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僕は最近、昔つけていた観察日記を取り出して読むことが増えた。しまっておいた期間に出逢った人のタイプ確認や、未だ分類できない彼女のタイプ探しだ。
そのせいか、ひとをタイプ別の色メガネで見てしまうクセが復活した。よくないことだとはわかっている。だけど色メガネで見ると、いろんなことがわかるような気がして楽なんだ。
毎晩、今日会った人達の気づいた共通点などをメモしてから眠りにつく。ノートはそろそろ終わりそうだ。
身内主催のパーティは、夜中の三時を過ぎてもまだ盛り上がっていた。
今DJブースの中にはケンとカズくんがいる。ふたりでまわしているわけじゃない、ケンはただ横で踊っているだけだ。
「郁弥くーん、次まわすんでしょ? スミスかけて~」
通りすがりに女の子が肩をたたく。僕は笑って手を振った。僕の隣にはアヤちゃんがいる。
「あ、ブラーだ。この曲好き」
と笑って、アヤちゃんが僕の袖をつかむ。あーあ、僕は誰にも気兼ねなく楽しみたかったのに、マミヤくん、勝手に呼んでるなんてひどいよ。
「ねえねえ、郁弥くん。ほかのコ達とみんな別れたってホント?」
期待に満ちた表情で、アヤちゃんが僕の顔を覗きこむ。僕があいまいに笑うと、僕の肩に腕をからめ、よかった、とつぶく。
「やっぱり、この前ちゃんと話してよかったな」
いや、アヤちゃん。それは違うんだよ。
僕がみんなと別れようと思ったのは、別にアヤちゃんのためじゃない。ただ疲れただけだ。機会さえあれば、アヤちゃんとだってすぐ別れたいと思っている。
みんなと遊ぶのが楽しいうちはよかった。僕だって女の子は嫌いじゃないから、一緒にいるのは好きだ。腕を組みながらぶらぶら歩いたり、公園のベンチでひなたぼっこしたり、部屋で腕枕をしてあげたり、そういうことが嫌いな男っていないと思う。だけど僕は臆病者だから、一緒にいることの意味や定義を求められるとつい逃げたくなる。最近、みんなといると生気を吸い取られるように感じる。家に帰ってぐったり疲れている自分に気づいて、ああ、もうやめよう、と思った。
別れるときの反応も、みんな僕の予想通りだった。チカちゃん、ひーちゃん、ユミちゃん、マイコちゃん、キョーコさん・・・一番悲惨だったのはタエちゃんのときだ。いきなり包丁を持ち出され、逃げるように部屋を飛び出た。
だけど、こんなに僕自身もまわりもごたごたしている時期なのに、僕の気持ちは今までにないくらいスッキリしていた。きっと、背負いすぎていたものを投げ捨てたからだろう。
アヤちゃんとのこともそろそろはっきりしなくちゃと思っている。だけどなかなか納得してくれそうもないので、まだ僕は言い出しかねている。
「あ、ケンちゃんのカノジョさん来てたんだ」
アヤちゃんが、DJブースから少し離れた場所に立っている彼女を指差す。そんなこと、僕はとっくに気づいていた。
「あいさつに行こうよ」
「え? 別にわざわざ行かなくてもいいじゃん」
「だってわたし話したことないんだもん。郁弥くんがいたら話しかけやすいし。ね、いいでしょ?」
「ヤだよ。オレだってそんなに親しくないし」
「友達のカノジョでしょ? 親しくないわけないじゃない」
「いや、だからぁ・・・」
アヤちゃんは、嫌がる僕をむりやり引きずって、とうとう彼女の前まで連れてきた。僕は髪をかきむしった。どうしてみんなトラブルばかり生み出すんだ。
「こんばんは」
声をかけられて、彼女は僕達に目を向ける。
「なにか・・・?」
「ケンちゃんのカノジョさんですよね? わたし、アヤです。マミヤさんからよく話は聞いてたんですけど、なかなか話しかけられなくて」
「ああ、よく言われます」
彼女は名前も名乗らない。相手が名乗っているのに、ずいぶん失礼な態度だと思うけど、いかにも彼女らしいそっけなさだ。でもアヤちゃんはそんなこと全然気にせずに、立ち去る気配を見せない。僕は内心ハラハラしていた。このふたりが合わないことなんて誰の目から見ても明らかだ。アヤちゃんが彼女と話すことに固執するのは、きっと、ここで線を引いておきたいんだろう。あなたはケンちゃんのカノジョ、だからこの人には手を出さないでね、とでも言いたいんだろう。女の子ってずるい。真綿で首を絞めるようなことを平気でする。
アヤちゃん、彼女が爪を見せないうちにやめるんだ。彼女はきみの手に負えるような人間じゃない。
僕は何度も、アヤちゃんの腕を引いて立ち去るタイミングを見計らっていた。そのたびにアヤちゃんは僕の手を軽く払って、彼女の前に立っている。
「郁弥くんにはいろいろかわいがってもらってるんですよ。だからケンちゃんのカノジョさんっていうと、なんだか親しみ感じちゃって。一度話して見たかったんです」
彼女は完璧にアヤちゃんを無視している。だんだんと、アヤちゃんの作り笑いがこわばっていく。ああ、もうやめようよ。僕はホントに泣きたい気持ちだった。
「・・・あなたって、いつもそういう態度なんですか? 誤解受けません?」
「わたしが誤解されようと、あなたには関係ないと思いますけど」
「アヤちゃん、もう行こう」
アヤちゃんは彼女をじっと見つめたまま、僕の手を今度は強く振り払った。
「あなた・・・何様のつもり? なんでふつうに世間話もできないの? そのバカにしたような喋り方やめてよ。すごくむかつく」
アヤちゃんがきつくこぶしを握り締めるのがわかった。もう止められない。こうなってしまったアヤちゃんになにを言っても無駄なんだ。
ライターの火が涼しげな彼女の顔を照らす。細く煙を吐き出して、まるで無機物を見るような目でアヤちゃんを見る。
「えらそうな顔しないでよ。ちょっとくらいキレイだからって、女王様気取りはやめてよね。ねえ、あんたがみんなになんて言われてるか知ってる? 高慢ちきなスノッブって言われてんのよ」
彼女は床に灰を捨てながら、深いため息をつく。それから不敵に笑って、アヤちゃんを正面から見つめた。
「な、なによ?」
「言いたいことはそれだけ?」
「帰るよ、アヤちゃん」
アヤちゃんは僕を無視して、強く彼女を睨みつける。
「あんたもなにか言ったらどうなのよ」
「ああ・・・じゃあ言わせてもらうわ」
彼女は煙草を灰皿に捨てて、まっすぐな髪をかきあげる。一瞬、髪の間から見えた眼が鋭く光った。
「あなたがどういう目的でわたしに話しかけてきたのかはわかってるつもりだけど、そうやって先に感情的になったら意味ないのよ。わたしは今あなたに言われたようなことは言われ慣れてるし、だからなんとも思わない。そういうことまで見越して会話しなきゃ。あなたって頭悪いわよね。同性の前でそうやって唇かみ締めてるのってイヤじゃない? 男の人の前でなら通用するかもしれないけど。だから――」
「おーい郁弥、そろそろお前の番だってさ。準備しとけよ」
助かった。ケンが大声で僕を呼びながらこっちに歩いてくる。僕達ふたりに隠れて、彼女には気づいていないみたいだった。アヤちゃんは悔しそうに彼女をにらんで、スタスタとドアの方に歩き出した。ケンにぶつかっても振り向きもしないで。ケンは不思議そうにアヤちゃんの後姿を見送っていた。
試合終了。あっけないものだ。
「ごめん。あの子の言ったこと気にしないでね」
「別にあなたに謝ってもらうことでもないと思いますけど」
彼女はそれだけ言うと、ケンに気づかれないようにその場を離れた。僕はため息をついて、アヤちゃんの後を追った。
「おい郁弥、アヤちゃんどうしたんだよ?」
「悪い。お前オレの代わりにサラまわしといて」
「え、お前どこ行くんだよ?」
「アヤちゃん追っかけてくる。こんな時間じゃ心配だからさ」
後ろからなにか言っているケンを置いて、僕は店の外へ出た。ドアの横で、アヤちゃんが僕を待っていた。予想通り。
「ねえ、なんなのあの女」
僕はため息をついて、アヤちゃんを見下ろした。アヤちゃんはうつむいて、足元の地面を蹴っている。
「その前に、なにか言うことあるんじゃないの?」
「ヤだ。絶対謝らない。わたし悪くないもん」
「ああそう。じゃ、気をつけて帰ってね」
僕はそのまま店に戻ろうとした。アヤちゃんがドアを開ける僕の腕を引っ張った。振り返ってアヤちゃんを見る僕の眼は、さっきの彼女くらい冷たかっただろう。アヤちゃんは怯えたように震えて、少し涙ぐんだ。
「郁弥くん怒ってるの?」
「怒ってはない。ただもう疲れた。もうきみとは会わないよ」
「疲れたって・・・それどういう意味? なんでもうわたしと会わないの?」
じっと僕を見つめるアヤちゃんの瞳から、大粒の涙がこぼれた。だいたい僕は女の子の涙というものを信じてない。たいていそれはひとに見せるために流されるからだ。目的を持ったもので美しいものなんてない。女の子達は自分の演技がとっくに見破られていることに、いつ気づくんだろう。
僕は冷ややかな視線でアヤちゃんを眺めていた。もう説明するのも面倒で、なにも答えず、煙草に火を点けた。
「そう・・・あの女のせいなのね・・・」
押し殺したようなアヤちゃんの声。僕はクシャクシャと髪をかき乱して、あー、とうなった。彼女のために、僕が行動する。そんなふうにだけは思われたくなかった。
「なんでそんな短絡的な考え方しかできないの? 本人とそれほど親しくなくても、一応友達のカノジョだよ? あんなことされて、オレが困らないとでも思ってるの? まがいなりにも自分と関わりのある女の子がカノジョにケンカ売って、オレ平気な顔してケンと会うの? できるわけないじゃん、そんなこと」
アヤちゃんはきつくオレを見返して、ふふん、と鼻で笑った。さっきまで泣きながら僕にすがっていたのはどこのどいつだ?
「郁弥くんがそんな言い訳がましいこと言うの初めて。やっぱり図星なんだ。正直に言ったらどうなのよ。あの女の印象悪くするようなことしたから、わたしのこと怒ってるって」
「だから疲れたからって言ってるじゃん。疲れたから別れるの。言わせてもらえば、ほかのコ達と別れたのだって、別にアヤちゃんのためじゃなくて、ただ疲れたからだよ。だいたいさぁ、オレのカノジョでもないのに恋人面するのやめてくんない? 迷惑だよ」
「なによ、それ――? 郁弥くんまでわたしのことバカにするの?」
「バカになんてしてないよ。少なくとも、今は。正直に話してるだけだよ」
ミドル級チャンピオン並みのスピードで、アヤちゃんの鉄拳が飛んできた。避けられたのは自分でもすごいと思う。さすが、場数を踏んでるだけのことはある。
涙で顔をくしゃくしゃにしたアヤちゃんが、ものすごい形相で僕を睨みつける。一瞬、石になったように僕は動けなかった。
「絶対許さない・・・あんたも、あの女も。絶対許さないから」
捨て台詞だけを残して、アヤちゃんは足早に夜の街に消えた。確かに彼女の言う通りだ。あの子は頭が悪い。闘い方のコツをまったくわかっていない。感情的になったら負けだ。彼女との負け試合で、あのコはいったいなにを学んだんだろう。
アヤちゃんの去っていった方向を眺めながら、みんな、感情なんて捨ててしまおう、その方が生きやすいよ、と心の中でつぶいた。