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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
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10年来のオン友が、推しアイドルだった。

掲載日:2026/11/06

【 第一話 うみとO谷 】


───────────────

【うみ @uminchu1997tkm】 2分

 今日もCDショップ行くぞ〜

 推しに課金できる幸せに感謝


 9:23 2026/10/23

───────────────

 └ 【O谷 @OTANI_m】 1分

   朝からオタクの鑑すぎるて


   9:24 2026/10/23

  ──────────────


SNS・テイッターへ投稿してから、ものの一分。

通知欄に見慣れたアイコンが表示された。


「リプはえーよ」


拓海は、思わず声に出して笑ってしまう。



酒井 拓海(さかい たくみ)、二十八歳。

医療メーカーに勤める、ごく普通の会社員である。

趣味はアイドルを追っかけること。

いや、追っかけるなんてものではない。

彼はアイドルに人生を捧げている。



彼が人生を捧げる相手は、アイドルグループ『M△RINE』のメンバー、一ノ瀬 湊(いちのせ みなと)。


圧倒的なビジュアルを武器に、数々のメディアに引っ張りだこの人気アイドル。

所属グループの中でも群を抜いた知名度を誇り、グループの顔として広く知られている。


しかし、彼の魅力は整った顔立ちだけではない。

歌唱力、ダンスパフォーマンスともに一流で、ステージ上では常に観客を魅了する。

どんな仕事にも妥協を許さないプロ意識の高さや、長きにわたる下積み時代を乗り越えた努力家という側面も人気の一つだ。

一方で、個人の雑談配信では飾らない言動や自然体の笑顔が多くのファンの心を掴んでいる。



拓海もそんな彼の姿に心を掴まれた一人だった。

部屋には湊のポスター。棚には湊のアクリルスタンド。

スマホの待ち受けも勿論湊で、財布の中には湊のトレーディングカードが入っている。

通勤中でも自宅でも、湊のライブ映像やテレビ出演の録画映像を繰り返し見続ける日々。


もはや拓海の生活には湊の存在はなくてはならないものとなっていた。



そんな拓海の生活にはもう一つ、なくてはならないものがある。


十年来の付き合いになる友人、O谷。


二人が出会ったのは、十年前。

『終末!もっとピア』というオンラインゲームだった。


このゲームを説明するならばクソゲー、その一言に尽きる。


操作性は最悪。UIもカス。

バランス調整は投げやりで、イベントは毎回開催延期。

バグはもはや仕様と呼べるほどに多かった。

そんなクソゲーに人が集まるわけもなく、プレイヤー人口は驚くほど少なかった。

そんなゲームで、二人は偶然知り合った。



当時の拓海は高校生。O谷も同じくらいの年齢だった。

毎日放課後になればマルチプレイで共にクエストへ繰り出し、稀にメッセージでくだらない話をして、最終的にはいつも運営への不満を語り合った。


約一年半でゲームがサービス終了した後も、何となく二人の交流は続いた。

SNSで互いの日常を呟き合い、たまに反応し合いながら気がつけば十年。

拓海は、もはや幼馴染だとか腐れ縁に近い感覚すら覚えていた。



『うみちゃん、もう東京中のCDショップ回ってるんちゃう?』


拓海のハンドルネームは、うみ。

O谷はなぜか昔から拓海を「うみちゃん」と呼ぶ。

今さら気にするようなことでもない。


『全部の店舗でM△RINEの売上を一位にしたい』


『CDショップ行ったら確率でエンカウントできるモンスター』


『誰がモンスターじゃ』


拓海は笑いながらスマホをポケットにしまう。


さて、今日は待ちに待ったM△RINEの最新シングルの発売日だ。

もちろん初回限定盤を複数枚、通常盤も複数枚予約済みである。

特典の違う店舗でそれぞれ予約した。

拓海は期待に胸を膨らませながら、休日の街へ繰り出した。



    ◇     ◇     ◇



CDショップに到着すると、入り口付近からすでにM△RINEの特設コーナーが見えた。

大きなポスターに、色とりどりの販促パネル。

その中央で、ひときわ目を引く男が微笑んでいる。


一ノ瀬 湊。


形の良いアーモンド型の瞳がこちらを見つめている。

改めて見ても、彼は綺麗な顔をしている。

きっとステージに立つために生まれてきたんだろうと思えるほど、人目を引く何かがある。

それは容姿に限らず、内側から溢れ出る何かなのだと思う。

彼がもしアイドルになっていなかったら、どうなっていたんだろう。

アイドルの彼に出会わなかった世界線の自分はどうしていたのだろう。



「……好き」


思わず呟く。


好きだ。


本当に好きだ。



三年前、たまたまSNSで流れてきた切り抜き動画で、拓海は彼を知った。

ちょうど湊が世間に見つかった頃で、SNSには湊の過去の写真や動画が出回りまくっている頃だった。


その動画内で湊が『終末!もっとピア』の話題を出していたのだ。


「えっ、もっとピア知っとる人おるん!?

嘘やん、俺、あのゲーム覚えとる人、世界で十人くらいしかおらんと思ってた」


その言葉に、拓海は驚いた。

何故なら自分も彼とまったく同じ感想を抱いていたから。

あんなゲームを覚えている人間が、まさかアイドルにいるとは。



それ以来、拓海は湊の情報をなんとなく追うようになっていた。


最初は親近感から。

彼がバラエティ番組に出ると知れば、その時間は地上波をつけて見るようになったし、

彼が新曲MVを出せば、とりあえず聴いてみるようになった。


そしていつしか、顔を見るだけで幸せになり、声を聞くだけで元気になり、彼の笑顔ひとつで一日の疲れが吹き飛ぶようになっていた。

気付けば今では、立派なガチ恋オタクである。



「湊くん、今回のヘアメまじで優勝だな……」


手に取ったCDを胸に抱き、拓海は満足げに頷いた。

さて、帰って開封の儀を執り行おう。

そう思ってレジへ向かおうとした、そのときだった。


「……あの」


背後から、控えめな声がした。


「はい?」


振り返る。

そこには、黒のキャップを目深にかぶり、マスクをつけた男が立っていた。

男はなぜか、拓海の顔ではなく肩にかけられたリュックを凝視している。


「そ、そのラバーストラップ……」


「え?」


「終末博士……?」


男の視線の先には、リュックにつけた小さなラバーストラップがあった。


拓海のリュックについていたのは、『終末!もっとピア』に登場する、終末博士。

もっとピア世界に終末を訪れさせた諸悪の根源。全ての元凶。

ゲーム内でも特に人気がなかったキャラクターである。

というか、そもそもこのゲームに人気キャラクターなど存在しないが。

このラバーストラップは十年前、もっとピアリリース記念の応募者プレゼント企画で配布されていたものだった。



「あ……はい。そう、っすけど……」


こんなマイナーキャラを知っている人間がいるのかと感心しつつ、拓海は少しだけ身構えながら答える。

すると男は、何かを確認するような目つきで、拓海の頭のてっぺんからつま先までまじまじと眺めた後、少しだけ身を乗り出した。


「もしかして……うみ、ちゃん?」


「……は?」


心臓が嫌な音を立てた。


なんだこいつ。


なんでハンドルネームを知っている。


まさか、十年前のゲーム仲間?

いや、そんなわけない。

当時のゲーム仲間で今でも繋がっている人間なんていない。一人を除いて。


拓海が警戒していると、男は慌てたように両手を振った。


「あっ、いや、怪しいもんちゃうねん! えっと、その……」


そして、男は怪しいものではないと証明するようにマスクを少しだけずらした。



「俺……O谷。テイッターの」



沈黙。


拓海はぽかんと口を開けていた。


唖然としていたのは、十年来のネットの友達と偶然と出会えたから、という理由だけではない。


拓海は手に持っていたCDを見た。

CDのジャケットに写っている男を見た。

そしてもう一度、目の前の男を見た。


「……え?」


そこには、今まさに自分が購入しようとしているCDのジャケットに写っている男。

M△RINEで最も人気のあるメンバー。



一ノ瀬 湊が立っていた。



「ええええええええええええ!?」


休日のCDショップに、拓海の絶叫が響き渡った。




【 第二話 拓海と湊 】


「お、O谷……?」


「うん」


「い、一ノ瀬 湊……?」


「あー……そう、やな」


目の前の男は、バツが悪そうに目を宙へ向ける。

見間違えようのない端正な顔立ちに気まずさが浮かんでいる。


拓海の中では、混乱が巻き起こっていた。

驚愕と困惑がまるで洗濯機の中のようにぐるぐると掻き回されて、その嵐の中に拓海は放り込まれている。


目の前にいるのは一ノ瀬 湊だ。

M△RINEの一ノ瀬 湊。

自分が三年間応援し続けている、人生最愛の推し。


それと同時に、十年来のオン友、O谷でもあるらしい。

考えれば考えるほど訳がわからない。

拓海は言葉を失い、ただ茫然とその場に立ち尽くしている。


「ごっ、ごめんな!?

いきなりこんなん言われて、驚いたやろうけど…

ちゃんとO谷本人やで、ほら!」


湊は慌ててスマホを取り出した。

画面にはSNSのプロフィール画面。

見慣れたアイコンとアカウント名、そして今朝の自分とのやりとりが表示されていた。


間違いない。

間違いなく、O谷のアカウントだった。


拓海は画面と、湊の顔を交互に見る。

にわかには信じられないが、今目の前にいる男(最愛の推し)が本当にO谷本人らしい。


「…とりあえず、ここやと目立つから移動せえへん?」


湊が言いにくそうに口を開くと、横目で店内の様子を一瞥しながらマスクを付け直した。

先ほどの拓海の絶叫で、周囲の客が何人かこちらを見ている。

こんなところで騒ぎになるのはまずい、と目が語っていた。

拓海は未だ混乱しながらも、無言で頷いた。



    ◇     ◇     ◇



連れてこられたのは、少し離れた路地裏にある喫茶店だった。

古びた木製の扉を開けると、からん、と小さなベルが鳴る。

店内には客の姿がなく、カウンターの向こうに白髪のマスターが一人いるだけだった。

二人はマスターに案内された窓際の席へ座る。


磨り硝子から差し込む滲んだ光が、向かい合わせに座る二人を照らしている。

うみとO谷。拓海と湊。

初めて会ったようでもあるし、昔からの馴染みのようでもある、なんとも言えない空気が漂っていた。


注文を済ませると、湊は周囲を確認してから帽子とマスクを外した。


透明感のあるホワイトベージュの髪がさらりと落ちる。

すっと整った鼻筋に、薄い唇。

目尻が少しだけ上がったアーモンドアイがこちらを見つめていた。


「…………」


「ん?うみちゃん?」


「……実在したんだ」


「なんやそれ。しとるわ」


湊は、ふは、と空気を漏らすように笑った。


その笑顔は、拓海が画面越しに何度も見た笑顔だった。

少しだけ困ったように眉を下げて目を細める。それが彼の笑うときの癖だった。

多くのファンたちに「笑うと幼くてすき」「バチイケダンスの後のこれ、ほんとやばい」「軽率に沼らせるのやめて」と言わしめたこの笑顔。


それが今、目の前にある。


可愛い。


可愛すぎる。


拓海は思わずテーブルに突っ伏した。

拓海の頭が、ガンっという鈍い音と共に勢いよく机に沈み、湊は驚きから肩を跳ねさせた。


拓海の奇行に湊が息を呑んでいるうちに、注文していたコーヒーが運ばれてきた。

湊は気を取り直すように、湯気の立つコーヒーを一口啜る。


「……とりあえず、何から話したらええかな」


湊は少し困ったように頬を掻いて、ぽつりぽつりと語り始めた。



「知ってると思うけど、俺、デビューしたのが十年前……高校生のときやってん。

当時は仕事なんて全然来なくて。まあ、言うたらほんまに売れへんくてな」


湊は当時の思い出を振り返りながら、窓の外に目を向けた。


「周りはどんどん売れていくし、同い年くらいの子がテレビ出たり、雑誌載ったりしてるのに、俺はずっとレッスンと小さい仕事ばっかり。

自分には向いてへんのかな、とか思う日もあった」


拓海は黙って聞いていた。

M△RINEが売れ始めたのはここ二、三年になってから。

それまではなかなか運が向かず、厳しい時代もあったということは以前何かのインタビューで目にしたことがある。


「そんなときに、気まぐれでもっとピア始めてん。

クソゲーやったけど、当時は暇が紛れるならもうどうでもええわ!って思っとって。

実際やって見たら想像以上のクソゲーで、何回かブチギレそうになったんやけど」


拓海が思わず吹き出す。その点に関しては共感しかない。

二人の間に懐かしい笑いが起こる。


「で、そこでうみちゃんと知り合った」


湊が仕切り直して、人差し指を拓海に向けた。


「最初はほんま、ただのゲーム仲間やった。でも、毎日一緒に遊んでるうちに、だんだん楽しくなってな。

仕事で嫌なことがあった日も、オーディションに落ちた日も、うみちゃんと遊んでる時間だけは、何も考えんでよかった。

でも不思議なもんでな、頭空っぽにして遊んだ後は毎回、明日も頑張ろうって思えたんよ」


「…………」


拓海は息を呑んだ。

湊──いや、O谷がそんな風に思ってくれていたなんて考えたこともなかった。

ただ何となく気が合うから、何となく楽しいからという理由で遊んでいたネット上の友達。

まさか自分の存在が彼にとってそんな風に映っていたなんて、と少しだけ気恥ずかしくなる。


「もっとピアが終わってからも、ずっと繋がってくれてたやろ?」


「……まあ、なんだかんだで」


「それも嬉しかってん。ゲームって繋がりがなくなっても、うみちゃんは俺と関わり続けてくれる。

俺がどんだけへこたれようが、うみちゃんの生活は続いてて、俺に普通に話しかけてくれる。

それが、当時の俺にとってはなんか、すごく……救いっていうか」


湊は照れたように目を細めて笑った。


「だから、俺が今こうして活動できてるんは、うみちゃんのおかげでもあると思ってる」


「いや、そんな……」


「ほんまやで」


まっすぐな視線に、拓海は言葉を失った。

自分の人生を彩ってくれた一ノ瀬湊。

そんな彼をかつて救っていたのが自分だったなんて。

拓海の心に込み上げるものがあり、目頭がじんわりと熱くなった。


「……俺も、O谷と話すの楽しかったよ」


「うん」


「ゲームが終わっても、なんとなく繋がってられたのは、普通に嬉しかったし。

なんか、ネットの友達なんだけど勝手に幼馴染みたいに思ったりもしてて」


「せやろ?」


湊は嬉しそうに口角を上げた後、またコーヒーを啜る。

カップを置くと、ゆっくりと拓海へ目線を向けた。



「……ほんでな。俺、ずっと一個だけ我慢してたことがあってん」


「我慢?」


「うみちゃんと、通話とかしてみたかったなって」


拓海は驚いたようにぱちくりと目を丸くした。


「え?」


「直接会ったりとかもしてみたかった。

ネットのやり取りだけであんだけ楽しいなら、直接話せたら絶対楽しいやん!って。

でも、うみちゃん女の子やと思ってたから」


「……お、女の子……?」


「俺、アイドルやし。

特定の女の子と個人的に会ったり通話したりするんは、あかんやろ。

たとえその気がなかったとしても、変な誤解も生みたないし」


拓海は黙って聞いていたが、心の中で合掌していた。

流石湊くんだ。湊くんのこういう徹底したプロ意識に自分は惚れているのだ。


「せやから、ずっと我慢しててんけど……。

まさか男やったとは思わんかったわぁ」


湊はおかしそうな声で、屈託のない笑みを浮かべた。

普段メディアに出ているときには見たことのない無邪気な笑顔。

ここに来て初めて、拓海は素の一ノ瀬湊と出会えた気がした。


「いや、ほんまびっくりしたわ。

名前とか喋り方で、勝手に女の子やと思ってたから」


「あー……俺、本名に『海』って入ってるから。それで……」


なるほどなあ、と湊が頷いた。

そして、ぱっと表情を明るくすると身体を乗り出した。


「でも、これならもう遠慮せんでええやんな!?

これからは堂々と会えるし、通話もできるし」


きらきらとした目で見つめてくる湊に、拓海は思わずうっと顔を覆うように両手を翳した。

眩しい。眩しすぎる。

宝石のような、太陽のようなご尊顔が輝いている。

今何ルーメンくらい発光してるんだろう。

分からないが、直視したら目が焼き潰されることは確かだった。



「なあなあ、これからは『ネットの友達』じゃなくて、ちゃんと友達って呼んでええ?」


大人気アイドルによる至近距離ファンサを受けて焼かれている拓海のことなどお構いなしに、湊は恥ずかしそうにはにかみながら片手を差し出した。


拓海は、その手を指の隙間から見つめた。


友達。


…友達。


……友達?


頭の中でその言葉が何度も反響する。

拓海の脳内が、ぐるぐるとかき混ぜられたように混乱していく。


この状況は何だ。

十年来のオン友が推しアイドルだった上に、改めて友達になってほしいと言われている。

こんな夢小説みたいなことが、現実に起こっていいのか。

都合のいい話には必ず何か裏が──


すっかりぬるくなったコーヒーの水面を見下ろしていた拓海がちらりと目線を上に向けると、期待するような、不安がるような表情を浮かべた湊と目が合った。


その顔を見た瞬間、拓海ははっとした。


O谷も一ノ瀬湊も、俺にとって大切な存在だ。

そんな相手が自分と友達になりたい、と言ってくれているのだ。



断る理由がない。

断れるわけなんてない。

断ったら、きっと一生後悔する。



拓海はおずおずと震える手を伸ばした。


「よ、よろしくお願いします……」


その言葉を聞いた瞬間、湊はぱあっと顔いっぱいに喜色を現して拓海の手を強く握った。


「こちらこそ!

これからもよろしくな、うみちゃん!」


その笑顔に、拓海は白目を剥きそうになりながら空を仰いだ。



──俺、推しと繋がるオタクになってしまった……。 





【 第三話 友達と推しと恋 】



「推しとの距離が、近い……ッ!!」



休日の自室。

拓海はベッドの上で頭を抱えていた。


あれから二週間。

拓海の日常は、劇的に変化した。


まず、O谷──湊との連絡手段が変わった。

これまではSNS上でのやり取りだったが、今では連絡アプリで直接会話するようになった。

それこそ普通の友達のように、ちょっとしたことで連絡を取り合っている。


『今収録終わった〜! めっちゃ疲れた!』

『今日の弁当うますぎた 見てや』

『バズってたシュークリーム食った?』

『雨やばない?俺今、首まで浸水しとる』

『今週のリリイベって、うみちゃんくるやつ?』

『(ネットミームの画像)』


湊はやっと拓海と話せるようになったのがよほど嬉しいのか、ちょっとしたことでもすぐに連絡をしてくる。



更に、時にはこんなこともあった。


湊が不定期で行っている個人配信。

当然、拓海は毎回欠かさず見ている。

画面の向こうの湊はこれまでと変わらず、完璧なまでにアイドルの一ノ瀬湊だった。

ファンからのコメントに丁寧に反応し、どんな瞬間でも表情は崩さない。


配信が終わり、拓海が充実した表情でソファに座り込むと同時に、手にしていたスマホに着信が来る。

画面には『一ノ瀬湊』の文字。

拓海は恐る恐る応答ボタンをタップした。


『見たー?』


なんとあの男は、配信が終わって真っ先に自分に電話をしてきたのだ。

つい先程まで完璧アイドルだった男の、気の抜けた声。

それを聞いているのが世界で自分だけだなんて、嬉しいというより最早恐ろしくもあった。



先日の致死量のファンサを思い返し、拓海はスマホが割れるのではないかというほど握り締めた。


「…………」


拓海は天井を見上げた。

無理だ。

脳が追いつかない。


つい先日まで画面越しに見るだけだった、雲の上の存在が今はこんなにも身近にいる。

こんなの、好きになるなと言う方が難しい。


確かに元々好きだった。

それこそガチ恋だとかリアコと呼ばれる、本格的な恋愛感情。


しかし、絶対に叶うことがないという前提の場合と、

手を伸ばせば届いてしまう距離にいる場合では話が変わってくる。


アイドルではない一人の人間としての一ノ瀬湊を知るたびに、好きという気持ちが膨らんでいく。



(……もし)


拓海はスマホを胸に置いた。


(もし、万が一、億が一でも)


湊が自分を恋愛対象として見てくれたら。

恋人同士になれたならば。

そんなことを一瞬でも考えてしまう自分が、あまりに浅はかで愚かしくて嫌になる。


男同士だとか、アイドルと一般人だとか、そういう問題は山ほどある。

そもそも湊は、自分のことを完全に友達だと思っている。


分かっている。

分かっているはずなのに。


「……はあ」


二十八にもなって、自分がここまで夢みがちな人間だなんて思いもしなかった。

恋とは、厄介なものだ。



    ◇     ◇     ◇



とある日の仕事帰り。


帰宅途中の人々でごった返すターミナル駅を、拓海は歩いていた。

乗り換えのための連絡通路を、疲れた足取りで進んでいく。

一週間分の疲労感と、やっと一週間が終わったという開放感。

金曜夜の駅前はそんなどこか緩んだ空気で充満している。


ふと、ジャケットのポケットに入れていたスマホが震えた。

取り出してみると、画面には湊からの通知。



『今晩暇?

もし空いてるなら飲みに行かへん?』



拓海は思わず立ち止まった。

足早に歩く人々が、顔を顰めながら器用に避けて通り過ぎていく。


飲みに?

二人で?


「……いやいやいや。

友達としてね。友達ならまあ、普通だよね」


ほんの一瞬だけ頭をよぎった邪な考えを瞬時に振り払う。

きっと深い意味などない。

友達同士で仕事帰りに飲みに行くのなんて、よくあることだ。

事実、今までの人生で何度もそういった交流はしてきた。


普通なのだが。

相手は一ノ瀬湊である。


今、日本で最も注目されているといっても過言ではないアイドル。

俺の推しであり、長年の友人。

そして、俺の好きな人。



「…………」


しばらく画面を見つめた末、拓海は震える指で文字を入力した。


『オケーイ』


送信した瞬間、既読がつく。

早い。テイッター時代からわかっていたことだが、レスポンスが異常に早い。


『やった!ほな店送るわ!』


しゅぽ、と軽快な通知音と共に店の位置情報が送られてくる。


「……あ〜……」


顔が燃えるように熱くなるのを感じながら、拓海はスマホを強く握りしめた。



    ◇     ◇     ◇



指定された店は、全席個室の居酒屋だった。

彼のように生きているだけで注目されてしまう人間にとって、人目を避けるには都合がいいのだろう。

案内された個室に入ると、湊はすでに到着していた。



「おー!うみちゃん、お疲れ。

いきなり誘ったのに、来てくれてありがとうなぁ」


湊は人懐っこい笑みを浮かべて、こちらへ片手を上げる。

店員に注文を告げると、しばらくして二人分のビールジョッキが運ばれてきた。


「……アイドルってビール飲むんだ」


湊の目の前に置かれたジョッキを見て、拓海が無意識に呟いた。


「えっ、なんで?飲むよ普通に。

逆にどんなの飲むって思ってたん」


「なんとなく、カクテルとかそういうお洒落なものだけ飲んでるのかと……」


「ふはっ。なんそれ、まるでビールはお洒落じゃないみたいやん。

ビールに失礼やで」


湊は楽しそうにジョッキを持ち上げた。

乾杯、という掛け声に合わせて軽くぶつかる。

二人が同時に、ぐい、とジョッキを傾けた。



はじめはどこか互いに様子を窺っていたが、酒の力を借りるうちに徐々に会話が弾んでいった。


最近やってるゲームの話、流行りの漫画の話、バズったネットミームの話。

十年前から会話の内容は変わらない。

拓海はくだらない話題で大笑いするたび、目の前にいる彼が本当に自分の古くからの友人なのだということを思い知った。



「この間送ってきた弁当の写真さぁ……あれ、もうちょっと上手い撮り方なかったの?

めちゃくちゃ逆光になってて、何が何だか分からなかったよ」


「嘘やん、そんな酷なかったって!」


「いや、真っ黒だった。最初送られてきたとき、まず弁当どこ?って探すところからだったし」


湊は口を大きく開けて笑っている。

笑うと八重歯が覗いて、可愛らしい印象になる。山ほどの女性を虜にしてきた洗練されたアイドルの面影はなく、飾らない笑顔だった。

拓海は、その顔を見れただけでこの上なく幸せを感じていた。



酒が進むにつれて、湊の頬が赤くなっていく。

もともと酒にはあまり強くないのだろう。


最初は饒舌だったのがどんどん緩慢になっていき、やがてほぼ相槌を打つだけになっていく。


「湊くん、大丈夫?」


「んー……だいじょぶだいじょぶ」


「いや、絶対大丈夫じゃないだろ」


「大丈夫やってぇ」


間延びした声で湊が返す。

その姿はどう見ても大丈夫には見えず、拓海は水を注文しようとした──


が。


「……あー……あかんわ、ごめん……」


それだけ言い残すと、湊はテーブルに突っ伏してそのまま動かなくなった。

どうやら、完全に潰れたらしい。


拓海は深く息を吐いた。

まさか推しアイドルの介抱をする日が来るとは。

とりあえず会計を済ませ、湊の肩を支えながら店を出る。


「家、どこ?タクシー乗るから教えて」


「ん〜……ここ……」


「適当言うな」


まるで軟体動物のようにぐにゃぐにゃになった湊を何とか立たせながら、辛抱強く住所を聞き出す。

アイドルの自宅を把握するなんてかなり抵抗感があったが、今はそんなことを言っている場合ではない。

何とか住所を聞き出すことに成功し、二人はタクシーに乗り込んだ。



    ◇     ◇     ◇



目的地に到着したタクシーから、湊を抱えた拓海が降りる。

そこにあったのは、重厚感のあるエントランスに、洗練された外観。いかにも芸能人が住んでいそうなマンションだった。


「鍵は?」


拓海が尋ねると、湊がちょいちょいと上着のポケットを指差す。

一瞬迷ったが、本人の許可を得てポケットを探り、鍵を取り出した。

湊から聞き出した部屋番号の前まで辿り着くと、玄関の扉を開ける。


「お邪魔します……」


足を踏み入れた瞬間、拓海は思わず目を瞬かせた。


ものすごく散らかっている。

入った瞬間、玄関で散らばっている脱ぎっぱなしの靴が目に入る。

廊下を進んでいくと、リビングには読みかけの漫画の山。

他にもゲーム機のコントローラーに、よくわからない電源コードがいたるところに散乱している。

おまけに、恐らく脱いでそのまま放置されたであろうパーカーがソファの上に落ちていた。


完璧なアイドル、一ノ瀬湊のイメージががらがらと音を立てて崩れた。


しかし、拓海にとってこの光景はどこか見覚えのあるものでもあった。


棚の上に置かれた、雑な塗装の指人形。

あれは回転寿司チェーンが人気アニメとコラボしたときに作られたおまけグッズだ。

いつだかのO谷が、写真付きで投稿していたのを覚えている。


床に放置されている読みかけの漫画も、O谷がずっと追っている漫画タイトルだ。

休載が続いているのをよく嘆いていた。


この部屋には、紛れもなくO谷が暮らしているのだと感じさせる痕跡が、そこかしこに残されていた。


「……本当にO谷なんだ」


思わず笑ってしまう。

SNSでしか知らなかったO谷が、当たり前に実在しているという事実に。

確かに俺が知るO谷は、部屋を几帳面に片付けるタイプじゃなかったよな。


拓海は湊を支えながら手探りで寝室へ向かった。

何とかベッドに寝かせ、途中で自動販売機で購入しておいた水を枕元に置く。


見たところ穏やかに寝ているようだし、恐らくもう大丈夫だろう。

あとは帰るだけだ。

そう思ってベッドから離れようとした、そのとき。


「……うみちゃん」


ぼんやりとした、寝ぼけたような声がした。

声がした方へ目を向けると、湊が薄く目を開けていた。


「なぁ、まだ帰らんといてや……」


甘えるような声。

拓海は石のように固まった。


「寂しいやん……」


「ウッ!!」


拓海は咄嗟に自分の胸を思い切り拳で叩いた。

危なかった。心臓が止まるところだった。

セルフ救命により、拓海は一命を取り留めた。


「もうちょっと、おって」


湊がゆっくりと腕を伸ばし、拓海の服の裾を捕まえた。

拓海は天井を仰いだ。天井の照明を見る。

センスのいいペンダントライトだ。

やっぱり芸能人の家ってインテリアまでお洒落なんですね。



湊と『友達』になってから、様々なことが怒涛の勢いで発生していた。

しかしこの展開は流石に想定していなかった。


酒の入った大人が、寝室で二人きり。

しかも相手は自分の意中の人。

やたらと甘ったるく官能的なシチュエーションに、拓海の手が震える。


どうやら湊は何も意識していないらしい。

当然だ。

湊からすれば拓海はただの友達だ。

しかも男同士で、何か起こるなんて思ってもいないのだろう。

その無防備さが、拓海にとっては残酷だ。


動揺し固まっている拓海を、湊がぼんやり眺めている。

しかし、いつまで経っても反応のない様子に痺れを切らしたのか、不満げに眉を寄せると拓海の腕を掴んだ。


「……遠いって」


「え?」


ぐいっ、と、腕を引かれた。


予想外の力に体勢を崩し、拓海の身体がベッドの上に沈む。

驚きから反射的に閉じた目をゆっくり開けると、目の前には湊の顔があった。


「……!?」


湊と拓海は向かい合う形で、ベッドに転がっている。

息遣いが聞こえるほどの至近距離に、拓海は全身を硬直させた。


一方の湊は、そんなことなどお構いなしに、ふにゃりと笑って話し始める。


「俺さあ……ただの友達って、ほんまにほんまにおらんねん」


湊の声は、いつもよりずっと柔らかかった。

拓海に話しかけているというよりも、独り言のような調子だ。


「グループのメンバーは大切な仲間やけどさ。

『友達』っていうのとは、またちょっと違うやんか。

仕事の話とか、どうしてもするし。

なんかこう……普通にくだらん話して、意味のないアホなこと言い合える友達っておらんくて」


湊は少しだけ目を閉じた。

その顔は、自分の言葉を噛み締めているようにも見えた。


「やから、うみちゃんと友達になれて、ほんまに嬉しい……」


口元に緩い笑みを浮かべて呟く。

湊はそのまま、静かに寝息を立て始めた。



「…………」


眠った。

本当に眠ってしまった。

拓海は湊の寝顔を見つめたまま、固まっていた。


ベッドの上に二人。

目の前には、無防備に眠る大好きな人。

そして、その大好きな人に、たった今。


盛大なる友達宣言をされた。


「……はあ」


拓海はごろんと仰向けになると、両手で顔を覆った。

ちら、と横目で湊の寝顔を盗み見る。

何度見ても綺麗で、アイドルは寝顔まで美しいのかと思わず感心してしまう。



『友達』という言葉が何度も頭の中で繰り返される。

湊にとって、自分はあくまで友達なのだ。

十年来の大切な友達。

それは事実だし、そう思ってもらえてることは嬉しい。

嬉しい、それでも。

分不相応だとわかってはいても、願わずにはいられない。



「……友達じゃなくて、恋愛対象として見てほしいんだけど」



拓海の呟きが、寝室に響いて消えていく。


恋路は、まだまだ長そうだ。




end

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