眉ひとつ動かさない令嬢ですが、王太子の婚約破棄くらいでは動揺しません
王城の大広間は、今夜もっとも華やかなはずだった。
きらびやかなシャンデリア。
磨き上げられた床。着飾った貴族たち。
けれど、その空気を切り裂くように、王太子エドワードの大きな声が響いた。
「レティシア・ヴァンベルク! 君との婚約を、ここに破棄する!」
わっと、周囲がどよめく。
私は壇上の下で、その声を静かに聞いていた。
正面には、勝ち誇った顔の王太子。
その腕には、桃色のドレスに身を包んだ令嬢、ミレーユ・フォルナがしなだれかかっている。
「君は冷酷だ。嫉妬深く、ミレーユを何度もいじめた。そればかりか、未来の王妃としての優しさも愛嬌もない! 社交界で恐れられる悪役令嬢そのものだ!」
「まあ……」
「ついに殿下が……」
周囲の令嬢たちがひそひそと囁き合う。
ミレーユは潤んだ目で私を見た。
「わたくし、ずっと怖かったんです……。殿下とお話ししただけで、レティシア様に睨まれて……」
よくもまあ、そこまで滑らかに嘘が出てくるものだ。
社交界では、容赦ない正論で相手を黙らせるたびに、私は冷酷な令嬢と噂されてきた。
王太子にすら遠慮なく諫言してきたのだから、悪役令嬢と呼ばれるのも無理はない。
私は一つ息をつき、王太子を見上げた。
「お話は以上でしょうか、エドワード殿下」
「な……っ! 反省の色もないのか!」
「承知しました。婚約破棄ですね」
あまりにあっさり答えたせいか、今度は王太子のほうが目を丸くした。
「そ、そうだ! 泣いて許しを請うなら、少しは考えてやっても――」
「結構です」
私はきっぱり言い切った。
「ただ、そんなことをしていてよろしいのですか?」
「……は?」
私はミレーユへ視線を向ける。
「その方は、敵対国セルディアの工作員の一味です。本日の騒ぎに乗じて、王家の秘宝を盗む算段でしょう」
一瞬で、大広間が静まり返った。
次いで、爆発したようにざわめきが広がる。
「な、なにを馬鹿なことを!」
真っ先に叫んだのは王太子だった。
「ミレーユが、工作員だと!? 君は見苦しい言い逃れまで――」
「言い逃れではありません」
私は淡々と続けた。
「ここ数日、宝物庫を守る結界に、ごくわずかな揺らぎが出ています。普通の魔術師では気づけない程度ですが、王家守護術式に干渉した痕跡があります」
何人かの老貴族が顔色を変えた。
知っている者は知っている。
私は生まれつき、王家守護術式の異常を感知できる特殊な体質を持っている。
だからこそ本来、この婚約は政治的にも意味があった。
もっとも、当の王太子は、その価値を欠片も理解していなかったようだけれど。
「さらに、その揺らぎは今夜もっとも強くなった。原因は――」
私はミレーユの胸元を見た。
「その首飾りです」
ミレーユの顔が、初めて強張った。
「な、何をおっしゃって……これはただの装飾品ですわ」
「でしたら外してご覧なさい」
「……っ」
「外せないのですね。秘宝の封印波長に共鳴する、盗掘用の触媒ですから」
ミレーユが一歩、後ずさる。
その瞬間だった。
「確保しろ」
低く、よく通る男の声が響いた。
会場の端に控えていた黒髪の男――隣国アルノー公国の使節であり、王国騎士団とも共同任務の経験を持つ実力者、ルーク・ヴァレントが、静かに手を上げる。
彼の合図で、控えていた近衛たちが一斉に動いた。
「ちょ、ちょっと待ってください! わたくしは何も――」
ミレーユが叫びながら駆け出す。
同時に首飾りが赤黒く光った。
ぞわり、と空気が軋む。
やはり自棄になって起動させたのか。
「伏せてください」
私が言うと同時に、床を走った魔力の筋を踏み潰すように、一歩前へ出る。
靴底から術式を打ち込み、赤い光の核を正確に断ち切った。
ぱきん、と乾いた音。
首飾りの宝石が砕け散る。
「なっ……!」
ミレーユはその場に崩れ落ちた。
近衛が一気に取り押さえる。
彼女の袖から、宝物庫の鍵穴に対応する細工道具まで落ちてきた。
誰かが息を呑んだ。
王太子は青ざめ、口をぱくぱくさせている。
「そ、そんな……ミレーユ……? 本当に……?」
「殿下ぁ……わたくしは……っ」
「泣いても無駄です」
私が言うと、ミレーユは憎々しげにこちらを睨んだ。
「どうして……どうして分かったのよ……!」
「あなたが殿下に近づいた日から、城の結界に異物反応が出ていました。あとは観察しただけです」
「観察……」
「ええ。殿下があまりにも分かりやすく踊ってくださったので、助かりました」
「レティシア!」
王太子は顔を真っ赤にする。
「僕を愚弄するのか!」
「事実を申し上げただけです」
会場のあちこちから、今度は王太子に向けた視線が刺さり始めていた。
婚約者を断罪し、素性も見極めず令嬢にうつつを抜かし、その結果、敵国の工作に利用された。
未来の王としては、あまりに痛い失態だ。
「ぼ、僕は騙されていたんだ!」
王太子は慌てて私のほうへ向き直る。
「そうだ、全部この女が悪い! レティシア、君なら分かるだろう? 君は賢いんだから――」
「ええ、分かります」
私が頷くと、王太子の顔がぱっと明るくなる。
「本当か!」
「騙されたことそのものではなく、王太子でありながら見抜けなかったことが致命的だと」
「……っ」
「そのうえ、わたくしを悪役令嬢に仕立て上げて騒ぎを大きくし、相手に好機まで与えた。見事ですわ、殿下。敵にとっては」
しん、と場が静まる。
王太子の顔色が、今度は真っ白になった。
「そ、そんな……。レティシア、待ってくれ。婚約破棄の件は、取り消しても――」
「それは不要です」
私はぴしゃりと言った。
「先ほど、婚約破棄を確かに承りましたもの」
「だが!」
「わたくし、申し上げましたよね。そんなことをしていてよろしいのですか、と」
王太子は何も言えない。
その沈黙こそ、答えだった。
私はスカートの端をつまみ、形式通り一礼する。
「王太子殿下。婚約破棄、謹んでお受けいたします」
顔を上げると、すぐそばにルークが来ていた。
黒い瞳が、少しだけ愉快そうに細められている。
「相変わらず手厳しい」
「余計なお世話です、ルーク様」
「褒めているのですが」
「存じております。だから鬱陶しいのです」
彼は小さく笑った。
「では、予定通りですか」
「まだ同行を許したわけではありませんよ」
王国を守る術式の補修方法も、秘宝を狙う外部勢力の情報も、必要な報告はすでにまとめてある。
私がこの国に残る理由は、もうない。
出立のための手配も、とうに済ませていた。
王太子が呆然と呟いた。
「どこへ行くつもりだ……」
私は振り返り、ほんの少しだけ微笑んだ。
「平和な国へ」
「レティシア……!」
「さようなら、殿下」
眉ひとつ動かさず、私は背を向ける。
後ろで誰かが呼び止める声がしたけれど、もう足は止めなかった。
隣に並んだルークが、当然のような顔で歩幅を合わせてくる。
「歓迎しますよ。あなたを正当に扱う国へ行きましょう」
「まだあなたに同行を許したわけでは……」
「では、道中で口説きます」
「やはり面倒くさい方ですね」
「光栄です」
思わず、吐息がひとつ漏れた。
婚約破棄くらいで動揺するほど、私は暇ではない。
それより大事なものを見極めて、不要なものを捨てるだけだ。
そうして私は、騒がしいだけの王国を後にした。




