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眉ひとつ動かさない令嬢ですが、王太子の婚約破棄くらいでは動揺しません

作者: 棗 月雫
掲載日:2026/05/01


 王城の大広間は、今夜もっとも華やかなはずだった。


 きらびやかなシャンデリア。

 磨き上げられた床。着飾った貴族たち。


 けれど、その空気を切り裂くように、王太子エドワードの大きな声が響いた。


「レティシア・ヴァンベルク! 君との婚約を、ここに破棄する!」


 わっと、周囲がどよめく。



 私は壇上の下で、その声を静かに聞いていた。


 正面には、勝ち誇った顔の王太子。


 その腕には、桃色のドレスに身を包んだ令嬢、ミレーユ・フォルナがしなだれかかっている。


「君は冷酷だ。嫉妬深く、ミレーユを何度もいじめた。そればかりか、未来の王妃としての優しさも愛嬌もない! 社交界で恐れられる悪役令嬢そのものだ!」



「まあ……」


「ついに殿下が……」


 周囲の令嬢たちがひそひそと囁き合う。



 ミレーユは潤んだ目で私を見た。


「わたくし、ずっと怖かったんです……。殿下とお話ししただけで、レティシア様に睨まれて……」


 よくもまあ、そこまで滑らかに嘘が出てくるものだ。



 社交界では、容赦ない正論で相手を黙らせるたびに、私は冷酷な令嬢と噂されてきた。


 王太子にすら遠慮なく諫言してきたのだから、悪役令嬢と呼ばれるのも無理はない。



 私は一つ息をつき、王太子を見上げた。


「お話は以上でしょうか、エドワード殿下」


「な……っ! 反省の色もないのか!」


「承知しました。婚約破棄ですね」


 あまりにあっさり答えたせいか、今度は王太子のほうが目を丸くした。


「そ、そうだ! 泣いて許しを請うなら、少しは考えてやっても――」


「結構です」


 私はきっぱり言い切った。




「ただ、そんなことをしていてよろしいのですか?」


「……は?」



 私はミレーユへ視線を向ける。


「その方は、敵対国セルディアの工作員の一味です。本日の騒ぎに乗じて、王家の秘宝を盗む算段でしょう」



 一瞬で、大広間が静まり返った。



 次いで、爆発したようにざわめきが広がる。


「な、なにを馬鹿なことを!」


 真っ先に叫んだのは王太子だった。

「ミレーユが、工作員だと!? 君は見苦しい言い逃れまで――」


「言い逃れではありません」


 私は淡々と続けた。


「ここ数日、宝物庫を守る結界に、ごくわずかな揺らぎが出ています。普通の魔術師では気づけない程度ですが、王家守護術式に干渉した痕跡があります」


 何人かの老貴族が顔色を変えた。


 知っている者は知っている。


 私は生まれつき、王家守護術式の異常を感知できる特殊な体質を持っている。


 だからこそ本来、この婚約は政治的にも意味があった。



 もっとも、当の王太子は、その価値を欠片も理解していなかったようだけれど。


「さらに、その揺らぎは今夜もっとも強くなった。原因は――」


 私はミレーユの胸元を見た。


「その首飾りです」


 ミレーユの顔が、初めて強張った。


「な、何をおっしゃって……これはただの装飾品ですわ」


「でしたら外してご覧なさい」


「……っ」


「外せないのですね。秘宝の封印波長に共鳴する、盗掘用の触媒ですから」


 ミレーユが一歩、後ずさる。



 その瞬間だった。


「確保しろ」


 低く、よく通る男の声が響いた。


 会場の端に控えていた黒髪の男――隣国アルノー公国の使節であり、王国騎士団とも共同任務の経験を持つ実力者、ルーク・ヴァレントが、静かに手を上げる。


 彼の合図で、控えていた近衛たちが一斉に動いた。


「ちょ、ちょっと待ってください! わたくしは何も――」


 ミレーユが叫びながら駆け出す。

 同時に首飾りが赤黒く光った。



 ぞわり、と空気が軋む。


 やはり自棄になって起動させたのか。


「伏せてください」


 私が言うと同時に、床を走った魔力の筋を踏み潰すように、一歩前へ出る。


 靴底から術式を打ち込み、赤い光の核を正確に断ち切った。



 ぱきん、と乾いた音。


 首飾りの宝石が砕け散る。


「なっ……!」


 ミレーユはその場に崩れ落ちた。


 近衛が一気に取り押さえる。


 彼女の袖から、宝物庫の鍵穴に対応する細工道具まで落ちてきた。



 誰かが息を呑んだ。


 王太子は青ざめ、口をぱくぱくさせている。


「そ、そんな……ミレーユ……? 本当に……?」


「殿下ぁ……わたくしは……っ」


「泣いても無駄です」


 私が言うと、ミレーユは憎々しげにこちらを睨んだ。


「どうして……どうして分かったのよ……!」


「あなたが殿下に近づいた日から、城の結界に異物反応が出ていました。あとは観察しただけです」


「観察……」


「ええ。殿下があまりにも分かりやすく踊ってくださったので、助かりました」


「レティシア!」


 王太子は顔を真っ赤にする。


「僕を愚弄するのか!」


「事実を申し上げただけです」



 会場のあちこちから、今度は王太子に向けた視線が刺さり始めていた。


 婚約者を断罪し、素性も見極めず令嬢にうつつを抜かし、その結果、敵国の工作に利用された。


 未来の王としては、あまりに痛い失態だ。


「ぼ、僕は騙されていたんだ!」


 王太子は慌てて私のほうへ向き直る。


「そうだ、全部この女が悪い! レティシア、君なら分かるだろう? 君は賢いんだから――」


「ええ、分かります」


 私が頷くと、王太子の顔がぱっと明るくなる。


「本当か!」


「騙されたことそのものではなく、王太子でありながら見抜けなかったことが致命的だと」


「……っ」


「そのうえ、わたくしを悪役令嬢に仕立て上げて騒ぎを大きくし、相手に好機まで与えた。見事ですわ、殿下。敵にとっては」




 しん、と場が静まる。


 王太子の顔色が、今度は真っ白になった。


「そ、そんな……。レティシア、待ってくれ。婚約破棄の件は、取り消しても――」


「それは不要です」


 私はぴしゃりと言った。


「先ほど、婚約破棄を確かに承りましたもの」


「だが!」


「わたくし、申し上げましたよね。そんなことをしていてよろしいのですか、と」



 王太子は何も言えない。


 その沈黙こそ、答えだった。



 私はスカートの端をつまみ、形式通り一礼する。


「王太子殿下。婚約破棄、謹んでお受けいたします」



 顔を上げると、すぐそばにルークが来ていた。


 黒い瞳が、少しだけ愉快そうに細められている。


「相変わらず手厳しい」


「余計なお世話です、ルーク様」


「褒めているのですが」


「存じております。だから鬱陶しいのです」


 彼は小さく笑った。


「では、予定通りですか」


「まだ同行を許したわけではありませんよ」



 王国を守る術式の補修方法も、秘宝を狙う外部勢力の情報も、必要な報告はすでにまとめてある。


 私がこの国に残る理由は、もうない。


 出立のための手配も、とうに済ませていた。




 王太子が呆然と呟いた。


「どこへ行くつもりだ……」


 私は振り返り、ほんの少しだけ微笑んだ。


「平和な国へ」


「レティシア……!」


「さようなら、殿下」


 眉ひとつ動かさず、私は背を向ける。


 後ろで誰かが呼び止める声がしたけれど、もう足は止めなかった。



 隣に並んだルークが、当然のような顔で歩幅を合わせてくる。


「歓迎しますよ。あなたを正当に扱う国へ行きましょう」


「まだあなたに同行を許したわけでは……」


「では、道中で口説きます」


「やはり面倒くさい方ですね」


「光栄です」



 思わず、吐息がひとつ漏れた。



 婚約破棄くらいで動揺するほど、私は暇ではない。


 それより大事なものを見極めて、不要なものを捨てるだけだ。



 そうして私は、騒がしいだけの王国を後にした。




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