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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

雨の祠

作者: Taro
掲載日:2026/01/21


「たす……けて」


雨音が、すべてを洗い流そうとしていた。


灰色の空から降り続ける雨は、石畳の街道を黒く染め、水溜まりに泥を溶かしていく。

街道の両脇には背の高い枯れ草が生い茂り、その向こうに朽ちかけた石垣が続いていた。

かつては畑だった場所には、今は何も育っていない。

折れた木の杭が地面に突き刺さったまま、雨に打たれている。

遠くには黒々とした森の影が見えるが、霧に霞んで輪郭が曖昧だった。


レオンは北へ向かっていた。目的地などなく、ただ街から街へ。

依頼があれば剣を振るう。なければ次の場所へ移る。それだけの日々だった。

守るべきものを失ってから、もう何年になるだろう。

それでも、足は止まらない。生きる理由など、もうとっくに無いというのに。


鈴の音が聞こえたのは、その声を聞く少し前だった。


風の中に混ざった、か細い音。レオンは足を止めた。マントは既に重く、肩に食い込んでいた。

街道脇に建つ古い祠。石の壁は苔に覆われ、屋根の一部が崩れている。人の気配などないはずの場所。


そこから、あの声が漏れていた。


レオンは剣の柄に手をかけたまま、ゆっくりと祠へ近づいた。石段には雨水が流れ、苔が滑る。


祠の奥、崩れた祭壇の影に、少女が蹲っていた。


十にも満たない小さな体。濡れた黒髪が顔に張りつき、薄汚れた白い服はボロボロだ。

細い手首には、何度も縛られたような赤い痕が生々しく残っている。

少女は顔を上げた。その瞳には恐怖が満ちていたが、同時に何か別のものが宿っている。

青白く明滅する、まだ目覚めきらない魔力の脈動だった。


「追われているのか」


少女は頷いた。唇が震え、言葉にならない。レオンは街道の向こうを見やった。

雨の向こうに、赤い紋章を掲げた騎士たちの影が揺れている。


蛇の教団。


レオンの胸の奥で、何かが疼いた。古い傷が開くような痛み。いや、痛みではなく渇きだ。

喉の奥から這い上がってくる、満たされぬ飢えのようなもの。

あの紋章を見るたび、彼の中で暗い炎が燃え上がる。血の匂いを求める獣が、檻を揺さぶり始める。

かつて守れなかった者も、あの赤い蛇の下で奪われた。


「あの連中が狙っているなら、俺が連中から救ってやる。」


「わたし……ミラ」少女はようやく言った。「わたし、わるい子……だから」


「お前は何も悪くない」レオンは低く言った。


彼は懐から護り符を取り出した。古い布に刻まれた印を祠の入口に押し当てると、淡い光が石壁を這う。

簡易の結界だ。完全ではない。それでも時間を稼ぐには十分だ。


水を含んだ足音が近づいた。騎士たちの背後から、ゆっくりと一人の男が現れる。

黒衣に身を包んだ魔導官だった。薬草と血を混ぜたような香が、雨を押しのけて漂ってくる。


「器を返していただこう」男の声は丁寧で、それ故に冷たかった。

「彼女の魂は教団のもの。秩序を乱す未熟な力は、正しき儀式によって浄化されねばならない」


「浄化?」レオンは剣を抜いた。刃が雨を弾く。「殺すことをそう呼ぶのか」


「この美しい、神の世界を守るためだ」


レオンの唇が、わずかに歪んだ。笑みとも呼べない何かだった。


「お前たちは、いつもそうだ」彼は静かに言った。「くそったれな神が」


男はこちらを睨みつけ、濡れた指で空中に赤い印を組む。するとミラを守る結界が軋んだ。

裂け目から赤い蛇紋が滲み、護り符が音を立てて燃える。

レオンは少女を背に庇い、剣を構えた。胸の奥で、暗い炎がさらに大きく燃え上がる。



騎士が二人、同時に踏み込んできた。


金属音が雨を裂いた。レオンの剣が一人目の槍を弾く。そして回転と同時に、その喉を切り裂いた。

血飛沫が雨に混じる。騎士は声も出せずに倒れた。


ああ、これだ。


胸の奥で何かが弾けた。檻が開く音。解放の、甘い痺れ。

レオンは深く息を吸った。血と雨の匂いが肺を満たす。

体が軽い。動きが滑らかだ。

色を失っていた世界が、この瞬間だけは極彩色に変わる。


二人目が剣を振り下ろす。レオンはそれを受け流し、カウンターで脇腹を刺し貫いた。

鎧の隙間に刃が滑り込み、肉を裂く感触。騎士は苦悶の声を上げて膝をついた。


レオンは剣を引き抜き、返す刃で首を落とした。


泥が跳ね、血が流れる。焦げた匂いと鉄の匂いが混ざり合う。

レオンは息を吐いた。胸の高鳴りが止まらない。全身が熱い。指先まで痺れている。

これは正義ではない。これは復讐だ。復讐という名の、なんと甘美な。


魔導官の顔色が変わった。呪文を唱え始める。空気が歪み、炎が生まれる。


炎が祠を舐めた。レオンは肩を焼かれながら少女を抱え、石段を転がり落ちる。

傷が疼き、視界が揺れる。だが痛みが心地よい。生きている実感が、久しぶりに体を駆け巡る。

彼の中で何かが歌っている。もっと、もっとだ。


レオンは立ち上がった。肩から血が滴る。だが彼は笑っていた。


「残りはお前一人か」


魔導官は後退した。次の呪文を紡ごうとする。だがレオンの方が速かった。


彼は地を蹴り、一気に間合いを詰めた。魔導官の術が完成する前に、剣が黒衣を裂く。

腹を、胸を、喉を。三太刀。正確に、容赦なく。


魔導官は血を吐いて倒れた。赤い蛇紋が、泥に沈んでいく。


レオンは剣を拭いもせず、その場に立ち尽くした。

雨が血塗られた刃を叩き、赤い雫を地面へ運んでいく。


本当はこの男たちを見た時、その紋章を見た時。


心が躍っていた。


あの快楽を、あの甘美を味わえると思ったら。


だが快楽の時はすぐに終わる。

その後に訪れるのは、全身にまとわりつく暗い絶望だ。


何度復讐しても、何人殺しても、晴れることはない。


本当に憎んでいるのは、自分自身なのだ。


早く死んでしまいたい、早く楽になりたい。


だが、心がそれを許さない。もっと苦しめ、もっと絶望しろ。


お前は許されない。




レオンは剣を拭いもせず、ゆっくりと振り返った。ミラが震えながら彼を見ている。

恐怖と、何か別の、救われたという安堵が、その瞳に混じっていた。


「怖かったか」レオンは聞いた。


ミラは頷いた。だが、泣いてはいなかった。


レオンはミラの手を取った。小さな手は冷たく、震えている。


「もう大丈夫だ」目を合わせることもなく言った。

その嘘に心は痛む。教団の追跡は終わらないだろう。


だが今は、この言葉しかない。


遠くに青い灯りが見えた。青灯の塔だ。そこへ行けば、少しは安全かもしれない。

確実ではないが、今よりはましだろう。


レオンの傷は深く、ミラの震えは止まらず、空はまだ晴れない。

足元には三つの死体が転がり、血が雨に薄められていく。


彼の胸の奥では、まだ暗い炎が燻っている。


二人は雨の中を歩き出した。呪いを背負ったまま。青い灯りへ向かって。

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