15 常連だろ?
「兄ちゃん!!」
「コウさん!」
饅頭を食べていた子どもたちが駆けつけ、そのあとにアンズの声が響いた。
冷えていた体が殴られ蹴られ踏みつけられたところに急に痛みを感じた。
コウは体を起こして、立ち上がり、服についた泥を手で払った。
集まった近所の人にアンズに子どもたちに静かにお辞儀をした。
「大変ご迷惑をおかけしました。後ほど改めてお詫びに参ります」
そう言ってその場から立ち去ろうとしたコウの腕をアンズはぎゅっと握った。
「コウさん!」
「アンズさん、すいませんでした」
コウの顔には地面に倒れこんだときにできた擦り傷と泥がついている。
「ケガしてます、手当てするので」
「いえ、これ以上ご迷惑をかけるわけには…」
「ダメです!来てください!」
アンズはグイっとコウの腕を引っ張った。
たぶん、この手を離したらこの人とはもう会えない、そんな気がした。
会えないということは、「美味い」と言う声もおいしそうな幸せそうな顔も見られないということだ。
だから離しちゃダメだ。
アンズの気迫に負けて、アンズの手が温かくてコウはアンズに大人しくついて行った。
饅頭屋には騒ぎのせいか客がひしめいていて、その脇を通って、店の中に入った。
アンズが店の椅子に座らせると、さっきの騒ぎを見ていた客たちから、「兄ちゃんかっこよかったぞ」と声がかかった。
アンズが店の奥から水の入った盥と清潔な布、そして傷薬や打ち身の薬などをもって戻ってきた。
アンズは濡らした布で、そっとコウの顔を拭く。
その顔が真剣そのもので、コウは心配無用とも言えず、されるがままになった。
客の中には二人の関係をシイカや饅頭屋のおばちゃんに聞いて、「ちょっかい出すんじゃないよ」とおばちゃんに怒られていた。
「コウさんとやら」
客の相手をシイカに任せて、饅頭屋のおばちゃんが声をかけてきた。
「もうちょっと待ってておくれ。お礼の饅頭が蒸しあがるから」
「いえ…自分は…ご迷惑をおかけしただけで…」
そんなことを言えば、饅頭屋のおばちゃんの大きな声が店の外まで響いた。
「何言ってんだい!あんたの男っぷりに惚れ惚れしたんだよ!こっちは!相手が4人もいて、しかも顔見知り、昔馴染みかなんかだろ?あんな毅然として立ち向かうなんてできないよ、普通は!」
「…そんな風に言っていただけるなんて…」
「だから、待ってな!!」
「はい」
コウに声をかける客も多くて、アンズも接客に行ってしまったが、コウはこの店に戻ってこられてホッとした。
あのまま帰ってしまったら、多分この店には来られなかった。
来られるようになるまでにすごく時間がかかったと思う。
若旦那衆ともめた理由を親や爺やや番頭に話せば、家同士の揉め事にだってなっただろう。
その過程でこの定食屋とアンズに不必要な注目が集まってしまえば、常連と言ってもコウが通えば、変な噂が立てられるに違いない。
誰かが悪意を持って、いや、噂話程度でも「コウがアンズを妾にする」と言われることを考えただけでも背筋が冷たくなる。
この場所をアンズを誰かに傷つけられるくらいなら、コウは手放したってかまわないのだ。
そう思ったら、今までの自分では考えられない心境の変化にコウは薄く笑った。
コウは大きな蒸籠3つもの饅頭をもたされた。
数を数えれば、爺や、番頭や使用人だけでなく、両親や自分の分まできっちりと数が入っていた。
「蒸籠はアンズちゃんに返してくれればいいから」
「あの…」
「常連だろ、あんた」
「…はい…」
「ってことは、明後日もまた来るだろ?」
定食屋の営業日のことを言われて、コウは言葉が詰まった。
「来るだろ?」
「…はい。来ます」
コウが覚悟を決めたように返事をすれば、おばちゃんはうんうんと満足そうにうなずいた。
「じゃ、アンズちゃん。明後日蒸籠受け取って」
「はい」
アンズもコウがまた来ると知って安心した。
「では、私はこれで。重ね重ね失礼しました」
大きな蒸籠を抱えたコウをアンズは店先まで見送った。
「アンズさん…また来てもいいでしょうか?」
「はい、必ず来てください。豆腐とトマトの和え物作っておきますから」
おずおずと聞いてきたコウにアンズはまっすぐに見つめる。
コウの目が潤んだのがアンズにも見えた。
「ありがとうございます。また、来ますね」
「はい、お待ちしてます」
コウはあふれた涙がこぼれるままに蒸籠を抱えて家に帰ったのであった。
コウが若旦那衆ともめたことは家のものがすでに知っていた。
穏やかな表情をしている両親は明らかに怒っていたが、毅然とした態度で相手に手を出さず、店と女性と子どもを守ったことに父から一言「よくやった」とだけ言われた。
それから、いつも通り定食屋には行くようにと。
父の言いつけ通り、アンズとの約束通りコウは定食屋へと通う。
淡々とした日常の中で、アンズとコウは看板娘と常連客と言う立場のままでいた。




