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僕達が今、互いに違うバンドにいるのは、決して仲たがいしたわけではない。まあよく言う音楽的見解の相違というか、ただ単にケンも僕も、互いに縛られずに自由にやりたいと思ったからだ。ケンのギターはとても好きだ。テクニックじゃなくて(いや、別に下手ってわけじゃないんだけど)、あいつは気合で弾くタイプだ。ライブじゃないとつまらないかもしれない。僕は僕でやっぱりボーカルだから、勢いだけじゃなくて、ちゃんとうたも大事にしたいし、言葉も大事だと思った。ちゃんと話し合ったわけじゃない、自然に僕達は離れた。
今となれば、あれはベストの選択だった。
誰かの吸っているガラムの匂いが鼻につく。ライブハウスは相変わらずの人の入りで、熱気でめまいがしそうだ。僕は壁にもたれて、新興宗教のようなステージを観ている。リズムに合わせて、キメルところで腕を振り上げ、みんなが同じ動作で、観てるとなんか怖い・・・
自分のライブじゃそんなことまったく思わないのに、他人のライブだとどうしてそう感じるんだろう。不思議だ。客観的に物事を観るということは、とてもいいことかもしれないけど、やっぱり怖い。だって主観がまったくないじゃないか。どんなときでも『自分』がないと、いつだって不安になる。僕の眼から見た誰か、なにか、例えばケン、彼女、マミヤくん・・・僕がどう思うかしかわからないし、それ以外のことを考えていたら、僕は前へ進めなくなる。物事の推進力は、自信と、故なき根拠と、思い込みかもしれない。
思い込みか、と僕はひとり笑う。思い込みって、そもそもなんだろう。「思い込みとはこういうものだ」って思い込んだものも、結局は自分ひとりの思い込みで、それがまったく自分ひとりの意見ならいいけど、ホントは誰かの意見に踊らされているだけかもしれない。誰も、これは自分の意見だって胸を張って言えるようなものは持ってないんじゃないだろうか。
って、なんでライブを観ながらこんなことを考えているんだろう。まったく、われながらイヤになる・・・
気持ちがライブどころじゃなくなってきた。そろそろ出ようかなぁ・・・僕はひとを掻き分けて、出口に向かって歩き出した。ステージを振り返って、ゴメンよ、別にライブがつまらないわけじゃないんだよ、と心の中で謝った。
「あれ? 郁弥くんもう出ちゃうの?」
振り返ると、ちいさな人垣の向こうでマミヤくんが一生懸命手を振っていた。わざわざ空けてもらった隙間をぬって、僕の隣にきて、ひとなつっこい笑顔を浮かべる。後ろからカノジョの小夜ちゃんもついてくる。
「どこ行くのよ。観ないの? キヨシんトコ」
「いや、ケン達まだかなぁって思って――小夜ちゃんこんばんは。久しぶり」
「こんばんは。あのね、さっき上でケンちゃんに会ったよ」
「な、次だって言ってたから、そろそろじゃないかな――ほら、終わった」
客電がついて、僕達の顔を明るく照らす。なんだか、暗い部屋から急に明るい空の下に放り出されたような気分になって、妙にしらけた気分になる。
「おつかれさまー」
バンドのメンバーが、あいさつをしながら通り過ぎていく。
「今日よかったよ」
「ホント? ありがとー」
ケン達の出番を待ちながら、そういえばマミヤくんとも結構長いつきあいだよなぁ、とふと思った。初めて会ったときは、まだ僕とケンは十代だった。ケンがバイトしていたライブハウスにマミヤくんが出ていたということもあって、いろいろかわいがってもらった。土曜日曜なんてまだまだとても出られなかったけど、マミヤくんの企画に呼んでもらったり、いろんな人を紹介してくれたり、僕達の音楽の輪を広げてくれた。僕達より2つ年上なだけなのに、なんだかとてもおとなに見えて、今は対等に話せるようになったけど、やっぱり謙虚な気持ちは必要だ。
そんなことを考えてマミヤくんを見ると、マミヤくんはけげんそうな顔で「ん?」と眉を上げた。
「ううん、なんでもない」
「そういえばさぁ、郁弥くん知ってる?」
「え? なにを?」
「ほっときなよ。まったく、おしゃべりなんだからぁ」
「いいじゃん、これがオレの使命だよ。いやぁ、実はさぁ・・・あ、噂をすれば当人登場」
マミヤくんの視線の先に目を向けると、重いドアを両手で開けながら、彼女が入ってくる。後ろ手でドアを閉めて、壁にもたれかかる。長い髪をかき上げて、僕達の方を見て笑顔になる。
「なんだ、マミヤさん達中にいたんだ。探しちゃった」
マミヤくんはなんだか、含みのあるニヤニヤ笑いを浮かべている。隣で小夜ちゃんがしかたないなぁという顔で、マミヤくんを見ている。
「キリちゃんが探すのは他の人なんじゃないのぉ?」
「えー、なにそれ? どういう意味?」
「わかってるくせに。ヤだねぇ、おとなは」
なんだ? このまわりくどい会話は。意味がわからない。別にどうでもいいけど。言葉遊びなら勝手にやってくれ。僕は小夜ちゃんと顔を見合わせて、軽く肩をすくめた。小夜ちゃんは愛しげな苦笑を崩さない。ホントにかわいい人だなぁ、と僕は思う。
「あ、ケンくんだ。オレ前行こうっと。小夜、お前どうする?」
「一緒に行く」
客電が消えて、マミヤくんは妙に居心地の悪い空気だけ残して行ってしまった。小夜ちゃんまでだ。あー、ちょっと待って・・・と思ったときには、ふたりは人込みにまぎれてもう見えなくなっていた。
彼女とふたりきりで残されてしまった。重い空気がのしかかる。僕達に話すことなんてないのに、どうすればいいんだこんな状態。彼女は黙ったままセッティングを続けているステージを眺めている。視線の先にはケンだ。僕が隣にいることを不快に思ってるんじゃないか、マミヤくんと一緒に前へ行くことを望んでたんじゃないのか、そんなことばかり考えてしまう。今からでも遅くない。みんなのところへ行こう。
「ケンちゃんから聞きました?」
僕が足を一歩踏み出した瞬間、彼女が口を開いた。一瞬、僕に話しかけたのか自信がなくて、彼女の顔をまじまじと見つめてしまった。彼女は相変わらずステージを観ている。オレ? と指差すと、横目でちらっと見て、ちいさく頷いた。
「え・・・なにを?」
「なにか聞いてないんですか?」
「だからなにを? それがわかんなきゃ答えられないよ」
ああ、そう、とつぶやいて、彼女は一瞬嘲笑のような顔になる。
「わたし達、つきあってるんですよ。この前から」
一瞬頭の中が真っ白になる。
「なんだ、てっきり聞いてると思ったのに」
彼女の言葉が僕を突き刺す。ちょっと待って、今なんて言った? ケンと彼女? なんだよ、それ? 一言も聞いてないよ、そんなの。だって・・・
「へぇ・・・そうなんだ。おめでとう」
僕の声は平静だっただろうか。彼女は軽く頷いて、僕から眼をそらしてケンを見つめる。そう思って見るからか、いかにも恋する瞳だ。
そっか、そういうことか・・・それじゃ、あの日のキスはなかったことになるんだね。僕はほっとため息をついて、そのままずるずると座り込んだ。
歓声が上がって、マミヤくんの指笛が甲高く天井を揺らす。