18 紙問屋の若旦那
父ちゃんがここにいることにも驚いたが、それ以上に驚いたのは父ちゃんと談笑をしていた相手方の両親だ。
静かに座っていた相手も席を立ち、アンズを見つめている。
「コウさん…」
「アンズさん、本日はありがとうございます」
そう言ってコウ、コウの両親は静かに礼をしてアンズを迎えたのであった。
席に着き、お茶とお茶菓子が出されるのを待っている間、アンズは目の前に座っているコウを改めてみた。
普段着と言っていたが、いつも定食屋に着ていた服は普段着どころか古着や誰かのおさがりだったのだろう。
今日着ている衣服はいつものよりも上質なもの、それでいて色は深い紺で、コウの落ち着いた大人の雰囲気に合っているものだった。
そうか、この人は紙問屋の若旦那だったのだ。
たしかに、初めて出会ったときこの人は小銀貨1枚の料理に金貨で払おうとし、残りは心付けとずいぶんズレたことを言う客だった。
饅頭を買うのに銀貨では払えず、腹を空かせてもいた。
世間ずれした変な人だと思ってはいたけれど、育ちが原因だったのだ。
お茶とお茶菓子が出されるまで両親たちは楽しそうに話をしていたが、コウとアンズは一言も交わせなかった。
お茶とお菓子が出そろってから、仲人さんから「知っていると思うけど」と前置きがあってそれぞれの紹介を受けたのであった。
言葉を交わせないアンズを見て、コウの母親はコウの脇腹をつついた。
コウは静かに深呼吸をしてアンズに向かい合った。
「アンズさん、改めて本日はお越しいただきありがとうございます。紙問屋のセンコウと申します。もしかしたら、希代の放蕩息子と言う噂で躊躇させてしまったかもしれませんが」
「希代の放蕩息子?コウさんが?」
「はい」
アンズの様子に噂とコウの様子が結びつかないようでコウは安堵した。
「初めて定食屋にお邪魔をしたあの日以降、貴方の作る料理は自分にとって生きる活力になりました。おかげで放蕩から足を洗えたのです」
「…私は、ただご飯を出していただけで…」
「はい、それだけのことが、私がちゃんと生きるには必要なことだったんです。いつもおいしいごはんを出していただきありがとうございます」
「私はご飯をおいしいって言ってくれるだけで嬉しくて…」
コウは深く頷いたのであった。
両親たちはいつの間に退出したのか気づかなかったが、二人きりで話している間もアンズの頭の中では紙問屋の若旦那としてのコウの姿が見えるたび、常連のコウとの差を探してしまった。
「ずいぶんとお話が盛り上がったようですが、本日はこの辺で切り上げてもよいですかな?」
仲人の言葉に2人は少し寂しそうに見つめ合った。
「アンズさん…これからも定食屋に伺ってもよいですか?」
「は…はい。もちろん、お待ちしてます」
型通りの挨拶にコウは嬉しそうに笑みを作った。
「では、また後日双方の意向を伺いにまいりますね」
家まで送り届けてくれた仲人の言葉にアンズは体の中から大きな熱のようなものが沸き上がるのを感じた。
「あ…そうだ…これ、お見合い…」
今更ながら気づいたことにアンズはお見合い相手がコウだったことに嬉しいのか悲しいのか喜んだらいいのか怒ったらいいのか泣いたらいいのかわからなくなった。
ただ、お見合い相手がコウだったこと、アンズのご飯が毎日の活力だと言ったこと以外何を話したのか全く覚えていなかった。
定食屋に戻って一人で赤くなり青くなりと忙しいアンズを見て、シイカとシュレンは顔を見合わせた。
「…子供の成長は早いな…」
「再来年には私も孫を抱けるかしら?」
そんなことを言うシイカをシュレンはぎゅっと抱きしめた。
皇帝シュレンの息子皇太子ツィレンに子どもが生まれたという報が出たのは少し前のことだ。
皇帝として生きることを選ばざるを得なかったシュレンと帝都の平民街でシュレンを待つことを選んだシイカには仕方のない出来事だ。
シュレンはシイカとの間にはシュカとアンズという二人の子がいるが、正妃をはじめとする妃たちの間の子どもは両手でも足りない。
いつ頃からか、皇帝と妃たちとの過激な愛の交歓が話題に上るようになった。
宮廷発の皇帝の過激な愛の物語を読みたくてこの国の識字率が爆上がりしているのだからおかしな話だ。
そのおかげでアンズの縁談相手のコウの実家、紙問屋は常に忙しい。
宮廷や上流向けの上質な紙はもちろん、平民層への質の悪い紙や再生した使い古しの紙までも需要が高いからだ。
識字率の爆上げのおかげでシュレンが気づいたのは、紙と言う素材の有用性だ。
国を統治するには欠かせないものだ。
紙の需要が高い、つまり紙漉きの職人の需要は高いということは、彼らを育て、まとめられる器量のある者が求められる。
誠実でわいろを拒否するだけの胆力をもつ現在の紙問屋、シュレンが皇帝になってからの御用達だ。
今後も長期の取引を考えれば、その若旦那をいずれ何かの形で上手く取り込もうと考えていたところに降ってわいたアンズの縁談。
しかも相手の方が乗り気で、アンズとしても紙問屋の若旦那コウを憎からず思っている。
シュレンにとっては有難迷惑なのだが、天がシュレンの治世を求めていると考えてもおかしくない。
そう考えて、シュレンは薄く笑った。




