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遠い憧憬  作者: あかり
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 小夜ちゃんと会ったあの夜から、ベタベタした不快感が消えない。小夜ちゃんが僕に残していった課題はまだ解けない。バイト中、バンドの練習中、頭にあるのはそのことばかりだ。シゲやメンバーに、ぼーっとしてるなと怒られる。だけどしょうがないじゃないか。あの夜の小夜ちゃんを見れば、誰だって考えなきゃいけない気になるよ、きっと。

 あれからずっと小夜ちゃんの顔は見ていない。僕はケンが気づいているのかいないのか、いまいち決めかねて、結局なにも言えないでいる。

 ケンとマミヤくんの関係ははたから見た分、なにも変わらない。あのふたりはすごい。

 だけどやっぱり僕には、あのふたり(彼女を含めると三人)が笑いながら喋る姿を見ることは苦痛だった。ケンが気づいていてもいなくても、マミヤくんは自分のしてることを知ってるはずだし、それなのにどうして笑えるんだろう。ケンのことを腹の中では嘲笑ってるのか? そんな人間じゃないはずなのに、マミヤくんはなにを想っているんだろう。

 正直に言うと、僕はもうただみんなで集まることすら嫌になっていた。僕が呼ばれればケンがいて、当然のようにマミヤくんと彼女もいる。小夜ちゃんの姿はない。とりつくろった笑いは僕をしらけさせるだけだった。なるべく顔を出したくない。だけど僕が断れば、ケンはとても居心地の悪そうな顔をする。きっと、あの輪の中にいても、ケンはひとりぼっちなんだろう。

「あーあ」

「ん? 郁弥くんどうしたの?」

 僕のため息を聞きつけて、マミヤくんが振り返る。つられて麻ちゃんやカズくんまで僕を見て、それまで盛り上がっていた会話が途切れる。彼女の冷たい視線が刺さる。だけど僕はもうたじろがなかった。そんな眼で見たいんだったら、勝手に見てろ。きみの強欲さはよくわかったし、ずるさも汚さも思い知ったよ。僕はもう彼女を見ない。

 僕はマミヤくんに笑いかける。最近、自分がちゃんと笑えてるか自信がない。

「いや、明日もバイトかぁって思ったらヤんなっちゃって」

「そんなのオレだってカズだって仕事だよぉ。あのねぇ、郁弥くん、遊んでるときは明日のことなんて考えちゃいけないんだよーん」

「ねえマミヤくん。わたしもキリコも仕事なんだけど」

 麻ちゃんがマミヤくんのそでをつかんで、自分達ふたりを指差す。

「あー、そうだね、みんな仕事だー」

 なにも週に三回も四回も遊ばなくてもいいと思う。最近輪の崩壊を感じてか、カズくんと麻ちゃんがいろんなプランを練ってみんなを集める。今日は港区クラブ巡りだ。ろくに睡眠もとれなくて、体調は最悪だ。学校なんて行くヒマないし、そのうち血でも吐いて倒れるんじゃないかと思う。まあ、カズくん達も心配なんだろう。だけど事情を知ってるなら、まずあのふたりの行動を戒めた方が、よっぽど効果的なんじゃないだろうか。

 僕は輪から一歩離れたところで、マミヤくんと彼女を交互に眺めていた。気づかれないように意味ありげな視線を交わしたり、妙に話さなかったり、最近どんどん大胆になったように見える。

「ねえ、ここつまんなーい。次の店行こうよ」

 そういえばケンはどこに行ったんだろう。さっきトイレに行くって言って、それから・・・僕はトイレの方を振り返った。

 見なければよかったと、すぐに後悔した。ケンにしても同じ気持ちだっただろう。トイレのドアに寄りかかって、ケンが立っていた。表情の死んだ、能面のような顔がライトを浴びて青白く浮かび上がる。ケンは彼女とマミヤくんを見つめていた。虚ろな目と噛み締めた唇と、矛盾したふたつの感情を持って。僕の視線に気づいて、困惑したような、だけどすぐにいつもの顔に戻る。無理をしているようにはとても見えなかった。きっとケンは、いつも見破られない演技で、平静を装っていたんだろう。僕のときも、マミヤくんのときも。

「トイレ混んでてさぁ。なんか外雨みたいだよ」

「ケンくんトイレ長いなぁって思ってたんだよー。あのねぇ、ワガママ麻ちゃんが、飽きたから次の店だって」

「あ、そうなの? オレは別にいいよ」

 ケンは僕と目を合わさない。みんなにニコニコ笑いかけて、煙草に火をつける。さっきまでマミヤくんの隣にいた彼女は、さりげなくケンの横に移動する。ケンは彼女を見ない。マミヤくんのことも見ない。

 ケンの気持ちを想うと、頭が沸騰しそうだ。バレバレの芝居は神経をすり減らす。ケンがやめろと怒鳴れるやつだったら、どんなによかっただろう。少なくともこの状況は打破できただろう。それがどんな結末であっても。

「次の店だってさ、郁弥くん」

 マミヤくんが通りすがりに僕の肩をたたく。外へ出ると、秋のやわらかい雨が歩道を濡らしている。

「郁弥、また車乗せてよ」

 助手席にケンが乗り込んできて、彼女はなにも言わずバックシートに座る。

「次ミックスだってさ」

 車の中は妙に静まり返っていた。カーステレオから流れるFMも静かなバラードを流している。ケンは窓に頬杖をついて、流れるネオンの川を眺めている。バックミラーに映る彼女の顔には、どんな表情も浮かんでこない。ケンがFMのチャンネルを変える。今度は最新のロックが流れてきた。

 マミヤくんの車のテールランプを追いながら、僕は考えていた。居場所がないケン、そこから動かない彼女、そして僕は、いったいどこにいるんだろう。




 偶然だった。故意だとしたらすごいことだ。

 バイトが休みの日曜日に、僕は横浜にいた。SOGOの時計の下で、まだ来ない友達を待っている。

 目の前を歩く女の人達が、東京とはどこか違って見えてとても新鮮だった。神戸へ行ったときも思ったことだけど、港町の女の人はハイヒールがよく似合う。きれいな足に折れそうなくらい細いハイヒールで姿勢よく歩く彼女達は、海風に慣れているからか、髪をなびかせるのがとても上手だ。

 だけどもう女の人を眺めることにも飽きてしまった。僕が三十分遅れてきて、それからさらに二十分経っている。さっきメールを入れたら、「ごめん、あと5分」だって。まったく、昔から時間にルーズなやつだったけど、全然直ってない。僕は時計を見上げてため息をついた。

「なにしてるのよ」

 驚いて振り返ると、アヤちゃんが立っていた。持っていたバッグをきつく握り締めて、挑むような眼で僕を睨みつける。そんなに憎んでるなら、わざわざ声なんてかけなきゃいいのに。お互いいい気持ちはしないだろう。

「あの女と待ち合わせ?」

 アヤちゃんは嘲笑うかのように唇をゆがめる。

「あ、そんなわけないか。あの女はマミヤさんと一緒だもんね」

「ああ・・・アヤちゃん相変わらず情報早いね」

 いったい誰から聞いたんだろう。僕が感心して言うと、アヤちゃんは呆れたように眉を上げて、

「バカじゃないの? そんなこと言ってる場合なの?」

 とバッグを持ち替えた。

「結局あんたとケンちゃんの友情なんてそんなもんなんだ。ケンちゃんにあんだけかばってもらって、自分は助けてあげないなんて、ずいぶんよね。さすがだわ」

 どうして僕がこんな言われ方しなきゃいけないんだ。少しむっとしたけど、顔には出さなかったつもりだ。アヤちゃんは少しでも優位に立とうと、躍起になって僕を攻撃する。だけどそんなことは先に声をかけてきた時点で決まってることなんじゃないかな。アヤちゃんが求めてる勝ち方をしたいなら、無視して通り過ぎることが一番だ。まったく、この子は全然成長していない。あの日と同じだ。

「だけど情けないわよねぇ。好きな女は友達のカノジョで、その女はほかの男と浮気してて、でもなんにもできないの。ねえ、情けないわよねぇ。自分でもそう思うでしょ?」

「アヤちゃん、なにが言いたいの?」

 僕は煙草に火をつけながらアヤちゃんにそう尋ねた。別に嫌味とかじゃなくて、ホントになにが言いたいのかわからなかったんだ。だけどアヤちゃんには痛恨だったらしい。唇を噛み締めて、僕を睨む。

 遠くから歩いてくる友達を見つけて、僕は少しほっとした。これでこの無意味な会見も終了するだろう。僕は適当にサヨナラと言って、友達に手を上げながら歩き出した。

「ちょっと待ちなさいよ」

 アヤちゃんの鋭い声に、僕は足を止める。僕とアヤちゃんから少し距離を置いて、友達も立ち止まる。

「逃げる気? どこまでも情けない男ねぇ。こんな男が好きだったなんて、バカみたい。あんたってホントに見かけだけよねぇ」

 僕は思わず笑ってしまった。僕の気を引くために必死になってるアヤちゃんを見ていると、同情よりもおかしさの方が先にきてしまう。アヤちゃんはむっとして顔を強張らせる。

「なによ? なにがおかしいのよ?」

 僕はまだ笑っていた。こみ上げてくる笑いが止まらない。せき止めるように何度か咳をして、アヤちゃんを見る。アヤちゃんは怒りで顔を真っ青にして、それでも不安そうに僕を見る。

 やっと笑いが止まった。僕はアヤちゃんを見て、今度はにっこり笑った。

「だってさぁ、アヤちゃんあの人のことそんなに気になるの? 関係ないじゃん。あのね、気にならないことって、不思議と耳に入ってこないもんだよ。入ってきても忘れちゃうしね。なんでアヤちゃんそんなにこだわるの? それが不思議だよ」

「だから、それは・・・」

「アヤちゃん必死なんだもん。思わず笑っちゃった。ごめんね」

「――どういう意味よ、それ・・・」

「別に。友達来たからさ、じゃあね。これからはたとえ偶然でも会わないように心がけるよ」

 アヤちゃんは唇が切れるほど噛み締めて、立ち去る僕の背中を見つめている。見られている緊張感で背中が痛い。言いすぎた。反省している。僕にアヤちゃんを笑える権利なんてないんだ。アヤちゃんは、方法は間違えていても、自分が欲しいと思うものを欲しいと正直に言ってるだけだ。それは悪いことじゃない。僕はさらっと流してあげるべきだったんだろう。どうしてそれができなかったんだろう。

 引き返して謝ろうかと思ったけど、それはあまりにもアヤちゃんをバカにしてると考え直して、僕はそのまま、能天気に手を振っている友達のところに歩いて行った。友達の目の前に立ったとき、国境線を越えたかのように、緊張感がすうっと消えた。

「知り合い? いいの?」

「ああ――それよりお前何分遅刻してるんだよ。そんなんじゃカレシも嫌がるだろ?」

「だーいじょうぶ。郁弥と違って心が広いから」

「あー、そうですか。そりゃよござんした」

 歩きながら、僕は振り返った。雑踏にまぎれて、アヤちゃんの姿はもう見つけられない。泣いてくれればよかったのに。泣いてくれたら、僕は抱きしめることも髪をなでることもできたのに。ひとを嫌な気持ちにさせて楽しい人間はいない。僕だってやさしくしたいんだ。傷つけたいわけじゃない。


「さっきはごめんなさい――あんなことが言いたかったんじゃなくて・・・あの人のことはまだ嫌いだけど、がんばってください。ケンちゃんのためにも、自分のためにも」

 僕はため息をついて、アヤちゃんのメッセージを消した。そう言われてなにかできる人間なら、とっくに行動してるよ、アヤちゃん。僕は沼よりも動けない人間なんだ。

 だけどアヤちゃんのメッセージはうれしかった。なんだか、アヤちゃんが謝ってくれたことで、自分がしたことまで許されたような気がして。だけど、いったい誰に許してもらうんだ?

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