。
「いや、それよりさぁ。あのね、郁弥くん。楽しい席でこういう話するのもアレなんだけど・・・アヤちゃんには気をつけた方がいいよ」
「え? アヤちゃん?」
うん、とうなずいて、マミヤくんは僕のグラスにビールを注ぐ。
「ちょっと最近フツウじゃないよ。絶対許さないとか、郁弥くんとキリちゃんがどうしたとか、言ってることも意味わかんないし、まあたいしたことないとは思うんだけどね、そんなにバカな子じゃないと思うから・・・だけど、一応郁弥くんには言っておいた方がいいかなぁって思って」
「ふーん・・・オレとあの人がどうしたって、アヤちゃんなんて言ってたの?」
「ホントよくわかんないんだよ。嫉妬心でまわりが見えてないからね。オレはなんでそこにキリちゃんが出てくるのかわかんないけど・・・あの子前からキリちゃんのこと気に入らなかったみたいだし、ケンくんのこと気に入ってたし、やっかんでるんだろうね、きっと」
と言って、マミヤくんは隣のテーブルの彼女を見る。彼女はマミヤくんの視線に気づいて、笑顔で手を振る。
そういえば、このふたりはどういう関係なんだろう。ただの友達と言い切るには仲がよすぎる気がする。マミヤくんは誰にでも愛想がいいけど、彼女があんなに親しげにするなんて・・・確かに、カズくんとだって彼女は親しい。だけどカズくんは麻ちゃんのカレシだから・・・・やっぱりマミヤくんは特別なんだろう、彼女にとって、きっと。だけど、どうして? どうしてマミヤくんなんだ?
「郁弥くんがアヤちゃんとかほかの女の子別れ出したのってさぁ・・・」
突然真剣な口調になって、マミヤくんはグラスを傾ける。急に話を振られて、僕はビクッと身体を堅くした。マミヤくんは照れたように笑って、頭をかいた。
「オレが口出すことじゃないんだけど――ケンくんとキリちゃんがつきあい始めた頃じゃない? なんか時期重なってて・・・別にアヤちゃんが言ってたこと信じてるわけじゃないんだけど、その前からさ、なんとなく関係あるのかなぁって思って。一度聞いてみたかったんだ」
僕の顔をちらっと見て、マミヤくんはすぐに後悔するように目を伏せた。僕の背中越しに、リョーちんのバカ笑いが響く。
少しも動揺を見せなかった自信はある。自分を殺すことは得意技だ。僕は煙草に火をつけて、ゆっくりと煙を吐き出した。
「なんでそう思ったの?」
こういう言い方をすればマミヤくんが困ることはわかってる。マミヤくんはときどき怖いくらいの直感を見せて、僕達を驚かせる。感性の人なんだな、と僕は思う。きっと自分がどうしてそれに気づいたのかまったくわかってないんだろう。理性よりも本能で動く人だ。それが僕にはうらやましい。ときには妬ましくもある。
「なんでって言われてもなぁ・・・なんでだろうね。わかんないや」
マミヤくんは笑ってそう言う。この飾らない素直さも、僕にはないマミヤくんの美点だ。
「まああんまり気にしないでよ。なんとなくそう思っただけだから」
マミヤくんもケンと同じ人種だ。だから僕はマミヤくんが好きだし、怖い。こんなに違う僕を受け入れてくれても、心の底ではホントは嫌々なんじゃないかとか、そんなことを考えてしまう。いや、ホントにこのふたりのことは好きなんだ。だけど彼らといると、自分がなんてちっぽけな、ねじ曲がった人間なんだと思ってしまって、それがすごく辛いんだ。
「あれ? ケンくんどうしたの?」
ふと気がつくと、ケンが僕の横に立っていた。ものすごく不機嫌そうな顔をしている。
「なんだよ、そんな景気悪い面して。酒足りないのか?」
ケンはちっとも笑わない。隣のテーブルの彼女を振り返って、口を尖らせる。
「まあまあケンくん。ここ座んなよ。キリちゃんがどうかしたの?」
ケンはマミヤくんの顔をちらっと見て、目を伏せた。ケンの視線の中に責めるようななにかがあったので、僕は不思議に思った。だけど次の瞬間にはいつものケンに戻っていた。きっと僕の気のせいだったんだろう。
「なんか・・・よくわかんないんだよ。急に帰りたいって言うから送るって言えば、今度は帰りたくないって言うし・・・」
「帰りたい」
僕達に聞こえるように彼女が言う。マミヤくんはやれやれと肩をすくめて、ケンに笑いかける。ケンは笑い返さない。それだけの余裕がないみたいだ。
「お姫様のワガママ病が出たかぁ」
「笑い事じゃないよ」
ケンはむっとした顔でマミヤくんにかみつく。頼むよ、ケン。お前がひとを攻撃するところなんて見たくない。僕はマミヤくんを見た。マミヤくんはケンの口調なんてまったく気にしない様子で、また笑う。
「まあまあ、今日はケンくんが引いてあげなよ。心配だったら誰かに送らせればいいし。キリちゃんがワガママ言うのなんて日常茶飯事じゃん。気にすることないよ」
マミヤくんはそう言って、ケンの背中をたたく。ケンはまだ納得してないみたいだ。ふてくされた表情で両手をジーンズのポケットに突っ込んでいる。マミヤくんが僕を振り返る。なんだか嫌な予感がする。
「郁弥くん今日車でしょ?」
ほら、やっぱり。僕はため息をついた。みんななにを見てるんだ? 彼女が僕に送らせるわけないだろう。しかも、こんな状況で。僕は今度はわざと、みんなに聞こえるように大きくため息をついた。
予想通り、彼女は激しく首を横に振る。
「じゃあどーすればいいんだよ?!」
ケンの怒鳴り声なんて、何年ぶりだろう。僕は少し驚いた。ポケットの中で、拳を握り締めているのがわかる。きっと、彼女に対する怒りよりも、自分に対するもどかしさの方が強いんだろう。唇を噛み締める。
「マミヤさんがいい」
ケンがなにか言おうとするのを、マミヤくんが遮る。ケンは悔しそうにマミヤくんを見つめて、疲れたように肩を落とす。ケンの背中がなんだかいつもよりちいさく見えた。
「じゃあ――マミヤくんよろしく」
ケンは彼女に背を向ける。マミヤくんが励ますようにケンの背中をたたいて、ポケットから車のキーを出す。銀色に光るキーを、まぶしそうにケンは見つめる。
ふたりが帰ってから、ケンは一言も口をきかなかった。ケンがなにをそんなにこだわっているのか、そのときの僕にはわからなかった。
あとから思えば、ケンがあれだけ過敏になるのも当たり前だ。よりによって、どうしてマミヤくんなんだろう。