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どうでもいいけど、どうしてうちの店はいつもこんなにヒマなんだろう。
今日は朝から雨が降っていて、客の足を遠ざける。表を歩く人の数もいつもより数段少なくて、これじゃしょうがないかな、とも思う。シゲは昼飯に行ったきり戻ってこない。きっとどこかで遊んでるんだろう。
二人組みの男が、さっきから熱心にレコードを漁っている。中古レコードは掘り出し物を見つけるとすごくうれしい。その熱意が伝わってくる。
僕は文庫本のページがさっきから進まない。雨のせいか、朝から頭痛がして、同じところを何度も読み返してしまっている。おもしろそうだと思って買ったミステリーだったけど、途中で犯人がわかってしまって、わかりきったミステリーほどつまらないものはない。
二人組みの男は、結局掘り出し物がなかったのか、なにも買わずに出て行った。
「ありがとうございましたぁ」
ダメだ、もう読めない。僕は諦めて本を置いて、携帯を取り出した。別れたはずなのに、相変わらずいろんな女の子からメールやら着信やらがある。全部無視してるけど、うざいことはうざい。不要なメールを削除しながら、煙草に火をつけた。
雨の音と店のB.G.Mが混ざって、不思議な音楽を作る。今ジャズを流してるからだろうか。狭い店内は閑散としていて、とても静かだ。雨のリズムは妙に眠気を誘って、僕は目を閉じた。
急に店の扉が開く。
「いらっしゃ・・・い、ま、せ・・・」
唇を「せ」の形で開いたまま、僕はゆっくりと開く扉を凝視した。傘をたたみながら入ってくるのは、彼女だった。ショートカットの、彼女にふさわしいかわいい友達を連れている。僕を見て驚いたような顔をして、五秒強く見つめた後、ふっと目をそらした。
「ここで見てみる」
友達にそう言って、レコードを漁り始める。おい、ちょっと待て。
空想が現実になってしまった。シゲ、お前が望んでいた美人がふたりも来たぞ。いや、そんなことはどうでもいい。それより重要なのは、どうして彼女がここにいるのかだ。
まさか彼女の趣味がレコード収集ってわけじゃないだろう。ケンからもそんな話は全然聞いてない。もしそうなら、僕になにか一言あるはずだ。きっとケンへのプレゼントだろう。僕がこの店にいることも知らないはずだから、偶然、たまたま入ってきただけだろう。となると、僕はどういう反応をすればいいんだ? 彼女は僕を無視している。気づかないわけはない。目が合ったんだから。それでも会釈もないし、店に友達とふたりきりのように振舞っている。
「あー、もう。見つからない」
「レコード探しなんて根気でしょー。がんばんなさいよ」
落ち着け。落ち着いて考えるんだ。僕は焦って、思わずホウキと塵取りで掃除でもしてしまいそうだった。ああ、シゲよ。どうして今お前はここにいない。話しかけるべきなんだろうか。だけど彼女は僕を無視している。
「探すところが悪いのかなぁ・・・」
よし、今だ。
「どんなジャンルのを探してるんですか?」
僕の声は自然だっただろうか。
冷水を浴びせられたかのように、彼女がビクッと身体を堅くして、ゆっくり僕を振り返る。なぜか、悪いことを咎められたような、おびえた瞳をしていた。なんだ、彼女らしくない。僕は心の中で首をひねった。だけどそんなことはおくびにも出さずに、愛想よく喋り続ける。
「うちはジャンルで分けてるんで、ちゃんと見るとこ見ないと・・・」
ああ、そうですか、と口の中でつぶいて、彼女はまた違う棚を見る。
「あ、あった・・・」
彼女が取り出したのは、ドクター・フィールグッドのアナログだった。それならケンも持ってるはずだけど・・・喉まで出かかったけど、なんとか飲み込んだ。
「あったの? よかったじゃん」
彼女の友達がレコードを覗き込む。
彼女はレコードから目を離さない。まるで親の敵のような眼で見るなぁ、と僕は思った。もっと楽しそうに買い物すればいいのに。買い物の意図はまるでわからないけど・・・
「すいません、これください」
と言って、レジの前に立つ。これケンが持ってるよ・・・またいらない言葉が出かかった。
「はい、ありがとうございます」
投げ出すように会計を終えて、彼女は友達を振り返る。
「ねえ、この後お茶でもしない?」
僕はレコードを袋に入れて、おつりと一緒に手渡す。
「ありがとうございました」
振り返りもせず、彼女は出て行く。フォローのように、彼女の友達が振り向いて、僕に会釈する。きっとあの子も麻ちゃんのように、ひとに気を遣う人間なんだろう。彼女のまわりにはそういう人間が集まる。
緊張感が切れて、僕はそのまま椅子にずるずる座り込んだ。忘れていた煙草が灰皿の上で燃え尽きていた。とにかく疲れた。あのレコードはいったいどうするんだろう。彼女の部屋に飾られるんだろうか。そんなことを考えていたらドアが開いて、シゲが戻ってきた。
「なあなあ、今二人組みのちょっといい女が来ただろ? どうだった? ポイント高かった?」
「ああ・・・まあまあかな・・・」
「ちぇっ。なーんでオレがいるときはヤローばっかで、郁弥ひとりのときには来るのかなぁ。神様ってホント不公平だよなぁ」
だけどシゲ、彼女とじゃ、お前が望んでるような展開には一生ならないんだよ。彼女は僕を完璧に無視した。店員以上の目で見ることは一度もなかった。それでもいいんだったら、いっそのこと代わってやりたいよ。
「だからオレが言ったろ? いい女だって来るんだよ。あー、なんかやる気出てきたなぁ。よし、真面目に仕事するぞー」
「ってかシゲ、お前どこ行ってたんだよ?」
「ああ、隣でアキちゃんと話してた。あっちもヒマそうだったよ」
「まったく、いい気なもんだよ・・・」
外はまだ雨が降っている。想像してたときはあんなにドキドキした彼女の来店だったのに、いざ現実になってみると、あっけないものだ。雨のように降っては流れていく。
だけど僕の想像は間違えていた。
「あー、マミヤおせぇなぁ」
ギターのチューニングを終えて、カズくんが椅子から立ち上がる。
「言いだしっぺが遅刻するってホントだよなぁ」
貸しスタジオの一室で、僕とカズくんとキヨシは見飽きた顔をつきあわせている。時計の針は九時十五分を指している。
なぜそれぞれ違うバンドをしている僕達が同じスタジオにいるかというと、マミヤくんが企画した今度のイベントで、セッションバンドをやろうと言い出したからだ。主催者が遅刻じゃ、カズくんが怒るのも無理ないだろう。
「マミヤはまだ来ない~ どれだけ待っても来ない~」
「キヨシ、お前ヘンだよその歌」
僕は笑いながらベースを肩から背負う。
「いいじゃん、マミヤくん来ないうちに始めちゃおうよ」
「そうだな、ボーカルいなくても問題ないしね」
「ごっめーん、遅れちゃった~」
勢いよく押しすぎて、マミヤくんは跳ね返ってきたドアに頭をぶつける。
「いってー!」
「マミヤおせーよお前。何時だと思ってるんだよ」
「悪い悪い。ちょっと人と会っててさぁ。遅れちゃった」
と笑いながら、マミヤくんは手にしていた荷物を置く。
「あ、見て見て。やっと手に入れたんだ」
と、袋からレコードを出して、自慢げに僕達に見せる。
ドクター・フィールグッドのアナログだった。彼女が買っていったのと同じものだ。
「ずっと欲しかったんだけどさぁ。全然見つからなくて。そしたらさっき会ってた子がプレゼントってくれたんだー」
「へぇ・・・そうなんだ・・・」
なんで彼女が買ったレコードをマミヤくんが持ってるんだ? さっぱりわからない。マミヤくんが前からほしがってたからわざわざ探していたのか、でもただの友達にそこまでするか? このレコードは珍しくて、数軒まわったくらいじゃ見つからなかっただろう。僕だって自分が働いてる店にあるなんて全然気づかなかった。
マミヤくんがもらった相手が彼女だとは限らない。でも・・・偶然にしちゃできすぎてる。なんだか・・・気に入らない。
「よっしゃー。はりきっていきましょー」
そんなマミヤくんの言葉とは裏腹に、僕達の初セッションは最悪だった。原因はわかってる。僕のせいだ。ドクター・フィールグッドのアナログが頭から離れなくて、あの日の彼女を何度も思い出して、ちいさなミスばかりしていた。
「郁弥くん大丈夫? 調子悪いの?」
歌いにくそうにマミヤくんは何度も僕を振り返る。だけど僕はその言葉に笑顔で応えることもできなかった。わかってる。僕が気にしたり怒ったりできることじゃないんだ。だけどしょうがないじゃないか。今日はマミヤくんの顔なんて見たくないと思ってしまうんだから。
それ以来、このメンバーでスタジオに入ることはなかった。