3 干し豆腐の和え物
「母ちゃん、できたよ。賄い食べよ」
そういってアンズはシイカに声をかけた。
2人分の賄いを席に運んだ時、暖簾を外してある店の引き戸がガラガラと音を立てて開いた。
「あの…準備中で…あ…!」
昨日の酔っ払いが申し訳なさそうな顔をしてそこに立っていた。
今日みたいな青空がキレイな日になんて辛気臭い顔をしているんだろう、とアンズは思った。
「あの…」
素面に戻った酔っ払いが何かを言いかけたとき、獣の唸り声のような腹の虫が鳴いた。
当然だ。
焼いた卵の匂いがこんなにおいしそうに定食屋に漂っていれば。
「…昨日の飯が美味くて…さっき起きたばかりで何も食べてなくて…すいません…」
酔っ払いは定食屋の入り口で俯いて小さくなっている。
「賄いしかないんですけど、食べていきますか?」
「え…そんな…」
再び腹の虫が鳴いた。
「こちらに座ってください」
そう言ってアンズが案内したのはシイカとアンズの分の賄いがおいてある席だ。
「すぐ、準備しますね。お酒抜けてます?」
「あ…はい…あの…昨日の…」
「はい」
「干し豆腐の和え物…おいしくて…」
ぼそぼそと小さくなる声にアンズはニコリとする。
「今日もあるので、お付けしますね」
「あ…重ね重ねご迷惑を…」
「いいえ。少々お待ちください。あ、母ちゃん。薄めのお茶入れてもらえる?」
アンズが厨房で食事を準備するカチャカチャと言う音が響く静かな店内、外の明るい光が開け放たれた窓にかかった薄い布から差し込んで、なんとも穏やかで安心できる空間だ。
「はい、おまたせ」
酔っ払いの前に置かれたのはトマトと卵の炒め物、干し豆腐の和え物、ご飯と汁物だ。
腹の虫が鳴き止まず、腹を抑えたところにお茶が入った湯呑が置かれた。
「いただきます!」
「いただきます」
酔っ払いの視線が目の前に並んだ定食屋の母と娘を捕えた。
「…いただきます…」
酔っ払いはまず薄いお茶を飲んだ。
何も食べていないと言った彼のために、注がれた温かいお茶で体が奥から温まる気がした。
そして、昨日食べて酔いが吹き飛んだ干し豆腐の和え物。
一口食べて彼は夢見心地になった。
「…こんなにおいしいもの初めて食べました…」
酔っ払いの言葉に母と娘は顔を見合わせて、コロコロと笑い始めた。
「お口にあってなによりです」
「大袈裟ですよ」
ニコニコ顔の母親と少し照れた様子の娘。
「良かったわね、おいしいって言ってもらえて」
「味は母ちゃんと板前さんのお墨付きでしょ」
からかう母親と拗ねる娘にどちらが作ったのかが酔っ払いにもわかった。
酔っ払いも顔を赤くする。
「卵とトマト炒めはどうですか?」
「…こういう料理は初めて見ました…美味い…」
箸で切り分けて、トマトと卵を一緒に食べれば、口の中でトマトと卵の旨味が絡み合った。
味がもう少し濃ければ飯が進むが、酔いがさめ切らない空っぽの胃にはちょうどいい。
汁物は少し濃い目に味付けがしてあって、やはり目が覚めるようだ。
夢中になって食べてしまった酔っ払いに母親が濃い目のお茶を注いでくれた。
濃いお茶を飲んで一息をついたら、頭がさえてきて、酔っ払いは食後のお茶に手を伸ばした二人に深々と頭を下げた。
「昨夜に続き、お昼ご飯まで頂いて申し訳ない!清算に来たのに…」
「…あ、そうだ、ちょっと待ってくださいね」
アンズはそう言うとお盆を下げて、金貨と証文を手に戻ってきた。
酔っ払いは銀貨と昨日の酔っ払い側の証文をテーブルの上に置いてある。
「銀貨…お代は小銀貨1枚ですよ」
「賄い代と迷惑料と心付で受け取ってください…」
小さく縮こまっている酔っ払いとの押し問答はきっとあまり意味がない。
「じゃあ、あと2回の食事先払い分も含めて受け取りますね。こちらが昨日置いて行かれた金貨とうちの証文です」
「あ…それでは…」
体を小さくかがめ、アンズと目も合わせないでボソボソと小さい声でそそくさと立ち去ろうとする酔っ払いを引き留めるようにアンズは聞いた。
「うちの料理おいしかったですよね?」
「はい、とても…」
「ほかにもおいしい料理いっぱいあるんですよ、ぜひ召し上がってほしいです」
常連だとか一元の酔っ払いだとかは関係ない。
美味しい料理を食べてほしい、まぎれもなくアンズの本心だ。
「…はい」
酔っ払いはペコリと頭を下げて、金貨と精算済みの証文を財布に入れたのであった。
アンズは入り口まで酔っ払いを見送った。
気温は朝からぐんと上がって暑いくらいだ。
暑気払いにあっさりした小鉢が出そうだな、と思う。
キュウリやナスの浅漬け、ピリッと辛いものに変更した方がいいかな、そんなことを考えた。
「ああ…こんなにいい天気だったのか…」
「そうですよ」
「…あの…その…」
なんだかもじもじしていてこのいい天気が似合わない人だとアンズは思った。
「貴方は…卵とトマトの炒め物みたいな人ですね…」
「…?」
突然の言葉にアンズは首を傾げた。
「明るくて、素朴で、世界を明るくしてくれて、青空が似合う人だ」
「え!?」
「…また、来ます」
酔っ払いはペコリと頭を下げてくるりを背を向けた。
「…お待ちしております…」
何を言われたのかわからず、アンズは型通りの言葉を返しただけだった。




