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遠い憧憬  作者: あかり
4/18

 ケンと彼女の関係に変化があってから、ふたつの季節が流れた。僕は意外と冷静にふたりを見ることができた。そもそも、僕は彼女とつきあいたいなんて思わなかったし、だったら彼女が誰とつきおうと関係ない。そうだろ?

 だけど、正直に言うと、彼女がケンを選んだことは、僕にとってかなりのダメージだった。ほかの人を選んでくれれば・・・と何度も思った。いや、ケンに不満があるわけじゃない。むしろその逆だ。




 もう何年になるだろう。高校を卒業して、僕は大学へ進学、ケンはライブハウスでのバイトを始めたばかりだった。

 その頃僕達はまだ一緒にバンドをやっていて、ケンにはカノジョがいた。確か、ミヤちゃんとか、そんな名前だった。あまりよく憶えていない。背の小さい、まあかわいい女の子だった。ミヤちゃんの方がケンに一目惚れで、ケンがその果敢なアタックに屈したような形で、ふたりはつきあい始めた。

 上手くいっているように見えた。僕の目からもそう見えたし、ケンもそう思ってるみたいだった。最高に幸せだったわけじゃなくても、まあ悪くない、くらいは思っていただろう。

 ふたりがつきあい始めてから一月ほど経った頃、ケンの口から別れた、と聞いた。突然のことだった。ケンは明らかに憔悴していて、それでも無理に笑おうとして、諦めてゆっくりため息をついた。僕は敢えて理由を聞かなかった。ケンが話したいと思えば、自分から話すだろうと思ったからだ。どっちみち僕には関係ないことだ。そんなふうに思っていた。


 それは大きな間違いだった。


 ある日、バイトの帰り道に偶然ミヤちゃんと遭遇した。今にして思えば偶然なんかじゃなかったのかもしれない。だけどそのときの僕はそんなふうには思わなかったし、だからミヤちゃんに誘われるままに近くのカフェに入ってしまった。

「わたし達別れたんだ」

 紅茶を飲みながら、ミヤちゃんはにっこり笑いながらそう言った。

「うん、知ってる。ケンから聞いたよ」

 僕は早く家に帰って借りたばかりのDVDを観たかったので、どうしてついてきたんだろうと後悔しているところだった。

「理由は? 理由も聞いた?」

「いや、それは特に・・・」

 あー、もう。どうでもいいから早く紅茶飲めよ。あんたがそれを飲み終わったら、僕は家に帰れるんだから。僕は一本だけ残っていた煙草に火をつけて、空き箱を握りつぶした。

「そっか、さすがのケンちゃんも理由は言わなかったか・・・そうだよねぇ、普通言えないもんねぇ」

 ミヤちゃんは紅茶の湯気越しにちらっと僕を見て、意味ありげな笑みを浮かべた。なんだか嫌な予感がして、僕は立て続けに煙草をふかした。

「聞きたい?」

「いや、別に聞きたくない」

「ダメ。ちゃんと聞いて」

 だったら最初から勝手に喋れよ。僕はわざと音を立ててコーヒーを飲んだ。

「あのねぇ、本人目の前にして言いにくいんだけど・・・」

 本人? 誰が本人だって? 僕は重たいカップを持って、それが空だったことに気づいてまた置いた。いったいなんだ? どうして女の子はこうもったいぶった喋り方しかできないんだろう。聞いてるとイライラしてくる。

「わたし、郁弥くんのことが好きみたいなの」

 僕は危うく煙草を落としそうになった。おい、ちょっと待て、なんだよ、それ? お前今なに言った? 僕はゆっくり煙草を消して、グラスの中の水をすべて飲み干した。喉がカラカラだった。

「あの・・・ミヤちゃん?」

「ホントよ。冗談でこんなこと言えるわけないじゃない」

 そりゃそうだ。こっちだって冗談でそんなこと言ってほしくない。

「それ・・・ケンに言ったの?」

「うん。ちゃんと理由言わなきゃ悪いと思ったから」

 僕は立ち上がってミヤちゃんを見下ろした。椅子が倒れる音にまわりが振り返ったけど、そんなことは全然気にならなかった。怒りと情けなさで胸がいっぱいだった。

「郁弥くん?」

 驚いた瞳でミヤちゃんが僕を見上げる。他人に対してこんなに怒りを感じたことは初めてだった。

「もう二度とオレとケンの前に姿見せるな。顔も見たくない」

 自分でもびっくりするくらい冷たい声だった。

 僕はミヤちゃんを置き去りにして店を出た。窓ガラス越しに僕を目で追うミヤちゃんが視界の隅に映ったけど、僕は立ち止まらなかった。

 バカな女だ。そんなこと言って、僕がよろこぶとでも思ったのか。なによりも一番許せなかったのは、彼女が僕とケンを比べていたことだった。

 ケンとだけは比べられたくない。それはどっちが優れているとかそういう問題じゃなくて、ただ、これだけ正反対なものを比べられるわけないと思うからだ。いや・・・ホントは怖いんだ。そうだ、僕はいつもケンを怖れていた。ケンは、僕がいつも手に入れたくてしょうがないものを、いとも簡単に手にしていた。ケンの素直さが、無防備な姿勢が怖かった。

 ミヤちゃんはケンのそんなところが好きだったんじゃないのか。それなのにどうして正反対の、まるで陰と陽のように正反対の僕のことが好きだなんて言えるんだ。誰でもいいのか? 少しばかり見栄えがよくて、友達に自慢できるようなカレシなら誰でもいいのか? そんなバカな女に、僕が嘘でもいい顔するとでも思ったのか?

 次の日、ケンに会うのが怖かった。ホントはむかついてるんじゃないか、バンドのメンバーだからしょうがなく笑ってるんじゃないか、そんなことばかり考えて、その日は眠れなかった。

 だけどケンはいつもとまったく変わらなかった。くだらない冗談で僕を笑わせ、楽しそうにギターを弾き、ミヤちゃんとのことなんてなかったかのようだった。

 あいつはそういうヤツなんだ。

 僕はその日から、ケンが僕の友達であることを恥じるようなことはしないように心に誓った。それが僕の、もし僕にそういうものがあるとしたら、誠意だった。




 だけど、今度だけはそんな心配は無用だった。だって彼女はこれっぽっちも僕のことなんて気にかけていない。僕達を比べることもしないだろう。僕は本当に、心の底から彼女でよかったと思っている。僕はあの一件以来、ケンにカノジョができるたびにぎこちない毎日を過ごしていたんだから。

 だから、ケンと彼女がつきあおうと、僕とケンの関係に変化はなかったし、僕の日常もただ平凡に流れていった。夏が過ぎて秋が来て、だけど僕は夏が終わっても自分の居場所を探すようなことはしなかった。僕はここにいる。ただ季節が流れていくだけだ。なにも変わらない。




 一ヶ月ぶりのライブだというのに、僕達のバンドは絶体絶命のピンチに陥っていた。

「よお郁弥。結構客入ってるじゃん」

 楽屋にケンが入ってきた。僕はリョーちんとの会話をやめて、入り口を振り返った。ケンの後ろに彼女がいた。

「あー、ケンくん、ちょうどよかった! ねえ、今日ギター弾いてよ」

「え? だってリョーちん、タケちゃんは? どしたの?」

「それがさぁ、賞味期限切れたソーセージ食って食中毒だってさ。今病院」

「うそ大丈夫なの?」

 ケンが大股で楽屋に入ってくる。なんて準備のいいヤツなんだ。肩からギターをしょっている。

「殺しても死ぬようなヤツじゃないし、それより今日だよー。ギターいなくてどーすんだよ。おい、郁弥。そんなにゆーちょーに構えてんなよ」

「大丈夫だよ。ほら、ケンがギター持ってるじゃん」

「おお。ケンくんナイス! あ、この後練習? もし時間が心配だったら、トップに変えてもらってもいいからさぁ。ね、頼むよ」

「いや、練習はもう終わったけど・・・」

「弾けるんだろ? だーいじょうぶ、問題ないって」

「おい、郁弥。それがひとにものを頼む態度か?」

 とケンは笑う。僕は初めからケンが来るから大丈夫だと思っていたし、だから落ち着いていられたんだ。わかってないよ、リョーちん。

「ああ、カノジョさん。ケンくんちょっと借りていいですか?」

 彼女はリョーちんににっこり笑いかける。つくづく親しい人間以外とは言葉を交わさない人だ。

「ねえ、リハの時はどうしたの?」

「ああ、郁弥が弾いた。だけどライブじゃ動きたいって言うからさぁ」

「相変わらずワガママなヤツだなぁ」

「ボーカリストはワガママくらいがちょうどいいんだよ」

 ケンのギターで歌うのは何年ぶりだろう。もうあまりに久しぶりすぎて、ゾクゾクする。

 出番まであと二時間。


 ライブは盛り上がった。誰もケンがヘルプで入ってることに気を悪くしなかったみたいだし、むしろよろこんでるふとどき者もいた。僕も歌っていて気持ちよかった。やっぱりケンのギターはいい。一度もトチらなかったし、自由に弾いていて、タケシには悪いけど今日来たお客さんはラッキーだ。

「いやー、ケンくん。今日はホントに助かったよ」

 ドラムのサトシがケンのグラスにビールを注ぐ。

「おい、そいつ弱いんだからあんまり飲ますなよ」

 ケンの隣には彼女が座っている。今日はマミヤくんもカズくん達も来てないし、ケンがサトシにつかまって全然相手をしてくれないからか、退屈そうな顔で煙草をふかしている。あーあ、ケンには彼女のお守りは荷が重いんじゃないかなぁと、つい余計な心配をしてしまう。

「ねえねえ郁弥くん」

 ファンと身内の中間のようなエミちゃんが、ビール瓶を持って僕の隣に座った。

「今日のライブよかったね」

 そう言いながら僕のグラスにビールを注ぐ。

「ありがと。エミちゃん飲んでる?」

「うん、飲んでるよぉ。もう酔っ払っちゃった」

 エミちゃんはじっと僕を見つめて、うふふ、と笑った。

「なに? どうしたの?」

「うん・・・ちょっと耳貸して」

 なんだ? こんなところで内緒話か? エミちゃんが僕の耳に顔を寄せる。香水の匂いか、シャンプーの香りか、微かに漂う。

「郁弥くんて、誰とでもつきあってくれるってホント?」

 エミちゃんの息が耳にかかってくすぐったい。僕は思わず身を引いた。ふーん・・・そういうふうに僕は思われてるのか。エミちゃんがそんな目で僕を見ていたなんて全然気づかなかったから、新しい発見だ。そうか、僕はそんなふうに見えるのか。僕はゆっくりとグラスの中のビールを飲み干した。

「うーん、まあそうかもしれないけど、それがどうかしたの?」

「だったら、わたしともつきあってくれないかなぁ?」

「あ、ごめん。オレこれ以上女の子増やすつもりないんだ」

 これ以上面倒を増やしてたまるか。僕はもうこんなくだらないことからは身を引こうと思ってるんだ。疲れるし、誤解や嫉妬は受けるし、なによりも得るものがなにもない。別にひとりじゃいられないわけじゃない。

「わたしじゃダメなの?」

 エミちゃんは泣きそうな顔になる。

「いや、だから、そういうんじゃなくて・・・」

「ちょっとごめん」

 おお、アヤちゃんナイス・タイミング。ふたり揃って顔を上げると、アヤちゃんが僕達を見下ろしていた。僕がこのときほどアヤちゃんの存在を必要としたことはなかった。

「エミちゃん、わたし郁弥くんと話あるから、席外してくれる?」

 エミちゃんは悔しそうにアヤちゃんを睨みつけて、それでも素直に隣のテーブルに移っていった。

「さて、郁弥くん。なんの話かわかってるよね?」

「え? なにが?」

「マミヤさんが言ってくれたはずなんだけど。もしかして聞いてない?」

 一難去ってまた一難。僕はため息をついて、天井を見上げた。長い夜になりそうだ、今夜は。


 その夜、僕はどうやって家までたどり着いたのか憶えていなかった。朝、自分のベッドで目覚めたときの気分は最悪だった。




 よくバイトに来れたもんだと、自分でも感心する。吐き気は間断なくこみ上げてくる。

「なんだ郁弥、二日酔いか? 昨日ライブだったんだろ?」

 シゲの声が頭の中で反響して、爆発しそうだ。僕は頭を抱えて、うー、とうなった。

「頼むから大声で喋るな。頭に響く」

「だらしねーの、二日酔いなんて」

 お前だって悪酔いすることくらいあるだろ? それだけの言葉を言い返す気力もなく、僕は黙って椅子に沈み込んだ。

「あーあ、どっかにいい女落ちてないかなぁ」

「頼む・・・喋るな・・・」

 木曜日の午後二時。店が一番ヒマな時間帯だ。シゲはさっきからすることがなくて、店の中をウロチョロしている。

「だからさぁ、なんかすっげぇいい女が店に来てさぁ、オレと恋に落ちちゃうわけですよ。なあ、いいと思わない?」

「だから喋るなって」

「二日酔いくらいでそんな死にそうな顔してんなよ。まったく、お前は余裕でいいよなぁ。求めなくても相手の方から寄ってきてさ。恵まれすぎだよ」

「お前カノジョいるじゃん。オレの方がよっぽど・・・」

「だー! お前やっぱりわかってないよ」

 ジタバタと手足を振って、シゲは駄々をこねる。僕はもう面倒だったので、それ以上なにも言わなかった。見当違いにうらやましがられるのには慣れてるし、シゲはいいヤツだ。

「だけどホントにこの店美人って来ないよなぁ。来るのはヤローばっかだし」

「そんなのお前、来るわけないじゃん。美人のアナログマニアなんて聞いたことないよ」

「そりゃそうだけどさぁ、仕事に対する意気込みってやつがだねぇ」

「はいはい。もうシゲうるさいから裏行こうっと」

 僕は立ち上がって、裏の倉庫に逃げた。段ボールの上に腰掛けて、ふと、さっきのシゲの言葉を考えてしまった。美人。彼女は確かに美人だけど、やっぱりこんな店には来ないだろうな。来るとしたらケンと一緒とか・・・だけどもし彼女がひとりで来たら――なにくだらないこと考えてるんだ。彼女が来たからってだからどうした? どうせ僕はなにもしないし、彼女もなんとも思わないだろうし、関係ないじゃないか。二日酔いの頭でそんなこと考えるなよ、まったく。

 だけどそれからずっと、そのくだらない妄想が頭から離れなかった。


「おーい、郁弥。飲みに行かねぇか?」

 仕事が終わって、さっさと帰ろうとする僕をシゲが呼び止めた。

「昨日パチンコ買ったからさ、おごるぜぇ」

「お前・・・オレの今日の苦しみを見てなかったの?」

「迎え酒飲めば治るって、そんなの」

「バカ。そんな元気ないって」

「なんだよ、せっかくおごってやるって言ってんのによぉ」

 シゲは口を尖らせて、店のシャッターを閉める。僕はなにもかも面倒くさくて、シゲへのフォローもせず駅へ歩き出した。

 冷たい風が吹きつける。まだ秋は始まったばかりだけど、夜はさすがに冷える。僕は寒さに首をすくめて、足早に歩いた。

 求められたり期待したり、彼女と逢ってからの僕はなんだかさえない。

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