7よだれ鶏
「今日は干し豆腐仕込まなくていいの?」
休み明けの昼営業前、そう聞いてきたのは母ちゃんだった。
「うん…だって、今日は主菜も副菜が豆腐使うでしょ?豆腐がかぶっちゃうから」
今日は昼夜通しで豆腐が使われる。
近所の豆腐屋が大量注文を受けたのはいいものの、日付を間違えてしまって大量に作ってしまって朝から大騒ぎだった。
大量に作った豆腐を安く売りだしていたので昼夜使うようにした。
ほかにも揚げ豆腐にして明日も使えるように、自家製干し豆腐もこの後作るからしばらく豆腐尽くしになる予定だ。
昼の主菜はごろッと豚肉の麻婆豆腐か鶏肉と野菜の甘味噌炒め。
小鉢は主菜が重いから、あっさり目に青菜のおひたし、きゅうりと人参、クラゲの酢の物、焼茄子のさっぱり和えに冷奴。
夜は豚肉と揚げ豆腐の炒め物かよだれ鶏。
小鉢は昼の冷奴を変えて、ごま油香るあんかけ豆腐だ。
今日だけ小鉢は4品だ。
昼に弁当を買いに来る女性たちも昼の常連も朝の豆腐騒ぎを知っていて、出てきた豆腐の料理に苦笑いだった。
「あそこの嫁さんはおっちょこちょいが治ったって思ったんだがなぁ」
「そんな簡単になおりゃ世話ないって」
そう言う噂話にアンズもシイカも苦い顔だ。
界隈でも有名で、宮廷からの注文を受けることもあるおいしい豆腐を格安で手に入れられたんだから、文句を言っちゃいけない。
ちなみに今日の豆腐は宮廷じゃなくて、どこかで宴会があるからって話を1か月間違えていたのを朝から納品に行って気づいたという。
昼営業にコウはやってこなかった。
夜営業になって、常連の姿がまばらになってきたとき、コウがやってきた。
「いらっしゃい!コウさん!」
残っている常連の顔が一斉に店に入ってきたコウに向いた。
コウは視線を受けてドキリとしたが、努めて平静を装った。
「アンズさん、約束通りご飯食べに来ました」
「はい、空いている席にどうぞ!今日の主菜は…」
アンズの説明を聞いてコウはうーんと唸りだした。
目をつぶって、眉間にしわを寄せている。
「あ…苦手なものでした?」
「いえ…主菜、どっちもおいしそうで…どっちも食べたいなっておもって。小鉢はあんかけ豆腐にするか、茄子にするか…ああ、どうしよう…」
コウが唸りながら考えていると、常連たちがゲラゲラと笑い出した。
「なんだ、どれもこれも食べたいってか!」
「ここ、量が多いからなー!」
「さすがに主菜二つは…」
「副菜も悩んでるって…」
「幸せな悩みだなぁ」
常連たちの賑やかなからかいにコウははにかんだように笑った。
「ゆっくり悩んでください。今日のお豆腐は本当においしいので、食べておいた方がいいですよ。小鉢1つにつき大銅貨1枚で追加できますから」
「アンズちゃん、商売上手だな」
「実際美味いのよ」
「主菜も副菜もうまいぞー!」
「ああ…どうしよう…」
アンズのおすすめと、周りにせっつかれてガタガタ震えるコウに一同爆笑だ。
コウが選んだのはよだれ鶏と小鉢4種おひたし、茄子、豆腐のあんかけ、野菜の酢の物。
ご飯は大盛りで、と小さい声で注文した。
アンズが食事を運べば、ご飯と汁物の湯気にホッと肩の力を落としたのであった。
「いただきます…」
そう言って箸を持つ美しい所作に常連たちの目が釘付けになった。
その食べ方には明らかに彼らとは違う育ちを感じた。
だが、よだれ鶏の刺激には耐えられなかったらしく、次の瞬間にはご飯を掻っ込んでいた。
「美味い…」
賑やかな店内でコウのつぶやきがアンズの耳に届いたのであった。
帰るときに持っていた大きな蒸籠を肩から掛けていたカバンから出してくれた。
「あ、おばさんに返しておきますね。今日の分は先払いいただいているので、お代は結構です」
アンズが蒸籠を受け取って、伝票を確認した後、コウはモジモジとしている。
「あの…」
「はい」
「干し豆腐の和え物って…また出ますか?あと…トマトも」
今食べ終えたばかりなのに、次来た時に何を食べられるか気にするコウにアンズは思わず噴き出した。
「あの…すいません。干し豆腐は今作ってるので…次の休み明けくらいから出せると思います。次の休みまでは揚げ豆腐続くかと思いますし、トマトも入荷があれば」
「お休みって…」
「うちは4日開けたら2日休みなんです」
「あ、だから休みの時は饅頭を…」
ああ、なるほどとコウは呟いた。
「あのおばさん、饅頭つくりが本当に上手なんですよ。でも、毎日は皮づくり大変だし、家で蒸すのは狭いからって、休みの時貸してるんですよ」
「あ…あの饅頭や餃子、シュウマイは…蒸し直してみんなで食べたんですけど、本当においしくて」
「そうですか。おばさんに伝えておきます。また、寄ってください。支払いは大銅貨か小銀貨で」
「…そうですね、気を付けます」
コウはペコリとお辞儀をして店から出ていった。
「はい、またお待ちしてます」
コウの背中越しに聞こえるアンズの声にコウは満たされた腹を抑えた。
腹が満たされた。
定食屋の雰囲気に満たされた。
酒を飲もうと思わなくて、いつもだったらまだまだ宵の口で酒を飲んでいる時間だけど、このまま幸せな気分で寝たいと思った。




