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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

短編ホラー小説 黄金比の女〜完全無欠な遺伝子を持つ娘の物語

掲載日:2026/02/15

西暦20XX年


日曜日の昼下がり。


若いウェイトレスが私たち3人を案内したのは、窓際の4人掛けのソファ席だった。


その瞬間、店内はざわめきとともに静寂にまれる。


その理由は1つ———皆の視線が娘のすみれへと注がれたからだ。


現在17歳。身長175センチ。

スリーサイズは90・60・90。

小さな顔に、しなやかな長い手足。

絹のように滑らかな黒髪のロング。

瞳は大きく、鼻も高く、肌は白磁のように白い。


美しいのは当然だった。

彼女のすべては、“黄金比”をもとに、遺伝子学者の私が設計した、完璧な造形だったのだから。


遺伝子操作は法律で固く禁じられているが、脳科学者の妻・美央も乗り気だった。菫には真実は伝えていないが、私達の職業や、似てもにつかない容姿を鑑みれば気がついている事は明らかだろう。


自己愛と自身に満ちあふれた菫は、太陽の様に周囲を眩しく照らす、私達の自慢の娘だった。


私は、娘以外にも“黄金比”に取り憑かれていた。

家ではY チェアやルイスポールセンなどの北欧家具を愛用し、洋服や自家用車も黄金比を元にチョイスしてた。もし、私が遺伝子学者になっていなかったら、間違いなく工業デザイナーになっていただろう。


そんな私に感化され、美央も菫も、生活の隅々まで“整った比率”で満たしていった。結果、菫はさらに美しくなり、自らの黄金比を際立たせる術を、完全に理解していった。


美しいのは外見だけではなかった。

脳科学者の美央のもと、考えうる最高の教育を受け、彼女は知性と慈愛に満ちた少女へと成長した。


もちろん完全無欠な人間など存在しない事は、私はよくわかっていた。


ただ“それに”近づくだけだと———。



          3年後



学業も優秀だった菫は、地元の国立大学にストレートで合格した。


だが、彼女は成人式を終えたあたりから、大学へ行くことをやめてしまった。


——黄金比の容姿は、祝福ではなく呪いとなり彼女を蝕んでいったからだ。


人間の肉体的な美のピークは、わずか19歳から23歳の間だ。それを過ぎれば、骨格の角度も、皮膚の張りも、静かに、そして、確実に崩れ始める。


菫は紫外線を極度に恐れ、外出する際は真夏でも肉体の全てを衣服で覆い、サングラスや手袋も欠かさなかった。


老化の原因となる活性酸素にも、異常なほどの嫌悪を示した。空気中の酸素でさえ、自分の細胞を蝕む“毒”のように感じていたのだ。


家の空調は常に高性能フィルターで浄化され、

水は専用の装置で酸化還元電位を管理し出した。

食事も抗酸化作用のある食品しか口にしなくなり、過剰なまでのサプリメントを摂取する様になった。


ついには、“時間”を示す時計にまで強い恐怖感を覚える様になり、家中の時計を燃えないゴミの日に捨ててしまった。私の愛していた、アルネ・ヤコブセンの時計までも——。


スマートフォンも手放し、1級遮光カーテンに部屋に囲まれた部屋で1日中過ごした。しかし、一般の引きこもりの人間とは違い、ヨガや体幹を鍛えるトレーニングは欠かさなかった。


病状は更に悪化し、ついには自分の心臓の音にまで恐怖感を示す様になってしまった。おそらく、その鼓動が、時を刻む“秒針”のように聞こえていたのだろう。


そんな中でも、菫の憂いを帯びた、その瞳は悪魔的に美しかった。


        * * *



私達夫婦はなんとかこの現状を打破したいと、強く願い、そして、ある決断をした。


脳科学者である妻・美央のもと、菫の「精神」までも、改編してしまうことを。


もちろん“精神の黄金比”に———


神経共鳴アルゴリズム。


脳波の周期を解析し、感情の波形を黄金比に整える実験———


私達はそれを、“心の調律”と呼んだ。


「感情にも秩序が必要なの」


美央はそう言いながら、菫の脳に装着したニューロ・チューニング装置のデータを見つめていた。

その瞳は、母親というより研究者のそれだった。


我々が創り出した“精神の黄金比”とは、汚れや恐怖を知らぬ“少女の心”と、理性と知性を備えた“成熟した大人の心”をひとつの脳内に共存させる試みだった。


無垢と知性、純粋と理性——。


その相反する2つの精神を、最も美しい比率で融合させる。


しかし、人間の脳はあまりにも複雑で、どれほど科学が進歩しても、その全容を掴むことはできない。


前人未到の試みは、困難を極めたが、私たちはなんとか成功させたのだった。



        * * *



菫の極度の不安障害は完全に一掃され、我が家に再び安穏の日々が訪れた。


「パパ〜!おはよう!」


朝になると元気よく私にハグをしてくる菫はまるで天使の様だ。


風呂上がりに恥じらいもなく、裸で私の前を通る事もある。


この様になった理由は、少女の要素をだいぶ多めにした為だ。


完全に私達の主観で作られた“精神の黄金比”だったのだ。


菫は学問への興味を失い、結局大学へ復学することはなかった。


だが、私達はそれでも構わなかった。


——この容姿で、この“天使のような性格”だ。


外の世界に出れば、きっと“悪い虫”がつく。


そんなことは、私が耐えられないだろう。


菫は私達の所有物だ。


黄金比の身体に、黄金比の服を纏う。


黄金比の家具に、黄金比の身体を預ける。


黄金比の身体で、黄金比の言葉を語る。


——私達の“黄金比”への追求はこれにて完了した。



       * * *



「菫。散歩でも行こうか?春だけど、まだちょっと寒いからな。服は父さんが選んであげよう」


「うん!選んで!パパの選んだお洋服、可愛くてだ〜い好き♡」


春の陽ざしの下、私が選んだ服はこうだった。


淡いクリーム色のシルクのワンピース。

胸元のカッティングと裾の広がりが、完璧な比率で均整を保っている。


その上に、ペールグレーの薄手のトレンチコート。

ベルトを軽く結ぶと、菫の腰の高さが際立つ。


首には白いシフォンのスカーフを巻き、手には滑らかなレザーのクリーム色の手袋。


足元はイギリス製の黒いヒールブーツ。


私が昨日入念に磨いておいたものだ。


すべての長さと曲線が、全て計算された黄金比。


春の風に髪がゆれ、光を受けた黒髪が柔らかく輝く。


「パーフェクト!」


私は呟いた。


すぐに私にくっつきたがる菫も好きだが、少し離れてた方が好きだったりする。


なぜなら、黄金比の菫を存分に堪能できるからだ。


しかし、今日はそれが間違いだった———。


その時、菫は何を思ったのか、道路に向かって一目散に走り出した。


「菫!!??」


キィーーーーーーー!!!!!


ドカーーーーーーン!!!!!



菫は頭から血を流し、完全自動運転の車の前に横たわっていた。


私はすぐに駆け寄った。


「………パ……パ………」


「なんで、飛び出したんだ!!??」


「……だって…この子が轢かれそうだったから…」


菫の手の上で不気味に蠢いていたのは、青虫だった。



         * * *



2日後、菫は死んだ。


菫を壊したのは間違いなく私だ。


“黄金比”などと馬鹿げた呪いに取り憑かれ、遺伝子を操作したのが、そもそもの間違いだったのだ。


その事で菫はひどく苦しんでいたのだから……。


のちの“精神の黄金比”への改編。


大人の身体に少女の精神を宿した菫の行動は明らかに人間としてのバランスを欠いていた。


それが今回の結果だ。


実験は大失敗だった。


「……菫……ごめんな……」



        * * *



「私が育てるわ」


美央はそう言って、静かに微笑んだ。


菫が救った青虫は美央が育てる事になった。


「気持ち悪いよ、美央……」


「…バカ…菫はこの子を“美しい”と思ったのよ」


彼女は青虫の入ったケースを胸に抱き、窓際の光の当たる場所に置いた。そして、清潔な水と新鮮な葉っぱを与え、フンの掃除をした。


        

        2週間後



北欧製のチェストの上には、菫の写真が入ったシルバーのフォトフレームと花瓶、キャンドルが置かれている。


もちろん、これらの物も黄金比を元に私がしつらえ、配置した。


このフォトフレームが菫の遺影だ。仏壇などと言う黄金比を破壊する野暮なものは買わなかった。


この期に及んで私はまだこんな事をしていたの

だ…。


「あなた…もうすぐよ」


美央はサナギから羽化するモンシロチョウを熱心に観察している。


「…ああ…」


それより私は菫の写真ばかり見ていた。


黄金比だった、在りし日の菫を———。


その時だった。


蝶はヒラヒラと翅を広げて、菫の遺影の隣に飾ってある花に止まった。


私は思わず息を飲んだ。


子供の頃、蝶を追いかけ、野原を駆け巡り、たんぽぽを摘んだ記憶が鮮明に蘇る——。


あの頃は“黄金比”なんて意識した事もなかったし、

そもそも、何も考えていなかったな…。


でも、幸せだった。


「綺麗ね」


美央は微笑んだ。


「…ああ…綺麗だ」


なんで、今まで忘れていたのだろう?


こんな近くにあったのに…。


私は思わず蝶を捕まえようとしたが、すぐにその手を止めた。


そんなことをしたら、また———。


美央は窓を大きく開けた。


春の風がやさしく吹き込み、カーテンが揺れる。


その時、蝶は光に向かい、ヒラヒラと翅を広げ、外の世界へ飛び立っていった。


「うっっっ!」


美央は声を上げて泣いている。


私の頬にも涙が伝う。


「…元気でな。車には気をつけるんだよ…」


我々は蝶を見送ったあとも、外の風景を見続けた。


いびつな雲の形。


伸び放題の街路樹。


道を行き交う人々の姿。


泣きじゃくる、美央の横顔。


どれも、全く整っていないのに、完璧なまでに美しいと感じた。

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