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料理長もまた、物言わぬ「生ゴミ」になった。
彼が地下へ運ぶ食事の不自然な豪華さに気づいたのは、プロとしての矜持ゆえだったのだろう。けれど、私の世界に「プロの視点」など不要だ。必要なのは、何も見ず、何も聞かず、ただ私の「解釈」に従う人形だけ。
地下の竪穴に彼を突き落とした後、私は返り血を浴びたエプロンを脱ぎ捨て、予備のドレスに着替えた。
手首に残る、重い衝撃の余韻。火かき棒は、今や私の体の一部のように馴染んでいる。
地下室の重い扉を閉めると、そこには怯えきったエドリックが、私の帰りを待っていた。
「さあ、エドリック。お待たせしたわね。掃除は済んだわ。……さて今夜は、貴方が一番輝いていた、あの『落日の晩餐』のシーンを再現しましょうね♪」
私は彼に、銀の毒杯──中身はただの果実酒だが、私はそれを「真実の毒」として扱う──を差し出した。
「さあ……震えながら、けれど気高く。裏切った婚約者を見据えて、その杯を飲み干して。前世の私が、100回以上巻き戻して観た、あの最高の演技を私に見せて」
「……カトリーヌ、もうやめてくれ。料理長はどこへ行ったんだ。さっきの音は……!」
「……違う!!」
私の声が、低く地を這う。
「セリフが違うわ。貴方は今、絶望の中で微笑まなければならないの。公式が提示した、あの『1分45秒』の絶妙な口角の上がり方を、今すぐ再現して!!」
私は火かき棒の先端で、彼の喉もとを突き上げた。
エドリックは息を呑み、涙を溜めた瞳で私を見つめる。その恐怖に歪んだ顔は、私の記憶にある「気高き騎士」とは程遠い。けれど、その乖離さえも、今の私には甘美なスパイスだった。
────
新人のメイド、アナが震える手で壁を伝っていた。
彼女は見てしまったのだ。カトリーヌが料理長を地下へ誘い込む姿を。
好奇心と恐怖に駆られ、彼女は禁じられた地下階段を降りてきた。
半開きになった重厚な扉の隙間から、アナは「それ」を見た。
行方不明のはずのエドリックが、鎖に繋がれ、狂気に満ちた公爵令嬢に跪かされている光景を。
「ひっ……!」
思わず漏れた短い悲鳴。
慌てて口を塞いだが、手にした燭台が壁に当たり、乾いた音を立ててしまった。
室内で、カトリーヌの動きが止まる。
ゆっくりと、首だけが扉の方へ向けられた。その瞳には、人間としての光は一切宿っていない。
────
その時。
扉の向こう、暗い廊下から「声」が響いた。
「……ネズミが、また一匹紛れ込んだようね」
私はエドリックを放り出し、音もなく扉へと歩み寄る。
逃げようとしたアナの背後から、冷たい鉄の感触を迷いなく味わわせた。
ピクピクと地面で動く、メイドのアナ。生きているか、死んでいるかも分からない。しかしそんなことは、どうでもいい。
「まったくいい度胸ね。私の『聖域』に、足跡を付けるなんて」
暗闇の中で、私の微笑みが白く浮かび上がっているようだった。そして私は再度、アナの頭部へ火かき棒を振り下ろす。
────
一方その頃、公爵領の境界に近い、人目のつかぬ深い森。
リリアンは、焚き火の煙さえ上げぬ深い闇の中で、一人の男と対峙していた。
使い込まれた革鎧、幾多の死線を越えてきたであろう無数の傷跡。そして、すべてを見透かすような冷徹な灰色の瞳。
「あなたがヴォルグね。……あなたに会うのに苦労したわ」
リリアンが静かに告げると、男──ヴォルグは、短剣の刃を研ぐ手を止めず、低く野太い声で応えた。
「流れ者の俺にとって名前など使い捨てだ。……それで、要件は何だ?」
「私の兄……つまり、伯爵子息を、イカれた公爵令嬢から救って欲しいの」
ヴォルグの手が止まる。彼は冷徹な眼差しをリリアンに向け、品定めするように鼻で笑った。
「公爵令嬢が兄を誘拐したと? 貴族同士の痴話喧嘩に、俺を巻き込むつもりか。……そもそも、君がイカれていないという証拠はあるのか?」
リリアンは動じなかった。彼女は懐から、ハンスが遺した血の滲むメモ、そして自ら集めた証言の断片を、ヴォルグの前に並べた。
「これは、消えた執事が命懸けで残した記録。そして、公爵邸の不自然な金の動き、屋敷の見取り図、私兵の警備記録。……カトリーヌ様は、兄の形見であるはずの万年筆を、今も肌身離さず持っているわ。あたかも、持ち主がすぐ側にいるかのように」
リリアンは詳細に、カトリーヌの二面性と、屋敷で起きている「消失」の数々を語った。そして、自身が本気だという証拠を。
ヴォルグは時折、鋭い問いを投げかけ、リリアンの矛盾を突こうとしたが、彼女の答えには一切の迷いがなかった。
長い沈黙の後。ヴォルグは研ぎ石を置いた。
「……40金貨だ」
リリアンは迷いなく、ずっしりと重い革袋を差し出した。
「私とここで会ったことは……」
「お前のことなど知らん。貴族だとしても、俺に気安く話しかけるな」
意図を瞬時に汲み取ったヴォルグの言葉に、リリアンはわずかに口角を上げ、「ありがとう」と囁いた。
「生きていようがいまいが。いれば、必ずここへ連れてくる」
ヴォルグはそう言い残すと、闇に溶けるように姿を消した。
リリアンは一人、森の闇を見つめながら、拳を強く握りしめる。
「待ってるわ……ヴォルグ」
カトリーヌの檻が、内側から血で染まり、また生ゴミが処理されようとしていた。




