4話
「監督さん、靴濡れますが大丈夫ですか?」
「川上へ向かうと聞いて多少覚悟はしていましたが、長靴位は持ってくるべきでしたね」
「あたしもうっかりしてました」
ザアアア。川が静かに流れている。
木漏れ日からは陽が合間を縫って、微かに光を照らす。
バシャバシャ。
桜花の靴はまだいいが、島田の革靴はそこそこ値の張るものだ。
「帰ったら整備大変そうだ」
独りごちる。
「その、難しいならまた今度でも」
「その必要はありません。一応整備用のブラシとタオルを持ち歩いているので」
「あたしは革靴の整備には詳しくありませんが、問題がないなら分かりました」
先に向こう岸へ渡った桜花が、了承する。
彼女のスニーカーも既にずぶ濡れだ。
ザッザッザッ。山へと登っていく。
「ガイドブックを持ってきていたのに、用意が足りませんでしたね」
自身の不甲斐なさに苦笑。
「大丈夫ですよ。ここを渡ればあとは、川へはほとんど入りません」
桜花が栗色の前髪を流す。
「ですが、野生動物は出るのでしょう?」
「それは問題ありません。ほとんどが人馴れしてるので」
「と言っても……」
ガサ。島田が川を渡ったとほぼ同時に茂みが揺れた。
「わぁ!?」
黒い毛皮、鋭い爪大きな口は牙がむきだした生物、熊だ。熊が現れたのだ。
「…………」
しかし襲ってくる様子はない。
島田の心配を他所に桜花が熊へと近づく。
「君はジョニーかな?それともアントニー?」
「個体ごとに名前があるのですか?」
「いえ、一人一人がテキトーに名前付けてるだけです」
ニコッと笑う。
「こうして猛獣が襲ってこないのも、鬼のおかげなんです」
「鬼の?」
「はい。島の人々を傷つけてはいけない。島の人々はみな仲間。そう言い聞かせたんです」
熊も混じえてふたりと1頭は山を登る。
「へぇ、本当に島民のことを考えていらっしゃったのですね」
「はい。だからあたし達は鬼に感謝してるんです。ただ、あたし達、希導家以外はその感謝を忘れてしまいました」
寂しいとも取れるし、悲しいとも取れる表情だ。
「希導さん。私はますますこの島を舞台にアニメを作りたいです」
「それで、この島の人達が鬼を思い出せばいいのですが」
「この島は、鬼に関するお祭りはないのですか?」
「昔はあったそうです。ただ次第に忘れ去られていきました」
「でしたらまた開催しましょう」
「開催してどうするんですか?」
「鬼が島民にしてくれた感謝のお祭りです。大きくすれば、外から関心を持って訪れる人も集まりますし、人々も鬼のことを思い出します」
「そんな簡単に上手く行きますかね?」
「実際、アニメで独自のお祭りを催して、それが現実でも開かれて今でも続いているお祭りもあります」
島田が髭をなぞる。
「へぇ、いいですね。ですが、あたしの一存では決められません。母や役場にも話を通さないと」
「そうですね。おっ?大きな岩だ」
会話しながら歩いていると、川のど真ん中に大きい楕円形の岩が横向きに鎮座していた。
「はい、これこそ鬼が塞いだ岩です」
風で木々は揺れ、太陽が頭上から光を照らす。
草木が光を反射させ、岩がそれを阻め、大きな日陰が出来上がっている。影を作る岩本体は、日光によく晒されていた。
「写真撮らせて貰っても?」
「構いません」
桜花の了承を得て、カバンから一眼レフカメラが姿を見せる。
カシャカシャ。島田は夢中でこの光景をカメラに収める。
数枚ほど撮って満足したのか、監督は桜花に笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、希導さん」
「いえ、こちらこそ鬼へのご理解ありがとうございます」
お互い手を差し伸べ握手する。
「今日はもうくたびれたので、明日以降お時間がございましたら、今度はこの洞窟に行きたくて」
付箋のついたガイドブックを取り出し、洞窟の存在を示す。
「いいですよ。そこにも重要な伝説が残されています。それを語りながら帰りましょうか。ただ向かうのは明後日でよろしいでしょうか?」
「明日はなにかご予定が?」
「はい、病院に友達のお見舞いに行きたいので」
「なるほど。わかりました。私はテキトーに島を練り歩いてます」
「うわぁ、遠目からでも迫力あったけど、近くで目の当たりにすると存在感すごいな」
「ふふふ、でしょ?おとぎ話だと鬼が息を引き取った時、この木の下でいつまでも桜が咲き乱れて美しい島にしてと神様に願ったんだって」
島の中心で、地を象徴する大きな桜の木。幹は横幅でも5mはある非常に大きい。
「鬼って実在するんですか?」
「ううん、するわけないよ。所詮おとぎ話だよ?信じてる人なんてほとんどいないよ」
蕾さんが俺の問いに、首を横に振って否定する。黒煙色の髪もそれに合わせてゆらゆらと揺れる。
にしたって桜花姉達のあの反応はなんだ?
僅かに見せたピリッとした空気がどうにも気がかりだ。
まぁ考えても仕方ない。今はこの景色を瞳の中に録画しなくちゃ。
「守君、良かったら明日も付き合ってくれない?桜花ちゃんと約束してるんだけど」
「桜花姉と約束?」
「うん、友達のお見舞い」
「お友達さん、どこか具合悪いんですか?」
「うん、心臓病を持っててね、もう長くないの。でも私達は最後まで頑張って生きて欲しくて……。でもなかなか前を向いてくれないの」
「そうですか……。元気づける方法か……」
腕を組んで思考を巡らせる。
うーん、何も思い浮かばん。
「明日、会ってくれない?」
「もちろん、いいですよ」
「ふふふ、ありがとう」
ニコッと微笑む姿が夕暮れのオレンジ色の光と相まって素敵さが増していた。
「蕾さん、良かったら俺と---」
「あ、いたいた!おーい!」
聞きなれた声に俺の言葉が遮られる。
「桜花姉」
「桜花ちゃん」
俺たちは揃ってその人物に名を呼ぶ。
栗色のくせっ毛の子が、ニコニコした笑みを浮かべて小走りで俺たちへと近づいてくる。
「監督さんの案内終わったの?」
「うん!写真撮ってお祭りやらないかって提案されたよ」
「お祭り?なんの?」
蕾さんが訊く。
「鬼への感謝のお祭り!」
「うーん、必要ないんじゃないかな?」
ピシッと空気が割れた気がした。
「どうして?」
桜花姉の眉が僅かにピクっと上がった気がした。
「だっておとぎ話だよ?今更鬼に感謝することなんてないよ」
「おとぎ話じゃない!」
桜花姉は怒声を飛ばす。
「鬼は……鬼は……この島を守ったんだよ!?」
「桜花ちゃんはなんでそんなに鬼に固執するの?」
「だってあたし達の一族は……」
「出た、希導家のお約束。希導の人達ってなんで鬼を信じてるの?」
2人の喧嘩は収まりそうにない。
ドキ〇キ文〇部のヒロイン同士の喧嘩を彷彿させる。
「うー!蕾さんなんて知らない!」
桜花姉がその場から走って去っていく。
その顔には涙が流れてるのとに俺は気づいた。
「蕾さん、希導家と鬼って何か繋がりがあるんですか?」
「あるわけないよ、あの子達が鬼は実在するって大袈裟に信じてるだけ」
果たして本当にそうだろうか?
俺はどうにも腑に落ちないと同時に、蕾さんへの淡い恋心は薄れていった。




